2019年11月17日日曜日

【お知らせ】12月22日(日)市民立法「チェルノブイリ法日本版」学習会「なかったことにはさせない!--福島原発事故の人権侵害」(港区リーブラ)

 新しい段階に入った市民立法「チェルノブイリ法日本版」の学習会、ホップ、ステップ、ジャンプの二歩目(ステップ)のお知らせ。

2019年10月11月の市民立法「チェルノブイリ法日本版」学習会を、東京都調布市と福島県郡山市でやりました。
     調布市(10月26日。詳細->こちら)            郡山市(11月2日。詳細->こちら

 この2つの学習会は、それまでの学習会のメインテーマ、
--なぜ今、チェルノブイリ法日本版なの?
--どうやって、チェルノブイリ法日本版を実現するの?
という入り口の総論の話から、次の段階に進み、
チェルノブイリ法日本版条例の中身について、
--その条例は誰が、何のために、誰のために作るの?  
--どんな内容なの?キーワードと言われる予防原則とどんな関係があるの?  
という各論のテーマについての話を試みたものでした。

まだ暗中模索の域を出ない試みとしか言えないものですが、参加した皆さんのリアクションから、この試みがとても大切なもの、必要なものだと確信しました。

そこで、その続きを、来月12月22日(日)13時半から、東京港区の「リーブラ」1階和室広間(以下の地図等を参照)で行ないます。
10月、11月の学習会のプレゼン資料とレジメを、末尾に転載しました。
皆さんのご参加をお待ちしています。
 日時:2019年12月22日(日) 1330~ (開場13:00) 
 会場:港区立男女平等参画センター「リーブラ」公式サイト)  1階 和室大広間(以下の赤丸の部屋)

 
  〒105-0023
  東京都港区芝浦1-16-1 みなとパーク芝浦
  TEL:03-3456-4149 ->地図) 
  アクセス JR田町駅東口 徒歩5分
        都営地下鉄三田駅 A6出口 徒歩6分

 演題: 市民立法「チェルノブイリ法日本版」学習会
       チェルノブイリ法日本版条例案の中身について
      ――願い・夢をカタチにするまでのプロセス――
◆ 講師:柳原敏夫(市民が育てる「チェルノブイリ法日本版」の会・共同代表)
◆ スケジュール
   柳原の話    13 ~15時

      質問タイム   15時~15時半

      交流会      1545分~16時半

 参加費 無料
   ただし、会場準備の都合上、参加希望の方は
090-8494-3856(岡田)までご一報くようお願いします
 主催:脱被ばく実現ネット(旧ふくしま集団疎開裁判の会)
   問い合わせ先 090-8494-3856(岡田)


◆◆ 10月・11月の学習会の資料
動画(詳細は->こちら
            柳原敏夫の話(1時間20分)。


10月のプレゼン資料(全文のPDFは->こちら) 

 
http://1am.sakura.ne.jp/Chernobyl/191026presenTyofu.pdf
10月のレジメ(PDFは->こちら
                **************

市民立法「チェルノブイリ法日本版」実現のため、世界への接近の仕方(その2)
                                                                        2019年10月26日
1、いかにして原発事故と向き合うか:知行合一が持続可能な対面を可能にする私たちは放射能を忘れたがっている、たとえ放射能災害の正しい事実()を知ったからといっても。否、その時のほうがむしろ忘れたいと思う気持が一層強まる可能性がある。それほど、放射能災害はこれまで人類が経験したことのない耐え難いほど過酷な現実を私たちに突きつけるものだから。


)例えば、
・「時計はもとには戻せない。私たちは汚染された世界に生きるしかない」(小出裕章)。
・「核反応という、天体においてのみ存在し、地上の自然の中には実質上存在しなかった自然現象を、地上で利用することの意味は‥‥深刻である。あらゆる生命にとって、放射能は地上の生命の営みの原理を撹乱する異物である。私たちの地上の世界は、生物界も含めて基本的に化学物質の結合と分解といった化学過程の範囲で成り立っている‥‥核文明は、そのような破壊の一瞬を、いつも時限爆弾のように、その胎内に宿しながら存在している。この危機は明らかにこれまでのものとまったく異質のものではないだろうか。」(高木仁三郎 1968年)(以上、ともに「終わりなき危機」より)。
・「チェルノブイリ事故は大惨事ではない、そこでは過去の経験はまったく役に立たない、チェルノブイリ後、私たちが住んでいるのは別の世界です。前の世界はなくなりました。でも、人々はそのことを考えたがらない。不意打ちを食らったからです‥‥何かが起きた。でも私たちはそのことを考える方法も、よく似た出来事も、体験も持たない。私たちの視力、聴力もそれについていけない。私たちの言葉(語彙)ですら役に立たない。私たちの内なる器官すべて、そのどれも不可能。チェルノブイリを理解するためには、人は自分自身の枠から出なくてはなりません。感覚の新しい歴史が始まったのです。」(スベトラーナ・アレクシエービッチ「チェルノブイリの祈り」31頁)。

私たちの、放射能を忘れたがる気持に打ち勝つことはもはや不可能だろうか。否、依然、可能である。
では、この忘れたい気持に打ち勝つ力は一体どこから来るか――それは、放射能災害の正しい認識と正しい救済とが一体になった時。知と行が合一した時、放射能災害のむごい現実を徹底して否定する力が生まれ、正しい救済に向かって行動できる。それが市民立法「チェルノブイリ法日本版」のアクション。

2、チェルノブイリ法とは
一応、汚染地域の住民・子どもと事故処理作業者に対し、
追加被ばく線量年間1mSvを基準に、移住・保養・医療検診等を保障。1~5mSvの地域は移住の権利が与えられ、移住先での雇用と住居を提供、引越し費用や失う財産の補償、移住を選択しなかった住民にも非汚染食料の配給、無料検診、薬の無料化、一定期間の非汚染地への「継続的保養」等を保障。

3、チェルノブイリ法を眺めるにはどんなメガネが必要か
しかし、本当のところ、これを読むだけではチェルノブイリ法とは何か分からない。

(1)、そのためには、最低3つのメガネが要る。
1つ目は、真実の光を放つメガネ。換言すれば、真実を畏れよというメガネ。
2つ目は、理念の光を放つメガネ。換言すれば、正義を愛せよというメガネ。
3つ目は、生々流転の光を放つメガネ。換言すれば、常に生成途上のものとして眺めるメガネ。

(2)、法律は文字面、字面でその意味、評価が自動的に決まるものではなく、それをどう読解するかによって初めて決まる。読解の仕方如何で如何様にも意味が変わる()。そこで、読解を導く手がかり[TY1]が必要となる。

()その典型が憲法9条。「兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、いっさいもたない」(文科省読本)積りで制定されたのに、いつの間に世界有数の軍隊である自衛隊が憲法9条の下でも存在。

(3)、真実の光を放つメガネ
ここでいう「真実」とはカントの「視差」()を具体化したもの。具体的には、福島県の「県民健康調査」の甲状腺検査の真実。

)「さきに、私は一般的人間悟性を単に私の悟性の立場から考察した。今私は自分を自分のではない外的な理性の位置において、自分の判断をその最もひそかな動機もろとも、他人の視点から考察する。
両者の考察の比較は確かに強い視差を生じはするが、それは光学的欺瞞を避けて、諸概念を、それらが人間性の認識能力に関して立っている真の位置におくための、唯一の手段である。
」(カント「視霊者の夢」)                                       

(4)、理念の光を放つメガネ
子ども脱被ばく裁判の理念――原発事故において、子どもは、無用な被ばくを1ベクレルといえども甘受すべき理由も必要もない。  
   cf. 「有用さ」を振りかざす通常運転や医療における被ばくとは違う。
          ↓
この理念のメガネから眺めると「追加被ばく線量年間1mSvを基準に」は妥協の産物以外の何物でもない。
それゆえ、この法は原発事故による被ばくから命、健康を守るため最低限のセイフティネットという位置づけ
→引き続き、「無用な被ばくをさせない」という理念に照らし、より完全なもに改正していく。

(5)、生々流転の光を放つメガネ
法律は固定的にその意味、評価が決まるものではなく、あくまでも現時点でのルールにとどまり、状況の変化に応じて、絶えず変化発展するもの(1)(2)。

1)憲法9条が典型。本来、平和は世界平和の実現抜きにはあり得ないが、この点、9条は一国平和にとどまる。そのため、常にその限界、無力さを非難される。しかし、9条を生々流転の中に置いた時、9条は世界平和に向けて最初の一歩を踏み出した「世界平和への生成途上のもの」と新たな意義が与えられる。

2)世界史の人権の歴史もまた生々流転の中にある。
しかもそれは「前進と後退のくり返し」である。

18世紀2つの市民革命中の近代憲法  19世紀近代憲法   20世紀2つの世界戦争の後の現代憲法

1991年チェルノブイリ法          2007年ICRP勧告          ?年チェルノブイリ法日本版

4、これらのメガネをかけて視えてくるチェルノブイリ法(日本版)「避難の権利」の保障を中心に制定。しかし、それだけでは不十分。何がどう不十分かも判明。
 11月のプレゼン資料(全文のPDFは->こちら) 
http://1am.sakura.ne.jp/Chernobyl/191102presenKoriyama.pdf
11月のレジメ(10月26日の調布市の学習会と同じ内容)(PDFは->こちら
  

2019年11月15日金曜日

【報告】「今でも子どもを安全な場所に避難させたい」と証言した子ども脱被ばく裁判の原告のお母さん(2019.11.15)

2014年8月29日提訴の会見で紹介された原告のお子さんの絵       

以下は、市民が育てる「チェルノブイリ法日本版」の会のメーリングリストに投稿した文です。

   *************** 
  
2日前の11月13日、福島地裁で、子ども脱被ばく裁判の証拠調べがあり、福島市に住む原告のお母さんが証言台に立ちました。

このお母さんは当初、尋問を予定していた原告の方が体調不良のため、急遽、ピンチヒッターとして登場したのです。
しかし、実は彼女もギラン・バレー症候群が悪化し、杖なしでは歩けない身体でした。
この日の証言を聞き、そのあとの報告会での話を聞き、彼女が311からの8年間の総括の積りで、この日、証言台に立ったことを知りました。
たとえば、同居していたお母さんとの葛藤についても率直にありのままに語ってくれました(以下の第2回口頭弁論における原告本人の意見陳述参照)。
 

わたし自身は、被ばくには十分気をつけていたにもかかわらず、事故から1か月ほどたったころ、子どもたちふたりとも食欲がなくなり、鼻血を毎日のように出すようになって、目は死んだ魚のようににごっていきました。
そんなとき、東京のお医者さんがボランティアで子どもたちの健康相談をしてくださるというので、藁にもすがる気持ちで参加しました。すると、お医者さんからこう言われたのです。
「おかあさん、このままこの子たちをここに置いておいてはダメだよ。学校を休ませて、どこか空気の良いところに子どもたちをやったほうがいい」
  そこで、山梨県のボランティア団体が、長期で子どもたちを預かってくれると知り、問い合わせました。ところが、参加条件は親子同伴。でも、わたしはシングルマザーなので仕事を休むことはできません。わたしの代わりに母に付き添ってもらおうと思い、事情を話してお願いしました。
  しかし、母は被ばくについてまったく理解がないので、「福島に居たってだいじょうぶよ。みんなここで暮らしているじゃない」と一蹴され、付き添いを断られました。
  でも、子どもたちの体調は日を追って悪くなる一方。わたしは母に土下座をして、「おかあさん、どうか子どもたちを連れて行ってください」と頼みました。それで、どうにか連れ出してもらったのです。

 

この8年間がどんなにつらい日々であったか、それは一方で、311以後、時間と記憶が止まってしまい、記憶喪失のようになってしまう瞬間もあれば、他方で、たとえばはっきり日付まで口にされた子ども脱被ばく裁判を提訴した2014年8月29日のことを、まるで昨日のことのようにありありと語る瞬間があったことからも窺えました。
 

詳細は脱被ばく実現ネットのブログでまもなく公開される裁判報告会の動画でご覧いただけたらと思いますが、
普通だったら、人前でなかなか言い出せないことを彼女は、証言台でも裁判報告会の公の場でも、もう何ひとつ隠すこともなく、包み隠さず自分と家族が経験したことをありのままに話されました。その姿を見ていて、この間、彼女は死にたいと思ったほどつらい体験を何度もされてきたことがまざまざと伝わりました。
その彼女がこの8年間のふり返りの話の中で、何度も登場した人がいました。それが「中郷のデパートの4階のアパレル売り場で一緒だった先輩」のXさんでした。Xさんはこのチェルノブイリ法日本版のMLの登録者です(6年前、疎開裁判に提出したXさんの陳述書は->こちら)。

この日、彼女は我が身の全身のありったけの力を振り絞って、裁判所と傍聴の皆さんに訴えようとしてきましたが、その力の限りを出して訴えようとしたら、知らないうちに、Xさんの話を何度もしてしまったかのようでした。
・311直後、放射能のことを何も知らない自分が先輩のXさんと必死になって情報交換をしながらどうしたらよいか模索したこと、
・その後、東京方面に避難したXさんとはバラバラになってしまったこと、
・2014年8月29日の子ども脱被ばく裁判の提訴の日、Xさんと再会できたことを、本当に大切な日として彼女の中に刻まれていたことを語ってくれました。

この2014年8月29日の提訴の時に、次男の息子が自分も訴えたかったという話を2度もしてくれました。
あの日、息子さんは家の周りに積まれた黒いフレコンパックの山の絵を描いてくれ、それを提訴の会見で紹介しました。しかし、私は、息子さんが本当は自分自身の言葉で訴えたかったことまでは理解できませんでした(息子さんの絵->こちら

5年前の7月に、育てる会の正会員の岡田さんたちと原告の自宅、通学路、学校の測定をした時、この原告の彼女さんも参加しました。このときはまだ杖もなしで、歩いていました。
その後、病状が悪化し、杖なしでは歩けなくなり、次男の息子さんも起立性調節障害で学校に通えなくなりました。自身と子どもの状況は悪くなるばかりなのに、昨日のお話は信じられないほどの前向きの姿勢に満ちていました。
普通なら、この残酷な現実にうちひしがれ、諦めてその現実を受け入れてしまうのに、彼女はこの残酷な現実を決して「諦めも受け入れもしない」で、それと闘う決意を示してくれました。
この姿をみて、私は、子ども脱被ばく裁判が彼女にとって掛けがいのない場所になったことを知りました。この裁判が、理不尽な現実を受け入れることをせず、それと闘うための場であることを彼女が理解したことを知りました。
昨日、彼女は、いつ、どんな風に考えて、この裁判の原告になろうと思ったのか、その場面をまるで昨日のことのように克明に語ってくれました。それは、彼女がこの裁判の原告の話を聞いた瞬間、即決で原告になると決めた、というとても印象的な話でした。

実は、子ども脱被ばく裁判に参加したからといって、無用な被ばくを子どもたちに強要する国や自治体の理不尽な態度が簡単に変わるわけではありません。その結果、この現実の厳しさを知って、裁判に対する当初の期待が裏切られたような気持になって、この裁判から遠ざかっていった原告の人たちもいました。
しかし、彼女は、とりわけ原告のなかでも最も過酷な環境の中にいたにもかかわらず、この4年間の裁判の中で、紆余曲折を経ながらも、裁判に対する不屈の信念を大切に育ててきた人のように思いました。
それは、たとえ、裁判を起したからといって無用な被ばくを強要する理不尽な現実が簡単に変わらないとしても、そのような理不尽な現実を決して許さないという彼女自身の決意がますます揺るぎないものになっていったという意味で、実は現実がものすごく変わったのです。
この裁判の中で、彼女のような不退転の不屈の精神を持った人が育ったという意味で、この裁判に参加した中で、現実がものすごく変わったのです。

その不屈の人が、一昨日、何度も何度もXさんの話を口にしたのを聞いて、類は友を呼ぶ、彼女は不屈の心を持ったXさんと改めて共鳴したい、共感したいと思ったんだと思いました。

‥‥以上の出来事を体験して、私はチェルノブイリ法日本版の取組み・アクションもこれと変わらないと思いました。
裁判の原告になるのと同じで、市民が育てるチェルノブイリ法日本版の会に参加したからといって、無用な被ばくを子どもたちに強要する国や自治体の理不尽な態度が簡単に変わるわけではありません。
しかし、たとえ、市民立法に向けてアクションを起したからといって無用な被ばくを強要する理不尽な現実が簡単に変わらないとしても、そのような理不尽な現実を決して許さないという私たち自身の決意がますます揺るぎないものになっていくのであれば、実はそれは現実がものすごく変わったことを意味します。
だって、チェルノブイリ法日本版の取組み・アクションを起すまでは、誰もそんな不退転の不屈の精神を持っていなかったのですから。
育てる会に参加する中で、この裁判の彼女のような不退転の不屈の精神を持った人が育っていくのだったら、それはこの会に参加する中で、現実がものすごく変わったことを意味します。

この意味で、チェルノブイリ法日本版の取組み・アクションに参加すること自体が日本社会を変えるのだと思います。

最後に。

2011年のデモで語った或る人の言葉をもじって、次のように思いました。
今後に、チェルノブイリ法日本版のアクションが下火になっていくことは避けられない――と思う人がいるかもしれません。
しかし、違います。原発事故は何一つ片づいていないし、今後も容易には片づかない。むしろ、今後に、被ばく者の病状がはっきりと出てきます。つまり、われわれが忘れようとしても、また実際に忘れても、放射能は執拗に残る。それがいつまでも続きます。放射能がほかの人災とちがって恐ろしいのはそのことです。それでも、人々はおとなしく政府や自治体の言うことを聞いているでしょうか。もしそうであれば、日本人は韓国映画「ペパーミント・キャンディー」の主人公のように自滅するしかありません。

だから、私はこう信じています。
第一に、チェルノブイリ法日本版の取組み・アクションは長く続くということ、
第二に、それは原発にとどまらず、日本の社会を根本的に変える力となるということです。

くり返します。
既に皆さんがチェルノブイリ法日本版の取組み・アクションに参加したことで、ただそれだけでも、日本社会は間違いなくものすごく変わったのです。
皆さん、ねばり強く続けましょう。
 

2019年7月25日木曜日

【お知らせ】8月30日(金)市民立法「チェルノブイリ法日本版」学習会「なかったことにはさせない!--福島原発事故の人権侵害」(東京都調布市)

東京都調布市の調布市市民プラザ あくろすで、8月30日(金)、市民立法「チェルノブイリ法日本版」の学習会を行います。

311から8年が経過し、来年の東京オリンピックまで1年を切りました。
今、政府と関係機関は福島原発事故は完全に収束したことを世界に知らしめるため、最大の懸案事項である「被ばくによる健康被害」の問題について、決着をつけるタイムリミットが迫っていると、次々と「なかったことにする」報告を公表しています。
・その1
先月3日、福島県の「県民健康調査」検討委員会の評価部会は、福島県で多発中の小児甲状腺がんについて「被ばくによる小児甲状腺がんの発症」は「なかったことにする」報告書を作成、まもなく検討委員会でも了承の予定(その問題点は->こちらで紹介)。
・その2
今月、参議院選挙直前の先週19日金曜日、住民の線量データを無断で使ったとして、昨年暮れ、住民から倫理違反、研究不正の調査申立があった宮崎早野論文、申立を受理した東大と福島県立医大は、放射能の影響を従来の見解より大胆に過少評価した同論文に「 倫理違反も研究不正もなかった」とした調査結果を公表(東大医大。その問題点は->こちらで紹介)。
いま次々と、人権侵害は「なかったことにする」報告が公表されています。

しかし、政府、福島県、東大、医大が「なかったことに」しようとしても、放射能は「なかったこと」にしてくれません。
政府、福島県、東大、医大が被害を忘れたがっても、放射能は忘れさせてくれません。
健康被害を「なかったことにする」政策は、現実に健康被害で苦しむ人たちにとって「理不尽」以外の何物でもありません。
この「なかったことにする」政策に対し、「理不尽です」と抵抗するのが市民立法「チェルノブイリ法日本版」です。
「命こそ宝」と思う人たちにとって、それはやむのことない正義のつぶやき、行動です。

 日時:2019年8月30日(金) 13:30~ (開場13:00) 
 会場:調布市市民プラザ あくろす(公式サイト)  3階あくろすホール1 
     東京都 調布市国領町2-5-15 コクティー2階・3階
     京王線国領駅下車 北口徒歩1分
  電話  042-443-1211(代表)->地図)    
 演題: 市民立法「チェルノブイリ法日本版」学習会
     なかったことにはさせない!
     -福島原発事故の人権侵害を
     -理不尽だと抵抗するのが市民立法「チェルノブイリ法日本版」      
◆ 講師:柳原敏夫(市民が育てる「チェルノブイリ法日本版」の会・共同代表)
◆ 連絡先 042-482-7834(三宅征子)
◆ 以下のチラシのPDFは->こちら

2019年6月13日木曜日

【続報】2019年6月13日、福島県郡山市の今「東山霊園」のフレコンバック

 2019年6月13日、福島県郡山市の今。「東山霊園」のフレコンバック

 【謝辞】本日の道案内をしてくれた橋本あきさんに感謝申し上げます。
橋本さんは、チェルノブイリ法日本版制定を願う人たちの原点「正しく怒る」(以下のプレゼン資料50頁)、これを文字通り地で行く、「郡山のチコちゃん」です。


2018年12月に、福島県で初めてのチェルノブイリ法日本版の学習会を郡山市でやったとき、「郡山のチコちゃん」こと橋本あきさんの案内で、市内各所を案内してもらいました(その報告は->こちら)。ただし、時間切れで、市内の仮置き場のフレコンバックの移動先になっている東山霊園(郡山駅から南東約10キロにある市営墓園)を訪れることはかないませんでした。

      2018年11月橋本さん撮影の東山霊園の奥のフレコンバック(その1)
  同じく(その2)

半年後の6月13日、友人の火葬のため、 東山霊園を訪れた機会に、上の写真(赤丸部分のフレコンバック)の現場を撮影しました。実は郡山駅に戻る途中で、急に、えも言われぬ頭痛に襲われ、東京にもどっても頭痛が抜けませんでした。この日、線量計を持参しなかったことが悔やまれてなりません。

東山霊園の中のフレコンバック(その1)
 橋本さんの叔母さんが眠る墓地から眺めた風景が上の写真で、墓地の奥に、ステンレス板で覆われてフレコンバックが積まれています。今回、赤丸で囲んだ部分を撮影したのが以下です。

 上の写真の赤丸部分ではボンヤリ黒い点が見える程度のものが近づくと、



さらに近づいて、ステンレス板の隙間から撮影すると、

その隙間にiPadを差し込んで、左右を撮影すると、


東山霊園の中のフレコンバック(その)(管理事務所脇)
  東山霊園の東側に置かれた管理事務所(→全体図参照)の脇に、上記の写真(その2)の通り、フレコンバックの大規模な置き場が出現。

 近づくと、


 さらに近づくと、



近づくと、除染等により生じた「放射性廃棄物」と表示しておらず、「除去土壌」 とある。説明責任ゼロ、啓蒙精神皆無。ボ-としていると、何のことだか分からないようになっている。

2019年6月11日火曜日

【報告】静岡県静岡市、6月8日(土)市民立法「チェルノブイリ法日本版」学習会「戦争と平和--私たちは放射能を忘れたがっている。しかし、放射能は忘れさせてくれない。非日常の非人間的現象の3.11ショックから立ち直り、正気に帰るための問い直しが不可欠--」

2019年6月の市民立法「チェルノブイリ法日本版」学習会を、 6月8日(土)、静岡放射能汚染測定室主催、第8回総会記念講演会として、静岡県静岡市の「アイセル21」でやりました。

参加人数は20名前後?とい事前の予測に反して、73名(内スタッフ9名)+子ども6名 計79名の参加となり学習会、育てる会の賛助会員の申込も17名となりました。
静岡の水面下で、何か地殻変動が起きているのではないかと予感し、その意義を考えさせられた1日でした。 



以下、当日の動画とプレゼン資料&配布資料です。

動画
柳原敏夫の話(その1)(約32分)


柳原敏夫の話(その2)(約32分)


柳原敏夫の話(その3)(約33分)


柳原敏夫と参加者の質疑応答


育てる会のメンバー(岡田俊子、松本徳子)のスピーチ。


主催者代表馬場利子さんより閉会のあいさつ

 
プレゼン資料(全文のPDFは->こちら

http://1am.sakura.ne.jp/Chernobyl/190608Shizuoka-presen.pdf

配布資料(PDFは->こちら
 
市民立法「チェルノブイリ法日本版」実現のため、世界への接近の仕方                                  2019年6月8日
                                   柳原敏夫
1、雑念を払う。その時、真理が稲妻のように人々の心に届く 
 雑念を払ってみた時、311以後の日本政府の正体は民主主義国家とは「あべこべ」の独裁国家ではないのか。天安門事件の中国政府の正体と同じように、犯罪者ではないのか。
 雑念を払ってみた時、311以後の市民運動の姿は、かつての水爆禁止運動、公害運動、情報公開法の市民立法運動等にくらべ、未曾有の巨大過酷事故の現実に追いつかず、劣化が著しいのではないか。

2、「人間離れ」した世界を体感する試み。その時、未曾有の巨大過酷事故の現実に少しでも追いつく 
 なぜ原発事故から目をそむけてしまうのか。単に怖いからではなく、放射能それ自体が「人間離れ」していて、非日常的世界の現象であるから。原発事故の現実と向かい合うための第一歩は、人間が体感(経験)できる対象として放射能を再発見する必要がある。その時、原発事故の途方もない現実に近づける。

3、願いを持つ。それも未曾有の巨大過酷事故に匹敵する願いを持つ。その時アクションに踏み出せる 
 けれど、原発事故の途方もない現実は私たちが人類史の最終章の絶壁に立っているかのような気にさせる。その絶望の気持ちから、もう充分生きた自分だけだったらもういいと思っただろう。しかし、未来しかない幼い人たちは「それは身勝手だ。そして不条理だ」と思うだろう。その時、311以後露呈した不条理な「あべこべ」をただすためのありったっけの願いを総結集して、未曾有の巨大過酷事故に負けないだけの巨大な願いで取り組むしかない。それが絶望と巨大な願いを背負ったチェルノブイリ法日本版。

4、「新しい酒は新しい皮袋に盛れ」、それがチェルノブイリ法日本版 
 福島原発事故で私達は途方に暮れた。日本全土と近隣国を巻き込み、過去に経験したことのない未曾有の無差別過酷災害だから。ところが未曾有の事故にもかかわらず、従来の災害の発想(災害救助法等)で救助・支援が行われ、そして支援は打ち切られた。「新しい酒は新しい皮袋に盛れ」、これが私たちの立場。未曾有の無差別過酷事故には未曾有の無差別の救済が導入されるべし、それが健康被害が発生しようがしまいが事前の一律救済を定めた、原子力事故に関する世界最初の人権宣言=チェルノブイリ法。

5「子どもたちを被ばくのロシアンルーレットにさらさない」、それがチェルノブイリ法日本版
 福島原発事故で私達は途方に暮れた。放射能は体温を0.0024度しか上げないエネルギーで人を即死させるのに、目に見えず、臭わず、痛くもなく、味もせず、従来の災害に対して行ったように、五感で防御するすべがないから。人間的スケールでは測れない、ミクロの世界での放射能の人体への作用=電離作用という損傷行為がどんな疾病をもたらすか、現在の科学・医学の水準では分からないから。危険というイエローカードが出せない。にもかかわらず、危険が検出されない以上「安全が確認された」という発想で対応し(3日の福島県の甲状腺検査評価部会)、その結果、人々の命、健康は脅かされた。「危険が検出されないだけでは足りない。安全が積極的に証明されない限り、人々の命を守る」、これが私たちの立場。人々の命を被ばくというロシアンルーレットから守る。なぜならロシアンルーレットが当たったら、損傷した命、健康を元に戻すことは不可能だから。それが予防原則、これを明文化したのがチェルノブイリ法。

6「苦悩という避難場所から脱け出し、真の避難場所に向かう」、それがチェルノブイリ法日本版
 福島原発事故で私達は途方に暮れた。最初、人々は除染で放射能に勝てると教えられたが、それが無意味な試みと分かると口を閉ざしたから。避難できず、苦悩が人々の避難場所となった(2011.7「この哀しみ、この怒り、このいらだちをいつ、どこで、誰にどうぶっつけていいものやら」)。「苦悩という避難場所から脱け出し、真の避難場所に向かう」、これが私たちの立場。それが美しい謳い文句にとどまらず、現実に、安全な避難場所に避難する権利を保障したチェルノブイリ法。

7、「一人一人の市民の力で作る」、それが市民立法チェルノブイリ法日本版
 原発事故の本質は戦争です。国難です。他の全ての課題に最優先して、その全面的救済を実現する必要があります。同時に歴史の教えるところは、国難において、国家はウソをつく、犯罪を犯す。国難において現場にどんな悲劇があっても、一人一人の市民がその生死をかけて立ち上がらなければ何も生まれない(田尻宗昭)。1997年に市民が作った対人地雷禁止条約も、1991年、2人の市民のアクションから始まった。それ以外にも、私達には公式の日本史には載らない。以下の栄光の市民運動の歴史がある。
1872年 江藤新平らが、司法権の独立と民が官を裁く先進的な行政訴訟を作る。
 1954年、杉並の主婦から始まった水爆禁止署名運動
 1964年、三島・沼津の「石油コンビナート反対」の市民運動
      →政府を震撼させ、1967年、世界初の総合的な公害対策基本法を制定させた。
 1969年、翌年、歴史的な公害国会(公害対策基本法の「調和条項」を削除)を引き出した東京都公害防止条例制定の市民運動
 1995年、霞ヶ浦再生を、市民型公共事業として取り組んだアサザ・プロジェクト
1999年、市民主導で、1982年山形県金山町で条例制定の第1号、日本各地の条例制定の積み上げの中から制定を実現した情報公開法
これらの「希望の扉」の全てを叩き、開いて、市民主導で日本各地から条例制定を積み上げて法律を作るという、市民立法「チェルノブイリ法日本版」を実現し、3・11以後正義と不正義があべこべとなった事態をただし、平和を創る――それが3・11以後の私たちに残されていること。
以上が、2018年3月スタートした、市民が育てる「チェルノブイリ法日本版」の会(略称「育てる会」)の市民運動

8、さいごに (斉藤隆介作・滝平二郎絵)「八郎」より
むかし、秋田に、 
八郎という名の山男が住んでいた。八郎は、かしの木ほどもある大男。なのに、彼の口癖は、
あーあー、おら、もっと おっきくなりてえなあー、おっきくなりてえなあー
でも、なぜ自分が 大きくなりたいと思うのか わからなかった。
しかし、とうとうその時が訪れた。
或る時、小さな子どもと出会い、子どもとの経験を通じ、自分の心の秘密を知り、こう叫んだ。
わかったあ !  
おらが、  なしていままで、  
おっきくおっきく  なりたかったか !

・・・私たちも、八郎のように、確信を抱いて叫び続けたい。
あーあー、おら、もっと おっきくなりてえなあー、おっきくなりてえなあー                                      (2019.6.7)

 
 

2019年5月27日月曜日

311以後、市民は五感の通用しない人間的スケールを超えた、「日常感覚」と分断された不条理な世界と闘ってきたのみならず、同時に、私たち市民を愚弄し続けてきた明治維新以来の日本の歴史と闘ってきた(19.5.27)

 2018.11.10第11回新宿デモへの呼びかけ)(18.10.20)に加筆。

「悪い奴にとって一番ありがたいことは、いい人がだまっていてくれることだ」。イギリスの古い美学者が言っていた言葉ですが、そんなことで、黙っていてはいけませんよ。
                                                   大岡 昇平
大岡昇平「時代へ発言 第三回-39年目の夏に-」1984.8 NHK教養セミナーより

戦争について生涯考え続けた作家大岡昇平(彼の紹介->こちら)、もし彼が生きていたら、原発事故の本質について、こう言ったと思う。
--原発事故は従来の災害・人災の延長線上で考えることはできない。むしろ一種の核戦争というべきである。
なぜなら、一方で、物理現象として、放射能は目に見えず、臭いもせず、痛みも感じない、私たちの日常感覚ではぜったい理解できない、人間的スケールを超えた、非日常的な、不可解、不条理な現象で、原発事故は、原発から放出された大量の放射性物質によって、外部から、そして体内に取り込まれ内部から、桁違いな量でくり返し発射される放射線とのたえまのない戦い(年間1mSvだけでも「毎秒1万本の放射線が体を被ばくさせる事態が1年間継続すること」(矢ヶ崎克馬琉球大学名誉教授)を強いられているから。

他方で、社会現象として、戦争では「ひとりひとりの兵士(市民)から見ると、戦争がどんなものであるか、分からない。単に、お前はあっちに行け、あの山を取れとしか言われないから。だから、自分がどういうことになって、戦わされているのか分からない。分からないまま、危険な目に遭い、死んでしまう」、それが戦争だ。

これに対し、福島原発事故がそうだったように、「ひとりひとりの市民から見ると、原発事故がどのようなものであるか、どうしたらよいのか、真実は分からない。単に、『健康に直ちに影響はない』『国の定めた基準値以下だから心配ない』とかしか言われないのだから。だから、一体自分がどういう危険な状態にあるのか、どう対策を取ったらよいのか、本当のことは分からない。分からないまま、危険な目に遭い、身体を壊してしまう」、これが原発事故というものだ。この点でも戦争と変わらない。

また、大岡昇平は、戦争中の日本軍部の愚劣な作戦を省みて、「兵士=歩兵(市民)は(敵のアメリカ軍と闘っただけでなく)、明治維新以来の日本の歴史と闘ってきたようなものだ」と語る。

これに対し、福島原発事故以後、恥ずかしいほどあからさまとなった、原子力ムラの愚劣極まりない対応を見て、命を救済するという当たり前のことがなぜできないのかと問うた時、私たちもまた大岡昇平と同様、「私たちは市民は、単に原子力ムラと闘っているのではなく、明治維新以来の日本の歴史と闘っているようなものだ」ということに思い至る。

その時初めて、市民を愚弄し続けて来た、明治維新以来の日本の歴史と闘って来た「江藤新平」、「田中正造」、杉並の「原水爆禁止」署名運動、人間裁判の「朝日茂」、水俣病の「川本輝夫」「原田正純」「宇井純」、四日市死の海を刑事告発した「田尻宗昭」、三島・沼津「石油コンビナート反対」の市民運動、東京都公害防止条例制定に尽力した「戒能通孝」たち、彼らが挑んできた格闘をいま自分たちも(ひそかに)追体験していることに思い至る。

 江藤新平(詳細は->ここ

 杉並で始まった水爆禁止署名運動(詳細は->ここ

朝日 茂(詳細は->ここ

川本輝夫(詳細は->ここ

田尻宗昭(詳細は->ここ
 戒能通孝(詳細は->ここ

大岡昇平が生前、戦争について語ってきた以下のメッセージの「戦争」は「原発事故」に置き換てもそのまま通用する。「核兵器」は「原発」に、「兵士」は「市民」に置き換えられる。それくらい原発事故は、戦争と同じく、私たち市民の日常の感覚・考え方では捉えきれない異常事態です。

だから、私たちは、私たちのあとに続く世代が生き延びる意志を持つ限り、彼らが人間であることをやめない限り、私達も生き延びることをやめる訳にはいかない。日常の感覚・意識との「分断」に甘んじる訳にはいかない。どんなに大変であっても、「注意深い」感覚・意識を持ちながらこの未曾有の異常現象と向きあい続け、なおかつ私たち市民を愚弄し続けて来た明治維新以来の日本の歴史と向き合い続け、NO!と言うだけでなく、「江藤新平」たちが創ろうとしてきた平和=積極的なYES!に向かって、アクションをやめる訳にはいかない。

【甘い考えだった】
「われわれの死に方は惨めだった。われわれをこんな下らない戦場に駆り立てた軍人共は全く悪党だった。芸妓相手にうまい酒を飲みながら、比島決戦なんて大きなことをいい、国民に必勝の信念を持てと言い、自分たちはいい加減なところで手を打とうと考えていた。‥‥
戦後二五年、おれの俘虜の経験はほとんど死んだが、きみたちといっしょにした戦争の経験は生きている。それがおれを導いてここまで連れて来た。
もうだれも戦争なんてやる気はないだろう、同じことをやらないだろう、と思っていたが、これは甘い考えだった。戦後二五年、おれたちを戦争に駆り出した奴と、同じ一握りの悪党共は、まだおれたちの上にいて、うそやペテンで同じことをおれたちの子供にやらせようとしている。」 (ミンドロ島ふたたび)
大岡昇平「時代へ発言 第二回-死んだ兵士に-」1984.8 NHK教養セミナーより

【戦争とは】
「核兵器は使うために作るのではない。持ってるぞということを示して、相手が使うのを抑える、核抑止戦略というんですが、とにかくこういう面倒な理屈が行なわれる。そういうところまで戦争は来てしまってるわけです。
核を使えば、人類の滅亡だから、限定戦争といって、核兵器を使わない戦争を朝鮮や,ベトナムではやってるわけですけど、するとそこにさっき言った徴兵制、戦争の矛盾がでてくるわけですね。それが何のために戦争をしているのかわからない――「いやだ」と言い出す。そこに住んでる人民の支持を得られない戦争というのは非常にいやな苦しいものです。アジアは人口が非常に多いんですから、いくらアメリカ人が一人で十人穀したところでいくらでもいるわけで、それがアメリカがどうしてもベトナムて勝てない理由なんです。あれはだんだんに終るうとしておりますけれど、とにかくこれが現代の戦争の実情なんで、れれわれは戦争はもうごめんだ、と考えていますけれど、実際は戦後二十五年、世界のどこかで限定戦争が行われている。いまの若い方が「知っちゃいない」と言おうと言うまいとそれは行なわれている。関係ないと思ってるうちにいつの間にか、われわれも巻き込まれている。そして来てからではもう何をしても間に合わない。戦争はそういうものなのです。」 (「レイテ戦記」の意図)
大岡昇平「時代へ発言 第二回-死んだ兵士に-」1984.8 NHK教養セミナーより

【俺は言うねぇ、とにかく】
「私はそうやってみんなが現にこう楽に暮らせるんならば、忘れちゃっても別にとがめようとは思わないんです。
それは人間はね まあ そういうもんなんですよ。そうして暮らしていければまあいいだろうと思うだろうし、
死んだ人間は、また それで いいと思ってると思うんだけれども、ただ、このまままたヒドいことになるというところへ引っ張っていくのじゃあ、彼らは浮かばれないだろう。‥‥
そうすると、政府の方が勝手なことをするのに対して『ノー』と言い続けることが文学者の、つまり我々の役目であって、それは、どうしても、、、俺は言うねぇ、とにかく。‥‥
大岡昇平「時代へ発言 第三回-39年目の夏に-」1984.8 NHK教養セミナーより

『悪い奴にとって一番ありがたいことは、いい人がだまっていてくれることだ』。イギリスの古い美学者が言っていた言葉ですが、そんなことで、黙っていてはいけませんよ」 
大岡昇平「時代へ発言 第三回-39年目の夏に-」1984.8 NHK教養セミナーより

2019年5月24日金曜日

【報告】東京都文京区、5月19日(日)市民立法「チェルノブイリ法日本版」学習会「戦争と平和--私たちは放射能を忘れたがっている。しかし、放射能は忘れさせてくれない。非日常の非人間的現象にボーとしないで、3.11ショックから立ち直り、正気に帰る必要がある--」

 2019年5月の市民立法「チェルノブイリ法日本版」学習会を、 5月19日(日)、NPO「ふくしま支援・人と文化ネットワーク」主催、東京都文京区の本郷文化フォーラム(東京都文京区本郷3-29-10 飯島ビル1階)でやりました。


以下の写真2枚はNPO「ふくしま支援・人と文化ネットワーク」代表神田香織さんFacebook提供。


以下、当日の動画とプレゼン資料&配布資料です。

動画

プレゼン資料(全文のPDFは->こちら) 
http://1am.sakura.ne.jp/Chernobyl/190519presenTokyo.pdf
 
配布資料(PDFは->こちら
新しい酒を新しい皮袋に盛る市民立法「チェルノブイリ法日本版」
2019年5月19日
                                                       育てる会共同代表 柳原敏夫

福島原発事故で私達は途方に暮れました。日本全土と近隣国を巻き込み、過去に経験したことのない未曾有の無差別過酷災害だからです。ところが未曾有の事故にもかかわらず、従来の災害の発想で救助・支援が行われ、そして支援は打ち切られました。「新しい酒は新しい皮袋に盛れ」、これが私たちの立場です。未曾有の無差別過酷事故には未曾有の無差別の救済が導入されるべし、それが健康被害が発生しようがしまいが事前の一律救済を定めた、原子力事故に関する世界最初の人権宣言=チェルノブイリ法です。

福島原発事故で私達は途方に暮れました。放射能は体温を0.0024度しか上げないエネルギーで人を即死させるのに、目に見えず、臭わず、痛くもなく、味もせず、従来の災害に対して行ったように、五感で防御するすべがないから。人間的スケールでは測れない、ミクロの世界での放射能の人体への作用=電離作用という損傷行為がどんな疾病をもたらすか、現在の科学・医学の水準では分からないから。つまり危険というカードが出せない。にもかかわらず、危険が検出されない以上「安全が確認された」という従来の発想で対応し、その結果、人々の命、健康は脅かされました。「危険が検出されないだけでは足りない。安全が積極的に証明されない限り、人々の命を守る」、これが私たちの立場です。つまり人々の命を被ばくというロシアンルーレットから守る。それが予防原則で、これを明文化したのがチェルノブイリ法です。

福島原発事故で私達は途方に暮れました。最初、人々は除染で放射能に勝てると教えられました。しかしそれが無意味な試みと分かると口を閉ざしたからです。避難できず、苦悩が人々の避難場所となりました。「苦悩という避難場所から脱け出し、真の避難場所に向かう」、これが私たちの立場です。それが美しい謳い文句にとどまらず、現実に、安全な避難場所に避難する権利を保障したチェルノブイリ法です。

原発事故の本質は戦争です。国難です。他の全ての課題に最優先して、その全面的救済を実現する必要があります。同時に歴史が教えるところは、国難において、国家はウソをつく、犯罪を犯す。
他方、公式の日本史に載らない民衆史が教えるところは、現場にどんな悲劇があっても、一人一人の市民がその生死をかけて立ち上がらなければ何も生まれない(田尻宗昭)。1997年に市民が作った対人地雷禁止条約も、1991年、2人の市民のアクションから始まった。それ以外にも、私達には以下のような、栄光の市民運動の歴史があります。
1872年 江藤新平らが、司法権の独立と民が官を裁く先進的な行政訴訟を作る。
1954年、杉並の主婦から始まった水爆禁止署名運動
1964年、三島・沼津の「石油コンビナート反対」の市民運動
1969年、歴史的な公害国会を引き出した東京都公害防止条例制定の市民運動
1995年、霞ヶ浦再生を、市民型公共事業として取り組んだアサザ・プロジェクト
1999年、市民主導で、日本各地の条例制定の積み上げの中から制定を実現した情報公開法 
これらの「希望の扉」の全てを叩き、開いて、市民主導で日本各地から条例制定を積み上げて法律を作るという、市民立法「チェルノブイリ法日本版」を実現し、3・11以後正義と不正義があべこべとなった事態をただし、平和を創る――それが3・11以後の私たちに残されていることです。
以上が、2018年3月スタートした、市民が育てる「チェルノブイリ法日本版」の会(略称「育てる会」)の市民運動です。

参加者の感想
主催団体NPO「ふくしま支援・人と文化ネットワーク」の代表神田香織さん(Facebookより)
「19日、NPO法人「ふくしま支援・人と文化ネットワーク」の総会と学習会を本郷文化フォーラムにて開催しました。学習会は一年前に発足した「チェルノブイリ法日本版」について柳原敏夫さんが講演。まず最初に柳原さんの「戦争と平和」と題したメッセージ、インパクトありました。 「私たちは放射能を忘れたがっている。その弱みにつけこみ、日本政府は『原発事故は終わった。あとは経済復興、オリンピック』と煽り立てる。 私たちは放射能を忘れたがっている。しかし、放射能は忘れさせてくれない、原発事故を簡単に終わりにはさせてくれない。非日常の非人間的現象にボーっとしないで3.11ショックから立ち直り、正気に帰る必要がある。」  スライドはどれも示唆に富んでいて次々とパチリ。「司法権の独立を獲得した江藤新平」、美濃部都政時の「東京都公害防止条例」今後のヒントとして「希望の扉」の実例、「もう一つのあべこべ」など、闘いの歴史もふまえ、物静かな語り口ながら怒りと情熱が伝わってきました。 エドワード・サイードの引用からは柳原さんの反骨精神 が垣間見えました。「現代の知識人は専門家ではなく、アマチュアたるべきである。そして機知とユーモアでずけずけ物をいい、絶えず移動する遊牧民である」 そう、もう、いわゆる知識人や政治家におんぶできる時代ではないですね〜。下手すると政治家の手によって戦争が起こりかねないのだから。機知とユーモアでずけずけ言いたいが自信がないという方、よろしければ私の講談教室にどうぞ。機知とユーモアはともかく、大きな声はお任せください(笑) 写真は講演の間はほとんど下を向いていた柳原さん、実はこんなに目がぱっちり。打ち上げ会場の前で。紹介したスライドの数々、講談教室のご案内です。」