2017年11月29日水曜日

Q:私たちは何者なのか?A:私たちは産婆である。

2017年5月、三重県伊勢市のお母さんから発せられた「チェルノブイリ法日本版の条例制定を一緒にやりませんか」という呼びかけに賛同した市民が、いま、制定の取り組みに向けて準備を重ねてめています。その取り組みをする中で、ふと、
「こんな取り組みに参加する私たちって何者だろう?」
と思ったとき、ごく自然に、
「私たちは、産婆さんなんだ」
と思えてきました。

それは、
「私たちの目の前にいる市民ひとりひとりにとって産婆さんになろうとすること」
という意味です。

それは何のために?--それはこういうためにです。

私たちの目の前にいる市民ひとりひとりの心の中には「放射能災害による被ばくから命、健康、暮らしを守るために人々には本来、避難する権利があり、それを保障するチェルノブイリ法日本版は当然、制定されなければならない」という天命が宿っています。
ただし、それは心の中に宿っていても、必ずしも自覚されて自然に外に出てくるとは限りません。
だから、それを自覚し、外に取り出し、カタチにする必要があります。
その出産を手助けするのが産婆=私たちなんじゃないか、という意味です。

人々の中に眠っている天命が目を覚まし、出産できるようにそばで手助けすること、これが私たちのやれること、やることではないかと思いました。

人々の心の中にある天命が目覚め、天命を発見することはその人自身にしかできないことです。私たちは、それを難産にならずにできるだけスムーズに誕生することを手助けすこと、これが私たちの取り組みのエッセンスなんだと思いました。

これが分かって、私たちは力まず、力を抜いて、ぶれずにこの市民立法の取り組みをやっていけるのではないかという気になりました。

311後に最も必要なことは「被ばくから命、健康、暮らしを守る『避難の権利』を保障するチェルノブイリ法日本版」を市民の手で制定することです(2017年11月29日)

                                                   柳原 敏夫

 以下の文章は、2011年3月の福島原発事故発生後、最も必要なことは被ばくから子どもたち、住民の命、健康、暮らしを守る「避難の権利」を保障することで、その実現を目指して、ふくしま集団疎開裁判等の裁判に取り組んできたこと、今、そのために、チェルノブイリ法日本版の制定を市民の手で条例制定からスタートして、法律制定を実現する取り組みが重要だと考えていること、その経過をごく簡潔に記したものです。

1、原発事故発生から2016年3月まで
311福島原発事故の1ヶ月のち、文科省が「日本史上最悪のいじめ」である年20mSv引き上げ通知を出し、福島の子どもたちを放射能の被ばくの中に閉じ込めたのに対し、同年6月、国の責任で子どもたちの避難を求めるふくしま集団疎開裁判を申立てました(→動画)が、紆余曲折の末、2013年4月、仙台高裁が「福島の子どもは危ない。避難するしか手段はない」と事実認定しながら、「危険と思う子どもは自分で逃げればよい。被告郡山市には避難させる責任はない」と驚くべき司法判断を出したので、この決定は日本を除く全世界にいっせいに報じられました(NYタイムズ、ワシントンポスト、ABCニュース、ガーディアンRTニュース‥‥←それらの記事をまとめたパンフ)。

 正しい事実認定を行いながら、理解不可能な法的判断を下した仙台高裁決定をただすため、2014年8月に第二次のふくしま集団疎開裁判(子ども脱被ばく裁判)を提訴しましたが、今度は被告が国、福島県計7名にのぼり、長期戦を余儀なくされたため、チョムスキーからの指摘を受けて試行錯誤した末、できるかぎり早期の救済実現のため、上記裁判と同時並行で、2016年3月、市民立法=市民による法律制定の取り組みを始めました(以下、その告知文)。


◆放射能から命を守ること=避難することは人権です。 市民のネットワークで作る人権法=チェルノブイリ法日本版制定の市民運動をスタート!

2、2016年3月から2017年11月まで
私たちはこの取り組みを、告知の直後に東京・福島で開催された、また、昨夏のカナダのモントリオールで開催された2つの世界社会フォーラムの場で訴えました。
東京・福島
 昨年暮れに、兵庫県宝塚市と三重県伊勢市で、チェルノブイリ法日本版の学習会を開催し、現地の市民の人たちと制定の必要性について意見交換をしました。

今年3月末、三重県伊勢市の市長に会い、チェルノブイリ法日本版の条例制定について説明しました。
今年5月、伊勢市の保養団体の代表のお母さんが、「チェルノブイリ法日本版の条例制定を一緒にやりませんか」という呼びかけ文を起草し、公表。この呼びかけに応じて、長野県松本市、栃木県塩谷町、カナダ・モントリオール、静岡県静岡市、千葉県野田市、北海道富良野市、愛知県日進市、滋賀県大津市、三重県度会郡玉城町、福島県福島市、和歌山県東牟婁郡串本町、静岡県富士宮市‥‥の市民の方たちから賛同と制定運動への参加の連絡をもらい、ネットワークを形成しています。

また、原発事故は国境なき人災であり、チェルノブイリ法日本版とチェルノブイリ法国際条約は原発事故から世界の人々の命、健康、暮らしを守る両輪の輪です。チェルノブイリ法日本版制定の市民運動は世界市民運動との連携が不可欠です。そこで、伊勢市のお母さんの呼びかけ文は英語フランス語韓国語に翻訳され、告知されました。

今年10月、チェルノブイリ法日本版条例のモデル案とその解説がひとまず出来上がり、この条例モデル案を元に、これから本格的に、この法律制定に関心を持つ全国各地の市民と学習会、意見交換の場を持とうと準備に取りかかっています。
 
3、日本の市民運動が直面した2つの亀裂とその克服の重要性
311後の私個人の最大のショックは、2011年4月19日、文科省から「日本史上最悪のいじめ」である年20mSv通知が出されたことそのものよりも、そのあと、にも関わらず、それが通用したことです。一部の人が異議申立の声をあげたとはいえ、日本市民はこれを容認してしまった。それは、直接民主主義の源泉となっている日本の市民運動が年20mSv通知の残虐さ(放射能内部被ばくの危険性)に対する認識・注視が欠如していたという欠陥を示すものでした。
他方で、マイノリティとはいえ、放射能内部被ばくの危険性に対する認識・注視を保持していた市民の人たちは、相互扶助をしながら、避難、保養等の「脱被ばく」のアクションに取り組んできましたが、民主主義の体験や洞察が少ないため、どうしたら国に避難の権利を保障させることができるのか、旧来の議会制民主主義(お任せ民主主義)しか知らないため、直接民主主義をどのように行使したら実現可能なのか、そのビジョンを持てないという欠陥を持っていました。
日本の市民運動は、一方で直接民主主義に敏感な人たちは放射能の内部被ばくに鈍感であり、他方で放射能の内部被ばくに敏感な人たちは直接民主主義に鈍感という2つの両極に分断されていました。これが福島原発事故後の日本の市民運動が直面した深刻な亀裂だと痛感していました。けれど、同様の事態はチェルノブイリ事故当時も起きたのです。元NHKディレクターの馬場朝子さんはこう語っています。

私(馬場)がウクライナを取材で訪れるのは3度目である。前の2回は「ソビエト時代」のウクライナで、ソビエト崩壊目前の揺らぐ社会主義体制を取材するものだった。 ‥‥
(事故から26年後の)いま思えば、この時チェルノブイリの事故の影響が人々の間に、何も知らされないまま、じわじわと広がっていたのだ。 ‥‥
事故後3年間は、チェルノブイリ事故の情報はひた隠しにされていた。‥‥それよりも、目の前で起きている世界を2分してきた社会主義のリーダー、ソ連ががらがらと音を立てて崩壊していくさまに心を奪われていた。
あの時、チェルノブイリの事故にもっと注意を向けるべきだった。今回取材をする中で痛感した。》(「低線量汚染地域からの報告チェルノブイリ 26年後の健康被害」44~46頁)

 だから、条例からスタートしてチェルノブイリ法日本版を制定しようという市民運動の提案は、この2つの亀裂の統合をめざすものでした。つまり、直接民主主義に敏感な人たちに対しては、放射能の内部被ばくの危険性を知り、被ばくから避難する権利の保障の重要性、すなわちチェルノブイリ法日本版の制定の重要性を確信してほしい。他方、放射能の内部被ばくに敏感な人たちに対しては、機能不全の議会制民主主義(お任せ民主主義)に一喜一憂するのではなく、直接民主主義の可能性に目を向け、直接民主主義の取り組みに自信をもって大胆に挑戦して欲しい。そう願っています。
しかも、直接民主主義の挑戦は私たちが初めてではありません。私たちの前には、少なくとも次の4つのモデルが既に存在しているからです。とはいえ、どのモデルも1つだけで私たちのプロジェクトにそのまま適用はできませんが、これらのモデルを組み合われば、私たちのプロジェクトに適用可能となります。
 ①.市民立法・情報公開法の制定の歴史
 ②.市民条約・対人地雷禁止条約の制定の歴史
 ③.1954年、杉並で始まった水爆禁止署名運動の歴史
 ④.1991年、旧ソ連で成立したチェルノブイリ法制定の歴史


私たちは、心と頭を絞って、本質的には何一つ片付いていない福島原発事故を世界標準のコモンセンスで再定義して、心と口と手と足を使って、私たちの望みに向かって歩んで行きたいと思っています。
                                    以 上
                                     
            

2017年11月27日月曜日

チェルノブイリ法日本版の条例制定を一緒にやりませんか(2017.5)

以下は、福島からの保養を熱心に取り組んでおられる伊勢市のお母さんが、2017年5月に、日本と世界の人たちに向けて、チェルノブイリ法日本版の制定の取り組みを呼びかけた文章です。
原文は-->こちら
             **************

              チェルノブイリ法日本版の条例制定を一緒にやりませんか                                                 上野正美(ふくしまいせしまの会  代表)

私たちは福島原発事故後、非営利で保養や野菜支援、三重県への避難者・移住者の支援などを行なってきました。運営については会発足以来、みなさまからのご寄付や助成金で行って来ましたが、6年が経ち、民間にできることは限られたものだと感じています。

 しかし原発からまき散らされた放射性物質から日々発射される放射線の脅威を考えたとき、これらの取組みはまだまだ必要なものです。では、前例のない過酷事故に対して私たちはどうしたらよいのでしょうか。正直、途方に暮れます。しかし、幸い私たちには前例から学ぶべきお手本が2つあります。

 1つは放射能災害に対して命と健康と暮らしを保障したチェルノブイリ法です。これは、放射能災害に見舞われた人たちがひとしく守られるべき、放射能災害に関する世界最初の人類普遍の人権宣言です。これを参考に、日本でもそれに添うような法を作るべきだと強く感じています。

 もう1つは、「情報公開」の法律を日本各地の市民の手で制定した経験です。日本各地の自治体で地元市民と議員と首長が協力して情報公開の条例を制定し、その条例制定の積み重ねの中から1999年に情報公開法が制定されました。この経験を参考に、チェルノブイリ法日本版を条例制定からスタートすべきだと強く感じています。放射能災害から命と健康と暮らしを保障するチェルノブイリ法日本版の条例をあなたの住む自治体で市民の手で制定していきませんか。どうか、以下の文をご一読いただき、この条例制定の取組みに賛同し、そして、共に参加いただけますよう心からお願いいたします。

 
************************************************************************************
チェルノブイリ原発事故から5年後、旧ソ連でいわゆるチェルノブイリ法が制定され、ウクライナ、ロシア、ベラルーシに引き継がれました。これら各国政府はチェルノブイリ法に則って、原発事故により放射能汚染された住民に避難の権利を保障し、また強制避難地域の住民の生活補償にあたってきました。3ヵ国ともに経済状況が良好とは言えないため、補償が法律通り実施できない状況ですが、少なくともチェルノブイリ法は原発事故の責任主体が国家であることを明記し、年間被曝量が1ミリシーベルトを超える地域に住むすべての住民に無条件で避難の権利を保障する画期的なものでした。

一方、福島では事故前の1ミリシーベルトの安全基準は事故後に20ミリシーベルトに引き上げられ、それが現在まで安全基準となり、帰還基準とされています。健康被害に対する救済についても、県民健康調査でこれまでに見つかった甲状腺がんは放射線が原因とは考えにくいとの理由から抜本的な対策が取られないままです。チェルノブイリ法が年間1ミリを基準として、原発事故で健康被害の可能性があればすべて救済しているのとは対照的です。実は旧ソ連でもチェルノブイリ原発事故直後、住民の許容被ばく線量が百倍に引き上げられ、チェルノブイリ法制定時にも100ミリシーベルトで問題ないとする見解もありました。しかし、事故処理にあたった労働者などの声に押され国際基準の1ミリになったものです。悲痛な原発事故を体験した日本でも、命こそ宝という原点に立って、良識ある市民がチェルノブイリ法日本版制定について声を上げ、その実現に向けて行動を起こすことが必要だと思います。

この取り組みに賛同し、参加してみたいと思う方は、私たちとつながり、一緒に条例のモデル案や条例制定の手順などを相談しながら取り組みませんか。         
 
                                               2017

この呼びかけに賛同し、条例制定の取り組みにご参加いただける方は、お名前、ご連絡先(アドレス)、ご住所を記入の上、以下までご連絡をお願いします。

連絡先:Email: ueno_masami_1108*yahoo.co.jp(上野正美)
          noam*m6.dion.ne.jp       (柳原敏夫) 
                       (*を@に置き換えて下さい)
なお、この呼びかけには以下の方が賛同し、条例制定の取り組みへの参加を表明しています。


安藤雅樹(弁護士 「まつもと子ども留学基金」監事)    
岩間綾子(「とちの実保養応援団」代表)    

大槻とも恵(社会学博士・カナダ・モントリオール市在住) 
小笠原学(支援交流『虹っ子』)
岡田俊子(脱被ばく実現ネット)       
チョ・ジウン(韓国ソウル市出身・デューク大学留学生)  
馬場利子(静岡放射能汚染測定室)              
三ッ橋トキ子(放射能汚染から子どもたちを守る会)    
柳原敏夫(ふくしま集団疎開裁判・元弁護団長)




2017年11月24日金曜日

Un appel à travailler ensemble pour l'implantation de la « Loi de Tchernobyl » au Japon

Translated by Monica Emond, PhD Candidate, University of Ottawa, Canada


Un appel à travailler ensemble pour l'implantation de la
« Loi de Tchernobyl » au Japon
Par Masami Ueno
(Directeur de l'association Fukushima-Iseshima)


L'association a but non lucratif Fukushima-Iseshima est située dans la préfecture japonaise de Mie. Nous avons aidé à l'installation des évacués, volontaires ou forcés, de Fukushima dans la préfecture de Mie et offert depuis mars 2011 des programmes de récupération, à Mie, aux enfants de Fukushima. Nous fournissons également des légumes frais aux familles de Fukushima.

C'est par le biais de dons et de subventions généreuses que nous avons pu mettre en oeuvre ces activités. Après six ans, nous réalisons cependant qu'une organisation comme la nôtre possède des capacités limitées. Nos activités demeurent par ailleurs nécessaires car la radiation provoquée par la catastrophe nucléaire de Fukushima affecte encore aujourd'hui le quotidien des personnes touchées. La question qui se pose alors est comment composer avec les effets d'un désastre d'une envergure sans précédent. En toute honnêteté, nous nous trouvons aujourd'hui perdus. Il y a néanmoins deux précédents que nous devrions suivre.

Le premier est la promulgation de la Loi de Tchernobyl établie par l'ancienne Union Soviétique. Elle visait la protection de la vie et de la santé des personnes affectées par la catastrophe nucléaire de Tchernobyl en 1986. La Loi de Tchernobyl est également la première loi au monde à mettre en avant le droit humain universel à la protection de la vie des personnes touchées par le désastre de la radiation. Nous croyons que le Japon doit adopter une loi équivalente à la Loi de Tchernobyl.

Le second précédent porte sur l'établissement de la Loi sur la liberté de l'information adoptée par le Japon en 1999. Cette loi fut la résultante de l'effort concerté des citoyens à travers tout le territoire japonais. Ceux-ci réclamaient la mise en application de cette Loi auprès de leurs instances locales de gouvernement ainsi qu'auprès des membres des conseils municipaux. C'est ce mouvement citoyen qui a mené à l'adoption ultérieure de cette Loi au niveau national.

Nous aimerions travailler avec vous à l'adoption d'une Loi de Tchernobyl au Japon afin de protéger notre vie et notre santé contre les dangers de la radiation.  

Nous vous enjoignons à prendre un moment pour lire ce qui suit et nous espérons que vous supporterez notre idée et vous joindrez à nous afin d'établir une Loi de Tchernobyl pour le Japon.

________________________________________________________________________

Cinq ans après le désastre nucléaire de Tchernobyl, l'ancienne Union Soviétique a adopté ce que l'on appelle la Loi de Tchernobyl, une initiative emboîtée par les gouvernements de l'Ukraine, de la Russie et du Belarus après le démantèlement de l'URSS. Tout ces gouvernements ont garantie le droit à l'évacuation et la sécurité sociale aux résidants vivant dans des régions contaminées par la radiation. Or, ne jouissant pas forcément d'une situation économique favorable, ces trois pays ne sont pas en mesure de remplir les conditions de prestations prévues par la Loi. Cela n'empêche pas cependant de reconnaître la portée historique de la Loi de Tchernobyl qui attribue la responsabilité première des désastres nucléaires aux gouvernements et qui établie le droit inconditionnel à l'évacuation des personnes résidant dans des régions où l'exposition à la radiation dépasse 1 mSv par année.

Après l'accident nucléaire de Fukushima, le gouvernement japonais a pour sa part haussé la norme concernant la dose limite d'exposition à la radiation de 1 mSv à 20 mSv par année, une norme qu'il maintient toujours en vigueur. Il semble que cette norme de sécurité fait office de critère ayant guidé le gouvernement dans sa décision récente de lever l'ordre d'évacuation.

Plus encore, le Comité d'enquête sur la gestion de la santé à Fukushima a écarté la possibilité de l'existence d'une causalité entre l'augmentation des cas de cancers de la thyroïde chez les enfants de Fukushima et la radiation et n'a pris aucune mesure sérieuse concernant les problèmes sanitaires des habitants de Fukushima.

La politique japonaise de gestion des risques associés à la radiation diffère considérablement des trois États de l'ex-URSS qui ont fixé la dose limite d'exposition du public à la radiation à 1 mSv par année et garantissent la sécurité sociale aux personnes ayant été diagnostiquées comme victimes potentielles des conséquences radiologiques de l'accident nucléaire de Tchernobyl.

Immédiatement après cet accident, le gouvernement de l'ex-Union Soviétique a haussé la norme relative à l'exposition du public à la radiation de 1 mSv à 100 mSv par année. Dans la période précédent l'adoption de la Loi de Tchernobyl, certains experts ont même insisté pour faire valoir le caractère « sécuritaire » de la norme de 100 mSv par année. Or, à la suite de l'opposition virulente des travailleurs de la centrale nucléaire qui ont eut à faire face à la catastrophe, celle-ci fut ramenée à 1 mSv par année, ce qui correspond à la norme internationale.

Nous aussi, les citoyens du Japon, avons vécu une catastrophe nucléaire nous rappelant la dignité de la vie.

Il nous faut dès à présent prendre la parole et agir afin d'établir une Loi de Tchernobyl pour le Japon.


Mai 2017

Prière de nous contacter si vous désirez travailler à nos côtés à l'élaboration d'un plan et la formulation de procédures afin d'appliquer la loi au niveau municipal. Vous trouverez les contacts pour nous rejoindre ci-dessous:

Email: ueno_masami_1108@yahoo.co.jpMasami Ueno

noam@m6.dion.ne.jpToshio Yanagihara

 ***************

-->The above call(In English)

-->The above call(In Korean)

-->The above call(In Japanese)


チェルノブイリ法日本版制定の市民運動のモデルの1つ:60年前、杉並で始まった水爆禁止署名運動

チェルノブイリ法日本版制定の市民運動のモデルの1つは、60年前、1954年、杉並で始まった水爆禁止署名運動だと思います。

原水禁運動は日本史上最大の市民運動です。その発端となったのが杉並で始まった水爆禁止署名運動です。出典「杉並で始まった原水爆禁止署名運動」

■ 瞬く間に集まった署名-その数は1ヶ月で26万。
             公民館講座室風景(中央 安井郁氏)

運動の中心となった安井郁館長は、公民館で学びはじめた主婦たちの読書会「杉の子会」や婦人団体協議会 (安井館長の呼びかけにより杉並の婦人団体が結集した組織)参加の42団体等をひろく横につなぎながら、この「杉並協議会」を核にして、原水禁署名運動に 取り組んでいきました。婦人たちは、お互いに区域の担当を決め、署名簿をかかえて、戸口から戸口へと署名を求めて歩いたと言います。納得して署名してもらうという丁寧さだったにもかわらず、一人で何千という署名を集めた人たちもいました。地域にねざす民衆運動(市民運動)の新しいタイプとして注目されるものでした。
 
195413日から始まった署名運動は、620日に259,508名に、624日には265,124名に達するという数字が記録されました。当時の杉並区人口は約39万、その7割に近い署名は驚くべき数です。二重署名を自戒していたし、他区の数字が若干含まれているとしても、地域からの平和運動に杉並区の住民が一丸となって取り組んできたことを数字は示しています。
             館長室で署名簿を整理する婦人たち

 原水禁運動の爆発的発展--ビキニ事件と放射能の脅威--
 日本の原水爆禁止運動は、1954年3月1日、南太平洋ビキニ環礁で行なわれたアメリカの水爆実験を直接の契機としてまきおこりました。20メガトンの水爆の実験によって発生した「死の灰」は、100キロメートル離れた公海上で操業していた静岡県・焼津の漁船「第五福竜丸」にふりかかり、これを浴びた23名の乗組員は全員、火傷・下痢・目まい・吐き気などの急性放射線症にかかり、そのうちの一人、久保山愛吉さんは同年9月23日、ついに手当の甲斐なく亡くなりました。「死の灰」の恐怖はそればかりでない。「第五福竜丸」の獲ってきたマグロから強い放射能が検出されたため、同海域で獲れた他の漁船の魚類も検査した結果、内蔵に放射能をもつものが発見されました。
 焼津、三崎港、東京や大阪の漁市場ではマグロの廃棄処分がつづけられ、魚屋や寿司屋は客が減って“マグロ恐慌状態”が生じました。東京の中央卸売市場はコレラの流行以来はじめてセリを中止するに至りました。
また、気流にのった「死の灰」は雨にまじって日本全土に注がれ、イチゴ、野菜、茶、ミルクの中まで放射能が発見されはじめました。こうしていまやアメリカの水爆実験は遠い彼方の問題ではく、身近な日常生活に直結していることを明らかにし、日本国民全体に大きなショックをあたえたのです。
 そしてこのことが人びとにあらためて「ヒロシマ」「ナガサキ」の原爆被爆の惨禍を思いおこさせる契機となった。アメリカの占領下にあって秘められていた国民一人一人の「戦争はいやだ」「ピカドンはゴメンだ」という厭戦・反原爆感情を一挙に爆発させたのです。

           水爆禁止署名運動杉並協議会ニュース(1954年年6月27日発行)

 「原水爆禁止」の署名運動は、全国各地で一斉に開始され、運動は火のように全国津々浦々の町、村、職場に燃え広がり、あらゆる市町村会議で「核実験反対」「核兵器禁止」が決議されました。
 そして各地域や職場で自然発生的に始められた署名を全国的に集約するセンターとして「原水爆禁止署名運動全国協議会」が結成され、12月には署名も2000万名を突破しました。

■ 原水禁世界大会の開催
 1955年1月、「署名運動全国協議会」の全国大会は、「8月6日に広島で世界大会を開く」ことを決め、5月にはこのための「日本準備会」が結成された。そして広島大会の目的と性格を 
(1)過去1年間の署名運動を総括し、世界の運動と交流して今後の方向を明らかにする。
(2)あらゆる党派と思想的イデオロギー的立場や社会体制の相違をこえて、原水爆禁止の一点で結集する人類の普遍的集会、
と規定しました。
 そして3000万署名と、1000万円募金を土台に、全国各地域、職場の代表五千名と、社会体制を異にする多くの国々からの代表が参加して、第1回原水禁世界大会が、8月6日広島で開催されました。B・ラッセル、シュバイツアー、J・P・サルトルなど著名な人々も全面的にこの大会を支持し、参加した被爆者が「生きていてよかった」と涙をながす光景さえみられました。
 第1回世界大会終了後、「日本準備会」と「署名運動全国協議会」が発展的に統合して生まれたのが「原水爆禁止日本協議会(日本原水協)」です。

■ 原爆反対の声は政府を動かし、世界に響く         
署名簿巻末「杉並アピール」と呼ばれる宣言の記載箇所 

 3000万人をこえる「原水爆実験禁止署名」は、これまでの日本の運動では最大の運動でした。これに参加した団体は、労組や民主団体だけではなく、むしろ保守的傾向の強い地域婦人会、青年団も含まれており、地方自治体もぞくぞく反対の決議を行ない、原水禁運動に協力した。また学術団体や社会団体(日赤など)や水産業界もこの運動を支持したのでした。
 これらの世論の高まりは遂に日本政府をも動かすに至りました。
 かつて吉田内閣は「日米安保条約のたて前上、アメリカの核実験には協力する」といっていたのが、鳩山首相は「原爆禁止に協力する」と言明するにいたりました。
 1956年2月には、衆参両院で「原水爆実験禁止決議」が採択され、同年10月には「原水爆禁止全国市会議長会議」が開催され、自治体ぐるみの運動が各地に広がった。
 1955年1月には、ウィーンで世界平和評議会の拡大理事会が開かれましたが、これには日本の原水禁運動の代表安井郁氏が招かれ、「原子戦争準備反対の訴え」(ウィーン・アピール)が採択されました。いまや核兵器に反対する世界的な連帯ができはじめたのです。

2017年11月16日木曜日

チェルノブイリ法日本版の制定は私たちの意思で決められることではなく、子どもたちの命令である(11.11新宿デモのスピーチから)

                                                     柳原 敏夫
被ばくから子どもたちの命、健康、暮らしを守るチェルノブイリ法日本版の制定は大人たちの意思で自由に決められることではなく、天子である子どもたちの命令です。

これは、2017年11月11日の「脱被ばく」を求める新宿デモでスピーチした以下の話(ただし、後半加筆)の中の一節です。

   ************** 

思ったままに言いたいことを率直に語るのが、このデモの意味、大切なところです。
その積りで、私も率直に話します。

先日、子ども人権裁判の原告のお母さんの陳述書を作成するため、ヒアリングをしました。その中で、2011年4月に文科省が出した20ミリシーベルト引き上げの通知をどう思いましたか?と尋ねたところ、このお母さん曰く、
「バカじゃないの、文科省は‥‥」
 これが福島のお母さんの率直な気持ちです--文科省は原発事故後の自らの行動によって、自らを存在しないにひとしい、ゴミみたいな存在に貶めたのです。
‥‥‥‥
中国では、昔、王さまのことを天子と呼びました。王さまは、絶対者である天の委託を受け、天の代理、いわば天の子として、人民のために天命を実行し、人民を支配する存在だったからです。王さまが王さまである所以・根拠は、血統ではなく、もっぱら天命を忠実に実行しているかどうかにありました。だから、ひとたび王さまが天命を実行していないとされれば、王である根拠を失い、滅ぼされてもよかったのです(易姓革命)。

もし天子が天に代わって天命を実行する者だとしたら、原発事故のあとの天子とは、文字通り、子どもたちのことだと思うようになりました。
チョムスキーは2012年1月、ふくしま集団疎開裁判の会に、次のメッセージを送ってくれました。
社会が道徳的に健全であるかどうかをはかる基準として、社会の最も弱い立場の人たちのことを社会がどう取り扱うかという基準に勝るものはない、

この言葉はチョムスキー個人の見解というより、国境、時代、人種を超えた普遍的な言葉です。だから、これは東洋で言う天の言葉=天命です。そうだとすると、この天命を忠実に実行できる者とはこの問題の当事者である「社会の最も弱い立場の人たち」です。具体的に、その人たちとは、チョムスキーのメッセージの続きに書かれた、、
許し難い行為の犠牲者となっている子どもたち以上に傷つきやすい存在、大切な存在はありません。
と示された、これ以上に傷つきやすく、大切な存在はない「子どもたち」のことです。
つまり、社会の最も弱い立場にいる子どもたちこそ、天に代わって、天が心から願う天命を忠実に実行できる天子です。

10月末、東京地方裁判所の、福島原発被害東京訴訟の弁論終結の日に、中学生が次の通り、最終陳述を述べました。

原発によって儲けたのは大人。原発をつくったのも大人だし、
原発事故を起こした原因も大人。
しかし、学校でいじめられるのも、
『将来、病気になるかも…』と不安に思いながら生きるのも、
家族が離ればなれになるのも、僕たち子どもです」
「僕たちはこれから、大人の出した汚染物質とともに生きる事になるのです。
その責任をとらずに先に死んでしまうなんて、
あまりに無責任だと僕は思います。
せめて生きているうちに自分たちが行った事、

自分たちが儲けて汚したものの責任をきちんととっていって欲しい 」(民の声新聞

原発事故を起した大人が子どもに対して果す責任の1つがチェルノブイリ法日本版の制定です。
これは政策論争とか人気取りがどうのこうの言う以前の、子どもより先に死んでいく、ずるい大人が果すべき人道上の責任です。 言い換えれば、
「被ばくから子どもたちの命、健康、暮らしを守るチェルノブイリ法日本版の制定は大人たちの意思で自由に決められることではなく、天子である子どもたちの命令です」

だから、チェルノブイリ法日本版の制定は天命=子どもたちの命令なのです。

‥‥‥‥


投稿:なぜ「憲法の本質・人権の本質は抵抗することつまり抵抗権にある」のか(2017.11.16)

なぜ、憲法(正確に言うと、近代憲法)の本質が抵抗権なのか。
それは何よりもまず、近代憲法の歴史が証明しています。
(1)、18世紀に近代憲法が出現した時、そこで、抵抗権が人権の中核であることをはっきりとうたったからです。

「 政府は人民、国家または社会の利益、保護および安全のために樹立されるものであり、されるべきである。‥‥いかなる政府でもこれらの目的に反するか、または不十分であると認められる場合には、社会の多数の者は、その政府を改良し、改変し、または廃止する権利を有する。この権利は、疑う余地のない、人に譲ることのできない、また棄てることもできないものである。」(バージニア権利宣言3条)

「われわれは、次のような諸原理を自明だと考える。すなわち、すべての人間は生まれながらにして平等であり、すべての人間は神より侵されざるべき権利を与えられている、そうした権利のうちには、生命、自由および幸福の追求が含まれている。
 そして、その権利を確保するために、人々の間に政府が作られる。、政府の正当な諸権力は、被治者の同意に基づくものである。どのような政治政体も、これらの目的を害するようになる場合は、それを変更し、または廃止し、彼らの安全と幸福を実現するためにいちばん適当と考えられるような原理に基礎を置き、また、そういう形式でその権力を組織して新しい政府を作ることは、人民の権利である。以上の諸原理をわれわれは自明のものと考える。」(アメリカ独立宣言)

「すべての政治的結合の目的は、人の、時効によって消滅することのない自然的な諸権利の保全にある。これらの諸権利とは、自由、所有、安全および圧制への抵抗である。」(フランス人権宣言2条)

「圧制への抵抗は、他の人権の帰結である」(1793年6月24日フランス憲法33条)
「政府が人民の権利を侵害するときは、反乱は、人民およびその各部分にとって、もっとも神聖な権利であり、かつ、もっとも不可欠な義務である。」(同35条)

(2)、その後、19世紀の憲法から抵抗権は姿を消します。しかし、ファシズムの嵐が吹き荒れた第二次世界大戦のあと、近代憲法は再び、抵抗権が人権の中核であることをうたいました。

「 フランス人民は、1789年の権利宣言によって承認された人および市民の権利および自由‥‥を厳粛に再確認する」()1946年フランス第四共和制憲法前文)

「憲法に違反して行使された公権力に対する抵抗は、各人の権利であり、義務である。」(1946年ドイツ・ヘッセン憲法147条)
「憲法で確定された人権が憲法に反して公権力によって侵されたときは、抵抗は各人の権利であり、義務である。」(1947年ドイツ・ブレーメン憲法19条)
「道徳と人間性に反する法律に対しては、抵抗権が成立する。」(1947年ドイツ・マルクブランデンブルク憲法6条2項)

 ひとたび姿を消した抵抗権がなぜ再び、憲法の中に刻み込まれたのか。それは、「すでに十分に確立したと思われていた自由主義的政治体制--したがって、その子である人権の保障--が、ファシズムの擡頭の前にあのように無力であったという両戦争間の貴重な(痛恨の)経験にかんがみて、人権の保障を少しでもより強化しとうという悲願」(宮沢俊義※1)「憲法Ⅰ」138頁)に由来するものです。

 第2に、それは理論的にみても、憲法にとって抵抗権の行使が不可欠だからです。
昔、埼玉の「I Love 憲法」ミュージカルで、参加者の人たちにこんな話をしたことがあります。
--皆さんは「I Love 憲法」「I Love 憲法」とよく口にするけれども、しかし、振り返ってみて、憲法を愛するというのは一体どういうことなのでしょうか。それを真正面から考えたら、とても不思議なことではないでしょうか。
 というのは、憲法を愛するというけれど、そもそも憲法は目に見えるものなのでしょうか、或いは、手で触ることができるものなのでしょうか。もし六法全書という紙に書いてあると言うのでしたら、それならば、その紙を燃やしてしまえは、憲法はなくなるんじゃないでしょうか。それとも、紙を燃やしてもなお存在するというのであれば、それはどのように存在しているものなのでしょうか。紙を燃やしてもなお存在するというそんなものを、手で触ったことがある人はいるのでしょうか。
 要するに、そんな不確かな、訳の分からない代物を、愛するというのは、いったいどういうことなのでしょうか。
 これについて、私は次のように思うのです。
 私の妹がこのミュージカルに参加しています。彼女はこれまで専業主婦でずっと家にいました。しかし、そのうちに、何だかこれはおかしい、いつも家に縛り付けられるのではなく、私にももっと私なりの生き方があってもいいのではないかと思うようになりました。その中で、彼女は、この「I Love 憲法」のミュージカルを見つけました。ここは彼女にとって、新しい生き甲斐の場だったのです。しかし、彼女の夫は、このことを必ずしも歓迎しませんでした。家に、自分の元に置いておきたかったのです。しかし、彼女は、私にも自分なりの生き甲斐を求める権利があると思ったのです。だから、夫の反対を押し切って、それに抵抗して、ここに来ました。
これが憲法なのだと思うのです。
憲法では、いかなる個人にも、その人なりの幸福追求権を保障しています。しかし、それは、彼女が、夫の反対に抵抗してこの場に来るという行為を通じて初めて実現されるものなのです。
だから、彼女は、この場に来るという行為を通じて自分の人権を実現し、憲法を愛することを実行している、つまり、「I Love 憲法」を実行しているのです。

 このような意味で、憲法の本質は何かといえば、それは個人の尊厳や平和的生存権や諸々の人権を踏みにじる侵害行為に対して「抵抗する」ことにあります。
だから、憲法は何処にあるのか? --それは、こうした人権侵害行為に抵抗する限りにおいて、それを実行するすべての市民の各自の胸の中にあるのです。
だから、市民の各自の胸の中にある憲法・人権は、市民ひとりひとりの心がそれを放棄しない限り、決して紙みたいに燃やすこともできなければ、暴力で踏みにじることもできなければ、法律で歪曲することもできないものなのです。


第3に、さらには、抵抗権は憲法の本質、人権の本質にとどまらず、私たちが生命として存在することに由来する「生きるということそのもの」だということです。

生命として存在すること(生物)とは何か。それは無生物とどこが違うのか。この問いに、私にとって最もピッタリ来た説明は次のものでした--自然界の法則であるエントロピー増大の原則は生物にも降りかかる。その結果、高分子は酸化され分断される。集合体は離散し、反応は乱れる。タンパク質は損傷を受け変性する。しかし、生物はこの法則を受け入れ、なおこれを受け入れない抵抗の仕組みを見つけ出し、実行した。それが、やがて崩壊する構成成分をあえて先回りして自ら分解し、このような乱雑さが蓄積する速度より速く、常に成分を再構築すること。このダイナミックな分解と再構築を実行する点に生物を無生物と分かつ最大の特徴がある(福岡伸一「生物と無生物のあいだ」166頁以下)。

 生物が生物である所以とは自然界の法則であるエントロピー増大の原則に抵抗して秩序を自ら作り上げることにほかならない。この意味で、抵抗は生物であることの証(あかし)である。
だから、政府の圧制により人間らしく生きることを否定されるとき、「冗談じゃねえ!」とこれに抵抗することは、別に誰かから教わって学んだからではなくて、自分が生命ある存在であることそのものからやって来る根源的な反応なのです。
その意味で、抵抗をしないとき、或いは抵抗をやめたとき、生物は無生物または生きる屍(しかばね)になるしかありません。心の病気になるのは当然です。

 だから、私たちは、生物=人間であることをやめない限り、原発事故前であろうが事故後であろうが、非人間的な扱いに対し、抵抗しない訳にはいかないのです。
 だから、広場やデモで「おかしい!」と意見を表明し、単に金の問題だけでは片付かない、本来の救済はいかにあるべきかを共に問答し探求しない訳にはいかないのです。それをやめたとき、わたしたちは生命体であることをやめ、運命に逆らわず無感動の中で生きるしかばねになるしかないからです※3)。

結論:憲法を愛する、人権を愛するとは抵抗することであり、生きるということそのものです。
新しい人権の1つである「避難の権利」の保障を求める人たちは、憲法を愛する人たちであり、抵抗する人たちであり、生きている人たちです。

※1)私の知る限り、抵抗権の問題を最も探求した人物は長野市出身の憲法学者宮沢俊義、美濃部達吉の弟子・後継者として、日本の憲法学界に最大の影響を残した保守本流の憲法学者です
   しかも宮沢は、単純な抵抗権の賛美者ではなく、抵抗権が濫用された場合の実際的危機を重々承知した上で、なおかつ抵抗権の必要性・不可避性について考えた人です。

《抵抗権の問題は、実定法(※2)の問題ではなくて、 実定法を越えた問題--法哲学の問題--である。単なる「法律家」の問題ではなくて、「人間」の問題である。》(憲法Ⅰ 166頁)
 《個人の尊厳から出発する限り、どうしても抵抗権を認めないわけにはいかない。抵抗権を認めないということは、国家権力に対する絶対的服従を求めることであり、奴隷の人民を作ろうとすることである。》(同書 173頁)

※2)社会で実際に制定され、適用されている法律のこと。自然法と対立して使われる概念。

※3)(参考)->抵抗権実行=3.4新宿デモの呼びかけ(17.2.7)

2017年11月15日水曜日

被ばくから避難する権利は既に憲法に埋め込まれており、米沢「追い出し」訴訟は憲法からは勝負はついている(2017.11.15)

 関連記事「米沢「追い出し」訴訟に抗議する
     「なぜ『憲法の本質・人権の本質は抵抗することつまり抵抗権にあるのか

                  目 次
1、すべての人権は既に憲法に埋め込まれており、日本政府といえども、いかなる契約によってもこれを奪うことはできない。... 1
(1)、全く新しい憲法の出現... 1
(2)、すべての人権は近代憲法という貯蔵庫に保管されている... 1
2、放射能災害における被ばくから避難する権利は人権であり、憲法で保障されている。... 2
3、私たちは既に守られている。同時に、それを実現するかは私たち自身の手にかかっている... 3

1、すべての人権は既に憲法に埋め込まれており、日本政府といえども、いかなる契約によってもこれを奪うことはできない。

(1)、全く新しい憲法の出現 

国の基本法といわれる憲法は昔から存在しました(例えば聖徳太子が作ったとされる一七条憲法)。しかし、現在私たちの前にある憲法は名前は同じでも、昔からある憲法とは全くちがうものであることに注意する必要があります。それは、18世紀に至り、古来から存在する憲法を根本的に否定して出現した、全く新しい性格のものだからです(この新しい性格を有する憲法を近代憲法とよびます)。
では、近代憲法の全く新しい性格とはどんなものか。それは次の2つの点に現れています。1つは、法律の本質は「命令」であり、「人を殺してはならない」といった命令は普通、私たち市民に向けられたものです。ところが近代憲法の「命令」は誰に向けられたものか。それは私たち市民にではなく、国家に向けられたものなのです。それでは、国家に向けられたその「命令」とはどんな内容のものか。端的に言えば、それは「市民ひとりひとりは最高の価値が認められる人権を有している。この市民が有する人権を国家はぬかりなくしっかり保障しろ、決して市民が有する人権を侵害するなかれ」です。これが2つ目の特徴です。
このことを世界に先駆けて表明した近代憲法が1776年のバージニア権利宣言で、第1条でこう宣言しました[1]
すべて人は、生まれながらにしてひとしく自由で独立しており、一定の生来の権利を有するものである。これらの権利は、人々が社会を組織するに当たり、いかなる契約によっても、その子孫からこれを奪うことのできないものである。かかる権利とは、すなわち財産を取得所有し、幸福と安全とを追求獲得する手段を伴って、生命と自由とを享受する権利である。
 人権とは国家といえども、また市民が自ら締結したいかなる契約によってもこれを奪うことはできない神聖不可侵の権利なのです。

(2)、すべての人権は近代憲法という貯蔵庫に保管されている

 とはいっても、近代憲法の制定当時、すべての人権が近代憲法のカタログに書き込まれていたわけではありません。例えば核兵器が存在しなかった時代に、核戦争を前提にした人権侵害状況を想定して人権保障をすべて書き込むことは不可能です。

 そこで、近代憲法は、この問題についてどういう態度を取ったのか。近代憲法は一方で、「人権が人が生まれながらにして自由で平等な存在であることに基づき認められる生来の権利で、日本政府といえども、いかなる契約によってもこれを奪うことはできない最高の価値を有するものである」と近代憲法が保障する人権の一般原理を明らかにしました。他方で、その当時、人権保障の必要が切実な課題となっていた個々の人権を取り上げ、これを近代憲法のカタログに書き込みました。法の下の平等(特権や世襲制の否定)、公正な刑事訴訟手続の保証、言論出版の自由、宗教の自由などです。ここに書き込まれた人権はその当時までに、宗教戦争など深刻な人権侵害が発生し、これに対し、人々がこれに抗議し抵抗し、人権侵害が起きないように人権保障の必要性を訴えた末に、それが認められ、近代憲法のカタログに書き込まれるに至ったものです。
 
 この意味で、近代憲法は、すべての人権をカタログに書き込むことはせず、未来の状況の変化により新たな人権侵害と認められる事態が発生したときに、人権の一般原理に照らして新たな人権侵害の防止のため、これを新たな人権として近代憲法のカタログに追加して書き込むことにしたのです。
その有名な出来事が第一次世界大戦以後に登場したワイマール憲法をはじめとする一連の近代憲法です。そこには、かつて近代憲法が保障した「私有財産制の絶対化」がその後、深刻な貧富の格差をもたらし、人々の生存を脅かすに至ったことを受けて、人々がこれに抗議し抵抗し、各人に人間的な生存を保障するように訴えた末に、人間的な生存を保障する人権が認められ、近代憲法のカタログに追加して書き込まれるに至ったのです。これが社会権と総称される生存権、労働権などの新しい人権の誕生です。
 近代憲法とは個人の尊厳が脅かされる場合にそれを回復するためにたえず進化する生命体のような存在なのです。つまり、新たな人権侵害状況が発生した時、それにより損なわれ、脅かされる市民の生命、自由、平等の人権を回復するために、新たな人権が近代憲法のカタログに追加して書き込まれることを前提にしているのです。
くり返すと、近代憲法は誕生と当時に最初から、人権の一般原理(人権とは人が生まれながらにして自由で平等な存在であり、それはいかなる状況においても変わることのない至高の存在であると承認して、この存在に基づき認められる生来の権利である)に基づきすべての人権を保障するものであり、その上で、個別に書き込まれた人権は、その時々の状況において発生した人権侵害を防止するために具体化されたものでした。日本国憲法が人権の総則規定で、「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。」(11条前段)と定めたのもこのような意味です。言ってみれば、近代憲法という貯蔵庫には最初からすべての人権が保管されている。私たちはその都度必要に応じて、憲法という貯蔵庫から必要な人権を取り出り、その出動により私たちの生命、自由、平等を脅かすものから私たちを守るのです。

2、放射能災害における被ばくから避難する権利は人権であり、憲法で保障されている。

 原発事故などの放射能災害は近代憲法がこれまで想定していなかった過酷な人権侵害状況です(これを想定している近代憲法はチェルノブイリ原発事故後に制定されたウクライナ憲法くらいです)。だから、近代憲法が放射能災害により発生した人権侵害を防止するために明文で人権保障の規定を置いていないのは当然です。しかし、だからといって、近代憲法はこの事態を無視することはできません。なぜなら、近代憲法の最大の使命は私たちの生命、自由、平等を脅かす全てのものから私たちを守ることにあるからです。原発事故が私たちの命、健康、暮らしを根底から脅かす、未曾有の大惨事であることは周知の事実です。従って、この新しい人権侵害状況に対して、近代憲法は、被害者の命、健康、暮らしを守るため、被ばくから避難して、命、健康、暮らしを保障する人権(以下、避難の権利をよびます)を認め、近代憲法のカタログに追加して書き込む必要があります。
この意味で、放射能災害において被ばくから避難する権利は人権であり、憲法で保障されているのです。
なお、ウクライナ憲法のように明文で追加して書き込まれるか、それとも解釈で追加して書き込まれるかということは法の技術的なことであって、本質には関係ありません。本質的に重要なことは、原発事故という過酷な人権侵害状況が発生した以上、既に憲法という貯蔵庫に保管されている避難の権利が憲法から取り出され、出動することにより被害者の命、健康、暮らしが守られるということです。

 だから、福島原発事故の被害者の人たちは、安全神話のもとで原発事故を想定外としていた日本の法制度の下において明文の規定がなくとも、避難の権利は人権であり、憲法で保障されているものであるとして、日本政府に対し、この人権保障を誠実に実行しろと要求することができるのです。
以上の通り、近代憲法の理念からは、米沢「追い出し」訴訟は既に勝負はついています。

3、私たちは既に守られている。同時に、それを実現するかは私たち自身の手にかかっている

 このように、近代憲法の理念によれば、原発事故のように人々の命、健康、暮らしが脅かされるという深刻な人権侵害状況が発生した場合、憲法は本来的に(自動的に)、人権侵害状況から人々の命、健康、暮らしを守るために、必要な人権が憲法から取り出され、発動されることになります。
次の問題は、これが理念だけではなく、現実にも自動的に実行されるかです。
これが憲法の最大の難問「人権宣言の実効性をいかに担保するか」という問題です。人権宣言も現実に実行されない限り、そこに書き込まれたどんな人権も絵に描いた餅に終わります。そのため、人類はこれまで実効性を担保する方法を模索してきましたが、世界史が教えることは、人権侵害状況が発生した場合に人権保障を発動させる根本的な力となるものは人民の抗議、抵抗という行動にあるという歴史的事実です。その事実は近代憲法誕生の際にも、またファシズム打倒後の世界人権宣言の制定の際にも高らかに宣言されました。
この意味で、米沢「追い出し」訴訟は憲法の理念からは勝負はとうについていますが、さらに、これを現実にも勝負をつけるために、それを実現する根本の力は避難の権利の深刻な侵害に対し、この人権侵害が起きないように人権保障の必要性を訴える人民の抗議、抵抗という行動をすることにあります。
正義が抵抗する者の側にあるとき、抵抗は止むことはなく、抵抗が止むことがない限り、どんな紆余曲折があろうとも、いつか必ず承認される時が訪れる。これが人権の歴史が証明する法則です。
 
私たちは既に守られています。粘り強く抵抗を続けましょう。

 最後に、この避難の権利を具体化したものがチェルノブイリ法日本版です。私たちは今、チェルノブイリ法日本版の制定を実現する取り組みを進めています()。
チェルノブイリ法日本版の制定の行方は米沢「追い出し」訴訟の行方と運命をともにするものであることを痛感しています。
 避難の権利が人権であることを現実のものにするため、ともに
粘り強く頑張りましょう。


[1] 人類の歴史に奇跡が存在し得るとしたら、近代憲法が出現したことは奇跡の1つであり、これはまた真の希望の1つである。

なぜ今、チェルノブイリ法日本版条例の制定なのか
 
   中間報告:【チェルノブイリ法日本版】伊勢市条例(柳原案)  


   日本からのメッセージ(2017.6) 

   チェルノブイリ法日本版の条例制定を一緒にやりませんか

2017年11月4日土曜日

先端科学技術の闇に穴をあける試み、10年の集大成を提出(2017.11.3)

2017年10月31日と11月1日、遺伝子組換えイネの実験ノートの情報公開を求める裁判において、この実験ノートの情報公開請求をした2007年以来10年間に考え、検討してきた原告の主張を集大成した書面(事実問題に関する主張書面法律問題に関する主張書面)を提出しました()。

)その後の経過
・11月8日、この裁判の第20回目の弁論が開かれ、 当日で審理終結、判決言渡しが3月2日(金)午後1時25分と決定(その報告は->こちら)。
・11月9日、原告は、事案整理のため、法律問題・事実問題に対する原告主張を網羅した主張一覧表を作成、裁判所に提出(一覧表は->こちら

この裁判は、人類の科学技術の総決算として登場したバイオテクノロジーという先端科学技術の研究現場で、実際に何が行なわれているのか、その闇の現実に光を当てようとするシビリアンコントロール(先端科学技術に対する市民の監視)の取り組みです。
この裁判の動機の1つが、バイオテクノロジーの開発が引き起こす可能性がある生物災害、これまで、人類の科学技術の開発が様々な公害、薬害、原子力災害を引き起こしてきた悲惨な体験と同様、生物災害が最も徹底した悲劇として発生する前に、これを食い止めることでした(→そのバイテク・ノート)。

しかし、その目的を達成する前に、私が予感していた生物災害を遥かに上回る人災が発生しました。311福島原発事故です。もしこの事故以前に、原子力発電所に関する原子力工学の研究・開発現場の闇に情報公開という光が投じられていたらこの事故は防げたと確信しています。情報公開制度は、こうした人類の存亡に関わる問題にこそ真っ先に活用される必要があるのです。

他方、実際に裁判をやってきて、被告の担当者や証人として出廷した研究者の言動・姿を見ていて、彼らが彼らなりに必死になっている様子が伝わって来ました。しかし、彼らの必死さは「どんなことがあっても実験ノートを公開してはならない」という彼らが所属する組織の至上命令から来るものです。彼らの思考はそこで停止している。自分たちが取り組んでいる先端科学技術が自分と自分の家庭の外で、この日本、この地球全体にとってどういう意味を持っているのか、そこに思いを及ぼしことがないように思える。そのため、人類の存亡に深刻な影響を及ぼすまでの力業を持つに至った先端科学技術の研究・開発が市民から見えない、当事者だけの世界の闇に閉じ込められ、シビリアンコントロールが効かなくなった時、原発事故のように、それがひとたび暴走した暁には、どんな深刻な事態を引き起こすかも想像をめぐらすことができない。その結果、最大の被害者となるのが私たち普通の市民であることにも、彼ら研究者は真剣に想像をめぐらすことができない。少なくともこの倫理観の欠如が彼ら研究者が思考停止に陥っている最大の理由である。
 この問題の発端となった2005年6月、新潟県上越市の北陸研究センターで遺伝子組換えイネの野外実験の田植えの実施をめぐって、安全性を憂慮する地元住民たちの反対の声に対して片山秀策センター長が述べた次の言葉(→これを報じた新聞記事)はこの実験の研究者たちの心情を率直に吐露したものです。それに対し、私たち市民も素人だからといって手をこまねいているわけにはいかない。
怖いと言って手をこまねいてはいられない。研究者の使命だ

と同時に、このことを深く憂慮するのがやはり同じ立場にいる研究者だ。 今回に限らず、これまで原告の書面作成に、多大な貢献をしてくれた生物学の良心的な研究者の人たちから、今回提出した書面に対し、
《いったいこの国はどうなってしまうのでしょう。》
といった憂慮や以下の感想が寄せられた。彼らの率直な声は、先端科学技術の研究者だけでなく、こうした研究の推進を許してきた私たち市民全員に突きつけられた課題です。

◆それにしても、本件のみならず、最近の我が国の自然科学の危機をひしひしと感じます。単純に言えば、研究者がその結果やプロジェクトの意味を考えることなく、大きなお金に飛びつく。それらは一般に出口が決まっていて、新たな学術領域の開拓にはつながらない。これは諸外国と比較すると例外的に科学技術への国家予算を減らしている、という状況からすると、仕方ない面もないでもないのですが、研究者が自分がやったことに正直になれないとすれば、一体それは誰のためのどんな研究だったのか--。実は我々研究者もそんな状態を招いた責任の一旦を免れることはできないように感じています。

 以下、その提出にあたって、私の感想です。

  *******************

                     10年目の節目を迎えて

 この裁判は、2005年4月、被告が、国策の名の下に、耐性菌問題、交雑問題など様々な安全対策について安全性が確認されていないまま、屋外で遺伝子組換え実験を実施すると発表し、これを知った多くの市民と地元自治体の反対の声に真摯に耳を傾けることもなく、市民に十分納得の行く説明もないまま、5、 遺伝子組換えイネの田植え強行されたことに端を発し、屋外遺伝子組換え実験の中止を求める仮処分裁判の申立がなされた(禁断の科学裁判

 他方、 かねてから情報公開をライフワークとし、わが国の人権保障の歴史にも輝かしい一石を投じたローレンス・レペタさんは(彼の著作「闇を打つ」)、先端科学技術に対する市民のコントロールの重要性という観点からこの事件関心を抱き2007年、耐性菌問題について被告が実施した実験の生データを記録した実験ノートの公開を求めて、開示請求を行ないましたが、被告は「実験ノートは研究者の私物であるから、開示の対象である法人文書に該当しない」として開示を拒否してきました。そのため、レペタさんは、被告のこの処分の取り消しを求めて、この裁判を提訴しました。

  先端科学技術の現場がいかに危ういもので、闇であるかは、福島原発事故私たちの頭に叩き込んでくれました。とはいえ、先端科学技術の現場に身を置いた経験のないレペタさん代理人弁護士にとって、遺伝子組換え技術の実験とその実験ノートの運用の実情を理解し、これを裁判所に伝えることは「言うは易き、行い難し」の至難の技でした。そのため、ずっと、ジグザグの試行錯誤の中を手探りで歩むようなものでしたが、開示請求手続から10年、ようやく私たちはこの問題の核心を掴み、実験ノートの情報公開について、確信をもってあるべき姿を提示することができるのではないかという信念に到達したように思う。かつて、「国敗れて3部あり」名を馳せた行政部の藤山雅行判事、「法律家の仕事は同時代のみならず歴史的な評価にも耐えるものでなければならない」と述べましたが、私たちの心境もこれと同じです。今回提出した2つの書面は歴史の審判、すなわち歴史の中で、様々な人々、市民の批判にさらされ、その無数の関所と試練をくぐり抜けて初めてその真価が明らかにされることを受けて立つ用意のある書面だということです

 しかし、そのような自負に到達した背景には、
先端科学技術の素人である私たちたちをサポートしてくれた数々の良心的な専門家の人たちの大変な努力がある。とりわけ、生物災害の危険性最後まで警鐘を鳴らし続けて、今年4月逝去された恩師生井兵治さん(以下の写真は生前最後の写真。彼の意見書)に、の書面を捧げたい 

                                             (2015.5.23新宿デモ)

追悼 生井兵治:生井は生きている(2017.6.21)

憲法の精神の再定義とチェルノブイリ日本版制定

311福島原発事故のあと、ずっと日本に、チェルノブイリ法日本版の制定が必要だと感じてきた。なぜ、そう思ったのか。当時、それは自明のことに思えた。ただ、事故から6年経過した現在、当時そう思った根底には「それは憲法の精神から導かれる当然の帰結だ」ということに改めて気がついた。

そのことを、2005年当時、川崎市の職員労組の人から、憲法について喋って欲しいと言われたことがあり、なんで私?と聞いたら、昔、私の妹が参加していた「I Love 憲法」というミュージカルについて書いた私の雑文を、知り合いがHPにアップしていたのを読み、相談する気になったと言われました。 
現在、チェルノブイリ法日本版の制定を願っている私が、この雑文を読んだら、やっぱり、「あなたにもこの制定の取り組みに参加してほしい」と呼びかけたくなると思った。この憲法の精神というのは、311福島原発事故のあと、チェルノブイリ法日本版を制定することなんだ、と合点したからです。

     *********************

                       憲法の精神について

 このミュージカルは、「I Love 憲法」という題名ですが、私がここで取り上げたいことは、皆さんは割と簡単に「I Love 憲法」「I Love 憲法」と口にするけれども、しかし、振り返ってみて、憲法を愛するというのは一体どういうことなのでしょうか、ということです。
 というのは、憲法を愛するというけれど、そもそも憲法は目に見えるものなのでしょうか、或いは、手で触ることができるものなのでしょうか。もし六法全書という紙に書いてあると言うのでしたら、それならば、その紙を燃やしてしまえは、憲法はなくなるんじゃないでしょうか。それとも、紙を燃やしてもなお存在するというのであれば、それはどのように存在しているものなのでしょうか。そんなものを手で触ったことがある人はいるのでしょうか。
 要するに、そんな不確かな、訳の分からない代物を、愛するというのは、いったいどういうことなのでしょうか。

 これについて、私がイメージする憲法というのは、例えば次のようなことです。

 少し前に、隣人が亡くなりました。首吊り自殺したのです。その人は、市役所に勤めるごく真面目な普通の人でしたが、上司が収賄罪で捕まり、部下である彼にも嫌疑がかかったのです。しかし、事実無根であり、彼は逮捕されるに至らなかったのですが、回りの嫌疑の目に耐えられなかったらしく、気に病んだ末、とうとう自殺してしまったのです。
 その日、私は、たまたまその様子を一部始終眺めていました。彼の遺体が運ばれていくのを見ていて、その時、なぜか、訳も分からず、激しい感情が体の中から湧き上がってきました--自分が無実であるならば、にもかかわらず、回りが不当にも自分を犯罪人のような目で見、扱うとしたら、それはれっきとした人権侵害ではないか。だったら、その不当な扱いに対して、自分が死ななければならないなんてアベコベじゃないか。「それは絶対おかしい。人権侵害ではないか!」と、相手が受けいれようが受け入れまいが断固と抗議すべきじゃないか。なぜなら、人権を保障する憲法がちゃんとあるんだから。なのに、ここで抗議しなかったら、憲法は死んだも同然じゃないか。

 もうひとつのイメージは、それは私の妹のことです。彼女は、これまで専業主婦でずっと家にいました。しかし、そのうちに、何だかこれはおかしい、いつも家に縛り付けられるのではなく、私にももっと私なりの生き方があってもいいのではないかと思うようになりました。その中で、彼女は、この「I Love 憲法」のミュージカルを見つけました。ここは彼女にとって、新しい生き甲斐の場だったのです。しかし、彼女の夫は、このことを必ずしも歓迎しませんでした。家に、自分の元に置いておきたかったのです。しかし、彼女は、私にも自分なりの生き甲斐を求める権利があると思ったのです。だから、夫の反対を押し切って、それに抵抗して、ここに来たのです。これが憲法なのだと思うのです。憲法では、いかなる個人にも、その人なりの幸福追求権を保障しています。しかし、それは、彼女が、夫の反対に抵抗してこの場に来るという行為を通じて初めて実現されるものなのです。だから、彼女は、この場に来るという行為を通じて憲法を実現し、憲法を愛することを実行している、つまり、「I Love 憲法」そのものを実行しているのです。

 ------------------

 このような意味で、憲法の本質は何かといえば、それは個人の尊厳や平和的生存権や諸々の人権を踏みにじる行為に対して「抵抗する」ことにある。だから、憲法は何処にあるのかといえば、それは、こうした人権侵害行為に抵抗する限りにおいて、それを実行するすべての市民の各自の胸の中にあるのです。だから、それは、決して紙みたいに燃やすこともできなければ、暴力で踏みにじることもできなければ、法律で歪曲することもできないものです、市民ひとりひとりの心がそれを承服しない限り。
 これが「抵抗」をそのエッセンスとする憲法の本質についての解説です。

◆もうひとつ、憲法が他の法律と決定的にちがう(それゆえ、世の中では臭いものとしてフタをされている)本質について、解説します。
 それは、憲法とは、そもそも、市民の人権を守るため国家を規制するためにあるものだということです。これは近代憲法の出自からしてそう言えることです。
 このことを考えるいい問題があります--それは、現題は法律によって市民生活が規律される法治国家と言われながら、なぜ、現実の社会生活において、憲法がかくも無視され、なにか雲の上の抽象的なもののごとく軽ろんじられているのか?その最大の理由は、憲法がもっぱら国家に向って、市民の人権侵害行為をしてはならないと戒めるものだからです。だから、こんな厄介な、煙たい代物はとっとと天井にしまいたいのです。
 こんな徹底した法律は他にありません。商法なら、会社や商人を規制するための法律ですし、民法なら、市民の市民社会での振る舞いを規制する法律です。著作権法なら、個人と法人について、著作権をめぐる権利者と利用者の関係を規制する法律です。ところが、憲法は、ひたすら国家を、国家が市民の人権を侵害しないように、民主主義のルールを守るように、その侵害行為を厳しくチェックするものです。
 だから、他の法律だったら、国家が支配者面をして、市民をコントロールできるのに対し、憲法だけは、国家がもっぱら取締まりの対象になるのです。国家にとって、こんな不愉快な、都合の悪いことはありません。
 だから、例えば、憲法のもとでは、不登校の子供たちは、国に向って、堂々と「我々にきちんとまともな教育を受けさせる権利を保障せい!」と言えるのです。27条に、ちゃんと教育を受ける権利が子供たちに保障されていて、それに対し、国家をこれを実現する義務を負っているからです。しかし、国家は、こんなことを真正面から認めるわけにはいきません。だから、現実では、あらゆる手立てを講じて、不登校児は問題児だ、ケシカラン、といったレッテル貼りをして、彼らに対する人権侵害を素知らぬ顔をし、正当化しようとしているのです。
 では、憲法が、ほかの法律とちがい、国家の人権侵害を規制することを目的とする法律だという性格からどんな特質が導かれるかというと、それは、他の法律なら、それに違反した者に、違反行為を是正し、制裁を加えるために、国家(より正確には国家機関の暴力)に依存すればよかったのですが、しかし、ことが憲法違反となると、そうは簡単にはいきません。なぜなら、ここでは、当の国家自身が違反行為を行なっているから、もはやその国家に依存することは不可能だからです。もちろん形式的には、国家は三権分立という建前を取っていますから、立法機関や行政機関の違反行為を、司法機関が裁くという形を取ることになりますが、しかし、現実には、この3つは3つの頭を持ったひとつの怪物にすぎません。憲法9条などの深刻な憲法違反の問題が裁判に取り上げられるときには、司法機関は、統治行為論といった名目(高度の政治性を持った問題には介入しない)を持ち出して、司法判断を回避し、その回避を通じて、違反行為を行なう国家の現状を追認するのです。
 その意味で、国家による憲法違反を是正する道が、形式的には他の法律と同様、(国家機関の一つである)司法機関による救済が与えられているとしても、それは形式でとどまる場合が多く、そこで、もっと別なやり方を考えざるを得ません。
 それが、冒頭に言った「抵抗」という方法です。
 もともと、憲法の本質が、国家による市民の人権侵害を守るためにあるのだ、 とすれば、それを具体化する道も、市民めいめいの良心の中に、そして、市民 めいめいの「抵抗」という行動にあるのですから、この本質に相応しいやり方 をもっともっと具体化していけばいいと思います。
 このことは、別の言い方をすれば、憲法のエッセンスが、市民めいめいの良心の声に従って、人権侵害に対して「抵抗」することにあるのですから、それは、自ずと、理性をパブリックな目的のために使うことにつながると思います。つまり、それは、内部告発の精神につらなることだと思います。
 そのような意味で、内部告発の運動とは、憲法の理念を具体化する最も貴重な「抵抗」運動の一つだと思いました。

◆最後に、憲法のエッセンスを抵抗権という見地から最も詳細に説いたのは、私が知るところでは、まだ摂津さんがリストアップしていなかった宮沢俊義です。彼の文章は、他の憲法学者にはない明晰で平明な文章です。また、自由主義者として、日本で最も徹底して憲法のことを考えた人だと思います。彼もまた沢山書いていますが、私の知っているのは以下のものです。
 では、体にお大事に。
「憲法II」(有斐閣・法律学全集)←抵抗権について詳しい。
「憲法の原理」(岩波書店)
「全訂日本国憲法」(日本評論社)
「憲法講話」(岩波新書)←9条について、分かりやすい解説がある。