2007年6月17日日曜日

書評「生物と無生物のあいだ」(著者福岡伸一)(2007.6.17)



本書は、ガキの頃、昆虫に夢中で、ファーブルの『昆虫記』が大好きだった私にとって、福音ともいえる生物学入門書だ。私は、小学校の理科で生物が登場すると、生物が大嫌いになった。クソ暗記させられるだけだったからだ。
その生物が、最近、やたらと騒がれている。どうやらメシのタネになるらしい。しかし、巷に溢れる生物の本を手にしても、ガキの頃の感触は戻ってこない。ますます大嫌いになるだけであった。今度はクソ暗記に代わって、バックに商売の儲け話が見え透いているだけだからだ。
しかし、本書は異色だ。ミヒャエル・エンデの『はてしない物語』の我々の世界とファンタージエン国の世界を結ぶ秘密の通路に出会った気がした。読後、瑞々しい気持ちになり、ガキの頃の私を見出しワクワクしたからだ。
数学では、数学を可能としている基礎的な条件そのものを問い直す数学基礎論という分野があるし、物理学でもそれに匹敵する分野として相対性理論があるという。一方、生物学では理論生物学という分野があるが、生物の種々の側面について数理的な理論やモデルの構築を最終目標にしているようで、私の思う生物基礎論とは大違いだ。
本書は、「動的平衡」理論を基礎に、真の意味での生物基礎論・理論生物学の課題を大胆に展開している。しかも、「生物学を可能としている基礎的な条件そのものを問い直す」作業を、あくまでも現実の生き物の具体的問題を通して探求しようとしており、きわめて貴重な取り組みだ。
科学の歴史は失敗だらけの試行錯誤の繰り返しだが、従来は失敗が現実世界に直ちに決定的悪影響を及ぼさなかったから、失敗が容認された。しかし、生物学が脚光を浴びる現在、この種の失敗はもはや通用しない。狂牛病など未知の生物現象をめぐるリスク評価に「危険性を示すデータがないから安全だ」などと伝統的思考法で臨まれては、自然からの手痛いしっぺ返しをくらうことになるからだ。
著者は、自然のしっぺ返しの前にと喫緊課題に取り組むが、妙な力みは微塵もない。生命現象に対する限りない驚きだけがある。私は、殺伐とした現代を作り上げた科学ではなく、瑞々しい世界を作り上げる可能性を秘めたもう一つの科学と向かい会えそうで、いたく勇気づけられた。
                    雑誌「日本の科学者」2007年11月号