(2)、福島第一原発における1度目の事故
チェルノブイリ事故でヨーロッパ全滅の危機があったことが知らされていないように、福島原発事故でも、2011年3月14日、 2号機の危機により東日本は壊滅のおそれがあったことは十分知られていません。しかし、当時の福島第一原発の吉田所長は次の通り明確に証言しています。
「私は本当にここだけは一番思い出したくないところです。・・・ここで本当に死んだど思ったんです。
2号機はこのまま水が入らないでメルトして、完全に格納容器の圧力をぶち破って燃料が全部出ていってしまい、そうすると、その分の放射能が全部外にまき散らされる。 最悪の事故ですから。チェルノブイリ級ではなくて、チャイナシンドロームではないですけれども、ああいう状況になってしまう。・・・放射性物質が全部出て、まき散らしてしまうわけですから、我々のイメ-ジは東日本壊滅ですよ。」(吉田所長の証言(2011年8月9日)。)
2号機はこのまま水が入らないでメルトして、完全に格納容器の圧力をぶち破って燃料が全部出ていってしまい、そうすると、その分の放射能が全部外にまき散らされる。 最悪の事故ですから。チェルノブイリ級ではなくて、チャイナシンドロームではないですけれども、ああいう状況になってしまう。・・・放射性物質が全部出て、まき散らしてしまうわけですから、我々のイメ-ジは東日本壊滅ですよ。」(吉田所長の証言(2011年8月9日)。)
しかし、その後、原因不明のまま、再び水が入り、チャイナシンドロームは回避されました。けれど、吉田所長はなぜ注水が再開したのか分からないと証言しています。ネステレンコと炭鉱夫たちの主体的な力でヨーロッパ壊滅を阻止したチェルノブイリとちがい、福島は偶然の力で、東日本壊滅が阻止されたのです。
2011年3月14日 福島第一書籍原発3号機の爆発
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