2017年6月25日日曜日

なぜ今、チェルノブイリ法日本版条例の制定なのか--チェルノブイリ法日本版その可能性の中心--(1)はじめに(自己紹介)

以下は、2016年12月4日、宝塚市で喋った話にもとに書きしたものです。


1、はじめに(自己紹介)
 

私は3.11まで原発や放射能に無知でした。しかし、3.11以後、福島の子どもたちの避難を求めるふくしま集団疎開裁判に代理人として参加しました。

私はもともと悪友どもにだまされて、この道(法曹界)に入った人間です。だから法曹界に入ったあと、仕事が嫌で、毎日、三四郎池に寝そべっていました。その転機となったのがチェルノブイリ事故の前年1985年、NHK大河ドラマの著作権裁判に関わったことで、以来、小説や映画など著作権を専門とする弁護士になりました。しかし、40歳の時、仕事に対する不平不満抑え難く、事務所を店じまいし、大学に出没する数学のニセ学生になりました。その後、人生の折り返し点の50歳の時、ジェレミー・リフキンの「バイテク・センチュリー」を読み、後半生の方向が決まりました。この時、自分は医者になろう、というより、「遺伝子工学」「リスク評価学」「予測生態学」をマスターしたいと思ったのです。
 バイオテクノロジーは、人類のこれまでの科学の成果の総結晶=総決算として登場する。つまり、工業社会の屋台骨だった物理・化学、現代社会の基礎となる情報科学・コンピュータ・医学・農学などこれまでの全ての分野の成果の上に花開いた。それは、人類史上前例のない――原子爆弾・放射能災害を唯一の例外として――空前絶後の力業である。それゆえ、この空前絶後の力業はこれまでの科学の成果の総決算であるのみならず、他方で、これまでの科学が直面した課題・矛盾もすべて、バイオテクノロジーの世界で総決算として最もリアルに再登場するはずです。過去、ヒロシマ、ナガサキ、ミナマタといった工業社会、科学技術がもたらした悲惨極まりない体験が、バイオテクノロジーの世界でより徹底した形で反復することになるだろう――私たちはその悲惨な体験の反復を食い止めるために何が必要だろうか?何が可能だろうか?これが私の前に現れた課題だった。
 もうひとつ。
 社会に新しいテクノロジーを根づかせ、発展させていくとき、推進者たちは、そのために、単にその技術が優秀であるだけでなく、それ以外にも政治、経済、マスコミ、文化、教育、哲学など様々な分野でそれを支持し、サポートする全般的な動き、というより運動が企てられる(或る意味で、それはマインド・コントロールである)。もっか売り出し中のバイオテクノロジーは、こうした運動の生成過程をつぶさに観察するに打ってつけの対象である。その観察から、我々が既にどっぷり漬かってしまい、マインド・コントロールすら自覚しなくなってしまった工業社会のテクノロジーを支えてきた様々な「コモン・センス」と称する世界観、思想、哲学の正体を吟味する道が開けてくる筈である。
 それは、現代の環境問題、消費者問題、人権問題の本質を考え抜く上で不可欠の作業だと思った。

 ただし、このとき、私はもう1つの「人類史上前例のない荒業」の放射能災害について、既に市民運動の力でそれは防止され、基本的に解決済みだ、だから自分はバイオ災害の問題に専念すればよいと、うかつにも考え、2005年、新潟県上越市で実施された日本初の遺伝子組換えイネ野外実験の中止を求める裁判(禁断の科学裁判)に代理人として専念しました。

 しかし、311でこれが何の根拠もない浅知恵であったことが証明され、原発事故は何一つ片付いていなかったことを己の無知と共に思い知らされました。

 同時に、この遺伝子組換えイネ野外実験の中止を求める市民に対して、実験実施者たちが口にした決まり文句「万が一の対応」「念のための措置」「直ちに影響ない」の3点セットが、311後の日本政府や東電によりくり返されるのを目の当たりにした時、遺伝子組換えイネ野外実験中止を求める裁判の中で嫌というほど体験した、実験実施者たちの反吐が出るくらいの傲慢不遜さと品性のなさがまざまざと思い出されました()。
この人たちの反吐が出る傲慢不遜さと品性のなさは、彼らが「思考することを放棄し」、その結果「善悪を区別するモラル完全な崩壊した」ことに由来するものですかつてと同様の事態が311後に進行していったの目の当たりにした--これは取り返しのつかない大変なことになると戦慄が走りました。

 私が、3.11以後、福島の子どもたちの避難を求めるふくしま集団疎開裁判に参加したのは以上の体験に基づくものです。

その実例をあげます。
1、野外実験を実施した被告の研究所は、実験の説明会やHPや広報誌では「適切な情報公開・提供に努めます」をくり返していたのに、いざ裁判が始まると、野外実験の安全性の解明する説明・情報提供は全くなく、彼らの答弁書は次の言葉で締めくくられていました。

本申立は、本実験を批判し、批判を喧伝する手段の一つとして行われたとしか考えられず、手続を維持するだけの法律上の根拠は全く認めることができない。いずれにせよ、本申立においては、そもそも一般的な高等教育機関で教授ないし研究されている遺伝子科学の理論に基づいた主張を展開しているものではなく、遺伝子科学に関し聞きかじりをした程度の知識を前提に特定の指向をもった偏頗な主張を抽象的に述べているに過ぎず、また法的に考察しても非法律的な主観的不安を書きつらねただけのものとしか評価しようがなく、債務者としてはかような仮処分が申し立てられたこと自体に困惑するばかりである。》(答弁書十九頁)
 

  2、他方で、彼らが唯一、積極的に準備したのは、全国の大学・研究所の遺伝組換え技術の研究者たち130名余りが作成した「原告の申立の却下を求める要請書」でした(→その実例)。
しかも、この要請書は誰かが用意した定型文に研究者たちが署名しただけのもので、なかには誤字が訂正されていないものもあって、被告が全国の研究者にいっせいに要請して、1~2日でかき集めたのが明白でした(→その一覧の証拠説明書)。つまり、実験の安全性について、万人が理解でき合点がいく説明をするのではなくて、専門家がみんな「実験は心配ない」と言っているのだからくべこべ言わずに信用しろという権威主義を振りかざすものでした。

3、仮処分の一審裁判所の判決が、被告に厳格な情報開示の義務と説明責任を実行することを条件に実験の実施を認めたのを受け、原告住民が耐性菌問題等に関して情報公開の請求をしたのに対し、被告は、
ディフェンシン耐性菌の発生については、今回の実験の目的ではなく、調査する予定はない。
と回答し、裁判所の判決にも背いて固く口を閉ざしました。その上、その回答書に、「図を送れ」などを記した彼らの手控えメモを間違って原告に送って来て(→その回答書面)、その不誠実といい加減さを如実に公開しました。

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