2017年6月26日月曜日

なぜ今、チェルノブイリ法日本版条例の制定なのか--チェルノブイリ法日本版その可能性の中心--(2)原発事故は2度発生する

2、原発事故は2度発生する

 私たちが科学技術によって引き起こされた事故・災害を眺める時に注意すべきことは、事故(災害)は2度発生するということです、

 1度目は「人間と自然との関係」の中で、見込み違いや偶然の要素によって発生し、2度目は「人間と人間との関係」の中、で社会との交渉の段階での世論操作において確固たる必然の要素によって発生します。
 水俣病やイタイイタイ病がその典型です。
①.水俣病が正式に発見れた昭和31年5月以来、熊本大学医学部はその原因解明に尽力し、昭和34年11月12日、
熊本大学医学部が中心の水俣病食中毒部会の答申をもとに、厚生省食品衛生調査会常任委員会は、水俣病の主因はある種の有機水銀であるという答申を出し、今後は、チッソ工場排水に有機水銀が存在するかどうか((チッソの妨害で工場の排水の採取すらできなかったので)引き続き研究する予定でしたが、翌13日、厚生大臣は水俣病食中毒部会の解散を命じました。これに対し、熊本大学長と同医学部長は、「研究の重大段階で解散させられたのはまことに遺憾」と記者会見で抗議しました(→年表資料参照)。
 この当時、通産省の幹部は「排水は止めるべきではないかという担当者に対し、《何言っているんだ。今止めてみろ。チッソがこれだけの産業がとまったら日本の高度成長はありえない。ストップなんでことにならんようにせい》と厳しく叱られた(→資料参照)。
 その結果、 水俣病の原因がチッソ工場の排水の有機水銀であると政府が認めたのは昭和43年9月、この隠蔽劇から9年も経過していました。これが「人間と人間との関係」の中で発生する2度目の災害です(以上について、原田正純水俣病」(岩波新書)参照)。

②.イタイイタイ病でも、昭和38年に厚生省と文部省がお金を出し、金沢大学に合同研究班を設置し、イタイイタイ病解明に乗り出しましたが、研究の方向が当初、目論んでいた栄養不良説からカドニウム説の方向に進んだため、合同研究班を解散しました。
 地元富山県は終始イタイイタイ病救済に後ろ向きで、地元婦中町が被害住民団体への財政的支援を打ち出した際、これを「違法な支出である」と横やりを入れ,環境庁がイタイイタイ病の原因をカドミウムであると発表した後もなお「原因は不明」という立場をとりました。
 他方、 イタイイタイ病の原因について、昭和36年にカドミウム原因説」を唱えた萩野昇医師に対しては、「田舎医者に何が分かる」「売名のためのPRだ」と罵声が浴びせられ、地元からも「嫁のきてが無くなる」「米が売れなくなる」と白眼視され、「萩野は砂利トラックにはねられて死ぬだろう」との風評が飛びかったと言われています。
 ようやく、厚生省がイタイイタイ病の原因をカドミウム原因説」と認めたのはそれから7年後の昭和43年でした。「人間と人間との関係」の中での妨害が発生しなければ、イタイイタイ病原因解明はもっとスムーズにった筈です。

 しかし、この
「人間と人間との関係」の中で発生する2度目の事故(災害)はこの2つに限りません。社会的影響が大きな巨大事故・災害であればあるほどそれが2度発生するのは必至です。
 そして、 「人間と自然との関係」の中で発生した1度目の事故が過酷であればあるほど、「人間と人間との関係」の中で発生する2度目の事故もまたし烈で過酷なものになります。
 チェルノブイリ事故がそうでした。福島原発事故も同様です。殆どの人は日本政府がこれほどまでにチェルノブイリ事故の1度目と2度目の事故の過酷さから用意周到かつ徹底して学んでいるとは知りませんでした。それほど、福島原発事故も1度目の事故は過酷でありその過酷さにふさわしく、2度目の事故は用意周到に発生したのです。

 ところが、私たちはまだチェルノブイリ事故も福島原発事故も1度目の事故がどんなに過酷なものであるのか、その全貌はもちろんのこと、その片鱗すら知らずにいます。そのため、2度目の事故のし烈さ、過酷さもその全貌はもちろんのこと、その片鱗すら殆ど理解していません。

 私たちは、これを知る必要があります。なぜなら、それによって、初めて、311後に、多くの被害者がどれほど非人間的な扱いを受け、いわれのない苦しみの中に置かれて来たかが、そして、今日、苦しめられている人々の姿は来るべき原発事故で被害者となる私たちそのものの姿であることが理解できるようになるからで、このような異常な事態は何としてでも是正しなければならないと固く決意するようになるからです。
 

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