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2017年7月4日火曜日

脱原発宣言をした韓国の市民の皆さんへ(2017.6.19)

このメッセージの韓国語版->こちら


韓国の市民の皆さんへ
                                              2017年月19日

2011年の福島原発事故で、私は自分がたとえ千年長生きしたとしても経験できないであろうことを体験しました。原発事故以来時間が止まり、今なお夢の中にいる気持ちです。けれど、本当の災害はむしろ原発事故のあとに始まりました。日本政府により、緊急時に放射能の影響を予測するSPEEDIの情報は隠され、甲状腺がん防止のための安定ヨウ素剤は配布されず、福島県の学校の安全基準は速やかに20倍に引き上げられたからです。この巨大な人災は現在進行中です。
の結果、子どもたちが最大の犠牲者となりました。


 戦争の本質は価値観が平時とあべこべになることですが、福島では既に戦争は始まっています。福島の人々は日々、「見えない、臭わない、味もしない放射能からの攻撃という核戦争」の中にいて、救済を求める被害者が加害者扱いされるという価値観があべこべの世界の中にいるからです。

 知って欲しいことは、福島原発事故の悲劇が決して対岸の火事でないことです。それは脱原発宣言したあとでも同様です。原発事故は国境なき災害です。自国だけでなく、隣国と世界から原発がなくならない限り、原発事故の危険性は残るからです。「可能性」のある事故は、いつか必ず「現実」となる――これが福島原発事故で、私たちが無知の涙を流しながら悟った厳粛な事実です。だから、世界から原発がなくならない限り、原発事故から命と健康と暮らしを守る法律が必要なのです。それがチェルブイリ法韓国版です。先ごろ、福島原発事故を体験した日本のお母さんがチェルブイリ法日本版の必要性を悟り、そのために行動を起こす決意をし、その呼びかけ文を書きました。

 どうか、以下の文章をお読みいただき、韓国と皆さんの町でチェルノブイリ法の韓国版とその条例制定に取り組んでいただくことを願ってやみません。韓国でこの法律と条例が制定されることは、韓国と皆さんの町ばかりでなく、チェルノブイリ法日本版がまだ制定されていない福島にとっても大きな支援になります。


韓国の皆さんとつながって、私たち世界中の市民の力で、原発事故から私たちの子どもたちの命と健康を守りましょう。
皆さまからのご連絡をお待ちしています。
                                                法律家 柳原敏夫
チェルノブイリ法日本版の条例制定を一緒にやりませんか

  ***********************
탈원전 선언한 한국의 시민 여러분께
                                                 2017년 6 19

     2011년도에 발생한 후쿠시마 원전 사고를 통해, 저는 천년 살아도 하기 힘든 경험을 하게 되었습니다. 마치 원전사고 이후 시간이 멈추기라도 한 듯, 지금도 구름 속을 사는 듯한 기분입니다. 그러나 실제 재해는 오히려 원전사고 이후에 시작되었다고 생각합니다. 일본정부는 긴급시 방사능의 영향을 예측하는 SPEEDI 정보를 은폐하였고, 갑상선암 방지를 위해 안정 요오드제를 배포하기는커녕, 후쿠시마현내 학교에 대한 방사능 안전기준치를 20배 높여 책정하였습니다. 이로 인한 인재(人災)는 현재도 발생하고 있으며, 그 결과 아동과 청소년이 가장 큰 희생자가 되고 있습니다.
 

전쟁의 본질이 가치관의 혼란이라 한다면, 후쿠시마에서는 이미 전쟁이 발발되었다고도 할 수 있습니다. 후쿠시마 주민들은 매일 무색, 무취, 무미의 방사능에 의한 핵 전쟁을 겪고 있고, 도움을 요청하는 피해자가 가해자 취급을 받아야 하는, 가치관의 혼란 속에서 살고 있기 때문입니다.

후쿠시마 원전사고의 비극이 결코 나와는 상관 없는 남의 일로 취급되어서는 안 됩니다. 탈핵사회 선언 이후라 해도 그렇습니다. 원전사고는 국경이 없는 재해입니다. 한 나라가 아니라 이웃나라, 그리고 전세계로부터 원전이 모두 사라지지 않는 한, 원전사고의 위험성에 노출된 가능성은 지워지지 않기 때문입니다. ‘가능성이었던 사고가 언젠가 반드시 눈앞의 현실로 닥쳐온다는 것이, 후쿠시마 원전사고를 겪은 이후 스스로의 무지를 질책하며 흘린 눈물 끝에 우리가 깨달은 사실입니다. 그렇기에 비로소 전 세계로부터 원전이 사라질 때까지, 원전사고로부터 생명과 건강, 그리고 일상을 지키는 법이 필요합니다. 이러한 뜻에서 한국판 체르노빌법이 제정되기를 기원합니다. 후쿠시마 원전사고를 몸소 겪어야 했던 일본의 한 어머니가 일본판 체르노빌법의 필요성을 깨닫고, 스스로 행동에 나서겠다는 결의를 다지는 뜻에서 얼마 전에 호소문을 작성하였습니다.

이하 문장을 읽어 주십시오. 한국 여러분들께서 지역내의 한국판 체르노빌법과 관련 조례 제정에 힘써주시기를 간절히 바랄 따름입니다. 한국에서 체르노빌 관련 법률 및 조례가 제정된다면, 비단 해당 지역사회뿐만 아니라, 일본판 체르노빌법의 공백을 느끼고 있는 후쿠시마에도 큰 힘이 될 것입니다. 한국 여러분들과 연계하여, 전세계 시민의 힘으로, 원전사고로부터 우리 아이들의 생명과 건강을 지켜나갑시다.

여러분들의 연락을 기다리겠습니다.


법률가 야나기하라 토시오 드림

2017年6月29日木曜日

なぜ今、チェルノブイリ法日本版条例の制定なのか--チェルノブイリ法日本版その可能性の中心--(1)~(11)

2016年12月4日、宝塚市の学習会「チェルノブイリ法って何?」で、チェルノブイリ法日本版の条例制定について喋りました。以下は、当日しゃべったことにもとに書き直したものです。

          ***************

なぜ今、チェルノブイリ法日本版条例の制定なのか--チェルノブイリ法日本版その可能性の中心--
(1)、はじめに(自己紹介) 

(2)、原発事故は2度発生する 


(3)、原発事故の1度目の事故(チェルノブイリ) 


(4)、原発事故の1度目の事故(福島) 


(5)、原発事故の2度目の事故

(6)、原発事故の1度目の事故の意味(チェルノブイリ) 


(7)、原発事故の1度目の事故の意味(福島) 


(8)、原発事故の2度目の事故の意味(福島) 


(9)、「疑わしきは守る」原則の宣言 


(10)、「救済のロードマップ」を再定義する 

(11)、「オールジャパン」「公共事業」を再定義する

なぜ今、チェルノブイリ法日本版条例の制定なのか--チェルノブイリ法日本版その可能性の中心--(11)「オールジャパン」「公共事業」を再定義する

311事故当時、関西にいた東京電力の清水正孝社長は自衛隊機で東京本社に戻ろうとして、搭乗を拒否されました。その自衛隊機に、311直後の3月18日に乗り込み福島入りして、

《国の基準が20ミリシーベルトという事が出された以上は、 我々日本国民は日本国政府の指示に従う必要がある。
日本という国が崩壊しないよう導きたい。チェルノブイリ事故後、ウクライナでは健康影響を巡る訴訟が多発し、補償費用が国家予算を圧迫した。そうなった時の最終的な被害者は国民だ。》
と発言したのは長崎大学の山下俊一教授です。
この発言に代表されるように、311直後から、財政負担が大変だという理由でチェルノブイリ法の制定を批判する声があがっていました。

しかし、本当に日本という国はお金が足りないのでしょうか。
なぜなら、日本政府は、他方で、311以後、
1、2012年の欧州債務危機に際しては、真っ先にIMF600億ドル(約5兆円)の拠出を表明しました(
4月17日、安住財務大)。よその国の問題解決のためにそれほどお金を出す用意があるのだから、自分の国で、放射能汚染の中に住む子どもたちの危機に際して、子どもたちの避難のために出すお金がないなんて言えません。また、山下氏は《日本という国が崩壊しないよう導きたい。》と言うのなら、安住財務相のこの発言に対してこそ真っ先に異議申立すべきです。しかし、彼はそんな異議申立はしていません。
2、2013年度の復興予算7兆5089億円のうち、35.3%の2兆6523億円が執行されなかったと復興庁が発表しました(2014年7月31日日経新聞)。なかでも、福島原発事故からの復興・再生予算は53%が使われませんでした。
3、誰ひとり住まない無人島(竹島・尖閣諸島)の救済には熱心に取り組むけれど、原発事故に何の責任もない、正真正銘の被害者である子ども達がたくさん住む福島については子どもたちを救おうともしなかった。いったい国を守るって、何なのでしょうか。

つまり、311直後に誰かが言った通り、日本政府も、
《お金は足りている。足りないのは愛なのです。 

そして、この予算の問題の本質を重々踏まえた上で、さらに言うのですが、
避難の権利の実現は、お金の給付だけで解決するような単純な取組みではない、ということです。
なぜなら、このプロジェクトは、単に箱物を作るといったハードの問題ではなく、汚染地から避難する人々の、避難先での新しい人間関係、新しい生活、新しい仕事、新しい雇用を作り出していく、そのためには、避難先の地域創生の取組みとセットとなって初めて、成し遂げることができる、壮大な再生の公共事業だからです。
そのためには、これまでの行政主導型の公共事業では実現不可能であり、そこに様々な形で住民、市民が協力、支援、応援をするという市民主導型の公共事業が求められるのです。
つまり、原発事故という国難に対し、文字通り、オールジャパンで市民が参加して、避難者と一緒になって避難の権利の実現プロジェクトを遂行していく必要があります。

これが「 「オールジャパン」「公共事業」の再定義です。

これは決して夢物語ではありません。日本でも世界でも既に実例が存在するからです。
茨城県霞ヶ浦の再生で知られる「アサザプロジェクト」が、 市民主導型の公共事業の実例です。

                     アサザプロジェクトの全体像


また、地域再生では、市民参加型の公共事業として成功を収めた、人口3万の山形県長井市の地域資源循環型システムレインボープラン」。

 世界では、国からも見放され、失業、貧困の経済的危機に直面した市民たちがそこから抜け出すため、お互いに助け合い、支え合うという相互扶助の精神で、協同労働=協同経営の新しい働き方を自ら取り組んで獲得し、 経済的危機を克服した事例がいくつもあります。

その代表的なものが、 70年前、スペイン・バスク地方の寒村モンドラゴンで、28歳の神父アリスメンディアリエタたちが始めた「モンドラゴンの協同組合」。彼は、スペイン内戦で荒廃した7千人の村を、協同組合創設により自主的に経済再建を成し遂げました。以下は、韓国の映像作家のドキュメンタリー(「モンドラゴンの奇跡」予告編)のモンドラゴンの紹介文です。

 《モンドラゴンの人たちは言う--モンドラゴンはユートピアではないし、自分たちも天使ではないと‥‥ただ一緒に生き残る賢明な道を探しただけだと。
 世界金融危機が訪れた2008年、むしろ14,938人の新規雇用を創出して‥‥奇跡を起こしたスペイン9位の企業
(映画「モンドラゴンの奇跡」)



神父アリスメンディアリエタ(ウィキペディアより)
 
ブラジルのポルトアレグレの連帯経済。以下は、現地を取材した日本人研究者のレポートです。
ポルトアレグレがつくる新しい世界参加型民主主義と連帯経済の源流」(小池洋一)



             参加型予算システムの中で最初に行われる地域住民による集会

カナダ・ケベック州の社会的経済


 


韓国の青年連帯銀行(トダクトダク協同組合。単なるお金の支援ではなく、お金をキーワードにして新しい仕事と仲間を作り出していった)。以下は、2015年に来日し、日韓の貧困問題を話し合う集会での紹介文(→集会のチラシ)。

 トダクトダク協同組合(青年連帯銀行)は2013年2月23日、「反貧困たすけあいネットワーク」をモデルにして、韓国で誕生。
“トダクトダク”とは、日本語に訳すと“トントン”。若者たちが、お互いを励まし合いながら背中をトントンとたたく姿をイメージしてつけられました。
「若者のためのオルタナティブなセーフティネット」
夢多き若者たちの連帯銀行「トダクトダク協同組合」は、若者が自らつくってゆく金融生活協同組合であり、若者のためのオルタナティブなセーフティネットです。
‥‥続きはこちら

311直後に自衛隊機で福島入りした人がこう言いました--ピンチはチャンス。どんなひどい人間でもいい言葉を
ひとつくらいは残すという見本ですが、いま、この言葉を単なる美辞麗句終わらせるのではなく、本当に活かすために、実現可能なビジョンとして掴む必要があります。

そのとき、既に日本と世界で若造たちの手で挑戦され、実現してきた、これらの実例をヒントにすれば、「ピンチをチャンス」に転換し、実現可能なビジョンとして掴めると思うのです。

ここがロードスだ、ここで跳べ!
 

なぜ今、チェルノブイリ法日本版条例の制定なのか--チェルノブイリ法日本版その可能性の中心--(10)「救済のロードマップ」を再定義する

今まで私が述べてきたことは、一言で言うと、
放射能災害が実際に何を意味するのか、これを定義し直すことでした(再定義)。
そこから、「放射能災害から命、健康を守る」ために何をすべきかを再定義してきました。

今度は、 放射能災害からの救済を実現するロードマップとして、いかなるやり方が実現可能なのか、これを再定義することです。

既に、2012年6月に、 放射能災害からの救済を実現するものとして「子ども被災者支援法」が制定されましたが、これは抽象的な理念を掲げた理念法にとどまり、その実現は政府に委ねられたため、期待されたものの、結果的には、「放射能災害から命、健康を守る」ものとして機能しませんでした。つまり、従来の代表民主主義の立法過程を通じては、「放射能災害から命、健康を守る」立法の制定とその実施は絵に描いた餅であり、まず実現不可能です。

だからといって、私たちは諦める必要はありません。民主主義は何も代表民主主義だけではないからです。私たち一人一人の市民の意思を反映した直接民主主義、参加型民主主義もあるからです。とりわけ原発事故のような国難に直面した時こそ、国政に私たち一人一人の市民の意思を反映させる必要があり、その意味で、チェルノブイリ法日本版の制定こそ直接民主主義、参加型民主主義の理念に沿って取り組む意義があり、それが必要なのです。

しかし、「チェルノブイリ法日本版を制定せよ」と単に言い続けるだけでは、平和を夢見み、祈るのと同じで、永遠に実現されることはないでしょう。

では、現実的に、どのようにやったら実現されるのでしょうか。
その現実的なビジョンとして、既に、2つの成功例、モデルが日本と世界にあります。
1つは、日本で、1999年に市民立法を実現した情報公開法の制定運動の歴史です。
もう1つは、世界で、1997年に市民の尽力で成立した対人地雷禁止条約の制定運動の歴史です。

どちらも、市民の草の根の持続的な積み重ねの中から、一歩一歩、夢を形にしていきました(そのロードマップを以下にまとめました)。 

私たちの取組みとは挑戦です。未だかつてなかったような(その意味で)新しい災害と危機に直面し、その解決のために新しい意識と新しい行動が求められているからです。


幸い、私たちには、別の意味で前人未到の課題に挑戦し、紆余曲折の末に輝かしい成功を収めた2つの実例が存在します。
だから、の成功例に背中を押され、
制定までのロードマップについて現実的なビジョン※1を持ちながら、夢を一歩一歩形にする取組みに、挑戦することが可能です。

以上、放射能災害の真実、放射能災害の正義、放射能災害の救済のロードマップ、この3つについて再定義を試み、それを実行すること、
ここに、チェルノブイリ法日本版その可能性の中心があるのだと思います。


制定までのロードマップ
前者は、最初の一歩が、日本各地の自治体で地元市民と議員と首長が協力して情報公開の条例を制定し、次に、その条例制定の積み重ねの中から、最終的に情報公開法の制定にこぎ着けました。後者は、世界規模の取組みだけに以下の通り、紆余曲折を経ましたが、最後にゴールにこぎ着けました。

①.2人の市民(退役軍人ボビー・ミューラートーマス・ゲバウアーの思いからスタート
②.欧米の6つのNGOによる「地雷禁止国際キャンペーン」(ICBL)の結成
③.くり返し、世界各地で集会を開き、アピールし、参加するNGOが増加
④.ベルギーで世界初の「対人地雷全面禁止法」成立。
⑤.NGOから地雷の全面禁止に積極的な国々(カナダ、オランダなど)に呼びかけて、「いっしょに会合を持とう!」と提案

⑥.ICBLと政府代表者による初会合がジュネーブで開催→カナダ政府が「秋にオタワでNGOと地雷禁止に賛成する国を招いて国際会議を開こう」という提案し実現。しかし意見が割れまとまらず。カナダ外相、再度「来年12月にオタワで対人地雷を全面的に禁止する条約の調印式を開きましょう!」と提案→進展へ。
⑦.検討の末、「賛成する国だけで条約を作る」という前例のないアイデアを採用し進められ、同時に「一般の人々を巻き込む地雷は人道問題だ」と反対国を説得。

⑧.1997123日、オタワで対人地雷全面禁止条約が締結(※2)。




※1対人地雷禁止条約の制定に尽力したジョディ・ウィリアムズさんのスピーチ
 世界平和の現実的なビジョン」(日本語字幕)
→その文字起し
 Jody Williams: A realistic vision for world peace(英語のみ)
 

※2)「地雷禁止国際キャンペーン( ICBL。60ヵ国以上から1000を超えるNGOが参加)」とコーディネーターのジョディ・ウィリアムズさんはその活動が評価され、1997年のノーベル平和賞を受賞しました。


2017年6月28日水曜日

なぜ今、チェルノブイリ法日本版条例の制定なのか--チェルノブイリ法日本版その可能性の中心--(9)「疑わしきは守る」原則の宣言

先ほど述べた、311以後の事態とは、その直後に敢行された「法的クーデタ」を元祖とする、秘密保護法、戦争法、共謀罪‥‥と次から次へと出現する法的なクーデタのパレード、法の闇の出現です。
その結果、非人間的な扱いを受け、いわれのない苦しみの中に置かれて来た最大の被害者は、自主避難したか、しないでとどまったかを問わず、汚染地の子どもたちと住民です。

この闇に対し、なすべきことは単純明快です。
311以後、事実の闇と法の闇に覆われた日本社会に再び真実と正義を回復し、光を取り戻すことです。
そのためには、311以後の法の闇の諸悪の「根源」に立ち戻り、この根源を断ち切ることが必要です。そして、その1つが311以後ねじ曲げられた基準値を311前に戻し、国際基準の避難の権利を保障するチェルノブイリ法日本版という人権法の制定です。


それは約百年前に魯迅が語った、次の言葉を思い出させます。

《「いかなる暗黒が思想の流れをせきとめようとも、いかなる悲惨が社会に襲いかかろうとも、いかなる罪悪が人道をけがそうとも、完全を求めてやまない人類の潜在力は、それらの障害物を踏みこえて前進せずにはいない。》魯迅「随感録」(竹内好訳・ちくま文庫「魯迅文集3」)

その際、留意する必要があるのは、放射能から人々の命、健康を守るためには、「見えない、臭わない、味もしない、理想的な毒」(スターングラス博士)とされる放射能の特質を踏まえて具体化する必要があることです。 この点で、従来の災害・人災とは決定的に異なり、この点を無視しては、放射能から人々の命、健康を守ることが絵に描いた餅になってしまいます。
では、この点を踏まえて救済を具体化するためには何が必要か。それは「疑わしきは守る」つまり予防原則の適用です。それは、
放射能と健康被害との関係があり(クロ)と確定されなくても、
両者の関係がグレーであると判明したら、これ以上、人々を放射能から被ばくさせず、命、健康を守るための措置(基本的には避難の権利を保障すること)に出ることです。

では、 放射能と健康被害との関係があり(クロ)と確定されなくても、なぜ「疑わしきは守る」のでしょうか?

それは決して、 放射能災害の場合だけ特別扱いする訳ではありません。むしろその反対です。「見えない、臭わない、味もしない、健康被害が発症するまで時間がかかる」といった放射能災害の特質を踏まえたら、「疑わしきは守る」という原則を採用しないと、実際上、放射能から人々の命、健康を守ることができなくなるからです。言い換えれば、「疑わしきは守る」という原則を採用することで、初めて、放射能から人々の命、健康を守ることが実効性をあげることができるのです。

このことをもう少し詳しく見ていきます。
①. 放射能災害の特質として、次のことがあげられます。
(1)、予見不可能性
 外部被ばくにせよ内部被ばくにせよ、放射線が身体に衝突すれば電離作用を引き起こし、分子を切断します。切断される分子がDNAの場合、とくに健康被害に直結すると言われています。
ただし、低線量被ばくの場合、それによって、人体にどのような健康被害をもたらすかはまだ未解明であり、健康被害との関係が確定的に明らかになっていません。つまり、健康被害の可能性は否定できないけれど、具体的な予測を立てることができません。この意味で、健康被害について予予見不可能なのです。
(2). 回復不可能性(不可逆性)
 のちに、放射能により健康被害が発症したとき、手術することはできたとしても、それを回復し、健康を元の状態にもどすことは不可能な場合が殆どです。
(3)、晩発生
 低線量の被ばくの場合、 実際に健康被害が発生するまでに時間がかかること。

 一般に、このような新しい要素(予見不可能性・回復不可能性・晩発生) をはらんだ事故・災害については、もはや従来の事故を想定したリスク管理では対応できないため、この新しい事態に即応した新しい対応を取ることが求められ(新しい酒は新しい皮袋に盛れ)、そこで見出されたのが予防原則=「疑わしきは守る」でした。放射能災害でも同様です。
 その上、福島原発事故のような放射能災害では、次の事情も存在しました。

②.予防原則の当事者
 誰(WHO)の救済が問題となっているかですが、 ここでは、汚染地の子どもたちと住民です。すなわち、原発事故の発生に何の加害責任のない人たちです。それゆえ、この人たちは被害者として、全面的な救済を求める資格があります。

③.救済の時期
 何時(WHEN)の救済が問題になっているかですが、ここでは、平時ではなく、事故時の救済が問題となっているのです。平時なら、仮に、放射能を浴びる危険と原子力から得られる社会的・経済的利益を天秤にかけて安全基準を決定するという「リスクーベネフィット論」を検討する余地があるとしても、この議論は事故時には通用しません。事故時において、事故から得られる社会的・経済的利益など考えられないからです。だから、事故時には、放射能を浴びる危険だけを考えて、避難の権利に関する基準を決定すべきです。

以上の①から③の諸点を考慮すれば、原発事故から人々の命、健康を守るためには、、「疑わしきは守る」という予防原則の採用を引き出すのが正義の帰結だと絶対の確信をもって言うことができます。

なぜ今、チェルノブイリ法日本版条例の制定なのか--チェルノブイリ法日本版その可能性の中心--(8)原発事故の2度目の事故の意味(福島)

311以後の、秘密保護法の成立、安保関連法(いわゆる戦争法)の成立、共謀罪の成立‥‥と次から次へと政府の強引な政治運営に対し、
一般市民から、《私たちの社会は、 原発事故後 、 人が助け合えず、力でもって脅かされる、 そんな方向へ向かっている。 》という感想が寄せられ、
学者から、《従来の憲法解釈の変更と称して、集団的自衛権の行使ができる場合があるとした2014年7月1日の閣議決定は法的なクーデタである》(毎日新聞記事)というコメントが寄せられています。

しかし、これは311の原発事故の2度目の事故の意味を考えればむしろ当然の帰結です。
なぜなら、 この2度目の事故とは、平時であれば法治国家として決してできないことを、事故時という緊急事態の中で、超法治国家としてどさくさ紛れにやってのけたアクロバットであり、原発事故がもたらした政治経済体制の危機を前にして法的なクーデタというルビコン川を渡った時だからです。

具体的には、
第1に、原発事故から1ヶ月余りが経過した4月19日文科省は福島県の学校の放射能安全基準を20倍に引き上げる通知を出しましたその通知の冒頭で明らかにした通り、文科省の安全基準変更の根拠は、国際放射線防護委員会(ICRP)(※1)の2007年勧告に基づくものです。

 しかし、もともと国際放射線防護委員会(ICRP)は国連の公的な機関ではなく、民間の一団体にとどまります。そうした民間団体の勧告が日本国内で正式に取り入られるためには、行政機関で取り入れるかどうかの審議を経て正式な決定を経て初めて取入れることが決まります。ところで、ICRPの勧告は1990年に公表された勧告が1998年に放射線審議会での審議の末、正式な決定を経て、日本国内に取り入れましたが、しかし、文科省が今回の通知で根拠にしている2007年に公表された勧告は、2011年4月時点で(現在も同様ですが)、日本国内に取り入れるかどうか審議している最中で、まだ正式な決定に至っていません。従って、このような勧告を国内の法秩序として盛り込むことは法治国家としては許されません。

 しかも、文科省はICRPの2007年勧告に基づいて通知を出したと言いながら、2007年勧告の重要な内容となっている「防護の最適化の原則」(※2)と「正当化の原則」(※3)は今回の通知にあたって無視されています。つまり、文科省にとって都合のいいところだけツマミ食いしているのです。こうしたご都合主義でツマミ食いすることは法治国家として許されることではありません(以上の詳細は
子ども脱被ばく裁判の原告準備書面29参照)。

に、文科省の今回の通知は「安全基準値の引き上げに関する大原則」にも違反します。安全基準値の引き上げに関する大原則とは、
 「危機管理の基本とは、危機になったときに安全基準を変えてはいけないということです。安全基準を変えていいのは、安全性に関する重大な知見があったときだけ」である(昨年11月25日「第4回低線量被ばくのリスク管理に関するワーキンググループ」での児玉龍彦氏の発言〔21分~〕)
 つまり、
基本原則1: 危機になったときに安全基準を変えてはいけない。
基本原則2:安全基準値の変更が許されるのは、「安全性に関する重大な知見があったときだけ」「安全についての新しい知見が生まれた」(甲120号証。児玉龍彦VS金子勝「放射能から子どもの未来を守る」157頁)ときだけ。

これは、今まで法学者は取り上げてこなかったものですが、人々の命と健康を守るための人権上の大原則を意味します。
  

しかし、文科省の今回の通知は、安全性に関する重大な知見があった」訳ではないことが通知を読めば明らかです。
従って、この点からも文科省の今回の通知は、人権の大原則を踏みにじった重大な人権侵害行為です。
戦後民主主義国家・法治国家の一員として歩んできた文科省がこんなアクロバットのような通知を出したことは一度もなかったと思います。
もし裸の王様をわらう子どもが文科省の今回の通知を見たら、この子はどう言うでしょうきっと、--それは空中四回宙帰りのアクロバットだ。正真正銘の法的なクーデタと呼ばなければ、どう呼んだらいいの」と言うのではないでしょうか。

そして、この311直後の法的クーデタが、その後に、秘密保護法、戦争法、共謀罪‥‥と次から次へと出現する法的なクーデタのパレードの「源泉」となっています。一度、ルビコン川を渡り、法治国家としてタガが外れてしまった日本政府は、半ば焼けクソで放置国家として邁進中で、容易にあと戻りしないからです。
その結果、非人間的な扱いを受け、いわれのない苦しみの中に置かれて来た最大の被害者は、言うまでもなく、自主避難したか、しないでとどまったかを問わず、汚染地の子どもたちと住民です。
 この事態に対し、私たちは何が必要なのでしょうか。それは至って単純なことです。
311以後、事実の闇と法の闇に覆われた日本社会に再び真実と正義を回復し、光を取り戻すことです。
そのためには、311以後の法の闇の諸悪の「根源」に立ち戻り、この根源を断ち切ることが必要です。そして、その1つがチェルノブイリ法日本版という人権法の制定です。


1国際放射線防護委員会(ICRP)がやってきたことを知るには、以下が有益
中川保雄著『放射線被曝の歴史』→その目次と「序にかえて」

※2)防護の最適化の原則とは、

《被ばくする可能性,被ばくする人の数,及びその人たちの個人線量の大きさは,すべて,経済的及び社会的な要因を考慮して,合理的に達成できる限り低く保たれるべきである。この原則は,防護のレベルは一般的な事情の下において最善であるべきであり,害を上回る便益の幅を最大にすべきである,ということを意味している。」と説明し、その重要性を強調している》(2007年勧告(203))

※3)正当化の原則とは、
《放射線被ばくの状況を変化させるいかなる決定も、害より便益を大きくすべきである。この原則は、新たな放射線源を導入することにより、現存被ばくを減じる、あるいは潜在被ばくのリスクを減じることによって、それがもたらす損害を相殺するのに十分な個人的あるいは社会的便益を達成すべきである、ということを意味している。》(2007年勧告50頁(203))

なぜ今、チェルノブイリ法日本版条例の制定なのか--チェルノブイリ法日本版その可能性の中心--(7)原発事故の1度目の事故の意味(福島)

311のあと起きた事態に対し私が思ったことは、被害者が加害者扱いされ、 加害者が支援者面をし、全てのあべこべの混乱の極みの中にある、と。この事態の本質をどう理解したらよいのか、これまでの体験からは言葉が見つからず、思案していました。

約半年後、 作家の大岡昇平の次の言葉が私を捉えました。


ひとりひとりの兵士から見ると、戦争がどんなものであるか、分からない。単に、お前はあっちに行け、あの山を取れとしか言われないから。だから、自分がどういうことになって、戦わされているのか、分からない。 それで、戦争とはこういうもので、あなたはここに出動を命じられ、それで死んだんだということを、なぜ彼等は死ななければならなかったのか、その訳を明らかにしようとしたのです。
(太平洋戦争の天王山と言われたフィリピンのレイテ島の激戦「レイテ戦記」を書いたあとのNHKインタビュー


これは311後自分たちとピッタリ同じではないか、と。


3.11のあと、ひとりひとりの市民から見ると、福島原発事故がどのようなものであるか、どうしたらよいのか、真実は分からない。「健康に直ちに影響はない」「国の定めた基準値以下だから心配ない」とかしか言われないのだから。だから、一体自分がどういう危険な状態にあるのか、どう対策を取ったらよいのか、本当のことは分からない。



こから、こう考えました--だとしたら、ひとりひとりの市民にとって必要なことは、「レイテ戦記」のように、福島原発事故とはこのようなもので、このような危険な事態が発生していて、それに対して必要な措置を取らずにいると、言われるままにいると、ひとりひとりの市民には、今後、大変な健康障害が発生することを明らかにし、それゆえ、取り返しのつかない事態になる前に今すぐ必要な救済措置を取ることであること明らかにするため、「ふくしま集団疎開裁判」の中で放射能に対する感受性の高い子どもに焦点を当て、この真実と正義を明らかにし、救済を目指してきしました。

この意味で、原発事故は「戦争」に酷似している、ただし、これは通常の戦争のように攻撃が目に見えて、直ちに即死する訳ではない。痛くも痒くもなく、目に見えない放射線による攻撃という「新しい形式の戦争」です。
しかし、
ひとりひとりの市民から見ると、原発事故がどのようなものであるか、どうしたらよいのか、真実は分からないという点では、ひとりひとりの兵士から見ると、戦争がどのようなものであるか、どうしたらよいのか、真実は分からない戦争と共通です。
好むと好まざるに関わらず、私たちは今、「新しい形式の戦争」の中に置かれているのです。