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2016年10月24日月曜日

3.11事件はなんだったのか?――見えない政変とチェルノブイリ法日本版制定――

                                                                      2016.10.23
                                                                       柳原 敏夫
原発事故は二度発生する
3.11福島原発事故は二度発生した。一度目は「自然と人間の関係」の中で、福島第1原子力発電所の中で、天災などの偶然の要素と科学技術の未熟さ、見込み違いによって発生し、二度目は「人間と人間の関係」の中で、我々の社会の中で、確固たる信念と世論操作に基づいて発生した。だから、二度目の原発事故はもはや単なる事故ではない。それは事故と言うよりむしろ事件と呼ぶのがふさわしい。それが3.11事件である。


10月15日の2つの出来事(2011年・2016年)
では、3.11事件の本質とはなんだったのか。それが私にはずっと疑問、謎だった。
その疑問は例えば次のように迫ってきた。
2011年10月15日、山本太郎は福島県郡山市にいた。この日、彼は判決を目前にした「ふくしま集団疎開裁判」を応援するデモの集会でこう発言した。

どうして(ふくしま集団疎開)裁判をしなくちゃいけないんだ?おかしいじゃないですか!国が率先して子どもたちを逃がす、そうしなけりゃダメなんですよ
(以下の画像をクリックすると彼のスピーチ動画が再生)


この裁判の代理人をしていた私は胸を突かれ、思わずつぶやいた。
「そうだ、なんで、こんな裁判をしなくちゃいけないのか」

こんな裁判をしなければならなかった理由は、ひとえに文科省が子どもたちの集団避難を決定しなかったことによる。そればかりか、文科省はその反対に、2011年4月19日、福島県の学校の安全基準を20ミリシーベルトに引き上げたからだ。文科省のこの通知を知った時、私は我が耳を疑った。文科省は気が狂ったのではないか。文科省こそ日本で最大のイジメの張本人だ、それどころか彼らは国際法上の「人道に関する罪」の犯罪者ではないか、と。

 他方、ひょっとして、それは原発事故直後の大混乱のせいではないかとも考えた。そのため、3.11事件の本質はずっと?のままだった。
5年後の2016年10月15日、その謎が解けた。この日、福島第1原子力発電所の脇を南北に走る6号国道の清掃を――その清掃地域は地元市民の土壌汚染測定によれば放射線管理区域の何倍も高い地域である――地元中高校生がボランティアでやるという「みんなでやっぺ!!きれいな6国」のイベントが実施されたからである。

 
放射線管理区域で中高校生が清掃するとはどういうことか
 原発事故前からずっと放射線管理区域でも仕事をしてきた小出浩章さんは放射線管理区域について次のように言っている。
「(そこは)みなさんは入ってはいけない場所。私のように特殊な人間だけが、特殊な仕事をする時に限って入って良いというのが放射線管理区域です。・・・
 
仕事が終わったらさっさと出て来いというのが放射線管理区域ですが、でも、簡単には出られないのです。・・・1㎡当たり4万ベクレルを下回らない限りは、管理区域の中から外へ出られない。・・・
もし私が、私が管理している放射線管理区域の中から放射能を持ちだして、どなたか一人を被曝させるような事をさせれば、私は犯罪者として処罰された筈なんです。日本の国家から。・・・
 原発事故前だったら、放射線管理区域の中に一人でも人々を置くことは、犯罪として処罰された。
原発事故後は、放射線管理区域の中にどれだけ人々を置いても、誰も処罰されない。
チャップリンは「殺人狂時代」で「一人殺せば悪党、百万人殺せば英雄」と言った。
今まさにそれがここで起きているのです。」(以下の画像をクリックすると彼のスピーチ動画が再生)

確信犯の6国清掃ボランティアの拠り所
 この「殺人狂時代」が今、福島で起きている。それが先週実施された「みんなでやっぺ!!きれいな6国」清掃ボランティアである。そこから考えてみたとき、さきほどの謎が解けた。原発事故から5年経過しても、依然、このような正気を失ったイベントが堂々と実施されている。それは決して無知によるものではない。昨年も同じイベントが実施され、批判があったのを重々承知で今年も実施したのだから。これは確信犯であり、起こるべくして起きた出来事だ。では、主催者は一体どこに拠り所を置いてこの正気を失ったイベントを確信をもって実施したのか――思うに、その拠り所の源泉は3.11事件にある。
なぜなら、3.11事件で日本政府がやったことは憲法上の言葉でいえば、国民主権を捨て、主権は原子力ムラにあるという原子力ムラ主権を採ることに改めることだったからである。もっとも、それは何食わぬ顔をしてこっそり決定された。同時に、それはしっかり実行された。その結果、3.11事件ですべてがひっくり返った。その象徴的な例が4.19文科省通知だ。元来、国民から付託され子どもたちの教育とすこやかな成長を支援する責任を追い、自ら子どもたちの最大の守護者であることを任ずる文科省が子どもたちの最大の迫害者になったのだから。これは戦後70年間で一度もなかった、21世紀の日本の一大政変であり、原発事故という一種の戦争(この意味はのちに述べる)の中で敢行された、見えないクーデタであった。むろん日本政府も安穏とこれを決断実行したわけではない。「ただちに安全上問題が生じることはない」と必死に言い訳して時間稼ぎする間に「情報を隠すこと」「様々な基準値を上げること」、そして「事故を小さく見せること」の正気を失った政策を次々と実行してきたのであり、その総仕上げが今、遂行中の「安全な福島」への帰還政策と支援打切りだった。


過去の見えない政変
ただし、このような政変は日本史上、初めてのことでなかった。今から70年前に経験している。それが1945年8月、日本政府がポツダム宣言を受諾したとき、日本の主権はそれまでの天皇主権を捨て、国民主権を採ることに改められたからである。明治憲法のもとで、天皇主権から国民主権へ変更することは合法的には許されず、従って、憲法上からは、これは超合法的に、ひとまず平穏のうちに行われた「ひとつの革命」である。これが「八月革命[1]である。もっとも、今回と「八月革命」とでは主権変更の向きが正反対である。しかし、世界大戦という戦争の中で遂行された、見えない政変という意味で両者は共通している。


放射能事故は一種の戦争である
のみならず、放射能事故は一種の戦争である。それは原子力発電所だけでなく、周辺の放射能汚染地域の人々にとっても戦争である。もともと放射能には二重の世界があって、私たちの五感で感じる日常世界にとって放射能は何も変化が感じられない。しかし、ひとたび日常世界を一皮むいてミクロの世界から眺めたとき、放射線は私たちの細胞を破壊し、健康被害を引き起こしている。ミクロの世界では、放射能汚染地域は桁違いな量でくり返される核分裂と同時に発射される放射線とのたえまのない戦いの世界である。それは原爆とはちがうが、もうひとつの核戦争である。
他方、戦争の本質は日常世界が断ち切られ、非日常世界が姿を現わすことでもある。戦争について考え続けた作家大岡昇平は、「レイテ戦記」のインタビューで戦争についてこう述べた。
ひとりひとりの兵士から見ると、戦争がどんなものであるか、分からない。単に、お前はあっちに行け、あの山を取れとしか言われないから。だから、自分がどういうことになって、戦わされているのか分からない。


しかし、3.11事件のあとの私たちも実はこれと同じではないか。なぜなら、

3.11のあと、ひとりひとりの市民から見ると、福島原発事故がどのようなものであるか、どうしたらよいのか、真実は分からない。単に、「健康に直ちに影響はない」「国の定めた基準値以下だから心配ない」とかしか言われないのだから。だから、一体自分がどういう危険な状態にあるのか、どう対策を取ったらよいのか、本当のことは分からない」。
この意味でも、放射能事故は一種の戦争である。 
この意味で、福島原発事故のあと、放射能汚染地域の人々は戦争に巻き込まれた。しかし最大の問題は人々がそこから救い出されなかったことだ。日本政府はこれらの人々を守るのではなく、我が身と原子力ムラを守ることに決めたからである。それが3.11事件=3月政変である。


日本近代史と日本現代史の転換点
さらに、上記のインタビューで大岡昇平は8月6日から9日、15日までについて、次の指摘をしている。
8月6日が広島原爆投下、9日が長崎。15日が終戦。これが日本近代史の三大転換点ですよ。6日から15日までは我々が正気を取り戻さなければならない日だ。いくら戦争のことを忘れようたって、現に日本は不沈空母になりつつあり、将来に核戦争という大きな人類的な危機が存在している中で、正気になる時が来たと言えるんじゃないですかね」(1984年8月15日「大岡昇平 時代への証言」) 


つまり、広島・長崎の原爆投下と終戦(ポツダム宣言受諾)が明治以来の天皇主権を捨て、国民主権に転換した「八月革命」を引き起こした転換点となる出来事だった。将来に核戦争という大きな人類的な危機が存在している中、私たちはこのことを思い出し、正気に戻る必要がある、と。

同様の意味で、2011年3月11日からについて、次のことが言えるのではないか。
3月11日が福島原発事故。3月21日が国際原子力ムラのICRPの勧告[1]。4月19日がその受諾を前提にした文科省20ミリシーベルト通知[2]。これが日本現代史の三大転換点だった。3月11日から4月19日までは我々が正気を取り戻さなければならない日だ。いくら原発事故のことを忘れようたって、
原発事故収拾と放射能汚染は終わっておらず、現在、放射能汚染地の人々の危機が進行している中で、正気になる時が来たと言えるんじゃないですか」

 つまり、日本史上未曾有の原発事故とICRP勧告受諾が八月革命以来の国民主権を捨て、原子力ムラ主権に転換した「三月政変」を引き起こした転換点となる出来事だった。現在、もうひとつの核戦争の中にいる放射能汚染地の人々の危機が進行している中、私たちはこのことを思い出し、正気になる要がある、と。


日本現代史の正確な認識と異常事態の正常化
ただし、天皇主権が国民主権に変更された「八月革命」に対し、3.11事件=「三月政変」は方向が逆で、国民主権が独裁的な主権に変更された。その結果、2012年から官邸前にどれほど人々が集まり、声をあげても全く聞き入れられず、これを見た外国特派員が「ヨーロッパではあり得ない。日本は民主主義国家じゃない」と言ったのは文字通り正確な観察だった。2015年9月、国民投票による憲法改正をせず、解釈改憲で戦争法案を成立させてしまうのも「三月政変」の担当者にとって朝飯前のことである。未来の私たちの見取り図とその実行方法は既に「三月政変」で決まっている。
その結果、今この時点で、最大の犠牲者は放射能汚染地の人々とりわけ子どもたちである。と同時にそれは、私たち全員の未来の姿でもある。
この前代未聞の異常事態を私たちはただす必要がある。しかし、そのためには、大岡昇平が言ったように「広島・長崎の原爆投下と終戦を思い出し、正気に戻る」だけでは足りない。今の事態は3.11事件で国民主権が奪われているからである。そこで、主権を原子力ムラから国民の手に変更する必要がある。それは本来の主権者である私たちだけが成し遂げることができる事業、有能な一握りの専門家では不可能で、私たちひとりひとりが総結集するによって初めてなし遂げることができる事業である。この私たちがやらなかったら永遠にこのままである。
そのためには、私たちは正気に戻った上で、まず、
1、放射能に関する様々な基準・規制を、無条件で3.11前の状態に戻すこと。
この無条件復帰が不可欠である。しかし、それだけでは足りない。既に放射能災害が発生したからである。放射能災害で被害を受けた人々の救済に正面から取り組んでこそ初めて主権を国民に復帰させることができる。幸い、私たちにはそのお手本がある。チェルノブイリ事故後に旧ソ連で制定された世界初の放射能災害に関する人権宣言であるチェルノブイリ法である。それが、
2、放射能災害から国民の命と健康と生活を守る人権法を制定すること、すなわちチェルノブイリ法日本版を制定すること。

400以上の原発がある地球上で、いつどこで原発事故があってもおかしくない今日、今ここで、放射能災害から人々の命と健康と生活を守る人権法・人権宣言が地球上になくてはならない。この放射能災害に関する人権法・人権宣言制定の呼びかけは、5年前原発事故を起し、その猛省の上に立って今後チェルノブイリ法日本版を制定する日本から、そして憲法9条を持ち、国際平和を願って4年後に東京オリンピック・パラリンピックを開催する国日本から行うべきである。それが
3、原発を輸出するのではなく、チェルノブイリ法日本版を輸出すること、つまりチェルノブイリ法日本版を世界に輸出して、チェルノブイリ法国際条約が制定されるように率先して取り組むこと。

 以上の3つが2020年の東京オリンピック・パラリンピックまでに私たち主権者自身の手で成し遂げる最も大切な課題である。かつて中国の作家魯迅は道とは何かについて、こう書いた。
もともと地上には、道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ」(故郷)。それは「いかなる暗黒が思想の流れをせきとめようとも、いかなる悲惨が社会に襲いかかろうとも、いかなる罪悪が人道をけがそうとも、完全を求めてやまない人類の潜在力は、それらの障害物を踏みこえて前進せずにはいないものだ。」(随感録)

2020年、私たちは口先ではなくて、真実、この国の主権者としての地位に復帰し、命と健康と生活と平和を愛する地球市民として、胸を張って、全世界から人々を迎えたいと思う。



まとめ
3.11福島原発事故は二度発生した。二度目の3.11事件で、日本政府は国民主権を捨て、原子力ムラ主権を採ることに改めた(三月政変)。以後、原発に限らず、解釈改憲による戦争法案の成立など全ての分野にわたって異常事態が一気に加速した。
これらの異常事態の原点は3.11事件=見えない三月政変にある。
これらの異常事態を正常化するためには、原発事故の最大の被害者である放射能汚染地の人々の救済を実現し、主権を再び私たち市民の手に復帰させる必要がある。
その具体的な取組みが、放射能災害に関する世界最初の人権法・人権宣言であるチェルノブイリ法の日本版の制定である。
日本社会の再建と未来はこの原点を無視してはあり得ない。



[1]政治学者の丸山眞男が考え出し、憲法学者の宮沢俊義が丸山の了承を得て法学的に再構成したとされている今日までの通説(宮沢「八月革命と国民主権主義」19465月)。
[1] 日本政府に、緊急時被ばく状況、現存被ばく状況の名の下に年20100 mCv120mCvの大量被曝を容認した2007年勧告を実施するように求めた異例の勧告。
[2]福島県教育委員会等に宛て、文科省が、ICRP勧告を大義名分にして、暫定的に福島県内の小中学校等の安全基準として年20mSvを適用する通知

2016年1月23日土曜日

国連人権理事会のUPR(普遍的定期審査)を受けて、NGO合同記者会見から(2012.10.31)

2012年10月末、ジュネーブで開催した国連人権理事会のUPR(普遍的定期審査。今回の審査の対象が日本政府だった)に合わせ、ジュネーブの国連施設内で日本の人権NGOの主催によるサイドイベントが開催された。UPR終了後に、サイドイベントに出席したメンバーで合同記者会見を開いたときの発言です。

               ***************
                                  ふくしま集団疎開裁判弁護団 柳原敏夫

 今日のUPR審査を受けて、3つの印象があります。

1、一番目は世界各国は日本の人権状況について現状認識が全くできていないという印象です。
1回目の2008年のUPR審査の時の延長として、それとの連続性の中に、継続性の中にいるという認識をしているというふうに思いました。

しかし、日本は2011年の3月以降、人権状況は一変しています。
この時以来日本は放射性物質からの不断の攻撃という、言わば目に見えない、匂いもしない低線量被ばくの核戦争という戦争に突入し、今なお、その戦争の継続中にあります。

その戦争の最大の被害者は、子どもたちです。
彼らの命への脅威です。


この現状認識が世界の各国は全くできていないことに驚きを隠しきれません。

2、2番目は、死刑制度の熱心な言及があったことです。
「犯罪を犯し死刑判決を受けたものを救済すべきだ」という勧告をされていました。

だとすれば、福島の子供たちは犯罪も犯していないのに死刑と同様の命の危機にさらされています
このような福島の子どもたちは救済すべきだと勧告するのが当然だと思います。
死刑判決に言及する世界の人達は、
このような福島の子供たちも当然言及すべきだというふうに思いました。

3、最後は、オーストリアの政府が、唯一、福島の子どもたちの人権に言及したことです。

1960年代の最大の人権問題はベトナム戦争でしたが、
それが世界に認知されたのは5年以上かかりました。
しかもそれは市民たちチョムスキーたちの不断の取り組みによって、その認知がされました。

私たちも同じように、市民の不断の取り組みを通じて、
この福島の問題が日本のみならず、世界の最大の人権侵害の問題であるということを、
世界に認識してもらえるように取り組みをする決意を今日新たにしました。

以上です。



2015年6月9日火曜日

原発輸入国に世界標準のチェルノブイリ法の制定を実現させる問題提起について(2015.6.9)

 日本からのメッセージ(2017.6)(日本語版)(英語版)(韓国語版) 

3.11原発事故以来、福島(に限らず全ての汚染地)の子どもたちを被ばくから救済するという取り組み(司法的救済)に取り組んできました。
2011年4月、文科省の20ミリシーベルト引き上げの通知に接した時、文科省は気が狂ったのかと思いましたが、文科省はそのまま撤回しようとしないので、このような日本史上、最悪の集団的人権侵害=「人道に関する罪」が是正されない筈はないと思い、その是正を求めて「ふくしま集団疎開裁判」の申し立てに代理人の一人として参加しました。
しかし、半年後の野田の収束宣言と同日、同時刻にセットして訴え却下の決定が出たことを知った時、日本政府は日本史上、最悪の集団的人権侵害事件と独裁国家いう汚名を覚悟で、総力戦でこの問題を闇に葬る覚悟であることを思い知らされました。
 2011.12.16記者会見

そこから、私たちも総力戦で、この問題に立ち向かうしかないとしたら、どんな方法が可能か?
これを考えるために、この世界社会フォーラムに参加しました。

また、「ふくしま集団疎開裁判」に当初から一貫して支援のメッセージを寄せて来たチョムスキーが、昨年の来日の折、福島の人たちと面談し、世界市民とつながることについてアドバイスをもらいました。
 世界市民法廷に支持と支援の表明 
【第二次裁判=子ども脱被ばく裁判】チョムスキーからのメッセージ 
 ノーム・チョムスキー~ふくしまの声を聴く

今回、私が世界社会フォーラムに参加する国とりわけ、今後、日本から原発輸入する国の参加者にぜひとも訴えたいことは次の2つ(認識と実践)です。
1、認識
原発事故後、日本政府がやってきた最大のことは「事故を限りなく小さく見せること」です。それは、再稼動のみならず、原発輸出にとっても不可欠の要請だからです。原発輸入国が、原発事故の可能性に言及しても、「心配いらない。我々は事故を完全にコントロールしたから。その事故収拾マニュアルもセットで輸出するから安心するがよい」と答弁するシナリオができている。
 だから、原発輸入国の参加者には、それが日本史上の最大の「オレオレ詐欺」だということを分ってもらいたい。原発を輸入すれば、いつか必ず事故が起きる時が来る。そのとき、住民は救済されるのではなく、放置(見殺しに)されるのだということを、福島の現実から学んで欲しい。その生きた証言と記録(の1つ)が「ふくしま集団疎開裁判」の証拠である、と。
裁判の提出書類(日本語)

裁判の提出書類(英文)


2、実践
 その認識の上で、次の問題提起をしたいと考えています。
 日本政府は、3.11事故前、「原発事故は起きることは絶対ない」と太鼓判を押していた。にもかかわらず起きたということは、今後、原発輸入国でも、いつか必ず原発事故が起きる時が来る。輸入国の政府はその国民に対し「その場合でも、住民を見殺しにすることはしない」と今、約束させるべきです。それが、避難基準の世界標準と言われる「チェルノブイリ法(避難基準)」です。 
 
ウクライナでの事故への法的取り組み

その分りやすい解説

 旧ソ連では事故後5年経ってからこれを制定しました。崩壊寸前のガタガタのソ連ですら制定したのですから、原発輸入国でも制定は可能です。
つまり、これは原発輸入国にとって、事故時における国民の安全を本気で考えているのかどうかを裁く踏み絵(試金石)となるものです。この制定を嫌がるようでしたら、その国の政府は自国民を犠牲にする気であることが証明されます。その政府の反応を見て、そこから、その国の市民は原発輸入の是非を検討したらどうでしょうか。

これ以外にも、もっといいアクションがないかと思案中です。

単に、福島の過酷な現実を知って終わり、ではなく、今の福島が明日の原発輸入国の姿であることを理解し、そこから今できるアクションに行動を起こすことを願っています。

それが、福島の子どもたちの窮状を救う運動への共感・支援につながると考えています。

2015年5月27日水曜日

私の研究:予防原則と動的平衡から世界史を眺める(2011.1.6)

                                             2011.1.6. 柳原敏夫
 
 マーチン・ガードナーの「aha Gothaゆかいなパラドックス1」に、別の宇宙空間から地球にやって来た生物が地球の膨大な情報を持ち帰るのに1本の棒に1箇所だけ印をつければ足りると語り、地球人がビックリする話がある(9 驚異の暗号)。しかし、そのからくりは単純明快である。すっかり感心した私は由来、世界中の真理を1点の印に篭められないかと希うようになった。


 それから25年が経過し、2010年の夏、その印が手元に届けられた。柄谷行人著『世界史の構造』。その書物には次の言葉が何度も登場した――「交換様式」「抑圧されたものの回帰」

1991年にソ連が崩壊したとき、その意味をめぐってロシア革命にさかのぼって「失われた70年」が語られた一方、これは近代自身の意味が総体的に問われているのだとしてフランス革命にさかのぼって200年の歴史を問う人たちがいた。これに対し、『世界史の構造』は、これを農業革命の1万年前にさかのぼってその意味を問い直そうとするものだった。その際の印が「交換様式」だった。

数学においてはよく起こることだが、問題が極めて困難なとき、人類はそれまでとはちがった新たな方法が要求されていることを理解し、それを見出してきた。その結果、この新たな方法はその問題の解決が必要としたものよりもはるかに実り多い、適用範囲の広いものとなった。アーベル、ガロアの貢献は5次方程式を解くという個別の問題を完全に解いたばかりではなく、方程式の解法を超えた数学全体に新たな基本的な概念すなわち群の概念を与えたことにある(デーデキント「数について」(岩波文庫)の訳者河野伊三郎解説)。


ロシア革命の最大の謎は、ソビエト政権がなぜ70年しか続かなかったのかにあるのではなく、当時、「3日以上持たない」(ジョン・リード「世界をゆるがした十日間」(岩波文庫)上123頁)と言われた超劣悪な条件下での未熟児のソビエト政権がなぜ3日を遥かに超えて存命し得たのかにある(その誕生の謎が解けて初めてその終焉の意味も理解できる)。この極めて困難な問題は、これを解くのに人類にそれまでとはちがった新たな方法を要求した。柄谷行人の貢献は、ロシア革命という個別の難問を農業革命の1万年前にさかのぼって解こうとしたばかりではなく、それまでの「生産様式」という概念に代えて、世界史全体に新たな基本的な概念すなわち、「交換様式」の概念を与えたことにある。

もう1つ『世界史の構造』に何度も登場する言葉「抑圧されたものの回帰」――これはこれまで世界史に登場した3つの交換様式(さしあたりA・B・Cとよぶ)の次に来る、未来の交換様式D、これをもたらす力として捉えられていた。すなわち、世界史の最初の交換様式A「互酬性(贈与と返礼)」を支配原理とする氏族社会(ここでは贈与の力に支配されている)、そのあと登場した交換様式B「略取と再分配」を支配原理とする国家社会(ここでは暴力の力に支配されている)、さらにそのあと登場した交換様式C「商品交換」を支配原理とする資本制社会(ここでは貨幣の力に支配されている)に対し、それらを超えるものとして、交換様式Dを支配原理とする未来社会が構想されており、この来るべき交換様式Dとは交換様式Aの「互酬性」を高次元で回復するものとして捉えられていた。それはかつての氏族社会の支配原理であったにもかかわらず、その後、交換様式B・Cによって抑圧されてきた交換様式Aの「互酬性」を取り戻すという意味で、交換様式Aの回帰だった。


しかし、そこには1つの言葉が注意深く書き加えられていた――交換様式Aの互酬性の「高次元」の回復。単純な交換様式Aの互酬性の反復=先祖帰りはあり得ない。だとしたら、その「高次元」の回復はいかにして可能か。『世界史の構造』はその手がかりを、古代史の普遍宗教(ユダヤ教、キリスト教、仏教、、儒教、道教)に見出している。なぜなら、これら普遍宗教は、古代文明の各地で、ほぼ同時多発的に、互いに無関係に出現したが、いずれも、国家社会の初期(都市国家が互いに抗争し、広域国家を形成するまで)、貨幣経済の浸透と共同体的なものの衰退が顕著になる時期であり、そこでは、「砂漠に帰れ」というモーセの教えに端的に示されているように、かつて砂漠で過ごした遊牧民的な生き方、武装自弁の農民の生き方、つまり独立性と平等性の倫理を回復せよ、という氏族社会の交換様式Aの高次元での回復が示されているからである。

しかし、これらの普遍宗教はのちに普及すると共に、国家の宗教、共同体の宗教に変質・堕落した。それは普遍宗教が交換様式Dの原理を、主として倫理的な理念の次元でもたらしたものであっても、政治的、経済的システム(客体)の次元やそのシステムを担う市民(主体)の次元でもたらすものではなかったからである。だが、それは「原始キリスト教へ帰れ」に示されるように、たえず再生(ルネサンス)が試みられた。従って、世界史の特徴の1つは、三角関数のグラフとして描かれる波のような、普遍宗教の出現→国家・共同体の宗教に変質・堕落→普遍宗教の再生→変質・堕落→‥‥と捉えることができる。そして、もともと普遍宗教は国家の宗教や共同体の宗教に対する批判として出現したものだが、その批判の矛先は宗教(倫理的な理念)の次元にとどまらず、次第、その宗教が守ろうとする国家や共同体(政治的、経済的システム〔客体〕とその担い手〔主体〕)の次元に振り向けられていった。従って、それは宗教改革に限らない。近世のルネサンス運動、近代科学の誕生、ドイツの農民戦争(宗教改革者トマス・ミュンツァーに指導された農民蜂起)、日本の一向一揆(浄土真宗の僧蓮如や信徒たちが起こした一揆と自治組織)も含まれる。その直近の出来事がロシア革命ということができる。


しかし、かつてバビロン捕囚のユダヤ人、イエス、仏陀、孔子、老子らによって開示された普遍宗教の教えが倫理的な「理念」の次元で優れたものであっても、政治的、経済的システム(客体)の次元やその担い手(主体)の次元においては必ずしも十分ではなかった。そこになお、人類が全知性を傾倒して探究すべき課題があった。この課題に真正面から取り組んだのが『世界史の構造』である。くり返すが、この書物はそれまでの「生産様式」に代えて新しい概念「交換様式」を導入し、その意義を解明しようとした。これは過去の世界史の真理が篭められた1本の棒の1点の印であるばかりか、未来の世界史の扉を開けるための真理が篭められた1点の印という「可能性の中心」を秘めている。

ここで注目すべきことは、「交換様式」という概念が導入された背景として、これまでの「生産様式」が「人間と人間の関係」のことしか視野に入っていなかったのに対し、「人間と自然との関係」をも視野に入れ、「人間と自然との関係」の核心である「物質交換」(物質代謝)と共通する「交換」をキーワードにして「人間と人間の関係」を捉えようとしたことである。


こうした視点は柄谷行人の次の認識にも現れている――現在の人類は5,6万年前に数百人がアフリカから出て地球上に四散した段階で、言語や武器、技術、農業の知識を持っていたのに1万年前の農業革命に至るまでなぜこんなに時間がかかったのか?これだけの初期条件があればたちまち大文明が築けたのにそうならなかったのはなぜか? それは人類はある段階でこのような発展を抑止しようとし、また抑止するシステムを作り出した、それが互酬的交換であり、それに基づく氏族的社会構成体である。1万年前に農業革命があって、今や、地球環境を破壊するほどに産業化が急激に進んでいる、このような発展は奇跡的に見えるけれど、実はそうではない。奇跡的なのはむしろ、ほうっておけばすぐそこまで達するのに、それを5万年も抑止したことのほうにある。氏族社会は単に未開・未発達というべきではなく、むしろ破壊的や蓄積や発展を極力抑えるシステムとしてあった(「群像」201011月号132頁)。


これは近年の分子生物学の遺伝子解析の成果を思い出させる。遺伝子はタンパク質を作るための情報であり、それは主に生命活動を促進、発展させるものに役立つものだと考えられてきたが、近年は細胞の無際限な増殖(発ガン)を抑制する作用といった抑制面が注目されるようになった。つまり、細胞は、元々ほうっておけば容易に暴走する仕組みを内臓しており、それに対して、この暴走を極力抑える予防原則的なシステムが備わって初めて正常な生命活動が保たれていることが認識されるに至った。タンパク質の無際限の蓄積や発展はむしろ破壊的なのだ。しかし、「人間と人間の関係」においては、ここ200年余りの間に、無際限の蓄積や発展を進化・進歩のように思い込むようになった。その結果、人間社会では破壊的や蓄積や発展を極力抑えるシステムが働かなくなってしまった。しかし、無際限の蓄積や発展を抑制するシステムこそ生命誕生以来何十億年の生命の進化を支えてきた原理である。今、分子生物学の最新の成果から、タンパク質や細胞の破壊的な蓄積・発展を極力抑えバランスを保つという予防原則的なシステムによって支えられた生命の営みの歴史を学び、そこから人間社会の歴史を見つめ直す意味がある。


また、元来、生命現象は動的平衡つまり絶え間なく動きながら、できるだけ或る一定の状態=平衡を維持しようとする。生命現象に対する内外からの様々な影響・介入に対しても、動的平衡の「揺り戻し」は必然である。それらの影響・介入によって、いっとき別の状態に変化することがあっても、生命現象はそこにとどまることはなく、押せば押し返してくる、沈めようとすれば浮かび上がろうとして「揺り戻し」を起こす。その「揺り戻し」は偶然ではなく必然である。しかも、その「揺り戻し」は事後的とは限らず、ガン抑制遺伝子のように事前の予防原則的なものもある。さらに、その「揺り戻し」は生命現象に限られるわけではなく、人間社会にも当てはまる。それが「抑圧されたものの回帰」である。但し、どのような条件が備わったときに、どのような「揺り戻し」「回帰」になるかは千差万別だ。だとすれば、理念の次元のみならず、政治・経済のシステム(客体)とその担い手(主体)の次元において、どのような条件が揃えば、互酬性の「高次元」の回復という「揺り戻し」が達成されるのか、過去の世界史とくに普遍宗教の出現と再生の歴史に対して生命の営み(予防原則のシステムと動的平衡)から光をあて、そこから掴み取ったものを未来の世界史に投げ入れて互酬性の「高次元」の回復の可能性を検証したいと思う。今後、フリー(贈与)経済の浸透と共同体(国民国家、国民経済)的なものの衰退が益々顕著となる中で、人々は再び「砂漠に帰れ」=独立性と平等性の倫理を回復せよというモーセの教えがリアルに感じられる時代にいることを痛感し、予防原則と動的平衡の「揺り戻し」の大切さを身をもって知るであろうから。

これが私が取り組みたいと思っている事柄である。言い換えれば、氏族社会以後現在までの世界史を予防原則と動的平衡という視点から眺め、「抑圧されたものの回帰」を試みることである。

動的平衡から眺めた世界史:百万人の預言者の出現(2011.2.4)

                                           2011.2.4  柳原敏夫


言語学者ノーム・チョムスキーは、昨年12月チュニジアの一人の若者の抗議の焼身自殺に端を発して発生した中東の民衆の抗議行動について、2月2日次のようにコメントしている。

‥‥what’s happening is absolutely spectacular. The courage and determination and commitment of the demonstrators is remarkable. And whatever happens, these are moments that won’t be forgotten and are sure to have long-term consequences.  

 強権的な独裁者に支配されるエジプトで、これといった指導者もいない中で、瞬く間に百万人規模の抗議デモが出現したというのは、absolutely spectacularであり、殆ど奇跡のように思える。だから、チョムスキーは、たとえ抗議行動の未来は紆余曲折は避けられず予測困難だとしても、それは永遠に記憶されるべき出来事だと断言する。


では、どのような意味で、それが「永遠に記憶されるべき出来事」なのだろうか。私には、ここに「世界史の構造」の最も重要な瞬間が開示されているように思える。


テレビに登場する抗議行動の民衆の表情は確信にあふれていた。しかし、指導者なき民衆は、強権的な独裁者の抑圧をものともしない確信を一体どこからどうやって手に入れたのだろうか?人間以外の霊長類の群れなら、もし強権的なボスの抑圧があったとしても、このような抗議行動には出ないだろう。このような確信に満ちた反抗をしないだろう。「確信に支えられた抗議行動」が人類に特有なものだとして、人類は、別に誰かに教えてもらわないにもかかわらずそれをどうやって手に入れたのだろうか?

この謎を解き明かしてくれたのが、昨年出版された柄谷行人著『世界史の構造』に登場するキーワード「抑圧されたものの回帰」だった。「抑圧されたものの回帰」とは、人類の世界史に登場した3つの交換様式(さしあたりA・B・Cとよぶ)の次に来る、未来の交換様式D、これをもたらす力として捉えられていた。すなわち、世界史の最初の交換様式A「互酬性(贈与と返礼)」を支配原理とする氏族社会(ここでは贈与の力に支配されている)、そのあと登場した交換様式B「略取と再分配」を支配原理とする国家社会(ここでは暴力の力に支配されている)、さらにそのあと登場した交換様式C「商品交換」を支配原理とする資本制社会(ここでは貨幣の力に支配されている)に対し、それらを超えるものとして、交換様式Dを支配原理とする未来社会が構想されており、この来るべき交換様式Dとは交換様式Aの「互酬性」を高次元で回復するものとして捉えられていた。それはかつての氏族社会の支配原理であったにもかかわらず、その後、交換様式B・Cによって抑圧されてきた交換様式Aの「互酬性」を取り戻すという意味で、抑圧された交換様式Aの回帰だった。その端的な例が古代国家に普遍宗教として出現したユダヤ教である。エジプトで生まれた羊飼いモーセのところに、ある日神が現われ、エジプトの国家社会のもとで虐げられ、苦しんでいる民を救うように命じ、モーセは逡巡の末これを受け入れた。しかも揺るぎない「確信」として受け入れた。なぜなら、それは、人類がかつてお互いを等しくかつ独立して存在する者として認めてきた、砂漠で過ごした遊牧民的な生き方や武装自弁の農民の生き方を取り戻すことであったから。そこでは富や権力の偏在や格差を認めなかった。こうして、平凡な民衆の一人モーセは富や権力の偏在は「不正」として退場すべきであり、独立性と平等性の倫理を回復せよという「正義」を語る預言者に劇的に変貌を遂げたのである。


この意味で、モーセの変貌はひとりモーセにだけ特有なものではなかった。かつて、富や権力の偏在や格差を認めず、独立性と平等性の倫理が貫かれていた氏族社会の時代を経験してきた人類はその後も記憶の中をこれを深く刻み込んできたからである。だから、その後、抑圧や貧困や差別に苦しめられてきた多くの人々が、モーセの教えを聞いたとき、モーセと同様の体験=抑圧されたものの回帰を経験し、「人間生来の生き方」として独立性と平等性の倫理を回復せよという「正義」を受け入れたのである。


この「抑圧されたものの回帰」という経験がモーセから3000年経過した紀元後18世紀に至っても続いたことは、当時のアメリカ市民革命(独立戦争)と人類で最初に出現した人権宣言の記録からも明らかである。

「すべて人は、生来ひとしく自由かつ独立しており、一定の生来の権利を有するものである。これらの権利は、人民が社会を組織するにあたり、いかなる契約によっても、その子孫からこれを奪うことのできないものである。」(1776年のヴァージニア権利章典1条)

「国家は、人民、国家もしくは社会の利益、保護および安全のために樹立される。‥‥いかなる政府も、これらの目的に反するか、または不十分であると認められた場合には、社会の多数の者はその政府を改良し、改変し、または廃止する権利を有する。この権利は疑う余地のない、人に譲ることのできない、また棄てることのできないものである」(同3条)


 この人権宣言の起草者たちは、「すべて人は、生来ひとしく自由かつ独立して」いると確信したとき、意識せずして、独立性と平等性の倫理を回復せよという「モーセの教え」に回帰していたのである。

それから2世紀近く経って我が国に出現した憲法9条も同様である。「モーセの教え」を徹底化し、独立性と平等性を真に実現しようとしたら戦争放棄抜きには考えられないからである。憲法9条が奇跡に見えるとしたら、それはちょうど古代国家において「モーセの教え」が奇跡に見えたのと同様である。その「モーセの教え」がのちに人権宣言として実現されていったように、憲法9条も将来実現される運命にある。


それから半世紀以上経って、中東に世界史上初めて民衆による市民革命の機会が訪れたとき、民衆の胸の中に、富や権力の偏在や格差は認めない、独立性と平等性の倫理を実現せよという「正義」が響き渡っていたのは偶然ではない。それはちょうどヴァージニア権利章典や日本国憲法の起草者たちが意識せずに「モーセの教え」に回帰していたように、中東の民衆もまた知らずして「モーセの教え」に回帰していたのである。だから、先日の百万人規模の民衆の抗議行動は、平凡な民衆の一人だったモーセが「正義」を語る預言者に劇的に変貌したように、百万人の預言者が出現した劇的な出来事であった。その意味で、これは「抑圧されたものの回帰」の巨大な出現として「永遠に記憶されるべき出来事」なのだ。


実は、これは分子生物学のひとつの貴重な成果、「動的平衡」を思い出させる。元来、生命現象は動的平衡つまり絶え間なく動きながら、できるだけ或る一定の状態=平衡を維持しようとする。生命現象に対する内外からの様々な影響・介入に対しても、動的平衡の「揺り戻し」は必然である。それらの影響・介入によって、いっとき別の状態に変化することがあっても、生命現象はそこにとどまることはなく、押せば押し返してくる、沈めようとすれば浮かび上がろうとして「揺り戻し」を起こす。その「揺り戻し」は偶然ではなく必然である。そして、このような「揺り戻し」は生命現象に限られず、人間社会にも当てはまる。それが「抑圧されたものの回帰」であり、今回の中東の民衆の抗議行動である。但し、どのような条件が備わったときに、どんな「揺り戻し」「回帰」になるか、そのメカニズムがある筈である。このメカニズムの探究の中から、今後これらの条件を整えることに努めることによって、未来における民衆の「抑圧されたものの回帰」の巨大な出現をサポートすることが可能となるだろう。


世界史のもう1つの課題として、「抑圧されたものの回帰」の継続と発展のメカニズムを解明することがある。「抑圧されたものの回帰」は出現さえすれば、あとは自動的に順調に成長・発展するものではないからである。むしろ、必ず、別の「揺り戻し」がやってきて、その成長・発展を阻害しようとする。これは普遍宗教の限界の克服でもある。普遍宗教は出現したのちに普及すると共に国家の宗教、共同体の宗教に変質・堕落したからである。それは独立性と平等性を主に倫理の次元でもたらしたものであっても、政治的、経済的システム(客体)の次元やそのシステムを担う市民(主体)の次元でもたらすものではなかったからである。だとすれば、世界史の今後の課題は、政治・経済のシステムとその担い手の次元において、どのような条件が揃えば、独立性と平等性が回復されるのかを探究し、そして実行に移すことである。新聞は中東の民衆の抗議行動は持久戦に入ったと報じた。が、それはもはや独裁者が引き続き居座るといった次元の問題ではなく、「持久戦」の真の意味とは「抑圧されたものの回帰」の継続と発展に向けて中東の民衆が世界市民と手を携えて、終わりなき取り組みに踏み出したということである。                            
                                   (2011.2.4柳原敏夫)

2015年5月26日火曜日

呼びかけ:核問題のテーマ別世界社会フォーラムに関するメーリングリストへの参加(2015.5.26)

以下は、核問題のテーマ別世界社会フォーラムに関するメーリングリストへの参加の呼びかけ文(完成寸前)です。

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世界社会フォーラムの核問題に関するテーマ別フォーラム開催についての相談会への参加呼びかけ(修正版:2015/5/18



核問題に関する世界社会フォーラムの日本開催を検討するため、国内の相談会を立ち上げます。参加を希望される方、関心をお持ちの方は、呼びかけ世話人までご連絡ください。



呼びかけ世話人連絡先:小倉利丸

ogrnsknet.or.jp(*を@に変更して下さい

携帯:070-5553-5495(ショートメッセージ可)



■この相談会立ち上げの経緯

20153月にチュニジアで開催された世界社会フォーラム(WSF)において、原発問題についての二つの集まりがもたれました。これらの集まりは、原発のないブラジル連合(Coalition for a Brazil Free of Nuclearplants)が提案し、被ばく労働ネットと福島原発事故緊急会議も協力して開催されたものです。この集まりでは、福島現地で反原発運動を闘ってきた木幡ますみさんから福島現地の状況についての報告もなされ、また、日本の反原発運動の現状についても日本からの参加者などから発言がありました。原発のないブラジル連合から、2016年に核問題についてのテーマ別社会フォーラムを開催したいとの提案がありました。フォーラムの開催地として日本での開催を強く希望する内容でした。



■世界社会フォーラムとは

世界社会フォーラムは、20011月にブラジルのポルトアレグレで第一回が開催されました。同じ頃に毎年スイスのダボスで開催される「世界経済フォーラム」に対する「南」の地域からの対抗フォーラムとして、毎回数万人が集まる世界最大の反グーバリゼーション運動のフォーラムです。新自由主義的なグローバリゼーションが席巻するなかで「もうひとつの世界は可能だ」というスローガンのもと、政治、経済、社会のあり方を企業の金儲けに従属させずに、人々の生存の権利を第一にする社会システムへの転換を求めて、社会運動の多様性を尊重する運動として展開してきました。



■世界社会フォーラムの核問題に関するテーマ別フォーラム開催の提案



WSFの会期中に、上記の公式の集まりの他に、テーマ別世界社会フォーラムの実現可能性について何度か打ちあわせの会合も開かれ、これらの議論をふまえて、閉幕後の4月上旬に、原発のないブラジル連合のシコ・ウィタケーさんが起草した文章をもとに、以下にあるように、ブラジルと日本の団体が連名で「友人の皆さんへ」という文章を作成し、今後テーマ別世界社会フォーラムの開催について議論をしてゆくことになりました。以下がその「呼びかけ文」です。



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友人の皆さんへ、

201547日(日本語仮訳作成)

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私たちは核兵器と核の民生利用に反対するブラジル、フランス、日本の市民です。私たちは、201410月以来、2016年に日本あるいは他のどこかの場所で、核についてのテーマ別社会フォーラムの実施を提案するための議論を開始し、いくつかの会議をもってきました。また、日本の福島の原発被害者で反原発運動の活動家でもある方からの証言を聞く機会ももちました。



私たちは、この中で、政府や政党、宗教団体や私企業からは独立した市民社会のイニシアチブとしての世界社会フォーラムのプロセスと連携して、核エネルギーについてのテーマ別フォーラムを実現するための可能性を追求すべく行動することを決めました。



このメッセージは、以下の皆さんに、この議論に参加しこの提案を拡げるために参加を要請するものです。



―原発が既に立地している国や、原発ロビーがプラントを売りこもうとしている国の皆さん―冷戦期やポスト冷戦期に核実験によって被害を被ってきた国の皆さん―核兵器やウランを使用した兵器を保有している国の皆さん―ウランが採掘されている国の皆さん―核廃棄物(外国からの受け入れを含む)問題を抱えている国の皆さん―核関連施設での被ばく労働(外国での出稼ぎ労働を含む)問題を抱えている国の皆さん



参加に関心をお持ちの方は、「核に関するテーマ別社会フォーラム実現に向けて」(Towards the Thematic Forum Social on Nuclear (TowardsaTSP-N))のメーリングリストに参加されるよう要請します。



今後議論を経て、世界社会フォーラムの原則と方法に基づいて、フォーラムの実現に尽力する意思のある諸団体、フォーラムの実施場所を確定し、このフォーラムでどのようなことを議論すべきか、どのようにフォーラムを運営するかについて決定していきます。



テーマ別フォーラムの実施が可能となった場合、その具体的な実施段階として、地域の実行委員会や国際的な支援委員会を組織します。



メーリングリストでは私たちの闘いについての有益な情報を交換し、イベントや反原発運動のの現状を広く告知し、グローバルあるいは地域の行動を提起したり、核ロビーを挫くための既に進行中の行動や今後の行動提起などを支援し、原子力神話や原子力を受容するような動きを暴くことを目指します。これは、わたしたちの多様性を尊重し、わたしたちの間の連帯をより強いものとし、「グローバルな反核コミュニティ」を構築する相互コミュニケーションの手段ともなるでしょう。



今年はいくつかのグローバルな運動がアクティビストや市民社会の団体によって取り組まれます。(201511月、12月のパリCOP21など) こうした取り組みに関わるこのメーリングリストの参加者は、あらゆるこうした機会を捉えて私たち相互連携を強化する集会を計画する機会として利用したり、運動の経過やプログラムの進捗状況を確認したり行動を組織するチャンスにすることになるでしょう。



呼びかけ団体

被ばく労働を考えるネットワーク

福島原発事故緊急会議

ピープルズプラン研究所

ATTAC Japan(首都圏)

原発のないブラジル連合



メーリングリストへの参加希望者は下記にメールを送ってください。

ogrnsknet.or.jp(*を@に変更して下さい



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以上の「呼びかけ文」と相談会についての若干の補足の説明

原発と核兵器の両方を含む核問題は、日本国内に限れば、長い反対運動の歴史があり、多くの反核・反原発運動が草の根レベルから全国規模まで存在していますが、こうした運動の存在は、世界社会フォーラムを主要に担う第三世界の社会運動においてはむしろ稀だといってもいいと思います。
しかし、他方で、原発の第三世界への輸出圧力が急速にたかまっており、グローバルな「テロとの戦争」状態にあって、「核兵器」問題は一向に解決へと向う気配がないだけでなく、逆にこれまで以上に、人々の生存を脅かす深刻な不安全をもたらしかねないという現状があります。原発のないブラジル連合は、福島の事故後も原発推進の姿勢を変えない自国政府のエネルギー政策に強い危機感をもち、日本の反核・反原発運動の経験や福島の現状を是非世界の多くの運動と共有できるような場の設定が必要だとい
う切実な思いから、今回のような問題提起がなされました。

第三世界は、気候変動問題や石油資源問題などの国際的な要因を背景とした伝統的な開発・成長戦略が支配的であり、日本を含む先進諸国ばかりでなく中国など新興国もまた政府と業界が一体となって原発の輸出圧力を強めています。こうした中で、多くの地域では、チェルノブイリや福島の原発事故についてすら十分に知られていないだけでなく、原発の稼動が日常的に多くの被ばく労働をもたらし、放射性廃棄物の処理技術も未確立であることなどについても十分に知られてはいませんし、核兵器開発の技術的な前提条件にもなることなども重視されてはいません。農業が主要産業である諸地域にとって気候変動は深刻な問題として受けとめられていますが、原発がもたらす開発に伴う地域の破壊や環境汚染問題は相対的に軽視されているともいえます。とりわけ、世界社会フォーラムに関わってきた第三世界の多くの社会運動やNGOにとって「核」問題を主要な課題としている団体は多くはないのが現実です。

貧困、女性や少数民族の人権、パレスチナ問題や難民・移民問題、持続可能な社会といった世界社会フォーラムが主要にとりくんできた「もうひとつの世界」についての議論を核問題とつなげて、「核のないもうひとつの世界」へ向けた動きを創造することは、福島の事故にもかかわらず核エネルギーに固執し、広島・長崎を経験しながら「テロとの戦争」に加担しているこの国にいるわたしたちにとって、担うことが必要な課題の一つではないかと思います。(小倉利丸)


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J-tsf-n mailing list

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http://nonukesocialforum.org/mailman/listinfo/j-tsf-n

2015年5月20日水曜日

沖縄の農民「阿波根昌鴻(あはごんしょうこう)」さんの言葉(2015.6.20)

◎--キューバとペルーに出稼ぎに行き、無一文で帰国したあはごんさんが、京都の一燈園の西田天香さんのもとを尋ね、そこがすっかり気に入って同人になりたいと申し出た時、西田さんから「沖縄に帰って農業をした方がいい」と言われます。
それで、あはごんさんは「自分は、身体も弱く、土地もなく、農業の経験もない」と言ったら、こういわれたそうです。
「土地も経験もいらない。ただ1つ大切なことは、あなたが私欲のために働くか、それとも社会のために働くか、それによって成功するか失敗するか決まる。社会のために働くならばすべて必要に応じて与えられる」と。
                                    (「米軍と農民」11頁)


◎--だが、どんなに闘ってもなかなか基地はなくならない。戦争の準備はやめさせられない。しかも、今度は核戦争の準備をしておる。‥‥もし核戦争がおきたら、この地球にはもう住めないという、これは大変なことだ、それなのにこの戦争準備をとめられないのか。闘いを続けながらも、無力感を持ち、悩みました。
そうしたらですね、1959年のことでしたが、世界人権連盟議長のボールドウィンさんが那覇に来た。‥‥わしらは、「日米政府はわしらの家を焼 き、農民を縛り上げ、土地を取り上げて、核戦争の準備をしておりますが、これを止める方法がありましたら教えて下さい」と質問したのです。
どんなむずかしいことをいうか、と思っていたら、ボールドウィンさんの答えは簡単でした。
「みんなが反対すればやめさせられる」
こういわれたのです。わしらは考えました。みんなが反対すれば戦争はもうできないんだ、「ああ、これはそのとおりだ」とわしは納得しました。
わしが、自分の土地を基地に使わせないための闘いを続け、そして反戦平和のための運動を続ける上で、このことばは実に大きな支えとなったのであります。
                                   (「命こそ宝」11~12頁)


◎-- 真謝(まじゃ)農民は、沖縄全体もそうでありますが、戦争のことを語ろうとしません。思い出 すだけでも気が狂うほどの苦しみでありました。それと同様に、戦後の土地取り上げで米軍が襲いかかってきた当時のことも、話したがりません。みな、だまっ ています。 真謝(まじゃ)農民はたたかいました。だがそれ以上に、苦しみと犠牲は大きかったのでした。
だがその苦痛をふくめて、やはりわたしはお話しなければなりません。
                                   (「米軍と農民」18頁)


◎--かつてわしは、『米軍と農民』のはじめにこう書きました--伊江島の人は誰も戦争のことを語りたがりません。戦後の土地とり上げでアメリカ軍が襲いかかっ た当時のことも、語りたがらない。思い出すだけで気絶するほどの苦しみでありました。だが、その苦痛をふくめて、やはりわたしはお話しなければなりません --
その思いはいまもかわりません。なおいっそう強くなっております。命が粗末に扱われてはいけない、どうしても平和でなければいけない、つらくても語り伝えなければならない。
                                   (「命こそ宝」14頁)

   ******************************

 福島の人たちも変わらない。原発事故のことを語ろうとしません。思い出すだけでも気が狂うほどの苦しみでした。
それと同様に、事故後の「事故と被害を小さく見せる」ために襲いかかってきた数々の政策のことも話したがりません。みな、だまっています。 福島の人々は抵抗しました(福島県の健康管理調査に対して、23%しか回答しませんでした。国連人権理事会から日本に派遣された特別報告者も「大変低い数値」と指摘するほどです)。
だがそれ以上に、苦しみと犠牲は大きかったのです。
だがその苦痛をふくめて、やはり福島の人たちは話さなければなりません。でなければ、福島でまた再び、広島、長崎、沖縄、伊江島、チェルノブイリの悲劇をくり返すことになるからです。

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