本日、東京大学による「学問の自由」侵害事件の原告柳田辰雄教授の最終講義を行ない、
原告代理人柳原から「柳田辰雄VS東京大学『学問の自由侵害事件』の解説と
鼎談の最後でこれからの大学にどうあってほしいか」についてのコメントしました。
以下、その動画と解説資料をアップします。
その内容は、昨年末の以下の投稿の続きです。
福島原発事故後に専門家・研究者はなぜ隠れキリシタンみたいに沈黙しているのか?それは学問の自由の侵害と繋がっている(2017.12.23)
◎原告代理人柳原から「柳田辰雄VS東京大学『学問の自由侵害事件』の解説
◎解説資料->こちら
◎鼎談の最後「これからの大学にどうあってほしいか」についてのコメント
★判決の言渡し
この学融合をめぐる柳田辰雄VS東京大学『学問の自由侵害事件』の一審判決が3月15日(木)午前10時東京地裁4階411号法廷で言渡されます。学融合、学問の自由の侵害に関心のある方は注目下さい。
その詳細->こちら
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2018年3月4日日曜日
2018年3月1日木曜日
【報告】2月25日、光塾講演会(後半)「さよなら孤独、気立てのよい喜怒哀楽の法、チェルノブイリ法日本版制定への道」
◎3月18~19日、チェルノブイリ法日本版制定に取り組む市民団体<市民が育てる「チェルノブイリ法日本版」の会>の結成集会を開きます。詳細は-->こちら
2月25日、予定通り、光塾講演会(後半)「さよなら孤独、気立てのよい喜怒哀楽の法、チェルノブイリ法日本版制定への道」をやりました。以下、その講演動画と講演資料と補足のコメントです。
●牛山元美さん(さがみ生協病院 内科部長 3.11甲状腺がん子ども基金 顧問)
●柳原敏夫(ふくしま集団疎開裁判 元弁護団長)
そこで、この日の講演会で、この問題提起に対して自分なりに考えたことを喋りました。以下はそのメモです。
また、この問いに対する1つの答えとして(たとえこれに万の反論があるとしても)、一昨日、以下の新しいブログをスタートしました。
「もうひとりの日本人は可能だ」
→なぜ可能なのか。 忘れられた巨人「中世の民衆」の可能性を 再発見、再定義するために
*****************
市民立法のロードマップも条例モデル案もカタチになった。そこで次に必要なことは、そのカタチに魂を入れること。その入魂の力がないとカタチはあっても前に進まないから。
つまり、市民立法を推進するために、私たちはその力を手に入れる必要がある。力とは何か。
思うに、その力を得るためには、現状を正しく認識し、正しく絶望する必要がある。
311以後、あらわになったのは民意(主権)を反映しない議会制民主主義の機能不全、崩壊現象。
そこから今、多くの人たちは「民主主義の敗北・絶望から民意(主権)の敗北・絶望」の気分に陥っている。
しかし、それは「正しい絶望」ではない。
議会制民主主義の敗北は主権者の敗北などではなく、人々が主権者であることを棄てたことに対する懲罰にすぎない。
もともと議会制民主主義は人々が主権者であることを発揮し続けて初めて機能するあやういもの。
これが正しい絶望ではないか。
この正しい絶望から引き出せる結論は、議会制民主主義が敗北・廃棄されようが、私たちは主権者であることをやめないし、やめるわけにはいかない、これを取り戻す。
これが新たな民主主義の観念、市民立法の精神、そして私たちの決意だ。
市民立法とは壊れゆく日本の中で、主権者であることを取り戻す新たな民主主義の運動。
だから、市民立法の原動力は議員でも首長でもない、私たち市民ひとりひとりの手にかかっている。
2月25日、予定通り、光塾講演会(後半)「さよなら孤独、気立てのよい喜怒哀楽の法、チェルノブイリ法日本版制定への道」をやりました。以下、その講演動画と講演資料と補足のコメントです。
前半
◆◆「臨床医が語る、原発事故からの7年 ―子どもの甲状腺がんは?健康被害は?」◆◆ ●牛山元美さん(さがみ生協病院 内科部長 3.11甲状腺がん子ども基金 顧問)
牛山さんの講演資料-->こちら 後半◆◆「さよなら孤独、気立てのよい喜怒哀楽の法、チェルノブイリ法日本版制定への道」 ◆◆
●柳原敏夫(ふくしま集団疎開裁判 元弁護団長)
柳原の講演資料-->こちら ◎講師二人の意見交換と質疑応答 ※ なお、柳原の講演内容で十分話せなかった点について、以下に補足します。 それは、22日のチェルノブイリ法日本版の講演会(アドボカシー・カフェ)の最後で投げかけられた以下の発言です。 「日本は、いくら立派な法律をつくっても、憲法を平気で踏みにじる人が首相をやっているような国。その首相を選んでいるのが日本の国民。そんな国で、いくら立派な法律つくってどうすんのよ!」 とても印象的な発言で、私もこれが311以来、日本の市民運動が直面している普遍的な課題だと感じてきました。311以来、日本の市民運動は基本的に負け続けているからです。だから、この問いにどう答えるか。これがチェルノブイリ法日本版の制定運動が直面する最大の課題の1つ(殆ど唯一の課題)だと思います。
そこで、この日の講演会で、この問題提起に対して自分なりに考えたことを喋りました。以下はそのメモです。
また、この問いに対する1つの答えとして(たとえこれに万の反論があるとしても)、一昨日、以下の新しいブログをスタートしました。
「もうひとりの日本人は可能だ」
→なぜ可能なのか。 忘れられた巨人「中世の民衆」の可能性を 再発見、再定義するために
*****************
市民立法のロードマップも条例モデル案もカタチになった。そこで次に必要なことは、そのカタチに魂を入れること。その入魂の力がないとカタチはあっても前に進まないから。
つまり、市民立法を推進するために、私たちはその力を手に入れる必要がある。力とは何か。
思うに、その力を得るためには、現状を正しく認識し、正しく絶望する必要がある。
311以後、あらわになったのは民意(主権)を反映しない議会制民主主義の機能不全、崩壊現象。
そこから今、多くの人たちは「民主主義の敗北・絶望から民意(主権)の敗北・絶望」の気分に陥っている。
しかし、それは「正しい絶望」ではない。
議会制民主主義の敗北は主権者の敗北などではなく、人々が主権者であることを棄てたことに対する懲罰にすぎない。
もともと議会制民主主義は人々が主権者であることを発揮し続けて初めて機能するあやういもの。
これが正しい絶望ではないか。
この正しい絶望から引き出せる結論は、議会制民主主義が敗北・廃棄されようが、私たちは主権者であることをやめないし、やめるわけにはいかない、これを取り戻す。
これが新たな民主主義の観念、市民立法の精神、そして私たちの決意だ。
市民立法とは壊れゆく日本の中で、主権者であることを取り戻す新たな民主主義の運動。
だから、市民立法の原動力は議員でも首長でもない、私たち市民ひとりひとりの手にかかっている。
2018年2月23日金曜日
おまえのは概念法学だ。子どもの命が危ないのに救済しなくてよいはずはない。原子力ムラではそう考えないと言ったって、そんなことは理由にならない。問題の実質をよく見ろ。そのようなばかばかしい理由づけをするなど、もってのほかである。そんなことをするような人間は法律家をやめてしまえ。
「おまえのは概念法学だ。子どもの命が危ないのに救済しなくてよいはずはない。原子力ムラではそう考えないと言ったって、そんなことは理由にならない。問題の実質をよく見ろ。そのようなばかばかしい理由づけをするなど、もってのほかである。そんなことをするような人間は法律家をやめてしまえ。」
稀有な法学者である末弘厳太郎がもし生きて福島原発事故を体験し、「被ばくにより子どもたちの命・健康が危ないことは認めるが、小中学校を設置する郡山市には子どもたちを避難させる義務はない」と子どもたちの申立てを退けたふくしま集団疎開裁判の仙台高裁の2013年4月24日決定を読んだなら、80年前と同様、きっとこう言っただろう(その理由は後述のとおり)。
そして、チェルノブイリ法日本版を「あって当たり前。なくては生きていけない水や空気のようなものだ」と無条件に支持したでしょう。
そして、末弘厳太郎の弟子たちの川島武宜、戒能通孝もきっと同様に支持するだろうと確信します(その理由も近く書きます)。
そして、このコトバは、ひとり仙台高裁の裁判官に向けられたものではなく、全ての法律家と市民に向けて突きつけられた言葉です。
末弘厳太郎
以下は、末弘厳太郎がなぜ冒頭の言葉を吐いたと思うのか、その理由を述べた「『命こそ宝』という正義を求めて 」( 雑誌「法学セミナー」2014年2月号掲載)です。
*********************
『命こそ宝』という正義を求めて
1、はじめに
福島原発事故は日本史上最悪の人災です。それは事故後私たちを襲ったのが大量の放射性物質だけでなく、大量のマインドコントロールされた情報だという意味で。それは「不幸を忘れたい」という私たちの弱味につけ込み、事故を限りなく小さく見せ、人々を来るべき惨劇の扉の中に閉じ込めるものでした。他方、原発事故は「目に見えず、臭いも痛みもせず、被害の医学的解明も不十分な理想的な毒」による人災です。この未知との遭遇のため、我々の五感に写る光景は、3.11後もその前と変わらず、これがどれほどの惨劇をもたらすか普通に考えても誰も分りません。生き延びるためには、この欺瞞を見破ることが不可欠でした。その唯一の手段が視差の中で考えること、つまり2つの異なる立場から観察・比較し、その結果がもたらす「強い視差(ずれ)」を吟味することだとカントは指摘しました。それがチェルノブイリ事故との対比、3.11後の国や専門家の発言と3.11前のそれとの対比、安全・安心を口にする国・福島県の要人とその家族の実際の行動との対比です。その対比から見えてきた「強い視差」が福島の真実を誰の目にも分かる形で明らかにしました。それを最も徹底しようとしたのが「ふくしま集団疎開裁判」です。
その結果はからずも明らかになったことは、今回の苛酷事故で、原子炉が崩壊するという異常事態が起きただけではなく、国の立法・行政の破綻(機能不全)に続き、司法も破綻するという異常事態でした。「人権の最後の砦」である司法は、事実認定で子どもらの命に由々しい事態の進行が懸念されると認めながら、結論で国の宝である子どもの命を救うことを放棄したからです。衝撃を受けた(日本を除く)世界の主要メディアはこの恐るべき矛盾判決を一斉に報道しました。以下はその報告です。
2、「ふくしま集団疎開裁判」(一審 福島地方裁判所郡山支部)
2011年6月24日、郡山の小中学生14人が郡山市を相手に、自分たちを年1ミリシーベルト以下の安全な環境で教育を実施して欲しいと求めたのが「ふくしま集団疎開裁判」(仮処分)です。憲法26条で、子ども達は安全な環境で教育を受ける権利を保障されており、単に3.11前と変わらぬ環境で教育を実施して欲しいと、大人より放射能の感受性が3~5倍高いにもかかわらず年1ミリシーベルトという大人の安全基準に合わせて、ごくつつましい希望を表明したものです。
裁判所は、半年後の審理の後、野田前総理の「冷温停止状態」宣言の同年12月16日、却下決定を下しました。要点は次の3点です。
①.低線量の内部被ばくの危険性を裏付けるチェルノブイリ事故との対比に関する債権者の主張・証拠をことごとく斥けたこと。
決定は「個々の債権者らについて,その具体的な内部被ばくの有無及び程度は明らかにされていない」としてこれら全てを不採用。しかし、債権者がこれらの証拠を個々の債権者も含む郡山の子どもたち全員に妥当するとして提出していたことは今さら言うまでもありません。
②.申立ての趣旨を債権者の念押しを無視して読み替えること
当初、債務者の郡山市が「申立は郡山市の小中学生全員の疎開を求めるもので認められない」と誤解したので、債権者は「本申立て手続で求めるのはあくまでも14名の債権者の救済であって、郡山市の小中学生全員の救済ではない」と念押しました。にもかかわらず、決定は、再び「14名の申立は郡山市の全ての小中学生を有無を言わせず一律に疎開を求めるというものである」と申立を強引に読み替え、そこから「その要件は厳格に解する必要がある」という結論を引き出し、「債権者の生命身体に対する具体的に切迫した危険性があること」を要件としました。これは、本件で問題になる長期間の潜伏期を経て現われる晩発性障害で、子どもたちはガン・白血病等を発病しない限り避難を認めないという残忍酷薄な結果を意味します。
③.弁論主義に違反して、事実認定をしたこと。
決定は、「100ミリシーベルト未満の放射線量を受けた場合における晩発性障害の発生確率について実証的な裏付けがない」と事実認定し、いわゆる100ミリシーベルト問題が債権者の命に対する危険性の判断について重要な判断要素だとして、債権者らが通う学校の空間線量の値が年間100リシーベルト以上であることの証明はないとして申立を却下しました。
しかし、100ミリシーベルト問題は審理の中でいずれの当事者も一度も主張したことのない事実で、決定の中でいきなり登場したのです。
3、「ふくしま集団疎開裁判」(二審 仙台高等裁判所)
一審決定は、処分権主義、弁論主義、証拠裁判主義などの近代裁判の基本原則を否定して、14人の債権者及びこれと同様の危険な中にいる福島の子どもたち全員に向って「君たちは自己責任で避難しない限りどうなっても知らない」と宣言したもの、つまり巨大人災により歴史上初めて日本人を仕分けする宣言をした未曾有の人権侵害決定でした(直ちに仙台高裁に抗告)。
二審で、債権者が一審決定の誤りを詳細に明らかにした結果、二審決定は一審決定理由をすべて不採用。審理に1年4ヶ月かかり、その間、チェルノブイリ事故との対比に関する証拠を含め低線量の内部被ばくの危険性を証明する膨大な証拠(甲102~248)を提出しました。その結果、本年4月24日の決定で、債権者の事実主張を全面的に採用する次の事実認定がされました。
(1)、郡山市の子どもは低線量被ばくにより生命・健康に由々しい事態の進行が懸念される。
(2)、除染技術の未開発、仮置場問題の未解決等により除染は十分な成果が得られていない。
(3)、被ばくの危険を回避するためには、安全な他の地域に避難するしか手段がない。
(4)、「集団疎開」が子どもたちの被ばくの危険を回避する1つの抜本的方策として教育行政上考慮すべき選択肢である。
(2)、除染技術の未開発、仮置場問題の未解決等により除染は十分な成果が得られていない。
(3)、被ばくの危険を回避するためには、安全な他の地域に避難するしか手段がない。
(4)、「集団疎開」が子どもたちの被ばくの危険を回避する1つの抜本的方策として教育行政上考慮すべき選択肢である。
しかし、主文は却下。子どもを安全な環境で教育する憲法上の義務を負う郡山市に、郡山市の子どもを安全な他の地域に避難させる義務はないとしました。しかし、どうやってこの結論を上記の事実認定から導いたのかです。何度読み返しても私には理解不能です。この裁判では子どもの命に衝突する価値はありません。天災でも子どもの命があぶないと事実認定されたら、直ちにその救済がされます。ましてや本件は人災で、子どもは遊んで原発を壊したのでも誘致に賛成したのでもなく、事故に百%責任がありません。純然たる被害者であるこどもの命が救済されない理由はどうやっても見つけることは不可能です。これは法律以前の人類普遍の原理です。この決定を読んだ米国の人権活動家のチョムスキーはこう表明しました。これは全ての法律家に向けられたものでもあります。
「裁判所が、健康への危険性を認識しながら、にもかかわらず、子どもたちを福島の地域から避難させようとする試みを阻んだことを知り、本当に驚いています。最も傷つきやすいもの、この場合、最も大切な財産である子どもたちをどのように扱うか以上に社会のモラルの水準を物語るものはありません。この残酷な判決が覆されることを強く希望し、信じます。」
80 年前、若き川島武宜は研究会で判例の報告をした際、末弘厳太郎から
「そのようなばかばかしい判例評釈をするなど、もってのほかである。そんな判例研究するような人間は、法律学の勉強をやめてしまえ」、2回目の報告でも「おまえのは概念法学だ。稲というのは現実に植えつけた人間のものにならないはずはない。ドイツでそうでないなどと言ったって、そんなことは理由にならない。問題の実質をよく見ろ」
とこっぴどく叱られました(「ある法学者の軌跡」66頁~)。
「裁判所が、健康への危険性を認識しながら、にもかかわらず、子どもたちを福島の地域から避難させようとする試みを阻んだことを知り、本当に驚いています。最も傷つきやすいもの、この場合、最も大切な財産である子どもたちをどのように扱うか以上に社会のモラルの水準を物語るものはありません。この残酷な判決が覆されることを強く希望し、信じます。」
80 年前、若き川島武宜は研究会で判例の報告をした際、末弘厳太郎から
「そのようなばかばかしい判例評釈をするなど、もってのほかである。そんな判例研究するような人間は、法律学の勉強をやめてしまえ」、2回目の報告でも「おまえのは概念法学だ。稲というのは現実に植えつけた人間のものにならないはずはない。ドイツでそうでないなどと言ったって、そんなことは理由にならない。問題の実質をよく見ろ」
とこっぴどく叱られました(「ある法学者の軌跡」66頁~)。
末弘厳太郎が二審の決定を読んだら、裁判官に向かってこう言ったにちがいない。それは同時に全ての法律家に突きつけられた言葉です――おまえのは概念法学だ。子どもの命が危ないのに救済しなくてよいはずはない。原子力ムラではそう考えないと言ったって、そんなことは理由にならない。問題の実質をよく見ろ。そのようなばかばかしい理由づけをするなど、もってのほかである。そんなことをするような人間は法律家をやめてしまえ。
二審決定を読んだチョムスキーはメッセージを寄せ、「最も傷つきやすいもの、この場合、最も大切な財産である子どもたちをどのように扱うか以上に社会のモラルの水準を物語るものはありません。」と述べました。子どもの命を守るというのは人類普遍の正義です。この正義が回復するまで、その取組みがやむことはありません。
二審決定を読んだチョムスキーはメッセージを寄せ、「最も傷つきやすいもの、この場合、最も大切な財産である子どもたちをどのように扱うか以上に社会のモラルの水準を物語るものはありません。」と述べました。子どもの命を守るというのは人類普遍の正義です。この正義が回復するまで、その取組みがやむことはありません。
未来は私たちの手にかかっているのです。
2018年2月21日水曜日
命どぅ宝--福島脱被ばくの心--市民が育てる「チェルノブイリ法日本版」の会3.18-19結成集会
◎市民が育てる「チェルノブイリ法日本版」の会の公式ブログ-->こちら
《前置き》
福島原発事故について、人々とりわけ福島の人々はなぜ黙っているのか、なぜ被ばくについて喋らないのか、なぜもっと声をあげないのか--3.11以来ずっとこの問いがありました。
思うにそれは、福島の人たちが広島、長崎、沖縄の人たちと同じ経験をしてきたからです。
2012年12月に亡くなった「はだしのゲン」の作者中沢啓治さんは、「自伝」で、青春時代、原爆から逃げて逃げ回った自分について、こう語りました。
福島原発事故でも、見えない廃墟の中で生まれた赤ん坊の泣き声を聴いた人がいました。その人は、その泣き声に救われ、その泣き声を忘れず、この赤ん坊が成長し、のちに或るものを完成させたいと願った。
《前置き》
福島原発事故について、人々とりわけ福島の人々はなぜ黙っているのか、なぜ被ばくについて喋らないのか、なぜもっと声をあげないのか--3.11以来ずっとこの問いがありました。
思うにそれは、福島の人たちが広島、長崎、沖縄の人たちと同じ経験をしてきたからです。
2012年12月に亡くなった「はだしのゲン」の作者中沢啓治さんは、「自伝」で、青春時代、原爆から逃げて逃げ回った自分について、こう語りました。
広島で原爆を体験した子どもたちの作文を収録した 「原爆の子」(編者長田 新)で、兄を亡くした当時5歳の女の子は5年後にこう書きました。毎年、夏がくると「原爆!原爆!」とマスコミ等が騒ぎたて、私の気持ちは落ち込んで暗くなった。嫌でも広島の体験がよみがえり、やりきれない気持ちにさせられた。そして、自分が被ばくしたことで、なんか悪事を働いたような錯覚を覚えた。世の中の迷惑人間のように見る東京人の目の嫌らしさには、本当に腹が立った。‥‥広島にいたとき原爆という言葉が嫌いで逃げていたが、東京に住んでからは、ますます原爆という言葉が嫌いになって逃げ回った。酒場や会合などで同県人だと聞かされると、原爆の話題が出ないことを祈るように願った。‥‥私はもう二度と原爆という言葉を口にすまいと 決心した。本屋に行って書棚に原爆関係の本が並べられていると、目をそむけて通り過ぎた。新聞記事に原爆という文字が躍っていると、その記事は一切読まなかった。私は原爆という言葉と文字が本当に嫌いになった。(185~186頁)
沖縄戦を体験し、戦後、「銃剣とブルドーザー」で米軍に農地を取り上げられたの伊江島(いえしま)の西北端の真謝(まじゃ)の阿波根昌鴻(あはごんしょうこう)さんは、1973年の「米軍と農民」で、沈黙する沖縄の人たちについて、こう書きました。私は、 戦争のことを考えたり、原子爆弾の落ちた日のことを思い出すのは、ほんとうにきらいです。ご本を読んでも、戦争のところはぬかして読んでいます。戦争のニュースで、朝鮮の戦争の場面が出てくると、ぞっとします。学校の宿題が出ましたので、いやいやながら、こわごわ思い出して書きます。‥‥今から半年前に、十になる女の子が急に原子病にかかって、あたまのかみの毛がすっかりぬけて、ぼうずあたまになってしまい、日赤の先生がひっ死になって手当をしましたが、血をはいて二十日ほどで、とうとう死んでしまいました。戦争がすんだからもう六年目だというのに、まだこうして、あの日のことを思わせるような死にかたをするのかと思うと、私はぞっとします。死んだ人が、わたしたちと別の人とは思われません。私の家に、そんなことがおきたらどうしよう。私は原子病のくるしさをきいているだけに、おそろしくて、どうかして、それをわすれたいと思っています。‥‥広島に八月六日にいた人は、だれでも戦争がきらいだと思います。附ぞく小学校も、まだ戦争でいたんだところが、そのままで、なおっていません。私の家がびんぼうになったのも、たくさんの借家がたおれたり、やけたりしたからです。この八月六日は、お兄ちゃんの七周きです。その日が近づくとみんなが思い出すので、私はくるしく思います。(88~95頁)
真謝(まじゃ)農民は、沖縄全体もそうでありますが、戦争のことを語ろうとしません。思い出すだけでも気が狂うほどの苦しみでありました。それと同様に、戦後の土地取り上げで米軍が襲いかかってきた当時のことも、話したがりません。みな、だまっています。 真謝(まじゃ)農民はたたかいました。だがそれ以上に、苦しみと犠牲は大きかったのでした。それから20年後に書いた「命こそ宝」でも、阿波根さんはなぜこの本を書いたのか、こう述べました。
だがその苦痛をふくめて、やはりわたしはお話しなければなりません。(18頁)
福島の人たちも変わらない。原発事故のことを語ろうとしません。思い出すだけでも気が狂うほどの苦しみだったと思います。そして、原発事故後の「事故と被害を小さく見せる」ために襲いかかってきた数々の政策のことも話したがりません。みな、だまっています。 福島の人々は抵抗しました(福島県の健康管理調査に対して、23%しか回答しませんでした。国連人権理事会から日本に派遣された特別報告者も「大変低い数値」と指摘するほどです)。だがそれ以上に、苦しみと犠牲は大きかったのです。かつてわしは、『米軍と農民』のはじめにこう書きました--伊江島の人は誰も戦争のことを語りたがりません。戦後の土地とり上げでアメリカ軍が襲いかかった当時のことも、語りたがらない。思い出すだけで気絶するほどの苦しみでありました。だが、その苦痛をふくめて、やはりわたしはお話しなければなりません--その思いはいまもかわりません。なおいっそう強くなっております。命が粗末に扱われてはいけない、どうしても平和でなければいけない、つらくても語り伝えなければならない。(14頁)
だがその苦痛をふくめて、やはり福島の人たちは話さなければなりません。でなければ、福島でまた再び、広島、長崎、沖縄、伊江島、チェルノブイリの悲劇をくり返すことになるからです。
《本題》
原発事故で誰も被ばくしたくない。 それは「命どぅ宝」だからです。
原爆投下直後の広島の廃墟の中で生まれた赤ん坊の泣き声を聴いた人(※)がいました。その人は、その泣き声に救われ、その泣き声を忘れず、この赤ん坊が成長し、のちにドラマ「夢千代日記」が完成した。
福島原発事故でも、見えない廃墟の中で生まれた赤ん坊の泣き声を聴いた人がいました。その人は、その泣き声に救われ、その泣き声を忘れず、この赤ん坊が成長し、のちに或るものを完成させたいと願った。
そしたら、その赤ん坊の泣き声を聴いた人がほかにもいることを知りました。その人たちもまた、赤ん坊の泣き声に救われ、その泣き声を忘れない人たちでした。そして、その人たちの願っていることも一緒だったことを知りました。
その願いとは「命どぅ宝」を法律に翻訳した「チェルノブイリ法日本版」。
その人たちが一同に会して、原発事故の廃墟の中で聞いた赤ん坊の泣き声のように、絶望の淵にいた私たちの心を救った赤ん坊の泣き声のように、声をあげることにしました。
それが、以下の市民が育てる「チェルノブイリ法日本版」の会 結成集会です。
2018年1月8日月曜日
チェルノブイリ法日本版とかけて何と解く?予防原則、そして憲法9条と解く。その心は‥‥
◆チェルノブイリ法日本版は放射能災害において、人々の命、健康、暮らしをどう守るかについての解決策を示したものです。その解決策のエッセンスが予防原則です。
2015年、ノーベル文学賞を受賞したスベトラーナ・アレクシエービッチさんは、原発事故が人々に与えた影響について、こう指摘しました。
《チェルノブイリ事故は大惨事ではない、そこでは過去の経験はまったく役に立たない、チェルノブイリ後、私たちが住んでいるのは別の世界です。前の世界はなくなりました。でも、人々はそのことを考えたがらない。不意打ちを食らったからです‥‥何かが起きた。でも私たちはそのことを考える方法も、よく似た出来事も、体験も持たない。私たちの視力、聴力もそれについていけない。私たちの言葉(語彙)ですら役に立たない。私たちの内なる器官すべて、そのどれも不可能。チェルノブイリを理解するためには、人は自分自身の枠から出なくてはなりません。感覚の新しい歴史が始まったのです。》(「チェルノブイリの祈り」31頁)。
この意味で、チェルノブイリ法日本版は放射能災害という一種の核戦争時において、放射能から人々の命、健康、暮らしを守る「放射能災害の憲法9条」です。
(※)福島原発から放出された大量の放射性物質によって、外部から、そして体内に取り込まれ内部から、桁違いな量でくり返される核分裂と同時に発射される放射線とのたえまのない戦い(年間1mSvだけでも「毎秒1万本の放射線が体を被曝させるのが1年間続くもの」(矢ヶ崎克馬琉球大学名誉教授))を強いられているからです。「核分裂による放射線の被ばく」という、目に見えず、臭いもせず、痛みも感じない、私たちの日常感覚ではぜったい理解できない相手との戦いの中にほおり込まれています。それは放射性物質(核種)からの攻撃という意味で核戦争です。
2015年、ノーベル文学賞を受賞したスベトラーナ・アレクシエービッチさんは、原発事故が人々に与えた影響について、こう指摘しました。
《チェルノブイリ事故は大惨事ではない、そこでは過去の経験はまったく役に立たない、チェルノブイリ後、私たちが住んでいるのは別の世界です。前の世界はなくなりました。でも、人々はそのことを考えたがらない。不意打ちを食らったからです‥‥何かが起きた。でも私たちはそのことを考える方法も、よく似た出来事も、体験も持たない。私たちの視力、聴力もそれについていけない。私たちの言葉(語彙)ですら役に立たない。私たちの内なる器官すべて、そのどれも不可能。チェルノブイリを理解するためには、人は自分自身の枠から出なくてはなりません。感覚の新しい歴史が始まったのです。》(「チェルノブイリの祈り」31頁)。
例えば、人の即死のレベルである10シーベルトの放射能は通常のエネルギーに置き換えたとき、10ジュール/kgで、これは体温をわずか0.0024度上げるにすぎない(→落合栄一郎講演会)。たったこれだけのエネルギーが放射能ではなぜ人に即死をもたらすのか。このような謎に満ちた放射能災害は科学的知見など人類のこれまでの知識では理解不可能な、未知との遭遇です。
そのような未知との遭遇の中で人々の命、健康、暮らしを守るにはどうしたらよいか。
この点について、アレクシエービッチさんは、最初、放射能に勝てると思っていた人々の、その後の変化について、こう述べています。
《人々はチェルノブイリのことは誰もが忘れたがっています。最初は、チェルノブイリに勝つことができると思われていた。ところが、それが無意味な試みだと分かると、今度は口を閉ざしてしまったのです。自分たちが知らないもの、人類が知らないものから身を守ることは難しい。チェルノブイリは、私たちを、それまでの時代から別の時代へ連れていってしまったのです。その結果、私たちの目の前にあるのは、誰にとっても新しい現実です。‥‥ベラルーシの歴史は苦悩の歴史です。苦悩は私たちの避難場所です。信仰です。私たちは苦悩の催眠術にかかっている。‥‥何度もこんな気がしました。これは未来のことを書き記している‥‥》 (「チェルノブイリの祈り」33頁)
放射能災害で放射能に勝てると思ったら、その考えは人々を滅ぼす。 人間と違って、放射能に慈悲はなく、マインドコントロールも利かず、放射能は自己の自然的性質を無慈悲に貫徹するだけだからです。
そこで、放射能災害に直面して、放射能には勝てないと、つまり放射能の自然的性質に対し無力であることを認めた上で、人間が指針とすべき解決策とは何か。それが予防原則つまり、「将来取り返しのつかない事態が発生する恐れがあるものについて、その発生が起きないように前もって予防的な措置を取ること」です。
放射能災害の場合、この「予防的な措置」とは被ばくしないことです。具体的には、被ばくする場所・環境から逃げること、避難することです。この「予防的な措置」を国家の責任で実行することを明記したのがチェルノブイリ法日本版(→その条例モデル案)です。
くり返すと、
1、放射能災害において、人々の命、健康、暮らしを守る解決策のエッセンスは予防原則です。
2、予防原則を放射能災害に即して具体化したものがチェルノブイリ法日本版です。
◆未曾有の過酷事故である福島原発事故は、原爆とはちがうけれど、もうひとつの核戦争です。放射能汚染地域は桁違いな量でくり返される核分裂と同時に発射される放射線とのたえまのない戦いの世界だからです(※)。
この意味で、チェルノブイリ法日本版は放射能災害という一種の核戦争時において、放射能から人々の命、健康、暮らしを守る「放射能災害の憲法9条」です。
(※)福島原発から放出された大量の放射性物質によって、外部から、そして体内に取り込まれ内部から、桁違いな量でくり返される核分裂と同時に発射される放射線とのたえまのない戦い(年間1mSvだけでも「毎秒1万本の放射線が体を被曝させるのが1年間続くもの」(矢ヶ崎克馬琉球大学名誉教授))を強いられているからです。「核分裂による放射線の被ばく」という、目に見えず、臭いもせず、痛みも感じない、私たちの日常感覚ではぜったい理解できない相手との戦いの中にほおり込まれています。それは放射性物質(核種)からの攻撃という意味で核戦争です。
2018年1月6日土曜日
復興 わたしを被ばくにさらさないで
わたしは放射能で被ばくした者。
それはまだ終わっていない。
人々をマインドコントロールできたとしても、放射能をマインドコントロールすることはできない。
被ばくした者の切なる願い
被ばくから復興したい。
だから
わたしを被ばくにさらさないで。
それは
わたしは放射能で命を失いたくない。子どもの命を失いたくない。
わたしは放射能から命を守りたい。子どもの命を守りたい。
わたしは放射能で健康を失いたくない。子どもの健康を失いたくない。
わたしは放射能から健康を守りたい。子どもの健康を守りたい。
わたしは放射能で暮らしを失いたくない。子どもの暮らしを失いたくない。
わたしは放射能から暮らしを守りたい。子どもの暮らしを守りたい。
そして、
わたしは放射能で尊厳を失いたくない。子どもの尊厳を失いたくない。
わたしは放射能から人としての尊厳を守りたい。子どもの尊厳を守りたい。
わたしたちは放射能から復興したい。
それは
放射能から私たちの命、健康、暮らし、尊厳を守ること。
命の復興
健康の復興
暮らしの復興
尊厳の復興
これが復興の原点。
被ばく者の、被ばく者による、被ばく者のための復興がここから始まる。
これは
子どもたちの叫び。
子どもたちの命令。
その叫びをカタチにしたのがチェルノブイリ法日本版(※)。
だから、チェルノブイリ法日本版は子どもたちの叫び。
その命令をカタチにしたのがチェルノブイリ法日本版。
だから、チェルノブイリ法日本版は子どもたちの命令。
子どもはガマンしない。
私もガマンしない。
ここに私の尊厳はある。
子どもたちはガマンしない。
私たちもガマンしない。
ここに私たちの尊厳はある。
それはまだ終わっていない。
人々をマインドコントロールできたとしても、放射能をマインドコントロールすることはできない。
被ばくした者の切なる願い
被ばくから復興したい。
だから
わたしを被ばくにさらさないで。
それは
わたしは放射能で命を失いたくない。子どもの命を失いたくない。
わたしは放射能から命を守りたい。子どもの命を守りたい。
わたしは放射能で健康を失いたくない。子どもの健康を失いたくない。
わたしは放射能から健康を守りたい。子どもの健康を守りたい。
わたしは放射能で暮らしを失いたくない。子どもの暮らしを失いたくない。
わたしは放射能から暮らしを守りたい。子どもの暮らしを守りたい。
そして、
わたしは放射能で尊厳を失いたくない。子どもの尊厳を失いたくない。
わたしは放射能から人としての尊厳を守りたい。子どもの尊厳を守りたい。
わたしたちは放射能から復興したい。
それは
放射能から私たちの命、健康、暮らし、尊厳を守ること。
命の復興
健康の復興
暮らしの復興
尊厳の復興
これが復興の原点。
被ばく者の、被ばく者による、被ばく者のための復興がここから始まる。
これは
子どもたちの叫び。
子どもたちの命令。
その叫びをカタチにしたのがチェルノブイリ法日本版(※)。
だから、チェルノブイリ法日本版は子どもたちの叫び。
その命令をカタチにしたのがチェルノブイリ法日本版。
だから、チェルノブイリ法日本版は子どもたちの命令。
子どもはガマンしない。
私もガマンしない。
ここに私の尊厳はある。
子どもたちはガマンしない。
私たちもガマンしない。
ここに私たちの尊厳はある。
(※)参考:【チェルノブイリ法日本版】伊勢市条例(柳原案)
2018年1月4日木曜日
末人を超えて(自由の森で語る第1回自主講座「ゲスト柄谷行人」から)(1995年10月28日)
以下は、1995年10月28日、自由の森学園で開いた第1回自主講座で、ゲストの柄谷行人さんの発言です。
***************
司会
じゃ、最後にどうぞ。
父母
正直言って、僕、自由を本当に考えている人か、いや自分が不自由だということを真剣になって考えている人は、周り見て自分もよくよく考えてみると、ほとんどいないんじゃないかと感じています。
今自由じゃなくて、僕自身の今の状態、結構不安なんですよね。それで、自森の今状態なんかでも、すごく不安です、正直言って。
だからそういう意味で本当に自由っていうものは何なのかっていうことを問い直さなくてはならないんじゃないかなと思っているんです。
自分の家庭の中でもそうなんですけど、自分の本当の思っていることを言えないっていうか、表現するのが悪だという感覚があって、それを抜け出さなきゃならないんじゃないかな。そういう意味では先程の女性だけだとか、そういうふうな人しか小説なんか書けないっていうような論調に僕はとったんですけど、そうじゃなくてあらゆる人が言われていた今を認識するっていうか、そっから自由が“である"んじゃなくて“となる"というところに、自由が本当にあるんだということが言われていましたけれども、そういう意味で、あらゆる人が小説も書けるし、もの書きのもなれるし、創造者といようなものをやっていく可能性があるというか、そういうものを充分もっているんじゃないかと思うんです。
そういう意味で、自森の子供達の様子というか、僕なんか来るのは何か行事があったり、寮の父母なんですが、父母会のような時しか子供が見えないわけですね。だけど、表面みると、煙草吸ったり、トイレの中のドアが壊れたり、そういうような状態しか目にっかないんですけど、ぽけっとして、講堂なんかの子供達がやっていることとか、学園祭の時玄関ホールで中学生の女の子がコーラスをやっていましたけど、その中で強制されなくてやっている、輝いているものがあるんですよ。そういうものに心豊かにさせられる、引きっけられるんですが。こういうふうに自森、自由というものが成り立っているものだから、その中で育っているものを我々自身がもっと重視し、認識していかなければならないんじゃないか。その中で育つものに大きな希望があるんじゃないかということが今感じている素直な感想です。
柄谷
小説に関して言ったことは、貴方が言ったのとぜんぜん逆の意味ですよね。僕の言ったのは。簡単に言うと、小説が全く重要な意味をもった時期とそうでない時期があるということです。小説において、かって宗教がそうであったぐらいの情熱が注がれたわけです。
また、そのような器でもあった。戦後文学をみたら分かります。あらゆるものがそこに投げ込まれているわけです。今それをそれをやっている人がいて、この前埴谷雄高が発表しましたけど、彼は60年間同じものを書いているわけです。
しかし、今は小説はそのような器と成り得ないだろうと思うんですね。それは何も悪くないと思うんですよ。それはそれで。他にいろいろあるわけですから。昔みたいに何もなかったんだから、小説しかない、となるわけです。それから他のものがあまりにも脚光を浴びなさ過ぎるということがあるんですね。例えば野球だったら野球ばっかしで、他のスポーツはオリピックぐらいの時に騒がれて、やっぱりやる気がなくなるでしょ。そういう意味でいくと小説、小説と騒ぎ過ぎるなといいたい。なんなんだということでね。何もないじゃない。僕も批評家みたいなことで、最近選考委員なんかいくつかやっているんですけど、もう読むのもいやでね、なんだって、ものすごい時間のむだをしたっていう。昔のものはいいんですよ。だけど、今の小説を読むと、結局、時間を浪費した、そのなんていうか怒りで、耐えられないですね。
そのことは別にしまして、もう一っのことですけど、今日、柳原さん自身からも感じたことなんですけど、この学園は親が熱心ですよね(笑)。それで、こういう所に来るでしょ。ふっうはないんですよ、こういうことは。そのことだけでも、変わってるんですから(笑)。その場合、親の夢というものが入っていると思うんですけど、親は何者なのかっていうと、必ずその反面教師をもってきた人達ですよ。つまり、自由がなかった人達ですよ。ですから、子供にはそれをさせないようにする。そういうことがあるんです。しかし、そのような条件をもともともった子供達はどうなるのか、ということを考えていないと思うんです。おそらく、そこから今の問題(学内暴力事件)は出てきているはずなんです。ですから、それは重要な実験だと思うわけです。未来に関して。
歴史の終焉という議論があった時に、日系のアメリカ人でフランシス・フクヤマっていう人が、へ一ゲルをつかって書いたんですけどね。量後の人間っていうことを、“末人"というんですけどね、末の人っていう、これはですね、何をやっているかというと、だいたいそれを考えた人はフランシス・フクヤマではなくて、一人はコジェーブっていう東欧からフランスヘ行った人なんですけどね、その人がそういうことを言ったんですけど。
へ一ゲルから歴史の終わりにはどういう状態になるかと言った時に、彼は最初ね、アメリカ人のようになる。アメリカ人のようになる、どういうことかって言うと、動物性というか、精神が全くない。フロリダあたりで、もうひっくり返っているような人達、そういう感じでしょうね。しかし、そのコジェーブが1960年くらいに日本に来たんですね。そうするともう、考えを変えてね、本の第二版には、註にね、書き加えてるんです。「私は今まで歴史の終わりにはアメリカ人のようになるんだろうと思ったが、日本人のようになる。」(笑)。どういうことかって言うと、全く精神のない動物にはならない。だけど、精神的な闘争とかですね、へ一ゲルは闘争があることが精神なんですから、それがなくなった状態っていうのがどうなるかっていうと、本当は彼は、スノビズムといっているんですけど、いわゆるスノーブではないんですね。どういうことかって言うと、日本は1600年以降、歴史のない時代に入った。戦争が終わったわけですね。そうすると無意味なことをやる。まあ、生け花でも何でも。腹切りもそうなんですね。ほとんど無意味なことをプレイとしてやる。そのような、別に彼は日本の事をよく知っているわけでも何でもないですよ。ただ、ある意味で当たっていると思うんですが、彼が言うには、世界は今後日本化するだろう。そうするとね、僕が思うには、ある種の精神性を持たない、しかももう実現すべきものも何も持たなくなってしまって、最終段階っていうのは、どういうふうになるか。なんか、アメリカ的になるか、日本的になるか、確かそういう感じがするんですよ。
でも、僕はそれは、最後ではないと思っているんですよ。それはね、全世界がそうなるっていうことになった時はそうなる可能性もあるが、今の段階では、日本でそうなっていようと、外は違うんですね。外には貧困もあれば、もう絶望があるわけです。単純にあるわけです。そのようなことを全く無視していられる状況が、日本にあるだけなんですね。そうであれば、それは末人でもなんでもないわけです。最後の人間でも何でもないわけです。そのような条件そのものが崩壊する可能性もあるわけです。
ですから、僕はむしろ、認識っていっているのは、そういうことを認識するべく、やるべきだと思っているわけです。そうでないと、少なくとも、外からの緊張っていうのはここに入って来るはずですよね。それで、(自由の森という)場所だけで、場所として自由を確保していくというだけでは、結局はそれは耐えられないだろう。僕はやっぱりその、闘う用意をしておくべきだと、闘うというのは自由であるべく闘うという用意ですね。それをしてないと、まあ、末人のようになってしまうんじゃないか。
司会
最後に一言だけ、話をさせてください。今日長時間にわたって、柄谷さんにいろんな話をしていただいたんですけど、私自身、柄谷さんがこの学校に来てくれることが、まだ本当に半信半疑だったんですけど、最後に末人の話を聞きまして、少し納得がいきました(笑)。
やっぱり、ここは自由の実験をやるべく学校であるということですね。四苦八苦されると思いますが、そういう意味では非常に、やり甲斐のある学校であることを、柄谷さんから注目というか、認めてくれたということになりまして、またばかな親として、引き続きがんばろうと思います。
***************
司会
じゃ、最後にどうぞ。
父母
正直言って、僕、自由を本当に考えている人か、いや自分が不自由だということを真剣になって考えている人は、周り見て自分もよくよく考えてみると、ほとんどいないんじゃないかと感じています。
今自由じゃなくて、僕自身の今の状態、結構不安なんですよね。それで、自森の今状態なんかでも、すごく不安です、正直言って。
だからそういう意味で本当に自由っていうものは何なのかっていうことを問い直さなくてはならないんじゃないかなと思っているんです。
自分の家庭の中でもそうなんですけど、自分の本当の思っていることを言えないっていうか、表現するのが悪だという感覚があって、それを抜け出さなきゃならないんじゃないかな。そういう意味では先程の女性だけだとか、そういうふうな人しか小説なんか書けないっていうような論調に僕はとったんですけど、そうじゃなくてあらゆる人が言われていた今を認識するっていうか、そっから自由が“である"んじゃなくて“となる"というところに、自由が本当にあるんだということが言われていましたけれども、そういう意味で、あらゆる人が小説も書けるし、もの書きのもなれるし、創造者といようなものをやっていく可能性があるというか、そういうものを充分もっているんじゃないかと思うんです。
そういう意味で、自森の子供達の様子というか、僕なんか来るのは何か行事があったり、寮の父母なんですが、父母会のような時しか子供が見えないわけですね。だけど、表面みると、煙草吸ったり、トイレの中のドアが壊れたり、そういうような状態しか目にっかないんですけど、ぽけっとして、講堂なんかの子供達がやっていることとか、学園祭の時玄関ホールで中学生の女の子がコーラスをやっていましたけど、その中で強制されなくてやっている、輝いているものがあるんですよ。そういうものに心豊かにさせられる、引きっけられるんですが。こういうふうに自森、自由というものが成り立っているものだから、その中で育っているものを我々自身がもっと重視し、認識していかなければならないんじゃないか。その中で育つものに大きな希望があるんじゃないかということが今感じている素直な感想です。
柄谷
小説に関して言ったことは、貴方が言ったのとぜんぜん逆の意味ですよね。僕の言ったのは。簡単に言うと、小説が全く重要な意味をもった時期とそうでない時期があるということです。小説において、かって宗教がそうであったぐらいの情熱が注がれたわけです。
また、そのような器でもあった。戦後文学をみたら分かります。あらゆるものがそこに投げ込まれているわけです。今それをそれをやっている人がいて、この前埴谷雄高が発表しましたけど、彼は60年間同じものを書いているわけです。
しかし、今は小説はそのような器と成り得ないだろうと思うんですね。それは何も悪くないと思うんですよ。それはそれで。他にいろいろあるわけですから。昔みたいに何もなかったんだから、小説しかない、となるわけです。それから他のものがあまりにも脚光を浴びなさ過ぎるということがあるんですね。例えば野球だったら野球ばっかしで、他のスポーツはオリピックぐらいの時に騒がれて、やっぱりやる気がなくなるでしょ。そういう意味でいくと小説、小説と騒ぎ過ぎるなといいたい。なんなんだということでね。何もないじゃない。僕も批評家みたいなことで、最近選考委員なんかいくつかやっているんですけど、もう読むのもいやでね、なんだって、ものすごい時間のむだをしたっていう。昔のものはいいんですよ。だけど、今の小説を読むと、結局、時間を浪費した、そのなんていうか怒りで、耐えられないですね。
そのことは別にしまして、もう一っのことですけど、今日、柳原さん自身からも感じたことなんですけど、この学園は親が熱心ですよね(笑)。それで、こういう所に来るでしょ。ふっうはないんですよ、こういうことは。そのことだけでも、変わってるんですから(笑)。その場合、親の夢というものが入っていると思うんですけど、親は何者なのかっていうと、必ずその反面教師をもってきた人達ですよ。つまり、自由がなかった人達ですよ。ですから、子供にはそれをさせないようにする。そういうことがあるんです。しかし、そのような条件をもともともった子供達はどうなるのか、ということを考えていないと思うんです。おそらく、そこから今の問題(学内暴力事件)は出てきているはずなんです。ですから、それは重要な実験だと思うわけです。未来に関して。
歴史の終焉という議論があった時に、日系のアメリカ人でフランシス・フクヤマっていう人が、へ一ゲルをつかって書いたんですけどね。量後の人間っていうことを、“末人"というんですけどね、末の人っていう、これはですね、何をやっているかというと、だいたいそれを考えた人はフランシス・フクヤマではなくて、一人はコジェーブっていう東欧からフランスヘ行った人なんですけどね、その人がそういうことを言ったんですけど。
へ一ゲルから歴史の終わりにはどういう状態になるかと言った時に、彼は最初ね、アメリカ人のようになる。アメリカ人のようになる、どういうことかって言うと、動物性というか、精神が全くない。フロリダあたりで、もうひっくり返っているような人達、そういう感じでしょうね。しかし、そのコジェーブが1960年くらいに日本に来たんですね。そうするともう、考えを変えてね、本の第二版には、註にね、書き加えてるんです。「私は今まで歴史の終わりにはアメリカ人のようになるんだろうと思ったが、日本人のようになる。」(笑)。どういうことかって言うと、全く精神のない動物にはならない。だけど、精神的な闘争とかですね、へ一ゲルは闘争があることが精神なんですから、それがなくなった状態っていうのがどうなるかっていうと、本当は彼は、スノビズムといっているんですけど、いわゆるスノーブではないんですね。どういうことかって言うと、日本は1600年以降、歴史のない時代に入った。戦争が終わったわけですね。そうすると無意味なことをやる。まあ、生け花でも何でも。腹切りもそうなんですね。ほとんど無意味なことをプレイとしてやる。そのような、別に彼は日本の事をよく知っているわけでも何でもないですよ。ただ、ある意味で当たっていると思うんですが、彼が言うには、世界は今後日本化するだろう。そうするとね、僕が思うには、ある種の精神性を持たない、しかももう実現すべきものも何も持たなくなってしまって、最終段階っていうのは、どういうふうになるか。なんか、アメリカ的になるか、日本的になるか、確かそういう感じがするんですよ。
でも、僕はそれは、最後ではないと思っているんですよ。それはね、全世界がそうなるっていうことになった時はそうなる可能性もあるが、今の段階では、日本でそうなっていようと、外は違うんですね。外には貧困もあれば、もう絶望があるわけです。単純にあるわけです。そのようなことを全く無視していられる状況が、日本にあるだけなんですね。そうであれば、それは末人でもなんでもないわけです。最後の人間でも何でもないわけです。そのような条件そのものが崩壊する可能性もあるわけです。
ですから、僕はむしろ、認識っていっているのは、そういうことを認識するべく、やるべきだと思っているわけです。そうでないと、少なくとも、外からの緊張っていうのはここに入って来るはずですよね。それで、(自由の森という)場所だけで、場所として自由を確保していくというだけでは、結局はそれは耐えられないだろう。僕はやっぱりその、闘う用意をしておくべきだと、闘うというのは自由であるべく闘うという用意ですね。それをしてないと、まあ、末人のようになってしまうんじゃないか。
司会
最後に一言だけ、話をさせてください。今日長時間にわたって、柄谷さんにいろんな話をしていただいたんですけど、私自身、柄谷さんがこの学校に来てくれることが、まだ本当に半信半疑だったんですけど、最後に末人の話を聞きまして、少し納得がいきました(笑)。
やっぱり、ここは自由の実験をやるべく学校であるということですね。四苦八苦されると思いますが、そういう意味では非常に、やり甲斐のある学校であることを、柄谷さんから注目というか、認めてくれたということになりまして、またばかな親として、引き続きがんばろうと思います。
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