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2011年4月25日月曜日

被ばくから遠く離れてをめざして:市民の、市民による、市民のための原発事故の救済を求めて

2011年3月11日の福島原発事故。
それは21世紀の日本史の転換となるエポックメイキングの出来事(それは現在進行中)。

以下、その大転換に遭遇した者が、その直後から約1ヶ月半自宅に引きこもり、全世界に救済を求めて発信した「市民の、市民による、市民のための原発事故の救済」の情報発信の記録。
Nuclear Power Countermeasures of the people, by the people, for the people

日本語版
市民の、市民による、市民のための原発事故対策

これを書いた後、5月17日、家から外に出て、初めて郡山市に向かい、矢ヶ崎克馬さんの講演を聞いた(>動画)。
5月22日、ふくしま集団疎開裁判の原告探しに、こども福島の会合が開かれた郡山市に出かけ(>動画)、そこで出会った14名の小中学生と共にふくしま集団疎開裁判を提訴(>動画)。
同時に、これが私のチェルノブイリ法日本版の出発点。