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2017年11月29日水曜日
Q:私たちは何者なのか?A:私たちは産婆である。
「こんな取り組みに参加する私たちって何者だろう?」
と思ったとき、ごく自然に、
「私たちは、産婆さんなんだ」
と思えてきました。
それは、
「私たちの目の前にいる市民ひとりひとりにとって産婆さんになろうとすること」
という意味です。
それは何のために?--それはこういうためにです。
私たちの目の前にいる市民ひとりひとりの心の中には「放射能災害による被ばくから命、健康、暮らしを守るために人々には本来、避難する権利があり、それを保障するチェルノブイリ法日本版は当然、制定されなければならない」という天命が宿っています。
ただし、それは心の中に宿っていても、必ずしも自覚されて自然に外に出てくるとは限りません。
だから、それを自覚し、外に取り出し、カタチにする必要があります。
その出産を手助けするのが産婆=私たちなんじゃないか、という意味です。
人々の中に眠っている天命が目を覚まし、出産できるようにそばで手助けすること、これが私たちのやれること、やることではないかと思いました。
人々の心の中にある天命が目覚め、天命を発見することはその人自身にしかできないことです。私たちは、それを難産にならずにできるだけスムーズに誕生することを手助けすこと、これが私たちの取り組みのエッセンスなんだと思いました。
これが分かって、私たちは力まず、力を抜いて、ぶれずにこの市民立法の取り組みをやっていけるのではないかという気になりました。
311後に最も必要なことは「被ばくから命、健康、暮らしを守る『避難の権利』を保障するチェルノブイリ法日本版」を市民の手で制定することです(2017年11月29日)
正しい事実認定を行いながら、理解不可能な法的判断を下した仙台高裁決定をただすため、2014年8月に第二次のふくしま集団疎開裁判(子ども脱被ばく裁判)を提訴しましたが、今度は被告が国、福島県計7名にのぼり、長期戦を余儀なくされたため、チョムスキーからの指摘を受けて試行錯誤した末、できるかぎり早期の救済実現のため、上記裁判と同時並行で、2016年3月、市民立法=市民による法律制定の取り組みを始めました(以下、その告知文)。
◆放射能から命を守ること=避難することは人権です。 市民のネットワークで作る人権法=チェルノブイリ法日本版制定の市民運動をスタート!
◎モントリオール
◆2016.9.3世界社会フォーラム報告会の開催 当事者が立ち上がらねば!
(事故から26年後の)いま思えば、この時チェルノブイリの事故の影響が人々の間に、何も知らされないまま、じわじわと広がっていたのだ。 ‥‥
事故後3年間は、チェルノブイリ事故の情報はひた隠しにされていた。‥‥それよりも、目の前で起きている世界を2分してきた社会主義のリーダー、ソ連ががらがらと音を立てて崩壊していくさまに心を奪われていた。
あの時、チェルノブイリの事故にもっと注意を向けるべきだった。今回取材をする中で痛感した。》(「低線量汚染地域からの報告―チェルノブイリ 26年後の健康被害」44~46頁)
だから、条例からスタートしてチェルノブイリ法日本版を制定しようという市民運動の提案は、この2つの亀裂の統合をめざすものでした。つまり、直接民主主義に敏感な人たちに対しては、放射能の内部被ばくの危険性を知り、被ばくから避難する権利の保障の重要性、すなわちチェルノブイリ法日本版の制定の重要性を確信してほしい。他方、放射能の内部被ばくに敏感な人たちに対しては、機能不全の議会制民主主義(お任せ民主主義)に一喜一憂するのではなく、直接民主主義の可能性に目を向け、直接民主主義の取り組みに自信をもって大胆に挑戦して欲しい。そう願っています。
2017年11月27日月曜日
チェルノブイリ法日本版の条例制定を一緒にやりませんか(2017.5)
原文は-->こちら
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しかし原発からまき散らされた放射性物質から日々発射される放射線の脅威を考えたとき、これらの取組みはまだまだ必要なものです。では、前例のない過酷事故に対して私たちはどうしたらよいのでしょうか。正直、途方に暮れます。しかし、幸い私たちには前例から学ぶべきお手本が2つあります。
1つは放射能災害に対して命と健康と暮らしを保障したチェルノブイリ法です。これは、放射能災害に見舞われた人たちがひとしく守られるべき、放射能災害に関する世界最初の人類普遍の人権宣言です。これを参考に、日本でもそれに添うような法を作るべきだと強く感じています。
もう1つは、「情報公開」の法律を日本各地の市民の手で制定した経験です。日本各地の自治体で地元市民と議員と首長が協力して情報公開の条例を制定し、その条例制定の積み重ねの中から1999年に情報公開法が制定されました。この経験を参考に、チェルノブイリ法日本版を条例制定からスタートすべきだと強く感じています。放射能災害から命と健康と暮らしを保障するチェルノブイリ法日本版の条例をあなたの住む自治体で市民の手で制定していきませんか。どうか、以下の文をご一読いただき、この条例制定の取組みに賛同し、そして、共に参加いただけますよう心からお願いいたします。
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チェルノブイリ原発事故から5年後、旧ソ連でいわゆるチェルノブイリ法が制定され、ウクライナ、ロシア、ベラルーシに引き継がれました。これら各国政府はチェルノブイリ法に則って、原発事故により放射能汚染された住民に避難の権利を保障し、また強制避難地域の住民の生活補償にあたってきました。3ヵ国ともに経済状況が良好とは言えないため、補償が法律通り実施できない状況ですが、少なくともチェルノブイリ法は原発事故の責任主体が国家であることを明記し、年間被曝量が1ミリシーベルトを超える地域に住むすべての住民に無条件で避難の権利を保障する画期的なものでした。
一方、福島では事故前の1ミリシーベルトの安全基準は事故後に20ミリシーベルトに引き上げられ、それが現在まで安全基準となり、帰還基準とされています。健康被害に対する救済についても、県民健康調査でこれまでに見つかった甲状腺がんは放射線が原因とは考えにくいとの理由から抜本的な対策が取られないままです。チェルノブイリ法が年間1ミリを基準として、原発事故で健康被害の可能性があればすべて救済しているのとは対照的です。実は旧ソ連でもチェルノブイリ原発事故直後、住民の許容被ばく線量が百倍に引き上げられ、チェルノブイリ法制定時にも100ミリシーベルトで問題ないとする見解もありました。しかし、事故処理にあたった労働者などの声に押され国際基準の1ミリになったものです。悲痛な原発事故を体験した日本でも、命こそ宝という原点に立って、良識ある市民がチェルノブイリ法日本版制定について声を上げ、その実現に向けて行動を起こすことが必要だと思います。
この取り組みに賛同し、参加してみたいと思う方は、私たちとつながり、一緒に条例のモデル案や条例制定の手順などを相談しながら取り組みませんか。
2017年5月
noam*m6.dion.ne.jp (柳原敏夫)
安藤雅樹(弁護士 「まつもと子ども留学基金」監事)
岡田俊子(脱被ばく実現ネット)
柳原敏夫(ふくしま集団疎開裁判・元弁護団長)
2017年11月24日金曜日
Un appel à travailler ensemble pour l'implantation de la « Loi de Tchernobyl » au Japon
-->The above call(In Japanese)
チェルノブイリ法日本版制定の市民運動のモデルの1つ:60年前、杉並で始まった水爆禁止署名運動
原水禁運動は日本史上最大の市民運動です。その発端となったのが杉並で始まった水爆禁止署名運動です。→出典「杉並で始まった原水爆禁止署名運動」
■起■ 瞬く間に集まった署名-その数は1ヶ月で26万。
公民館講座室風景(中央 安井郁氏)
運動の中心となった安井郁館長は、公民館で学びはじめた主婦たちの読書会「杉の子会」や婦人団体協議会 (安井館長の呼びかけにより杉並の婦人団体が結集した組織)参加の42団体等をひろく横につなぎながら、この「杉並協議会」を核にして、原水禁署名運動に 取り組んでいきました。婦人たちは、お互いに区域の担当を決め、署名簿をかかえて、戸口から戸口へと署名を求めて歩いたと言います。納得して署名してもらうという丁寧さだったにもかわらず、一人で何千という署名を集めた人たちもいました。地域にねざす民衆運動(市民運動)の新しいタイプとして注目されるものでした。
1954年5月13日から始まった署名運動は、6月20日に259,508名に、6月24日には265,124名に達するという数字が記録されました。当時の杉並区人口は約39万、その7割に近い署名は驚くべき数です。二重署名を自戒していたし、他区の数字が若干含まれているとしても、地域からの平和運動に杉並区の住民が一丸となって取り組んできたことを数字は示しています。
館長室で署名簿を整理する婦人たち
■承■ 原水禁運動の爆発的発展--ビキニ事件と放射能の脅威--
水爆禁止署名運動杉並協議会ニュース(1954年年6月27日発行)
「原水爆禁止」の署名運動は、全国各地で一斉に開始され、運動は火のように全国津々浦々の町、村、職場に燃え広がり、あらゆる市町村会議で「核実験反対」「核兵器禁止」が決議されました。
■転■ 原水禁世界大会の開催
(1)過去1年間の署名運動を総括し、世界の運動と交流して今後の方向を明らかにする。
(2)あらゆる党派と思想的イデオロギー的立場や社会体制の相違をこえて、原水爆禁止の一点で結集する人類の普遍的集会、
と規定しました。
■結■ 原爆反対の声は政府を動かし、世界に響く
3000万人をこえる「原水爆実験禁止署名」は、これまでの日本の運動では最大の運動でした。これに参加した団体は、労組や民主団体だけではなく、むしろ保守的傾向の強い地域婦人会、青年団も含まれており、地方自治体もぞくぞく反対の決議を行ない、原水禁運動に協力した。また学術団体や社会団体(日赤など)や水産業界もこの運動を支持したのでした。
2017年11月16日木曜日
チェルノブイリ法日本版の制定は私たちの意思で決められることではなく、子どもたちの命令である(11.11新宿デモのスピーチから)
被ばくから子どもたちの命、健康、暮らしを守るチェルノブイリ法日本版の制定は大人たちの意思で自由に決められることではなく、天子である子どもたちの命令です。
これは、2017年11月11日の「脱被ばく」を求める新宿デモでスピーチした以下の話(ただし、後半加筆)の中の一節です。
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思ったままに言いたいことを率直に語るのが、このデモの意味、大切なところです。
その積りで、私も率直に話します。
先日、子ども人権裁判の原告のお母さんの陳述書を作成するため、ヒアリングをしました。その中で、2011年4月に文科省が出した20ミリシーベルト引き上げの通知をどう思いましたか?と尋ねたところ、このお母さん曰く、
「バカじゃないの、文科省は‥‥」
これが福島のお母さんの率直な気持ちです--文科省は原発事故後の自らの行動によって、自らを存在しないにひとしい、ゴミみたいな存在に貶めたのです。
‥‥‥‥
中国では、昔、王さまのことを天子と呼びました。王さまは、絶対者である天の委託を受け、天の代理、いわば天の子として、人民のために天命を実行し、人民を支配する存在だったからです。王さまが王さまである所以・根拠は、血統ではなく、もっぱら天命を忠実に実行しているかどうかにありました。だから、ひとたび王さまが天命を実行していないとされれば、王である根拠を失い、滅ぼされてもよかったのです(易姓革命)。
もし天子が天に代わって天命を実行する者だとしたら、原発事故のあとの天子とは、文字通り、子どもたちのことだと思うようになりました。
チョムスキーは2012年1月、ふくしま集団疎開裁判の会に、次のメッセージを送ってくれました。
《社会が道徳的に健全であるかどうかをはかる基準として、社会の最も弱い立場の人たちのことを社会がどう取り扱うかという基準に勝るものはない、》
この言葉はチョムスキー個人の見解というより、国境、時代、人種を超えた普遍的な言葉です。だから、これは東洋で言う天の言葉=天命です。そうだとすると、この天命を忠実に実行できる者とはこの問題の当事者である「社会の最も弱い立場の人たち」です。具体的に、その人たちとは、チョムスキーのメッセージの続きに書かれた、、
《許し難い行為の犠牲者となっている子どもたち以上に傷つきやすい存在、大切な存在はありません。》
と示された、これ以上に傷つきやすく、大切な存在はない「子どもたち」のことです。
つまり、社会の最も弱い立場にいる子どもたちこそ、天に代わって、天が心から願う天命を忠実に実行できる天子です。
10月末、東京地方裁判所の、福島原発被害東京訴訟の弁論終結の日に、中学生が次の通り、最終陳述を述べました。
「原発によって儲けたのは大人。原発をつくったのも大人だし、
原発事故を起こした原因も大人。
しかし、学校でいじめられるのも、
『将来、病気になるかも…』と不安に思いながら生きるのも、
家族が離ればなれになるのも、僕たち子どもです」
「僕たちはこれから、大人の出した汚染物質とともに生きる事になるのです。
その責任をとらずに先に死んでしまうなんて、
あまりに無責任だと僕は思います。
せめて生きているうちに自分たちが行った事、
自分たちが儲けて汚したものの責任をきちんととっていって欲しい 」(民の声新聞)
原発事故を起した大人が子どもに対して果す責任の1つがチェルノブイリ法日本版の制定です。
これは政策論争とか人気取りがどうのこうの言う以前の、子どもより先に死んでいく、ずるい大人が果すべき人道上の責任です。 言い換えれば、
「被ばくから子どもたちの命、健康、暮らしを守るチェルノブイリ法日本版の制定は大人たちの意思で自由に決められることではなく、天子である子どもたちの命令です」
だから、チェルノブイリ法日本版の制定は天命=子どもたちの命令なのです。
‥‥‥‥
投稿:なぜ「憲法の本質・人権の本質は抵抗することつまり抵抗権にある」のか(2017.11.16)
なぜ、憲法(正確に言うと、近代憲法)の本質が抵抗権なのか。
それは何よりもまず、近代憲法の歴史が証明しています。
(1)、18世紀に近代憲法が出現した時、そこで、抵抗権が人権の中核であることをはっきりとうたったからです。
「 政府は人民、国家または社会の利益、保護および安全のために樹立されるものであり、されるべきである。‥‥いかなる政府でもこれらの目的に反するか、または不十分であると認められる場合には、社会の多数の者は、その政府を改良し、改変し、または廃止する権利を有する。この権利は、疑う余地のない、人に譲ることのできない、また棄てることもできないものである。」(バージニア権利宣言3条)
「われわれは、次のような諸原理を自明だと考える。すなわち、すべての人間は生まれながらにして平等であり、すべての人間は神より侵されざるべき権利を与えられている、そうした権利のうちには、生命、自由および幸福の追求が含まれている。
そして、その権利を確保するために、人々の間に政府が作られる。、政府の正当な諸権力は、被治者の同意に基づくものである。どのような政治政体も、これらの目的を害するようになる場合は、それを変更し、または廃止し、彼らの安全と幸福を実現するためにいちばん適当と考えられるような原理に基礎を置き、また、そういう形式でその権力を組織して新しい政府を作ることは、人民の権利である。以上の諸原理をわれわれは自明のものと考える。」(アメリカ独立宣言)
「すべての政治的結合の目的は、人の、時効によって消滅することのない自然的な諸権利の保全にある。これらの諸権利とは、自由、所有、安全および圧制への抵抗である。」(フランス人権宣言2条)
「圧制への抵抗は、他の人権の帰結である」(1793年6月24日フランス憲法33条)
「政府が人民の権利を侵害するときは、反乱は、人民およびその各部分にとって、もっとも神聖な権利であり、かつ、もっとも不可欠な義務である。」(同35条)
(2)、その後、19世紀の憲法から抵抗権は姿を消します。しかし、ファシズムの嵐が吹き荒れた第二次世界大戦のあと、近代憲法は再び、抵抗権が人権の中核であることをうたいました。
「 フランス人民は、1789年の権利宣言によって承認された人および市民の権利および自由‥‥を厳粛に再確認する」()1946年フランス第四共和制憲法前文)
「憲法に違反して行使された公権力に対する抵抗は、各人の権利であり、義務である。」(1946年ドイツ・ヘッセン憲法147条)
「憲法で確定された人権が憲法に反して公権力によって侵されたときは、抵抗は各人の権利であり、義務である。」(1947年ドイツ・ブレーメン憲法19条)
「道徳と人間性に反する法律に対しては、抵抗権が成立する。」(1947年ドイツ・マルクブランデンブルク憲法6条2項)
ひとたび姿を消した抵抗権がなぜ再び、憲法の中に刻み込まれたのか。それは、「すでに十分に確立したと思われていた自由主義的政治体制--したがって、その子である人権の保障--が、ファシズムの擡頭の前にあのように無力であったという両戦争間の貴重な(痛恨の)経験にかんがみて、人権の保障を少しでもより強化しとうという悲願」(宮沢俊義(※1)「憲法Ⅰ」138頁)に由来するものです。
第2に、それは理論的にみても、憲法にとって抵抗権の行使が不可欠だからです。
昔、埼玉の「I Love 憲法」ミュージカルで、参加者の人たちにこんな話をしたことがあります。
--皆さんは「I Love 憲法」「I
Love 憲法」とよく口にするけれども、しかし、振り返ってみて、憲法を愛するというのは一体どういうことなのでしょうか。それを真正面から考えたら、とても不思議なことではないでしょうか。
というのは、憲法を愛するというけれど、そもそも憲法は目に見えるものなのでしょうか、或いは、手で触ることができるものなのでしょうか。もし六法全書という紙に書いてあると言うのでしたら、それならば、その紙を燃やしてしまえは、憲法はなくなるんじゃないでしょうか。それとも、紙を燃やしてもなお存在するというのであれば、それはどのように存在しているものなのでしょうか。紙を燃やしてもなお存在するというそんなものを、手で触ったことがある人はいるのでしょうか。
要するに、そんな不確かな、訳の分からない代物を、愛するというのは、いったいどういうことなのでしょうか。
これについて、私は次のように思うのです。
私の妹がこのミュージカルに参加しています。彼女はこれまで専業主婦でずっと家にいました。しかし、そのうちに、何だかこれはおかしい、いつも家に縛り付けられるのではなく、私にももっと私なりの生き方があってもいいのではないかと思うようになりました。その中で、彼女は、この「I Love 憲法」のミュージカルを見つけました。ここは彼女にとって、新しい生き甲斐の場だったのです。しかし、彼女の夫は、このことを必ずしも歓迎しませんでした。家に、自分の元に置いておきたかったのです。しかし、彼女は、私にも自分なりの生き甲斐を求める権利があると思ったのです。だから、夫の反対を押し切って、それに抵抗して、ここに来ました。
これが憲法なのだと思うのです。
憲法では、いかなる個人にも、その人なりの幸福追求権を保障しています。しかし、それは、彼女が、夫の反対に抵抗してこの場に来るという行為を通じて初めて実現されるものなのです。
だから、彼女は、この場に来るという行為を通じて自分の人権を実現し、憲法を愛することを実行している、つまり、「I Love 憲法」を実行しているのです。
このような意味で、憲法の本質は何かといえば、それは個人の尊厳や平和的生存権や諸々の人権を踏みにじる侵害行為に対して「抵抗する」ことにあります。
だから、憲法は何処にあるのか? --それは、こうした人権侵害行為に抵抗する限りにおいて、それを実行するすべての市民の各自の胸の中にあるのです。
だから、市民の各自の胸の中にある憲法・人権は、市民ひとりひとりの心がそれを放棄しない限り、決して紙みたいに燃やすこともできなければ、暴力で踏みにじることもできなければ、法律で歪曲することもできないものなのです。
第3に、さらには、抵抗権は憲法の本質、人権の本質にとどまらず、私たちが生命として存在することに由来する「生きるということそのもの」だということです。
生命として存在すること(生物)とは何か。それは無生物とどこが違うのか。この問いに、私にとって最もピッタリ来た説明は次のものでした--自然界の法則であるエントロピー増大の原則は生物にも降りかかる。その結果、高分子は酸化され分断される。集合体は離散し、反応は乱れる。タンパク質は損傷を受け変性する。しかし、生物はこの法則を受け入れ、なおこれを受け入れない抵抗の仕組みを見つけ出し、実行した。それが、やがて崩壊する構成成分をあえて先回りして自ら分解し、このような乱雑さが蓄積する速度より速く、常に成分を再構築すること。このダイナミックな分解と再構築を実行する点に生物を無生物と分かつ最大の特徴がある(福岡伸一「生物と無生物のあいだ」166頁以下)。
生物が生物である所以とは自然界の法則であるエントロピー増大の原則に抵抗して秩序を自ら作り上げることにほかならない。この意味で、抵抗は生物であることの証(あかし)である。
だから、政府の圧制により人間らしく生きることを否定されるとき、「冗談じゃねえ!」とこれに抵抗することは、別に誰かから教わって学んだからではなくて、自分が生命ある存在であることそのものからやって来る根源的な反応なのです。
その意味で、抵抗をしないとき、或いは抵抗をやめたとき、生物は無生物または生きる屍(しかばね)になるしかありません。心の病気になるのは当然です。
結論:憲法を愛する、人権を愛するとは抵抗することであり、生きるということそのものです。
新しい人権の1つである「避難の権利」の保障を求める人たちは、憲法を愛する人たちであり、抵抗する人たちであり、生きている人たちです。
(※1)私の知る限り、抵抗権の問題を最も探求した人物は長野市出身の憲法学者宮沢俊義、美濃部達吉の弟子・後継者として、日本の憲法学界に最大の影響を残した保守本流の憲法学者です。
しかも宮沢は、単純な抵抗権の賛美者ではなく、抵抗権が濫用された場合の実際的危機を重々承知した上で、なおかつ抵抗権の必要性・不可避性について考えた人です。
《抵抗権の問題は、実定法(※2)の問題ではなくて、 実定法を越えた問題--法哲学の問題--である。単なる「法律家」の問題ではなくて、「人間」の問題である。》(憲法Ⅰ 166頁)
《個人の尊厳から出発する限り、どうしても抵抗権を認めないわけにはいかない。抵抗権を認めないということは、国家権力に対する絶対的服従を求めることであり、奴隷の人民を作ろうとすることである。》(同書 173頁)
(※2)社会で実際に制定され、適用されている法律のこと。自然法と対立して使われる概念。
(※3)(参考)->抵抗権実行=3.4新宿デモの呼びかけ(17.2.7)
2017年11月15日水曜日
被ばくから避難する権利は既に憲法に埋め込まれており、米沢「追い出し」訴訟は憲法からは勝負はついている(2017.11.15)
「なぜ『憲法の本質・人権の本質は抵抗することつまり抵抗権にある』のか」
目 次
1、すべての人権は既に憲法に埋め込まれており、日本政府といえども、いかなる契約によってもこれを奪うことはできない。... 1
1、すべての人権は既に憲法に埋め込まれており、日本政府といえども、いかなる契約によってもこれを奪うことはできない。
(1)、全く新しい憲法の出現
(2)、すべての人権は近代憲法という貯蔵庫に保管されている
そこで、近代憲法は、この問題についてどういう態度を取ったのか。近代憲法は一方で、「人権が人が生まれながらにして自由で平等な存在であることに基づき認められる生来の権利で、日本政府といえども、いかなる契約によってもこれを奪うことはできない最高の価値を有するものである」と近代憲法が保障する人権の一般原理を明らかにしました。他方で、その当時、人権保障の必要が切実な課題となっていた個々の人権を取り上げ、これを近代憲法のカタログに書き込みました。法の下の平等(特権や世襲制の否定)、公正な刑事訴訟手続の保証、言論出版の自由、宗教の自由などです。ここに書き込まれた人権はその当時までに、宗教戦争など深刻な人権侵害が発生し、これに対し、人々がこれに抗議し抵抗し、人権侵害が起きないように人権保障の必要性を訴えた末に、それが認められ、近代憲法のカタログに書き込まれるに至ったものです。
この意味で、近代憲法は、すべての人権をカタログに書き込むことはせず、未来の状況の変化により新たな人権侵害と認められる事態が発生したときに、人権の一般原理に照らして新たな人権侵害の防止のため、これを新たな人権として近代憲法のカタログに追加して書き込むことにしたのです。
2、放射能災害における被ばくから避難する権利は人権であり、憲法で保障されている。
だから、福島原発事故の被害者の人たちは、安全神話のもとで原発事故を想定外としていた日本の法制度の下において明文の規定がなくとも、避難の権利は人権であり、憲法で保障されているものであるとして、日本政府に対し、この人権保障を誠実に実行しろと要求することができるのです。
3、私たちは既に守られている。同時に、それを実現するかは私たち自身の手にかかっている
私たちは既に守られています。粘り強く抵抗を続けましょう。
最後に、この避難の権利を具体化したものがチェルノブイリ法日本版です。私たちは今、チェルノブイリ法日本版の制定を実現する取り組みを進めています(※)。チェルノブイリ法日本版の制定の行方は、米沢「追い出し」訴訟の行方と運命をともにするものであることを痛感しています。
避難の権利が人権であることを現実のものにするため、ともに粘り強く頑張りましょう。
(※)なぜ今、チェルノブイリ法日本版条例の制定なのか
中間報告:【チェルノブイリ法日本版】伊勢市条例(柳原案)
日本からのメッセージ(2017.6)
チェルノブイリ法日本版の条例制定を一緒にやりませんか
2017年11月4日土曜日
先端科学技術の闇に穴をあける試み、10年の集大成を提出(2017.11.3)
(※)その後の経過
・11月8日、この裁判の第20回目の弁論が開かれ、 当日で審理終結、判決言渡しが3月2日(金)午後1時25分と決定(その報告は->こちら)。
・11月9日、原告は、事案整理のため、法律問題・事実問題に対する原告主張を網羅した主張一覧表を作成、裁判所に提出(一覧表は->こちら)
この裁判は、人類の科学技術の総決算として登場したバイオテクノロジーという先端科学技術の研究現場で、実際に何が行なわれているのか、その闇の現実に光を当てようとするシビリアンコントロール(先端科学技術に対する市民の監視)の取り組みです。
この裁判の動機の1つが、バイオテクノロジーの開発が引き起こす可能性がある生物災害、これまで、人類の科学技術の開発が様々な公害、薬害、原子力災害を引き起こしてきた悲惨な体験と同様、生物災害が最も徹底した悲劇として発生する前に、これを食い止めることでした(→そのバイテク・ノート)。
しかし、その目的を達成する前に、私が予感していた生物災害を遥かに上回る人災が発生しました。311福島原発事故です。もしこの事故以前に、原子力発電所に関する原子力工学の研究・開発現場の闇に情報公開という光が投じられていたらこの事故は防げたと確信しています。情報公開制度は、こうした人類の存亡に関わる問題にこそ真っ先に活用される必要があるのです。
他方、実際に裁判をやってきて、被告の担当者や証人として出廷した研究者の言動・姿を見ていて、彼らが彼らなりに必死になっている様子が伝わって来ました。しかし、彼らの必死さは「どんなことがあっても実験ノートを公開してはならない」という彼らが所属する組織の至上命令から来るものです。彼らの思考はそこで停止している。自分たちが取り組んでいる先端科学技術が自分と自分の家庭の外で、この日本、この地球全体にとってどういう意味を持っているのか、そこに思いを及ぼしことがないように思える。そのため、人類の存亡に深刻な影響を及ぼすまでの力業を持つに至った先端科学技術の研究・開発が市民から見えない、当事者だけの世界の闇に閉じ込められ、シビリアンコントロールが効かなくなった時、原発事故のように、それがひとたび暴走した暁には、どんな深刻な事態を引き起こすかも想像をめぐらすことができない。その結果、最大の被害者となるのが私たち普通の市民であることにも、彼ら研究者は真剣に想像をめぐらすことができない。少なくともこの倫理観の欠如が彼ら研究者が思考停止に陥っている最大の理由である。
この問題の発端となった2005年6月、新潟県上越市の北陸研究センターで遺伝子組換えイネの野外実験の田植えの実施をめぐって、安全性を憂慮する地元住民たちの反対の声に対して片山秀策センター長が述べた次の言葉(→これを報じた新聞記事)はこの実験の研究者たちの心情を率直に吐露したものです。それに対し、私たち市民も素人だからといって手をこまねいているわけにはいかない。
《怖いと言って手をこまねいてはいられない。研究者の使命だ》
と同時に、このことを深く憂慮するのがやはり同じ立場にいる研究者だ。 今回に限らず、これまで原告の書面作成に、多大な貢献をしてくれた生物学の良心的な研究者の人たちから、今回提出した書面に対し、
《いったいこの国はどうなってしまうのでしょう。》
といった憂慮や以下の感想が寄せられた。彼らの率直な声は、先端科学技術の研究者だけでなく、こうした研究の推進を許してきた私たち市民全員に突きつけられた課題です。
◆それにしても、本件のみならず、最近の我が国の自然科学の危機をひしひしと感じます。単純に言えば、研究者がその結果やプロジェクトの意味を考えることなく、大きなお金に飛びつく。それらは一般に出口が決まっていて、新たな学術領域の開拓にはつながらない。これは諸外国と比較すると例外的に科学技術への国家予算を減らしている、という状況からすると、仕方ない面もないでもないのですが、研究者が自分がやったことに正直になれないとすれば、一体それは誰のためのどんな研究だったのか--。実は我々研究者もそんな状態を招いた責任の一旦を免れることはできないように感じています。
以下、その提出にあたって、私の感想です。
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10年目の節目を迎えて
この裁判は、2005年4月、被告が、国策の名の下に、耐性菌問題、交雑問題など様々な安全対策について安全性が確認されていないまま、屋外で遺伝子組換え実験を実施すると発表し、これを知った多くの市民と地元自治体の反対の声に真摯に耳を傾けることもなく、市民に十分納得の行く説明もしないまま、5月末、 遺伝子組換えイネの田植えが強行されたことに端を発し、屋外の遺伝子組換え実験の中止を求める仮処分裁判の申立がなされた(禁断の科学裁判)。
他方、 かねてから情報公開をライフワークとし、わが国の人権保障の歴史にも輝かしい一石を投じたローレンス・レペタさんは(彼の著作「闇を打つ」)、先端科学技術に対する市民のコントロールの重要性という観点からこの事件に関心を抱き、2007年、耐性菌問題について被告が実施した実験の生データを記録した実験ノートの公開を求めて、開示請求を行ないましたが、被告は「実験ノートは研究者の私物であるから、開示の対象である法人文書に該当しない」として開示を拒否してきました。そのため、レペタさんは、被告のこの処分の取り消しを求めて、この裁判を提訴しました。
先端科学技術の現場がいかに危ういもので、闇であるかは、福島原発事故が私たちの頭に叩き込んでくれました。とはいえ、先端科学技術の現場に身を置いた経験のないレペタさんや代理人弁護士にとって、遺伝子組換え技術の実験とその実験ノートの運用の実情を理解し、これを裁判所に伝えることは「言うは易き、行い難し」の至難の技でした。そのため、ずっと、ジグザグの試行錯誤の中を手探りで歩むようなものでしたが、開示請求手続から10年、ようやく私たちはこの問題の核心を掴み、実験ノートの情報公開について、確信をもってあるべき姿を提示することができるのではないかという信念に到達したように思う。かつて、「国敗れて3部あり」と名を馳せた行政部の藤山雅行判事は、「法律家の仕事は同時代のみならず歴史的な評価にも耐えるものでなければならない」と述べましたが、私たちの心境もこれと同じです。今回提出した2つの書面は、歴史の審判、すなわち歴史の中で、様々な人々、市民の批判にさらされ、その無数の関所と試練をくぐり抜けて初めてその真価が明らかにされることを受けて立つ用意のある書面だということです。
しかし、そのような自負に到達した背景には、先端科学技術の素人である私たちたちをサポートしてくれた数々の良心的な専門家の人たちの大変な努力がある。とりわけ、生物災害の危険性に最後まで警鐘を鳴らし続けて、今年4月逝去された恩師生井兵治さん(以下の写真は生前最後の写真。→彼の意見書)に、この書面を捧げたい。
(2015.5.23新宿デモ)
※追悼 生井兵治:生井は生きている(2017.6.21)
憲法の精神の再定義とチェルノブイリ日本版制定
そのことを、2005年当時、川崎市の職員労組の人から、憲法について喋って欲しいと言われたことがあり、なんで私?と聞いたら、昔、私の妹が参加していた「I Love 憲法」というミュージカルについて書いた私の雑文を、知り合いがHPにアップしていたのを読み、相談する気になったと言われました。
現在、チェルノブイリ法日本版の制定を願っている私が、この雑文を読んだら、やっぱり、「あなたにもこの制定の取り組みに参加してほしい」と呼びかけたくなると思った。この憲法の精神というのは、311福島原発事故のあと、チェルノブイリ法日本版を制定することなんだ、と合点したからです。
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憲法の精神について
このミュージカルは、「I Love 憲法」という題名ですが、私がここで取り上げたいことは、皆さんは割と簡単に「I Love 憲法」「I Love 憲法」と口にするけれども、しかし、振り返ってみて、憲法を愛するというのは一体どういうことなのでしょうか、ということです。
というのは、憲法を愛するというけれど、そもそも憲法は目に見えるものなのでしょうか、或いは、手で触ることができるものなのでしょうか。もし六法全書という紙に書いてあると言うのでしたら、それならば、その紙を燃やしてしまえは、憲法はなくなるんじゃないでしょうか。それとも、紙を燃やしてもなお存在するというのであれば、それはどのように存在しているものなのでしょうか。そんなものを手で触ったことがある人はいるのでしょうか。
要するに、そんな不確かな、訳の分からない代物を、愛するというのは、いったいどういうことなのでしょうか。
これについて、私がイメージする憲法というのは、例えば次のようなことです。
少し前に、隣人が亡くなりました。首吊り自殺したのです。その人は、市役所に勤めるごく真面目な普通の人でしたが、上司が収賄罪で捕まり、部下である彼にも嫌疑がかかったのです。しかし、事実無根であり、彼は逮捕されるに至らなかったのですが、回りの嫌疑の目に耐えられなかったらしく、気に病んだ末、とうとう自殺してしまったのです。
その日、私は、たまたまその様子を一部始終眺めていました。彼の遺体が運ばれていくのを見ていて、その時、なぜか、訳も分からず、激しい感情が体の中から湧き上がってきました--自分が無実であるならば、にもかかわらず、回りが不当にも自分を犯罪人のような目で見、扱うとしたら、それはれっきとした人権侵害ではないか。だったら、その不当な扱いに対して、自分が死ななければならないなんてアベコベじゃないか。「それは絶対おかしい。人権侵害ではないか!」と、相手が受けいれようが受け入れまいが断固と抗議すべきじゃないか。なぜなら、人権を保障する憲法がちゃんとあるんだから。なのに、ここで抗議しなかったら、憲法は死んだも同然じゃないか。
もうひとつのイメージは、それは私の妹のことです。彼女は、これまで専業主婦でずっと家にいました。しかし、そのうちに、何だかこれはおかしい、いつも家に縛り付けられるのではなく、私にももっと私なりの生き方があってもいいのではないかと思うようになりました。その中で、彼女は、この「I Love 憲法」のミュージカルを見つけました。ここは彼女にとって、新しい生き甲斐の場だったのです。しかし、彼女の夫は、このことを必ずしも歓迎しませんでした。家に、自分の元に置いておきたかったのです。しかし、彼女は、私にも自分なりの生き甲斐を求める権利があると思ったのです。だから、夫の反対を押し切って、それに抵抗して、ここに来たのです。これが憲法なのだと思うのです。憲法では、いかなる個人にも、その人なりの幸福追求権を保障しています。しかし、それは、彼女が、夫の反対に抵抗してこの場に来るという行為を通じて初めて実現されるものなのです。だから、彼女は、この場に来るという行為を通じて憲法を実現し、憲法を愛することを実行している、つまり、「I Love 憲法」そのものを実行しているのです。
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このような意味で、憲法の本質は何かといえば、それは個人の尊厳や平和的生存権や諸々の人権を踏みにじる行為に対して「抵抗する」ことにある。だから、憲法は何処にあるのかといえば、それは、こうした人権侵害行為に抵抗する限りにおいて、それを実行するすべての市民の各自の胸の中にあるのです。だから、それは、決して紙みたいに燃やすこともできなければ、暴力で踏みにじることもできなければ、法律で歪曲することもできないものです、市民ひとりひとりの心がそれを承服しない限り。
これが「抵抗」をそのエッセンスとする憲法の本質についての解説です。
◆もうひとつ、憲法が他の法律と決定的にちがう(それゆえ、世の中では臭いものとしてフタをされている)本質について、解説します。
それは、憲法とは、そもそも、市民の人権を守るため国家を規制するためにあるものだということです。これは近代憲法の出自からしてそう言えることです。
このことを考えるいい問題があります--それは、現題は法律によって市民生活が規律される法治国家と言われながら、なぜ、現実の社会生活において、憲法がかくも無視され、なにか雲の上の抽象的なもののごとく軽ろんじられているのか?その最大の理由は、憲法がもっぱら国家に向って、市民の人権侵害行為をしてはならないと戒めるものだからです。だから、こんな厄介な、煙たい代物はとっとと天井にしまいたいのです。
こんな徹底した法律は他にありません。商法なら、会社や商人を規制するための法律ですし、民法なら、市民の市民社会での振る舞いを規制する法律です。著作権法なら、個人と法人について、著作権をめぐる権利者と利用者の関係を規制する法律です。ところが、憲法は、ひたすら国家を、国家が市民の人権を侵害しないように、民主主義のルールを守るように、その侵害行為を厳しくチェックするものです。
だから、他の法律だったら、国家が支配者面をして、市民をコントロールできるのに対し、憲法だけは、国家がもっぱら取締まりの対象になるのです。国家にとって、こんな不愉快な、都合の悪いことはありません。
だから、例えば、憲法のもとでは、不登校の子供たちは、国に向って、堂々と「我々にきちんとまともな教育を受けさせる権利を保障せい!」と言えるのです。27条に、ちゃんと教育を受ける権利が子供たちに保障されていて、それに対し、国家をこれを実現する義務を負っているからです。しかし、国家は、こんなことを真正面から認めるわけにはいきません。だから、現実では、あらゆる手立てを講じて、不登校児は問題児だ、ケシカラン、といったレッテル貼りをして、彼らに対する人権侵害を素知らぬ顔をし、正当化しようとしているのです。
では、憲法が、ほかの法律とちがい、国家の人権侵害を規制することを目的とする法律だという性格からどんな特質が導かれるかというと、それは、他の法律なら、それに違反した者に、違反行為を是正し、制裁を加えるために、国家(より正確には国家機関の暴力)に依存すればよかったのですが、しかし、ことが憲法違反となると、そうは簡単にはいきません。なぜなら、ここでは、当の国家自身が違反行為を行なっているから、もはやその国家に依存することは不可能だからです。もちろん形式的には、国家は三権分立という建前を取っていますから、立法機関や行政機関の違反行為を、司法機関が裁くという形を取ることになりますが、しかし、現実には、この3つは3つの頭を持ったひとつの怪物にすぎません。憲法9条などの深刻な憲法違反の問題が裁判に取り上げられるときには、司法機関は、統治行為論といった名目(高度の政治性を持った問題には介入しない)を持ち出して、司法判断を回避し、その回避を通じて、違反行為を行なう国家の現状を追認するのです。
その意味で、国家による憲法違反を是正する道が、形式的には他の法律と同様、(国家機関の一つである)司法機関による救済が与えられているとしても、それは形式でとどまる場合が多く、そこで、もっと別なやり方を考えざるを得ません。
それが、冒頭に言った「抵抗」という方法です。
もともと、憲法の本質が、国家による市民の人権侵害を守るためにあるのだ、 とすれば、それを具体化する道も、市民めいめいの良心の中に、そして、市民 めいめいの「抵抗」という行動にあるのですから、この本質に相応しいやり方 をもっともっと具体化していけばいいと思います。
このことは、別の言い方をすれば、憲法のエッセンスが、市民めいめいの良心の声に従って、人権侵害に対して「抵抗」することにあるのですから、それは、自ずと、理性をパブリックな目的のために使うことにつながると思います。つまり、それは、内部告発の精神につらなることだと思います。
そのような意味で、内部告発の運動とは、憲法の理念を具体化する最も貴重な「抵抗」運動の一つだと思いました。
◆最後に、憲法のエッセンスを抵抗権という見地から最も詳細に説いたのは、私が知るところでは、まだ摂津さんがリストアップしていなかった宮沢俊義です。彼の文章は、他の憲法学者にはない明晰で平明な文章です。また、自由主義者として、日本で最も徹底して憲法のことを考えた人だと思います。彼もまた沢山書いていますが、私の知っているのは以下のものです。
では、体にお大事に。
「憲法II」(有斐閣・法律学全集)←抵抗権について詳しい。
「憲法の原理」(岩波書店)
「全訂日本国憲法」(日本評論社)
「憲法講話」(岩波新書)←9条について、分かりやすい解説がある。