2017年11月4日土曜日

憲法の精神の再定義とチェルノブイリ日本版制定

311福島原発事故のあと、ずっと日本に、チェルノブイリ法日本版の制定が必要だと感じてきた。なぜ、そう思ったのか。当時、それは自明のことに思えた。ただ、事故から6年経過した現在、当時そう思った根底には「それは憲法の精神から導かれる当然の帰結だ」ということに改めて気がついた。

そのことを、2005年当時、川崎市の職員労組の人から、憲法について喋って欲しいと言われたことがあり、なんで私?と聞いたら、昔、私の妹が参加していた「I Love 憲法」というミュージカルについて書いた私の雑文を、知り合いがHPにアップしていたのを読み、相談する気になったと言われました。 
現在、チェルノブイリ法日本版の制定を願っている私が、この雑文を読んだら、やっぱり、「あなたにもこの制定の取り組みに参加してほしい」と呼びかけたくなると思った。この憲法の精神というのは、311福島原発事故のあと、チェルノブイリ法日本版を制定することなんだ、と合点したからです。

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                       憲法の精神について

 このミュージカルは、「I Love 憲法」という題名ですが、私がここで取り上げたいことは、皆さんは割と簡単に「I Love 憲法」「I Love 憲法」と口にするけれども、しかし、振り返ってみて、憲法を愛するというのは一体どういうことなのでしょうか、ということです。
 というのは、憲法を愛するというけれど、そもそも憲法は目に見えるものなのでしょうか、或いは、手で触ることができるものなのでしょうか。もし六法全書という紙に書いてあると言うのでしたら、それならば、その紙を燃やしてしまえは、憲法はなくなるんじゃないでしょうか。それとも、紙を燃やしてもなお存在するというのであれば、それはどのように存在しているものなのでしょうか。そんなものを手で触ったことがある人はいるのでしょうか。
 要するに、そんな不確かな、訳の分からない代物を、愛するというのは、いったいどういうことなのでしょうか。

 これについて、私がイメージする憲法というのは、例えば次のようなことです。

 少し前に、隣人が亡くなりました。首吊り自殺したのです。その人は、市役所に勤めるごく真面目な普通の人でしたが、上司が収賄罪で捕まり、部下である彼にも嫌疑がかかったのです。しかし、事実無根であり、彼は逮捕されるに至らなかったのですが、回りの嫌疑の目に耐えられなかったらしく、気に病んだ末、とうとう自殺してしまったのです。
 その日、私は、たまたまその様子を一部始終眺めていました。彼の遺体が運ばれていくのを見ていて、その時、なぜか、訳も分からず、激しい感情が体の中から湧き上がってきました--自分が無実であるならば、にもかかわらず、回りが不当にも自分を犯罪人のような目で見、扱うとしたら、それはれっきとした人権侵害ではないか。だったら、その不当な扱いに対して、自分が死ななければならないなんてアベコベじゃないか。「それは絶対おかしい。人権侵害ではないか!」と、相手が受けいれようが受け入れまいが断固と抗議すべきじゃないか。なぜなら、人権を保障する憲法がちゃんとあるんだから。なのに、ここで抗議しなかったら、憲法は死んだも同然じゃないか。

 もうひとつのイメージは、それは私の妹のことです。彼女は、これまで専業主婦でずっと家にいました。しかし、そのうちに、何だかこれはおかしい、いつも家に縛り付けられるのではなく、私にももっと私なりの生き方があってもいいのではないかと思うようになりました。その中で、彼女は、この「I Love 憲法」のミュージカルを見つけました。ここは彼女にとって、新しい生き甲斐の場だったのです。しかし、彼女の夫は、このことを必ずしも歓迎しませんでした。家に、自分の元に置いておきたかったのです。しかし、彼女は、私にも自分なりの生き甲斐を求める権利があると思ったのです。だから、夫の反対を押し切って、それに抵抗して、ここに来たのです。これが憲法なのだと思うのです。憲法では、いかなる個人にも、その人なりの幸福追求権を保障しています。しかし、それは、彼女が、夫の反対に抵抗してこの場に来るという行為を通じて初めて実現されるものなのです。だから、彼女は、この場に来るという行為を通じて憲法を実現し、憲法を愛することを実行している、つまり、「I Love 憲法」そのものを実行しているのです。

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 このような意味で、憲法の本質は何かといえば、それは個人の尊厳や平和的生存権や諸々の人権を踏みにじる行為に対して「抵抗する」ことにある。だから、憲法は何処にあるのかといえば、それは、こうした人権侵害行為に抵抗する限りにおいて、それを実行するすべての市民の各自の胸の中にあるのです。だから、それは、決して紙みたいに燃やすこともできなければ、暴力で踏みにじることもできなければ、法律で歪曲することもできないものです、市民ひとりひとりの心がそれを承服しない限り。
 これが「抵抗」をそのエッセンスとする憲法の本質についての解説です。

◆もうひとつ、憲法が他の法律と決定的にちがう(それゆえ、世の中では臭いものとしてフタをされている)本質について、解説します。
 それは、憲法とは、そもそも、市民の人権を守るため国家を規制するためにあるものだということです。これは近代憲法の出自からしてそう言えることです。
 このことを考えるいい問題があります--それは、現題は法律によって市民生活が規律される法治国家と言われながら、なぜ、現実の社会生活において、憲法がかくも無視され、なにか雲の上の抽象的なもののごとく軽ろんじられているのか?その最大の理由は、憲法がもっぱら国家に向って、市民の人権侵害行為をしてはならないと戒めるものだからです。だから、こんな厄介な、煙たい代物はとっとと天井にしまいたいのです。
 こんな徹底した法律は他にありません。商法なら、会社や商人を規制するための法律ですし、民法なら、市民の市民社会での振る舞いを規制する法律です。著作権法なら、個人と法人について、著作権をめぐる権利者と利用者の関係を規制する法律です。ところが、憲法は、ひたすら国家を、国家が市民の人権を侵害しないように、民主主義のルールを守るように、その侵害行為を厳しくチェックするものです。
 だから、他の法律だったら、国家が支配者面をして、市民をコントロールできるのに対し、憲法だけは、国家がもっぱら取締まりの対象になるのです。国家にとって、こんな不愉快な、都合の悪いことはありません。
 だから、例えば、憲法のもとでは、不登校の子供たちは、国に向って、堂々と「我々にきちんとまともな教育を受けさせる権利を保障せい!」と言えるのです。27条に、ちゃんと教育を受ける権利が子供たちに保障されていて、それに対し、国家をこれを実現する義務を負っているからです。しかし、国家は、こんなことを真正面から認めるわけにはいきません。だから、現実では、あらゆる手立てを講じて、不登校児は問題児だ、ケシカラン、といったレッテル貼りをして、彼らに対する人権侵害を素知らぬ顔をし、正当化しようとしているのです。
 では、憲法が、ほかの法律とちがい、国家の人権侵害を規制することを目的とする法律だという性格からどんな特質が導かれるかというと、それは、他の法律なら、それに違反した者に、違反行為を是正し、制裁を加えるために、国家(より正確には国家機関の暴力)に依存すればよかったのですが、しかし、ことが憲法違反となると、そうは簡単にはいきません。なぜなら、ここでは、当の国家自身が違反行為を行なっているから、もはやその国家に依存することは不可能だからです。もちろん形式的には、国家は三権分立という建前を取っていますから、立法機関や行政機関の違反行為を、司法機関が裁くという形を取ることになりますが、しかし、現実には、この3つは3つの頭を持ったひとつの怪物にすぎません。憲法9条などの深刻な憲法違反の問題が裁判に取り上げられるときには、司法機関は、統治行為論といった名目(高度の政治性を持った問題には介入しない)を持ち出して、司法判断を回避し、その回避を通じて、違反行為を行なう国家の現状を追認するのです。
 その意味で、国家による憲法違反を是正する道が、形式的には他の法律と同様、(国家機関の一つである)司法機関による救済が与えられているとしても、それは形式でとどまる場合が多く、そこで、もっと別なやり方を考えざるを得ません。
 それが、冒頭に言った「抵抗」という方法です。
 もともと、憲法の本質が、国家による市民の人権侵害を守るためにあるのだ、 とすれば、それを具体化する道も、市民めいめいの良心の中に、そして、市民 めいめいの「抵抗」という行動にあるのですから、この本質に相応しいやり方 をもっともっと具体化していけばいいと思います。
 このことは、別の言い方をすれば、憲法のエッセンスが、市民めいめいの良心の声に従って、人権侵害に対して「抵抗」することにあるのですから、それは、自ずと、理性をパブリックな目的のために使うことにつながると思います。つまり、それは、内部告発の精神につらなることだと思います。
 そのような意味で、内部告発の運動とは、憲法の理念を具体化する最も貴重な「抵抗」運動の一つだと思いました。

◆最後に、憲法のエッセンスを抵抗権という見地から最も詳細に説いたのは、私が知るところでは、まだ摂津さんがリストアップしていなかった宮沢俊義です。彼の文章は、他の憲法学者にはない明晰で平明な文章です。また、自由主義者として、日本で最も徹底して憲法のことを考えた人だと思います。彼もまた沢山書いていますが、私の知っているのは以下のものです。
 では、体にお大事に。
「憲法II」(有斐閣・法律学全集)←抵抗権について詳しい。
「憲法の原理」(岩波書店)
「全訂日本国憲法」(日本評論社)
「憲法講話」(岩波新書)←9条について、分かりやすい解説がある。

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