2017年11月29日水曜日

311後に最も必要なことは「被ばくから命、健康、暮らしを守る『避難の権利』を保障するチェルノブイリ法日本版」を市民の手で制定することです(2017年11月29日)

                                                   柳原 敏夫

 以下の文章は、2011年3月の福島原発事故発生後、最も必要なことは被ばくから子どもたち、住民の命、健康、暮らしを守る「避難の権利」を保障することで、その実現を目指して、ふくしま集団疎開裁判等の裁判に取り組んできたこと、今、そのために、チェルノブイリ法日本版の制定を市民の手で条例制定からスタートして、法律制定を実現する取り組みが重要だと考えていること、その経過をごく簡潔に記したものです。

1、原発事故発生から2016年3月まで
311福島原発事故の1ヶ月のち、文科省が「日本史上最悪のいじめ」である年20mSv引き上げ通知を出し、福島の子どもたちを放射能の被ばくの中に閉じ込めたのに対し、同年6月、国の責任で子どもたちの避難を求めるふくしま集団疎開裁判を申立てました(→動画)が、紆余曲折の末、2013年4月、仙台高裁が「福島の子どもは危ない。避難するしか手段はない」と事実認定しながら、「危険と思う子どもは自分で逃げればよい。被告郡山市には避難させる責任はない」と驚くべき司法判断を出したので、この決定は日本を除く全世界にいっせいに報じられました(NYタイムズ、ワシントンポスト、ABCニュース、ガーディアンRTニュース‥‥←それらの記事をまとめたパンフ)。

 正しい事実認定を行いながら、理解不可能な法的判断を下した仙台高裁決定をただすため、2014年8月に第二次のふくしま集団疎開裁判(子ども脱被ばく裁判)を提訴しましたが、今度は被告が国、福島県計7名にのぼり、長期戦を余儀なくされたため、チョムスキーからの指摘を受けて試行錯誤した末、できるかぎり早期の救済実現のため、上記裁判と同時並行で、2016年3月、市民立法=市民による法律制定の取り組みを始めました(以下、その告知文)。


◆放射能から命を守ること=避難することは人権です。 市民のネットワークで作る人権法=チェルノブイリ法日本版制定の市民運動をスタート!

2、2016年3月から2017年11月まで
私たちはこの取り組みを、告知の直後に東京・福島で開催された、また、昨夏のカナダのモントリオールで開催された2つの世界社会フォーラムの場で訴えました。
東京・福島
 昨年暮れに、兵庫県宝塚市と三重県伊勢市で、チェルノブイリ法日本版の学習会を開催し、現地の市民の人たちと制定の必要性について意見交換をしました。

今年3月末、三重県伊勢市の市長に会い、チェルノブイリ法日本版の条例制定について説明しました。
今年5月、伊勢市の保養団体の代表のお母さんが、「チェルノブイリ法日本版の条例制定を一緒にやりませんか」という呼びかけ文を起草し、公表。この呼びかけに応じて、長野県松本市、栃木県塩谷町、カナダ・モントリオール、静岡県静岡市、千葉県野田市、北海道富良野市、愛知県日進市、滋賀県大津市、三重県度会郡玉城町、福島県福島市、和歌山県東牟婁郡串本町、静岡県富士宮市‥‥の市民の方たちから賛同と制定運動への参加の連絡をもらい、ネットワークを形成しています。

また、原発事故は国境なき人災であり、チェルノブイリ法日本版とチェルノブイリ法国際条約は原発事故から世界の人々の命、健康、暮らしを守る両輪の輪です。チェルノブイリ法日本版制定の市民運動は世界市民運動との連携が不可欠です。そこで、伊勢市のお母さんの呼びかけ文は英語フランス語韓国語に翻訳され、告知されました。

今年10月、チェルノブイリ法日本版条例のモデル案とその解説がひとまず出来上がり、この条例モデル案を元に、これから本格的に、この法律制定に関心を持つ全国各地の市民と学習会、意見交換の場を持とうと準備に取りかかっています。
 
3、日本の市民運動が直面した2つの亀裂とその克服の重要性
311後の私個人の最大のショックは、2011年4月19日、文科省から「日本史上最悪のいじめ」である年20mSv通知が出されたことそのものよりも、そのあと、にも関わらず、それが通用したことです。一部の人が異議申立の声をあげたとはいえ、日本市民はこれを容認してしまった。それは、直接民主主義の源泉となっている日本の市民運動が年20mSv通知の残虐さ(放射能内部被ばくの危険性)に対する認識・注視が欠如していたという欠陥を示すものでした。
他方で、マイノリティとはいえ、放射能内部被ばくの危険性に対する認識・注視を保持していた市民の人たちは、相互扶助をしながら、避難、保養等の「脱被ばく」のアクションに取り組んできましたが、民主主義の体験や洞察が少ないため、どうしたら国に避難の権利を保障させることができるのか、旧来の議会制民主主義(お任せ民主主義)しか知らないため、直接民主主義をどのように行使したら実現可能なのか、そのビジョンを持てないという欠陥を持っていました。
日本の市民運動は、一方で直接民主主義に敏感な人たちは放射能の内部被ばくに鈍感であり、他方で放射能の内部被ばくに敏感な人たちは直接民主主義に鈍感という2つの両極に分断されていました。これが福島原発事故後の日本の市民運動が直面した深刻な亀裂だと痛感していました。けれど、同様の事態はチェルノブイリ事故当時も起きたのです。元NHKディレクターの馬場朝子さんはこう語っています。

私(馬場)がウクライナを取材で訪れるのは3度目である。前の2回は「ソビエト時代」のウクライナで、ソビエト崩壊目前の揺らぐ社会主義体制を取材するものだった。 ‥‥
(事故から26年後の)いま思えば、この時チェルノブイリの事故の影響が人々の間に、何も知らされないまま、じわじわと広がっていたのだ。 ‥‥
事故後3年間は、チェルノブイリ事故の情報はひた隠しにされていた。‥‥それよりも、目の前で起きている世界を2分してきた社会主義のリーダー、ソ連ががらがらと音を立てて崩壊していくさまに心を奪われていた。
あの時、チェルノブイリの事故にもっと注意を向けるべきだった。今回取材をする中で痛感した。》(「低線量汚染地域からの報告チェルノブイリ 26年後の健康被害」44~46頁)

 だから、条例からスタートしてチェルノブイリ法日本版を制定しようという市民運動の提案は、この2つの亀裂の統合をめざすものでした。つまり、直接民主主義に敏感な人たちに対しては、放射能の内部被ばくの危険性を知り、被ばくから避難する権利の保障の重要性、すなわちチェルノブイリ法日本版の制定の重要性を確信してほしい。他方、放射能の内部被ばくに敏感な人たちに対しては、機能不全の議会制民主主義(お任せ民主主義)に一喜一憂するのではなく、直接民主主義の可能性に目を向け、直接民主主義の取り組みに自信をもって大胆に挑戦して欲しい。そう願っています。
しかも、直接民主主義の挑戦は私たちが初めてではありません。私たちの前には、少なくとも次の4つのモデルが既に存在しているからです。とはいえ、どのモデルも1つだけで私たちのプロジェクトにそのまま適用はできませんが、これらのモデルを組み合われば、私たちのプロジェクトに適用可能となります。
 ①.市民立法・情報公開法の制定の歴史
 ②.市民条約・対人地雷禁止条約の制定の歴史
 ③.1954年、杉並で始まった水爆禁止署名運動の歴史
 ④.1991年、旧ソ連で成立したチェルノブイリ法制定の歴史


私たちは、心と頭を絞って、本質的には何一つ片付いていない福島原発事故を世界標準のコモンセンスで再定義して、心と口と手と足を使って、私たちの望みに向かって歩んで行きたいと思っています。
                                    以 上
                                     
            

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