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2015年6月9日火曜日

原発輸入国に世界標準のチェルノブイリ法の制定を実現させる問題提起について(2015.6.9)

 日本からのメッセージ(2017.6)(日本語版)(英語版)(韓国語版) 

3.11原発事故以来、福島(に限らず全ての汚染地)の子どもたちを被ばくから救済するという取り組み(司法的救済)に取り組んできました。
2011年4月、文科省の20ミリシーベルト引き上げの通知に接した時、文科省は気が狂ったのかと思いましたが、文科省はそのまま撤回しようとしないので、このような日本史上、最悪の集団的人権侵害=「人道に関する罪」が是正されない筈はないと思い、その是正を求めて「ふくしま集団疎開裁判」の申し立てに代理人の一人として参加しました。
しかし、半年後の野田の収束宣言と同日、同時刻にセットして訴え却下の決定が出たことを知った時、日本政府は日本史上、最悪の集団的人権侵害事件と独裁国家いう汚名を覚悟で、総力戦でこの問題を闇に葬る覚悟であることを思い知らされました。
 2011.12.16記者会見

そこから、私たちも総力戦で、この問題に立ち向かうしかないとしたら、どんな方法が可能か?
これを考えるために、この世界社会フォーラムに参加しました。

また、「ふくしま集団疎開裁判」に当初から一貫して支援のメッセージを寄せて来たチョムスキーが、昨年の来日の折、福島の人たちと面談し、世界市民とつながることについてアドバイスをもらいました。
 世界市民法廷に支持と支援の表明 
【第二次裁判=子ども脱被ばく裁判】チョムスキーからのメッセージ 
 ノーム・チョムスキー~ふくしまの声を聴く

今回、私が世界社会フォーラムに参加する国とりわけ、今後、日本から原発輸入する国の参加者にぜひとも訴えたいことは次の2つ(認識と実践)です。
1、認識
原発事故後、日本政府がやってきた最大のことは「事故を限りなく小さく見せること」です。それは、再稼動のみならず、原発輸出にとっても不可欠の要請だからです。原発輸入国が、原発事故の可能性に言及しても、「心配いらない。我々は事故を完全にコントロールしたから。その事故収拾マニュアルもセットで輸出するから安心するがよい」と答弁するシナリオができている。
 だから、原発輸入国の参加者には、それが日本史上の最大の「オレオレ詐欺」だということを分ってもらいたい。原発を輸入すれば、いつか必ず事故が起きる時が来る。そのとき、住民は救済されるのではなく、放置(見殺しに)されるのだということを、福島の現実から学んで欲しい。その生きた証言と記録(の1つ)が「ふくしま集団疎開裁判」の証拠である、と。
裁判の提出書類(日本語)

裁判の提出書類(英文)


2、実践
 その認識の上で、次の問題提起をしたいと考えています。
 日本政府は、3.11事故前、「原発事故は起きることは絶対ない」と太鼓判を押していた。にもかかわらず起きたということは、今後、原発輸入国でも、いつか必ず原発事故が起きる時が来る。輸入国の政府はその国民に対し「その場合でも、住民を見殺しにすることはしない」と今、約束させるべきです。それが、避難基準の世界標準と言われる「チェルノブイリ法(避難基準)」です。 
 
ウクライナでの事故への法的取り組み

その分りやすい解説

 旧ソ連では事故後5年経ってからこれを制定しました。崩壊寸前のガタガタのソ連ですら制定したのですから、原発輸入国でも制定は可能です。
つまり、これは原発輸入国にとって、事故時における国民の安全を本気で考えているのかどうかを裁く踏み絵(試金石)となるものです。この制定を嫌がるようでしたら、その国の政府は自国民を犠牲にする気であることが証明されます。その政府の反応を見て、そこから、その国の市民は原発輸入の是非を検討したらどうでしょうか。

これ以外にも、もっといいアクションがないかと思案中です。

単に、福島の過酷な現実を知って終わり、ではなく、今の福島が明日の原発輸入国の姿であることを理解し、そこから今できるアクションに行動を起こすことを願っています。

それが、福島の子どもたちの窮状を救う運動への共感・支援につながると考えています。

2015年5月27日水曜日

私の研究:予防原則と動的平衡から世界史を眺める(2011.1.6)

                                             2011.1.6. 柳原敏夫
 
 マーチン・ガードナーの「aha Gothaゆかいなパラドックス1」に、別の宇宙空間から地球にやって来た生物が地球の膨大な情報を持ち帰るのに1本の棒に1箇所だけ印をつければ足りると語り、地球人がビックリする話がある(9 驚異の暗号)。しかし、そのからくりは単純明快である。すっかり感心した私は由来、世界中の真理を1点の印に篭められないかと希うようになった。


 それから25年が経過し、2010年の夏、その印が手元に届けられた。柄谷行人著『世界史の構造』。その書物には次の言葉が何度も登場した――「交換様式」「抑圧されたものの回帰」

1991年にソ連が崩壊したとき、その意味をめぐってロシア革命にさかのぼって「失われた70年」が語られた一方、これは近代自身の意味が総体的に問われているのだとしてフランス革命にさかのぼって200年の歴史を問う人たちがいた。これに対し、『世界史の構造』は、これを農業革命の1万年前にさかのぼってその意味を問い直そうとするものだった。その際の印が「交換様式」だった。

数学においてはよく起こることだが、問題が極めて困難なとき、人類はそれまでとはちがった新たな方法が要求されていることを理解し、それを見出してきた。その結果、この新たな方法はその問題の解決が必要としたものよりもはるかに実り多い、適用範囲の広いものとなった。アーベル、ガロアの貢献は5次方程式を解くという個別の問題を完全に解いたばかりではなく、方程式の解法を超えた数学全体に新たな基本的な概念すなわち群の概念を与えたことにある(デーデキント「数について」(岩波文庫)の訳者河野伊三郎解説)。


ロシア革命の最大の謎は、ソビエト政権がなぜ70年しか続かなかったのかにあるのではなく、当時、「3日以上持たない」(ジョン・リード「世界をゆるがした十日間」(岩波文庫)上123頁)と言われた超劣悪な条件下での未熟児のソビエト政権がなぜ3日を遥かに超えて存命し得たのかにある(その誕生の謎が解けて初めてその終焉の意味も理解できる)。この極めて困難な問題は、これを解くのに人類にそれまでとはちがった新たな方法を要求した。柄谷行人の貢献は、ロシア革命という個別の難問を農業革命の1万年前にさかのぼって解こうとしたばかりではなく、それまでの「生産様式」という概念に代えて、世界史全体に新たな基本的な概念すなわち、「交換様式」の概念を与えたことにある。

もう1つ『世界史の構造』に何度も登場する言葉「抑圧されたものの回帰」――これはこれまで世界史に登場した3つの交換様式(さしあたりA・B・Cとよぶ)の次に来る、未来の交換様式D、これをもたらす力として捉えられていた。すなわち、世界史の最初の交換様式A「互酬性(贈与と返礼)」を支配原理とする氏族社会(ここでは贈与の力に支配されている)、そのあと登場した交換様式B「略取と再分配」を支配原理とする国家社会(ここでは暴力の力に支配されている)、さらにそのあと登場した交換様式C「商品交換」を支配原理とする資本制社会(ここでは貨幣の力に支配されている)に対し、それらを超えるものとして、交換様式Dを支配原理とする未来社会が構想されており、この来るべき交換様式Dとは交換様式Aの「互酬性」を高次元で回復するものとして捉えられていた。それはかつての氏族社会の支配原理であったにもかかわらず、その後、交換様式B・Cによって抑圧されてきた交換様式Aの「互酬性」を取り戻すという意味で、交換様式Aの回帰だった。


しかし、そこには1つの言葉が注意深く書き加えられていた――交換様式Aの互酬性の「高次元」の回復。単純な交換様式Aの互酬性の反復=先祖帰りはあり得ない。だとしたら、その「高次元」の回復はいかにして可能か。『世界史の構造』はその手がかりを、古代史の普遍宗教(ユダヤ教、キリスト教、仏教、、儒教、道教)に見出している。なぜなら、これら普遍宗教は、古代文明の各地で、ほぼ同時多発的に、互いに無関係に出現したが、いずれも、国家社会の初期(都市国家が互いに抗争し、広域国家を形成するまで)、貨幣経済の浸透と共同体的なものの衰退が顕著になる時期であり、そこでは、「砂漠に帰れ」というモーセの教えに端的に示されているように、かつて砂漠で過ごした遊牧民的な生き方、武装自弁の農民の生き方、つまり独立性と平等性の倫理を回復せよ、という氏族社会の交換様式Aの高次元での回復が示されているからである。

しかし、これらの普遍宗教はのちに普及すると共に、国家の宗教、共同体の宗教に変質・堕落した。それは普遍宗教が交換様式Dの原理を、主として倫理的な理念の次元でもたらしたものであっても、政治的、経済的システム(客体)の次元やそのシステムを担う市民(主体)の次元でもたらすものではなかったからである。だが、それは「原始キリスト教へ帰れ」に示されるように、たえず再生(ルネサンス)が試みられた。従って、世界史の特徴の1つは、三角関数のグラフとして描かれる波のような、普遍宗教の出現→国家・共同体の宗教に変質・堕落→普遍宗教の再生→変質・堕落→‥‥と捉えることができる。そして、もともと普遍宗教は国家の宗教や共同体の宗教に対する批判として出現したものだが、その批判の矛先は宗教(倫理的な理念)の次元にとどまらず、次第、その宗教が守ろうとする国家や共同体(政治的、経済的システム〔客体〕とその担い手〔主体〕)の次元に振り向けられていった。従って、それは宗教改革に限らない。近世のルネサンス運動、近代科学の誕生、ドイツの農民戦争(宗教改革者トマス・ミュンツァーに指導された農民蜂起)、日本の一向一揆(浄土真宗の僧蓮如や信徒たちが起こした一揆と自治組織)も含まれる。その直近の出来事がロシア革命ということができる。


しかし、かつてバビロン捕囚のユダヤ人、イエス、仏陀、孔子、老子らによって開示された普遍宗教の教えが倫理的な「理念」の次元で優れたものであっても、政治的、経済的システム(客体)の次元やその担い手(主体)の次元においては必ずしも十分ではなかった。そこになお、人類が全知性を傾倒して探究すべき課題があった。この課題に真正面から取り組んだのが『世界史の構造』である。くり返すが、この書物はそれまでの「生産様式」に代えて新しい概念「交換様式」を導入し、その意義を解明しようとした。これは過去の世界史の真理が篭められた1本の棒の1点の印であるばかりか、未来の世界史の扉を開けるための真理が篭められた1点の印という「可能性の中心」を秘めている。

ここで注目すべきことは、「交換様式」という概念が導入された背景として、これまでの「生産様式」が「人間と人間の関係」のことしか視野に入っていなかったのに対し、「人間と自然との関係」をも視野に入れ、「人間と自然との関係」の核心である「物質交換」(物質代謝)と共通する「交換」をキーワードにして「人間と人間の関係」を捉えようとしたことである。


こうした視点は柄谷行人の次の認識にも現れている――現在の人類は5,6万年前に数百人がアフリカから出て地球上に四散した段階で、言語や武器、技術、農業の知識を持っていたのに1万年前の農業革命に至るまでなぜこんなに時間がかかったのか?これだけの初期条件があればたちまち大文明が築けたのにそうならなかったのはなぜか? それは人類はある段階でこのような発展を抑止しようとし、また抑止するシステムを作り出した、それが互酬的交換であり、それに基づく氏族的社会構成体である。1万年前に農業革命があって、今や、地球環境を破壊するほどに産業化が急激に進んでいる、このような発展は奇跡的に見えるけれど、実はそうではない。奇跡的なのはむしろ、ほうっておけばすぐそこまで達するのに、それを5万年も抑止したことのほうにある。氏族社会は単に未開・未発達というべきではなく、むしろ破壊的や蓄積や発展を極力抑えるシステムとしてあった(「群像」201011月号132頁)。


これは近年の分子生物学の遺伝子解析の成果を思い出させる。遺伝子はタンパク質を作るための情報であり、それは主に生命活動を促進、発展させるものに役立つものだと考えられてきたが、近年は細胞の無際限な増殖(発ガン)を抑制する作用といった抑制面が注目されるようになった。つまり、細胞は、元々ほうっておけば容易に暴走する仕組みを内臓しており、それに対して、この暴走を極力抑える予防原則的なシステムが備わって初めて正常な生命活動が保たれていることが認識されるに至った。タンパク質の無際限の蓄積や発展はむしろ破壊的なのだ。しかし、「人間と人間の関係」においては、ここ200年余りの間に、無際限の蓄積や発展を進化・進歩のように思い込むようになった。その結果、人間社会では破壊的や蓄積や発展を極力抑えるシステムが働かなくなってしまった。しかし、無際限の蓄積や発展を抑制するシステムこそ生命誕生以来何十億年の生命の進化を支えてきた原理である。今、分子生物学の最新の成果から、タンパク質や細胞の破壊的な蓄積・発展を極力抑えバランスを保つという予防原則的なシステムによって支えられた生命の営みの歴史を学び、そこから人間社会の歴史を見つめ直す意味がある。


また、元来、生命現象は動的平衡つまり絶え間なく動きながら、できるだけ或る一定の状態=平衡を維持しようとする。生命現象に対する内外からの様々な影響・介入に対しても、動的平衡の「揺り戻し」は必然である。それらの影響・介入によって、いっとき別の状態に変化することがあっても、生命現象はそこにとどまることはなく、押せば押し返してくる、沈めようとすれば浮かび上がろうとして「揺り戻し」を起こす。その「揺り戻し」は偶然ではなく必然である。しかも、その「揺り戻し」は事後的とは限らず、ガン抑制遺伝子のように事前の予防原則的なものもある。さらに、その「揺り戻し」は生命現象に限られるわけではなく、人間社会にも当てはまる。それが「抑圧されたものの回帰」である。但し、どのような条件が備わったときに、どのような「揺り戻し」「回帰」になるかは千差万別だ。だとすれば、理念の次元のみならず、政治・経済のシステム(客体)とその担い手(主体)の次元において、どのような条件が揃えば、互酬性の「高次元」の回復という「揺り戻し」が達成されるのか、過去の世界史とくに普遍宗教の出現と再生の歴史に対して生命の営み(予防原則のシステムと動的平衡)から光をあて、そこから掴み取ったものを未来の世界史に投げ入れて互酬性の「高次元」の回復の可能性を検証したいと思う。今後、フリー(贈与)経済の浸透と共同体(国民国家、国民経済)的なものの衰退が益々顕著となる中で、人々は再び「砂漠に帰れ」=独立性と平等性の倫理を回復せよというモーセの教えがリアルに感じられる時代にいることを痛感し、予防原則と動的平衡の「揺り戻し」の大切さを身をもって知るであろうから。

これが私が取り組みたいと思っている事柄である。言い換えれば、氏族社会以後現在までの世界史を予防原則と動的平衡という視点から眺め、「抑圧されたものの回帰」を試みることである。

動的平衡から眺めた世界史:百万人の預言者の出現(2011.2.4)

                                           2011.2.4  柳原敏夫


言語学者ノーム・チョムスキーは、昨年12月チュニジアの一人の若者の抗議の焼身自殺に端を発して発生した中東の民衆の抗議行動について、2月2日次のようにコメントしている。

‥‥what’s happening is absolutely spectacular. The courage and determination and commitment of the demonstrators is remarkable. And whatever happens, these are moments that won’t be forgotten and are sure to have long-term consequences.  

 強権的な独裁者に支配されるエジプトで、これといった指導者もいない中で、瞬く間に百万人規模の抗議デモが出現したというのは、absolutely spectacularであり、殆ど奇跡のように思える。だから、チョムスキーは、たとえ抗議行動の未来は紆余曲折は避けられず予測困難だとしても、それは永遠に記憶されるべき出来事だと断言する。


では、どのような意味で、それが「永遠に記憶されるべき出来事」なのだろうか。私には、ここに「世界史の構造」の最も重要な瞬間が開示されているように思える。


テレビに登場する抗議行動の民衆の表情は確信にあふれていた。しかし、指導者なき民衆は、強権的な独裁者の抑圧をものともしない確信を一体どこからどうやって手に入れたのだろうか?人間以外の霊長類の群れなら、もし強権的なボスの抑圧があったとしても、このような抗議行動には出ないだろう。このような確信に満ちた反抗をしないだろう。「確信に支えられた抗議行動」が人類に特有なものだとして、人類は、別に誰かに教えてもらわないにもかかわらずそれをどうやって手に入れたのだろうか?

この謎を解き明かしてくれたのが、昨年出版された柄谷行人著『世界史の構造』に登場するキーワード「抑圧されたものの回帰」だった。「抑圧されたものの回帰」とは、人類の世界史に登場した3つの交換様式(さしあたりA・B・Cとよぶ)の次に来る、未来の交換様式D、これをもたらす力として捉えられていた。すなわち、世界史の最初の交換様式A「互酬性(贈与と返礼)」を支配原理とする氏族社会(ここでは贈与の力に支配されている)、そのあと登場した交換様式B「略取と再分配」を支配原理とする国家社会(ここでは暴力の力に支配されている)、さらにそのあと登場した交換様式C「商品交換」を支配原理とする資本制社会(ここでは貨幣の力に支配されている)に対し、それらを超えるものとして、交換様式Dを支配原理とする未来社会が構想されており、この来るべき交換様式Dとは交換様式Aの「互酬性」を高次元で回復するものとして捉えられていた。それはかつての氏族社会の支配原理であったにもかかわらず、その後、交換様式B・Cによって抑圧されてきた交換様式Aの「互酬性」を取り戻すという意味で、抑圧された交換様式Aの回帰だった。その端的な例が古代国家に普遍宗教として出現したユダヤ教である。エジプトで生まれた羊飼いモーセのところに、ある日神が現われ、エジプトの国家社会のもとで虐げられ、苦しんでいる民を救うように命じ、モーセは逡巡の末これを受け入れた。しかも揺るぎない「確信」として受け入れた。なぜなら、それは、人類がかつてお互いを等しくかつ独立して存在する者として認めてきた、砂漠で過ごした遊牧民的な生き方や武装自弁の農民の生き方を取り戻すことであったから。そこでは富や権力の偏在や格差を認めなかった。こうして、平凡な民衆の一人モーセは富や権力の偏在は「不正」として退場すべきであり、独立性と平等性の倫理を回復せよという「正義」を語る預言者に劇的に変貌を遂げたのである。


この意味で、モーセの変貌はひとりモーセにだけ特有なものではなかった。かつて、富や権力の偏在や格差を認めず、独立性と平等性の倫理が貫かれていた氏族社会の時代を経験してきた人類はその後も記憶の中をこれを深く刻み込んできたからである。だから、その後、抑圧や貧困や差別に苦しめられてきた多くの人々が、モーセの教えを聞いたとき、モーセと同様の体験=抑圧されたものの回帰を経験し、「人間生来の生き方」として独立性と平等性の倫理を回復せよという「正義」を受け入れたのである。


この「抑圧されたものの回帰」という経験がモーセから3000年経過した紀元後18世紀に至っても続いたことは、当時のアメリカ市民革命(独立戦争)と人類で最初に出現した人権宣言の記録からも明らかである。

「すべて人は、生来ひとしく自由かつ独立しており、一定の生来の権利を有するものである。これらの権利は、人民が社会を組織するにあたり、いかなる契約によっても、その子孫からこれを奪うことのできないものである。」(1776年のヴァージニア権利章典1条)

「国家は、人民、国家もしくは社会の利益、保護および安全のために樹立される。‥‥いかなる政府も、これらの目的に反するか、または不十分であると認められた場合には、社会の多数の者はその政府を改良し、改変し、または廃止する権利を有する。この権利は疑う余地のない、人に譲ることのできない、また棄てることのできないものである」(同3条)


 この人権宣言の起草者たちは、「すべて人は、生来ひとしく自由かつ独立して」いると確信したとき、意識せずして、独立性と平等性の倫理を回復せよという「モーセの教え」に回帰していたのである。

それから2世紀近く経って我が国に出現した憲法9条も同様である。「モーセの教え」を徹底化し、独立性と平等性を真に実現しようとしたら戦争放棄抜きには考えられないからである。憲法9条が奇跡に見えるとしたら、それはちょうど古代国家において「モーセの教え」が奇跡に見えたのと同様である。その「モーセの教え」がのちに人権宣言として実現されていったように、憲法9条も将来実現される運命にある。


それから半世紀以上経って、中東に世界史上初めて民衆による市民革命の機会が訪れたとき、民衆の胸の中に、富や権力の偏在や格差は認めない、独立性と平等性の倫理を実現せよという「正義」が響き渡っていたのは偶然ではない。それはちょうどヴァージニア権利章典や日本国憲法の起草者たちが意識せずに「モーセの教え」に回帰していたように、中東の民衆もまた知らずして「モーセの教え」に回帰していたのである。だから、先日の百万人規模の民衆の抗議行動は、平凡な民衆の一人だったモーセが「正義」を語る預言者に劇的に変貌したように、百万人の預言者が出現した劇的な出来事であった。その意味で、これは「抑圧されたものの回帰」の巨大な出現として「永遠に記憶されるべき出来事」なのだ。


実は、これは分子生物学のひとつの貴重な成果、「動的平衡」を思い出させる。元来、生命現象は動的平衡つまり絶え間なく動きながら、できるだけ或る一定の状態=平衡を維持しようとする。生命現象に対する内外からの様々な影響・介入に対しても、動的平衡の「揺り戻し」は必然である。それらの影響・介入によって、いっとき別の状態に変化することがあっても、生命現象はそこにとどまることはなく、押せば押し返してくる、沈めようとすれば浮かび上がろうとして「揺り戻し」を起こす。その「揺り戻し」は偶然ではなく必然である。そして、このような「揺り戻し」は生命現象に限られず、人間社会にも当てはまる。それが「抑圧されたものの回帰」であり、今回の中東の民衆の抗議行動である。但し、どのような条件が備わったときに、どんな「揺り戻し」「回帰」になるか、そのメカニズムがある筈である。このメカニズムの探究の中から、今後これらの条件を整えることに努めることによって、未来における民衆の「抑圧されたものの回帰」の巨大な出現をサポートすることが可能となるだろう。


世界史のもう1つの課題として、「抑圧されたものの回帰」の継続と発展のメカニズムを解明することがある。「抑圧されたものの回帰」は出現さえすれば、あとは自動的に順調に成長・発展するものではないからである。むしろ、必ず、別の「揺り戻し」がやってきて、その成長・発展を阻害しようとする。これは普遍宗教の限界の克服でもある。普遍宗教は出現したのちに普及すると共に国家の宗教、共同体の宗教に変質・堕落したからである。それは独立性と平等性を主に倫理の次元でもたらしたものであっても、政治的、経済的システム(客体)の次元やそのシステムを担う市民(主体)の次元でもたらすものではなかったからである。だとすれば、世界史の今後の課題は、政治・経済のシステムとその担い手の次元において、どのような条件が揃えば、独立性と平等性が回復されるのかを探究し、そして実行に移すことである。新聞は中東の民衆の抗議行動は持久戦に入ったと報じた。が、それはもはや独裁者が引き続き居座るといった次元の問題ではなく、「持久戦」の真の意味とは「抑圧されたものの回帰」の継続と発展に向けて中東の民衆が世界市民と手を携えて、終わりなき取り組みに踏み出したということである。                            
                                   (2011.2.4柳原敏夫)

2015年5月26日火曜日

呼びかけ:核問題のテーマ別世界社会フォーラムに関するメーリングリストへの参加(2015.5.26)

以下は、核問題のテーマ別世界社会フォーラムに関するメーリングリストへの参加の呼びかけ文(完成寸前)です。

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世界社会フォーラムの核問題に関するテーマ別フォーラム開催についての相談会への参加呼びかけ(修正版:2015/5/18



核問題に関する世界社会フォーラムの日本開催を検討するため、国内の相談会を立ち上げます。参加を希望される方、関心をお持ちの方は、呼びかけ世話人までご連絡ください。



呼びかけ世話人連絡先:小倉利丸

ogrnsknet.or.jp(*を@に変更して下さい

携帯:070-5553-5495(ショートメッセージ可)



■この相談会立ち上げの経緯

20153月にチュニジアで開催された世界社会フォーラム(WSF)において、原発問題についての二つの集まりがもたれました。これらの集まりは、原発のないブラジル連合(Coalition for a Brazil Free of Nuclearplants)が提案し、被ばく労働ネットと福島原発事故緊急会議も協力して開催されたものです。この集まりでは、福島現地で反原発運動を闘ってきた木幡ますみさんから福島現地の状況についての報告もなされ、また、日本の反原発運動の現状についても日本からの参加者などから発言がありました。原発のないブラジル連合から、2016年に核問題についてのテーマ別社会フォーラムを開催したいとの提案がありました。フォーラムの開催地として日本での開催を強く希望する内容でした。



■世界社会フォーラムとは

世界社会フォーラムは、20011月にブラジルのポルトアレグレで第一回が開催されました。同じ頃に毎年スイスのダボスで開催される「世界経済フォーラム」に対する「南」の地域からの対抗フォーラムとして、毎回数万人が集まる世界最大の反グーバリゼーション運動のフォーラムです。新自由主義的なグローバリゼーションが席巻するなかで「もうひとつの世界は可能だ」というスローガンのもと、政治、経済、社会のあり方を企業の金儲けに従属させずに、人々の生存の権利を第一にする社会システムへの転換を求めて、社会運動の多様性を尊重する運動として展開してきました。



■世界社会フォーラムの核問題に関するテーマ別フォーラム開催の提案



WSFの会期中に、上記の公式の集まりの他に、テーマ別世界社会フォーラムの実現可能性について何度か打ちあわせの会合も開かれ、これらの議論をふまえて、閉幕後の4月上旬に、原発のないブラジル連合のシコ・ウィタケーさんが起草した文章をもとに、以下にあるように、ブラジルと日本の団体が連名で「友人の皆さんへ」という文章を作成し、今後テーマ別世界社会フォーラムの開催について議論をしてゆくことになりました。以下がその「呼びかけ文」です。



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友人の皆さんへ、

201547日(日本語仮訳作成)

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私たちは核兵器と核の民生利用に反対するブラジル、フランス、日本の市民です。私たちは、201410月以来、2016年に日本あるいは他のどこかの場所で、核についてのテーマ別社会フォーラムの実施を提案するための議論を開始し、いくつかの会議をもってきました。また、日本の福島の原発被害者で反原発運動の活動家でもある方からの証言を聞く機会ももちました。



私たちは、この中で、政府や政党、宗教団体や私企業からは独立した市民社会のイニシアチブとしての世界社会フォーラムのプロセスと連携して、核エネルギーについてのテーマ別フォーラムを実現するための可能性を追求すべく行動することを決めました。



このメッセージは、以下の皆さんに、この議論に参加しこの提案を拡げるために参加を要請するものです。



―原発が既に立地している国や、原発ロビーがプラントを売りこもうとしている国の皆さん―冷戦期やポスト冷戦期に核実験によって被害を被ってきた国の皆さん―核兵器やウランを使用した兵器を保有している国の皆さん―ウランが採掘されている国の皆さん―核廃棄物(外国からの受け入れを含む)問題を抱えている国の皆さん―核関連施設での被ばく労働(外国での出稼ぎ労働を含む)問題を抱えている国の皆さん



参加に関心をお持ちの方は、「核に関するテーマ別社会フォーラム実現に向けて」(Towards the Thematic Forum Social on Nuclear (TowardsaTSP-N))のメーリングリストに参加されるよう要請します。



今後議論を経て、世界社会フォーラムの原則と方法に基づいて、フォーラムの実現に尽力する意思のある諸団体、フォーラムの実施場所を確定し、このフォーラムでどのようなことを議論すべきか、どのようにフォーラムを運営するかについて決定していきます。



テーマ別フォーラムの実施が可能となった場合、その具体的な実施段階として、地域の実行委員会や国際的な支援委員会を組織します。



メーリングリストでは私たちの闘いについての有益な情報を交換し、イベントや反原発運動のの現状を広く告知し、グローバルあるいは地域の行動を提起したり、核ロビーを挫くための既に進行中の行動や今後の行動提起などを支援し、原子力神話や原子力を受容するような動きを暴くことを目指します。これは、わたしたちの多様性を尊重し、わたしたちの間の連帯をより強いものとし、「グローバルな反核コミュニティ」を構築する相互コミュニケーションの手段ともなるでしょう。



今年はいくつかのグローバルな運動がアクティビストや市民社会の団体によって取り組まれます。(201511月、12月のパリCOP21など) こうした取り組みに関わるこのメーリングリストの参加者は、あらゆるこうした機会を捉えて私たち相互連携を強化する集会を計画する機会として利用したり、運動の経過やプログラムの進捗状況を確認したり行動を組織するチャンスにすることになるでしょう。



呼びかけ団体

被ばく労働を考えるネットワーク

福島原発事故緊急会議

ピープルズプラン研究所

ATTAC Japan(首都圏)

原発のないブラジル連合



メーリングリストへの参加希望者は下記にメールを送ってください。

ogrnsknet.or.jp(*を@に変更して下さい



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以上の「呼びかけ文」と相談会についての若干の補足の説明

原発と核兵器の両方を含む核問題は、日本国内に限れば、長い反対運動の歴史があり、多くの反核・反原発運動が草の根レベルから全国規模まで存在していますが、こうした運動の存在は、世界社会フォーラムを主要に担う第三世界の社会運動においてはむしろ稀だといってもいいと思います。
しかし、他方で、原発の第三世界への輸出圧力が急速にたかまっており、グローバルな「テロとの戦争」状態にあって、「核兵器」問題は一向に解決へと向う気配がないだけでなく、逆にこれまで以上に、人々の生存を脅かす深刻な不安全をもたらしかねないという現状があります。原発のないブラジル連合は、福島の事故後も原発推進の姿勢を変えない自国政府のエネルギー政策に強い危機感をもち、日本の反核・反原発運動の経験や福島の現状を是非世界の多くの運動と共有できるような場の設定が必要だとい
う切実な思いから、今回のような問題提起がなされました。

第三世界は、気候変動問題や石油資源問題などの国際的な要因を背景とした伝統的な開発・成長戦略が支配的であり、日本を含む先進諸国ばかりでなく中国など新興国もまた政府と業界が一体となって原発の輸出圧力を強めています。こうした中で、多くの地域では、チェルノブイリや福島の原発事故についてすら十分に知られていないだけでなく、原発の稼動が日常的に多くの被ばく労働をもたらし、放射性廃棄物の処理技術も未確立であることなどについても十分に知られてはいませんし、核兵器開発の技術的な前提条件にもなることなども重視されてはいません。農業が主要産業である諸地域にとって気候変動は深刻な問題として受けとめられていますが、原発がもたらす開発に伴う地域の破壊や環境汚染問題は相対的に軽視されているともいえます。とりわけ、世界社会フォーラムに関わってきた第三世界の多くの社会運動やNGOにとって「核」問題を主要な課題としている団体は多くはないのが現実です。

貧困、女性や少数民族の人権、パレスチナ問題や難民・移民問題、持続可能な社会といった世界社会フォーラムが主要にとりくんできた「もうひとつの世界」についての議論を核問題とつなげて、「核のないもうひとつの世界」へ向けた動きを創造することは、福島の事故にもかかわらず核エネルギーに固執し、広島・長崎を経験しながら「テロとの戦争」に加担しているこの国にいるわたしたちにとって、担うことが必要な課題の一つではないかと思います。(小倉利丸)


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2015年5月20日水曜日

沖縄の農民「阿波根昌鴻(あはごんしょうこう)」さんの言葉(2015.6.20)

◎--キューバとペルーに出稼ぎに行き、無一文で帰国したあはごんさんが、京都の一燈園の西田天香さんのもとを尋ね、そこがすっかり気に入って同人になりたいと申し出た時、西田さんから「沖縄に帰って農業をした方がいい」と言われます。
それで、あはごんさんは「自分は、身体も弱く、土地もなく、農業の経験もない」と言ったら、こういわれたそうです。
「土地も経験もいらない。ただ1つ大切なことは、あなたが私欲のために働くか、それとも社会のために働くか、それによって成功するか失敗するか決まる。社会のために働くならばすべて必要に応じて与えられる」と。
                                    (「米軍と農民」11頁)


◎--だが、どんなに闘ってもなかなか基地はなくならない。戦争の準備はやめさせられない。しかも、今度は核戦争の準備をしておる。‥‥もし核戦争がおきたら、この地球にはもう住めないという、これは大変なことだ、それなのにこの戦争準備をとめられないのか。闘いを続けながらも、無力感を持ち、悩みました。
そうしたらですね、1959年のことでしたが、世界人権連盟議長のボールドウィンさんが那覇に来た。‥‥わしらは、「日米政府はわしらの家を焼 き、農民を縛り上げ、土地を取り上げて、核戦争の準備をしておりますが、これを止める方法がありましたら教えて下さい」と質問したのです。
どんなむずかしいことをいうか、と思っていたら、ボールドウィンさんの答えは簡単でした。
「みんなが反対すればやめさせられる」
こういわれたのです。わしらは考えました。みんなが反対すれば戦争はもうできないんだ、「ああ、これはそのとおりだ」とわしは納得しました。
わしが、自分の土地を基地に使わせないための闘いを続け、そして反戦平和のための運動を続ける上で、このことばは実に大きな支えとなったのであります。
                                   (「命こそ宝」11~12頁)


◎-- 真謝(まじゃ)農民は、沖縄全体もそうでありますが、戦争のことを語ろうとしません。思い出 すだけでも気が狂うほどの苦しみでありました。それと同様に、戦後の土地取り上げで米軍が襲いかかってきた当時のことも、話したがりません。みな、だまっ ています。 真謝(まじゃ)農民はたたかいました。だがそれ以上に、苦しみと犠牲は大きかったのでした。
だがその苦痛をふくめて、やはりわたしはお話しなければなりません。
                                   (「米軍と農民」18頁)


◎--かつてわしは、『米軍と農民』のはじめにこう書きました--伊江島の人は誰も戦争のことを語りたがりません。戦後の土地とり上げでアメリカ軍が襲いかかっ た当時のことも、語りたがらない。思い出すだけで気絶するほどの苦しみでありました。だが、その苦痛をふくめて、やはりわたしはお話しなければなりません --
その思いはいまもかわりません。なおいっそう強くなっております。命が粗末に扱われてはいけない、どうしても平和でなければいけない、つらくても語り伝えなければならない。
                                   (「命こそ宝」14頁)

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 福島の人たちも変わらない。原発事故のことを語ろうとしません。思い出すだけでも気が狂うほどの苦しみでした。
それと同様に、事故後の「事故と被害を小さく見せる」ために襲いかかってきた数々の政策のことも話したがりません。みな、だまっています。 福島の人々は抵抗しました(福島県の健康管理調査に対して、23%しか回答しませんでした。国連人権理事会から日本に派遣された特別報告者も「大変低い数値」と指摘するほどです)。
だがそれ以上に、苦しみと犠牲は大きかったのです。
だがその苦痛をふくめて、やはり福島の人たちは話さなければなりません。でなければ、福島でまた再び、広島、長崎、沖縄、伊江島、チェルノブイリの悲劇をくり返すことになるからです。

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2015年3月17日火曜日

50年前のキューバ危機で沖縄米軍に核攻撃命令を下したケネディと私たちの共通性(2015.3.17)

昨日、3.11以来、最大のショックを受けるニュースを知りました。

50年前のキューバ危機で沖縄米軍にソ連と中国に対する核攻撃命令が出されていたこと、しかし現地司令官の命令無視の判断により発射されず、全面的核戦争の発生つまり人類滅亡が免れた、と。

東京新聞
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2015031502000138.html

3.11まで、キューバ危機に全く関心がありませんでした。しかし、3.11以後、変わりました。原発事故は、私にとって自分があと百年、たとえ千年生き永らえたとしても二度と体験できないような未曾有の出来事だったからです。
余りにも強烈な出来事であるがゆえに、殆どこの世のものとは思えない、かえって、現実感が持てないものなのだということも思い知らされました。
その中で、チョムスキーがことあるたびに口にする「世界は、キューバ危機のとき人類滅亡の最も近くまで行ったのだ」という言葉が少しずつ実感できるようになりました。

東京新聞のこの記事のあと、キューバ危機の詳細を当事者の1人(ケネディの弟)が報告した文書に基づいた戯曲「人類危機の13日間」(岩波新書)から、なぜ、ケネディは、ソ連との全面戦争になることを想定しながらソ連に最後通牒をつきつけたか、その訳を初めて知りました。

ケネディは、キューバ危機の対策委員会のメンバーから次のように問い詰められたとき
「核兵器で戦争するということは、これまでの戦争とは全くちがう、新しい事態(新事態)ではないか、つまり、全人類を灰にしてしまい、地球を不毛にするようなものではないか。これはもう戦争と呼べるものではないのではないか。全人類の未来を抹殺してしまう、そんな権利が我々にあるのでしょうか?こうした結果に向き合おうとするのであれば、当然、これまでとは全くちがった新しい心構えが必要なのではないですか?」
こう答えました。
「そうかもしれませんね。しかし、私はまだその心境に至っていない、そうありたいとは願っていますが。つまり、我々が持っているのは(戦争に関する)まだ古い責任感と昔ながらの敵観念だけなんです。それで、ほかにどんなやり方があるます?どこに導きの手が求められれます?教会も大学も何も変わった様子はありません。なのに、私にだけ別の姿勢をとれといわれても、それは無理でしょう。‥‥今さらもう(新しい)理論など待っている暇はないからね」
そう言って、その翌日か翌々日かには軍事対決=全面的核戦争に突入する可能性を想定して、ソ連にキューバからミサイル基地撤去の最後通牒に出たのです。
人類滅亡に行くしかない核戦争という全く新しい事態(新事態)に対応した心構えを取れず、旧来の心構えしか取れなかったため、それが人類滅亡の危機をもたらしたのです。

このくだりを読んだとき、菅谷松本市長の「原発事故と甲状腺がん」のつぎの言葉を思い出しました。
放射能災害というのは、自然災害と全くちがう。災害はそれが過ぎれば復興に向けて力を合わせれば時間がかかろうとも必ず元に戻る日がやってくる。しかし、放射能災害はそうはいかない。放射性物質はいったん放出したら消すことはできず、消滅まで途方もない時間がかかる。その間の汚染は深刻な事態なのにもかかわらず、放射能が目に見えず臭いも味もしないため、その存在や恐ろしさが次第に忘れられてしまう。

つまり、自然災害はそれが過ぎ去れば復興に向けて頑張れるのに対し、放射能災害は途方もなく継続する人災です。なのに、目に見えない、臭いも味もしないからといって過ぎ去った災害であるかのようについ錯覚してしまう。その結果、ほかの自然災害とはちがった態度をとれと言われても、それは無理でしょう、と。

菅谷さんの警告は、
自然災害とは全く異なる放射能災害という新しい事態(新事態)に対応した心構えを取れず、自然災害と同様の旧来の心構えしか取れなかったら、それは大変な危機をもたらすということです。

これは決して夢物語ではありません。現に、いま、仙台で開催中の国連防災世界会議は放射能災害という新しい事態(新事態)には一言も触れず、自然災害(東日本大震災)の中に押し込めてひとくくりに処理すれば足りるとしているからです。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150314/k10010015241000.html

これは人類滅亡の淵まで世界を引き釣り込んだ50年前のケネディの認識と同型です。ケネディの認識がもたらした危機を私たちはまたしてもくり返そうとしています。

ケネディは最後通牒を出したあと、弟ロバートに次のことを語ったと記録されています。
この問題で、私がもっとも苦しんでいるか、君にも分ってるだろうな?」
「なんです?」
「子どもたちのことだよ。ほかの点はともかく、戦争ということを考えた場合、もっともこわいのはこの問題なんだ。全世界の子どもたちが死ぬ--なんの関係もなければ、発言権もない。こんな対決のことなど、なんにも知らぬ幼い子どもたちの生命までが、みんなほかの大人たちと一緒に、吹き飛んじまうんだからね。‥‥


しかしケネディは、幸い、核攻撃命令を受けた沖縄の現地司令官の謀反によって、またソ連のフルシチョフ首相のミサイル基地撤去の同意によって、全面的核戦争=人類滅亡は免れ、子どもたちの死滅は免れました。

しかし、この事実を知った私たちは、こんな首の皮一枚でつながるような薄氷を踏む思いを二度としないと思う。
子どもの命を憂いながら新しい心構えに踏み出せなかったケネディの優柔不断と悲劇をくり返さないと思う。
そのためには、放射能災害に対し、菅谷さんが提出した新しい心構えに立つしかないと改めて思う。


2015年2月5日木曜日

大地に緑を 壁に表現を(H・S「水曜日」88年12月)(2015.2.5)

先ごろ、ロシア・アバンギャルドの絵画をみて、衝撃を受けた。自分はまだこれほど多様な芸術の可能性を全く知らなかったのか、と。以下はその一枚。どんな人物が描いたのか、殆ど知られていない。
  ルイセンコ「雄牛」(下の絵)

これと同じような衝撃を与えてくれたエッセイを紹介する。どんな人物が書いたのか、20年前、日本一遊ぶ学校として知られ、菅原文太が理事長だった「自由の森学園」の生徒だったこと以外、知らない。しかし、この感性は我々の憧れだ、こいつは俺たちの宝だ!

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 昨日悲しい話を聞いた。
 高2の生徒が学校の校舎の壁に自分のやっているバンドのメッセージを貼ったところ、先生の手で勝手にはがされてしまったという。何度貼ってもそのたびに、次の日には根こそぎはがされてしまうそうだ。
 でも別に、彼女のビラが嫌がらせに貼っているわけじゃない。事実、掲示板に貼ってあるビラはそのまま残っている。
 彼女の書いたビラは、掲示板以外の場所に貼られたゆえに剥がされてしまった。
 でも、彼女は、掲示板に押し込められた画一的な表現に飽きたらなかった。もっといろんな場所で彼女のメッセージをみんなに伝えたかった。でも、自由の森という場所ではそういうことが許されないらしい。

 そこにある壁がただ白くあることがそんなに大切なのだろうか?

 白い壁を大地にたとえれば、そこに自然に種が運ばれ、芽吹き、草が生い茂るごとく、壁に表現がうまれ、広がってゆくのは当たり前ではないか。1枚のビラから生まれた出会いが、その人の人生まで変えることだってある。目の前にあるビラをただ機械的に剥がす前に、その1枚のビラから広がるかもしれない人々の輪を想像することのほうがどんなに楽しくて意義のあることだろう。

 大地に除草剤をまくごとく、白い壁に芽吹いたささやかな表現を殺してしまえば、命を失った大地のごとく、壁も死んでしまうだろう。死んでしまった砂漠は美しくあるけれど、何も生み出さない。

 自由の森の先生たちは、確かに素晴らしい理想を持っているけれど、自分の足下である学校から、雑多な可能性がつみとられていく現状ではその言葉もうつろにしか響かない。自由の森は、製品を作る工場ではない。誰かの夢のなかの箱庭ではない。

 もう一度繰り返すけれど、そこにある壁がただ白くあることが、なぜそんなに重要なのだろうか?いったい誰がどういう権限のもとに、なんの権利があって、僕たちの表現を殺し、僕たちの可能性を押し消そうとするのか?

 壁はただ白くあることが、もし重要であるのなら、そのわけを教えてほしい。」


                                  (H・S「水曜日」88年12月)