2015年5月27日水曜日

私の研究:予防原則と動的平衡から世界史を眺める(2011.1.6)

                                             2011.1.6. 柳原敏夫
 
 マーチン・ガードナーの「aha Gothaゆかいなパラドックス1」に、別の宇宙空間から地球にやって来た生物が地球の膨大な情報を持ち帰るのに1本の棒に1箇所だけ印をつければ足りると語り、地球人がビックリする話がある(9 驚異の暗号)。しかし、そのからくりは単純明快である。すっかり感心した私は由来、世界中の真理を1点の印に篭められないかと希うようになった。


 それから25年が経過し、2010年の夏、その印が手元に届けられた。柄谷行人著『世界史の構造』。その書物には次の言葉が何度も登場した――「交換様式」「抑圧されたものの回帰」

1991年にソ連が崩壊したとき、その意味をめぐってロシア革命にさかのぼって「失われた70年」が語られた一方、これは近代自身の意味が総体的に問われているのだとしてフランス革命にさかのぼって200年の歴史を問う人たちがいた。これに対し、『世界史の構造』は、これを農業革命の1万年前にさかのぼってその意味を問い直そうとするものだった。その際の印が「交換様式」だった。

数学においてはよく起こることだが、問題が極めて困難なとき、人類はそれまでとはちがった新たな方法が要求されていることを理解し、それを見出してきた。その結果、この新たな方法はその問題の解決が必要としたものよりもはるかに実り多い、適用範囲の広いものとなった。アーベル、ガロアの貢献は5次方程式を解くという個別の問題を完全に解いたばかりではなく、方程式の解法を超えた数学全体に新たな基本的な概念すなわち群の概念を与えたことにある(デーデキント「数について」(岩波文庫)の訳者河野伊三郎解説)。


ロシア革命の最大の謎は、ソビエト政権がなぜ70年しか続かなかったのかにあるのではなく、当時、「3日以上持たない」(ジョン・リード「世界をゆるがした十日間」(岩波文庫)上123頁)と言われた超劣悪な条件下での未熟児のソビエト政権がなぜ3日を遥かに超えて存命し得たのかにある(その誕生の謎が解けて初めてその終焉の意味も理解できる)。この極めて困難な問題は、これを解くのに人類にそれまでとはちがった新たな方法を要求した。柄谷行人の貢献は、ロシア革命という個別の難問を農業革命の1万年前にさかのぼって解こうとしたばかりではなく、それまでの「生産様式」という概念に代えて、世界史全体に新たな基本的な概念すなわち、「交換様式」の概念を与えたことにある。

もう1つ『世界史の構造』に何度も登場する言葉「抑圧されたものの回帰」――これはこれまで世界史に登場した3つの交換様式(さしあたりA・B・Cとよぶ)の次に来る、未来の交換様式D、これをもたらす力として捉えられていた。すなわち、世界史の最初の交換様式A「互酬性(贈与と返礼)」を支配原理とする氏族社会(ここでは贈与の力に支配されている)、そのあと登場した交換様式B「略取と再分配」を支配原理とする国家社会(ここでは暴力の力に支配されている)、さらにそのあと登場した交換様式C「商品交換」を支配原理とする資本制社会(ここでは貨幣の力に支配されている)に対し、それらを超えるものとして、交換様式Dを支配原理とする未来社会が構想されており、この来るべき交換様式Dとは交換様式Aの「互酬性」を高次元で回復するものとして捉えられていた。それはかつての氏族社会の支配原理であったにもかかわらず、その後、交換様式B・Cによって抑圧されてきた交換様式Aの「互酬性」を取り戻すという意味で、交換様式Aの回帰だった。


しかし、そこには1つの言葉が注意深く書き加えられていた――交換様式Aの互酬性の「高次元」の回復。単純な交換様式Aの互酬性の反復=先祖帰りはあり得ない。だとしたら、その「高次元」の回復はいかにして可能か。『世界史の構造』はその手がかりを、古代史の普遍宗教(ユダヤ教、キリスト教、仏教、、儒教、道教)に見出している。なぜなら、これら普遍宗教は、古代文明の各地で、ほぼ同時多発的に、互いに無関係に出現したが、いずれも、国家社会の初期(都市国家が互いに抗争し、広域国家を形成するまで)、貨幣経済の浸透と共同体的なものの衰退が顕著になる時期であり、そこでは、「砂漠に帰れ」というモーセの教えに端的に示されているように、かつて砂漠で過ごした遊牧民的な生き方、武装自弁の農民の生き方、つまり独立性と平等性の倫理を回復せよ、という氏族社会の交換様式Aの高次元での回復が示されているからである。

しかし、これらの普遍宗教はのちに普及すると共に、国家の宗教、共同体の宗教に変質・堕落した。それは普遍宗教が交換様式Dの原理を、主として倫理的な理念の次元でもたらしたものであっても、政治的、経済的システム(客体)の次元やそのシステムを担う市民(主体)の次元でもたらすものではなかったからである。だが、それは「原始キリスト教へ帰れ」に示されるように、たえず再生(ルネサンス)が試みられた。従って、世界史の特徴の1つは、三角関数のグラフとして描かれる波のような、普遍宗教の出現→国家・共同体の宗教に変質・堕落→普遍宗教の再生→変質・堕落→‥‥と捉えることができる。そして、もともと普遍宗教は国家の宗教や共同体の宗教に対する批判として出現したものだが、その批判の矛先は宗教(倫理的な理念)の次元にとどまらず、次第、その宗教が守ろうとする国家や共同体(政治的、経済的システム〔客体〕とその担い手〔主体〕)の次元に振り向けられていった。従って、それは宗教改革に限らない。近世のルネサンス運動、近代科学の誕生、ドイツの農民戦争(宗教改革者トマス・ミュンツァーに指導された農民蜂起)、日本の一向一揆(浄土真宗の僧蓮如や信徒たちが起こした一揆と自治組織)も含まれる。その直近の出来事がロシア革命ということができる。


しかし、かつてバビロン捕囚のユダヤ人、イエス、仏陀、孔子、老子らによって開示された普遍宗教の教えが倫理的な「理念」の次元で優れたものであっても、政治的、経済的システム(客体)の次元やその担い手(主体)の次元においては必ずしも十分ではなかった。そこになお、人類が全知性を傾倒して探究すべき課題があった。この課題に真正面から取り組んだのが『世界史の構造』である。くり返すが、この書物はそれまでの「生産様式」に代えて新しい概念「交換様式」を導入し、その意義を解明しようとした。これは過去の世界史の真理が篭められた1本の棒の1点の印であるばかりか、未来の世界史の扉を開けるための真理が篭められた1点の印という「可能性の中心」を秘めている。

ここで注目すべきことは、「交換様式」という概念が導入された背景として、これまでの「生産様式」が「人間と人間の関係」のことしか視野に入っていなかったのに対し、「人間と自然との関係」をも視野に入れ、「人間と自然との関係」の核心である「物質交換」(物質代謝)と共通する「交換」をキーワードにして「人間と人間の関係」を捉えようとしたことである。


こうした視点は柄谷行人の次の認識にも現れている――現在の人類は5,6万年前に数百人がアフリカから出て地球上に四散した段階で、言語や武器、技術、農業の知識を持っていたのに1万年前の農業革命に至るまでなぜこんなに時間がかかったのか?これだけの初期条件があればたちまち大文明が築けたのにそうならなかったのはなぜか? それは人類はある段階でこのような発展を抑止しようとし、また抑止するシステムを作り出した、それが互酬的交換であり、それに基づく氏族的社会構成体である。1万年前に農業革命があって、今や、地球環境を破壊するほどに産業化が急激に進んでいる、このような発展は奇跡的に見えるけれど、実はそうではない。奇跡的なのはむしろ、ほうっておけばすぐそこまで達するのに、それを5万年も抑止したことのほうにある。氏族社会は単に未開・未発達というべきではなく、むしろ破壊的や蓄積や発展を極力抑えるシステムとしてあった(「群像」201011月号132頁)。


これは近年の分子生物学の遺伝子解析の成果を思い出させる。遺伝子はタンパク質を作るための情報であり、それは主に生命活動を促進、発展させるものに役立つものだと考えられてきたが、近年は細胞の無際限な増殖(発ガン)を抑制する作用といった抑制面が注目されるようになった。つまり、細胞は、元々ほうっておけば容易に暴走する仕組みを内臓しており、それに対して、この暴走を極力抑える予防原則的なシステムが備わって初めて正常な生命活動が保たれていることが認識されるに至った。タンパク質の無際限の蓄積や発展はむしろ破壊的なのだ。しかし、「人間と人間の関係」においては、ここ200年余りの間に、無際限の蓄積や発展を進化・進歩のように思い込むようになった。その結果、人間社会では破壊的や蓄積や発展を極力抑えるシステムが働かなくなってしまった。しかし、無際限の蓄積や発展を抑制するシステムこそ生命誕生以来何十億年の生命の進化を支えてきた原理である。今、分子生物学の最新の成果から、タンパク質や細胞の破壊的な蓄積・発展を極力抑えバランスを保つという予防原則的なシステムによって支えられた生命の営みの歴史を学び、そこから人間社会の歴史を見つめ直す意味がある。


また、元来、生命現象は動的平衡つまり絶え間なく動きながら、できるだけ或る一定の状態=平衡を維持しようとする。生命現象に対する内外からの様々な影響・介入に対しても、動的平衡の「揺り戻し」は必然である。それらの影響・介入によって、いっとき別の状態に変化することがあっても、生命現象はそこにとどまることはなく、押せば押し返してくる、沈めようとすれば浮かび上がろうとして「揺り戻し」を起こす。その「揺り戻し」は偶然ではなく必然である。しかも、その「揺り戻し」は事後的とは限らず、ガン抑制遺伝子のように事前の予防原則的なものもある。さらに、その「揺り戻し」は生命現象に限られるわけではなく、人間社会にも当てはまる。それが「抑圧されたものの回帰」である。但し、どのような条件が備わったときに、どのような「揺り戻し」「回帰」になるかは千差万別だ。だとすれば、理念の次元のみならず、政治・経済のシステム(客体)とその担い手(主体)の次元において、どのような条件が揃えば、互酬性の「高次元」の回復という「揺り戻し」が達成されるのか、過去の世界史とくに普遍宗教の出現と再生の歴史に対して生命の営み(予防原則のシステムと動的平衡)から光をあて、そこから掴み取ったものを未来の世界史に投げ入れて互酬性の「高次元」の回復の可能性を検証したいと思う。今後、フリー(贈与)経済の浸透と共同体(国民国家、国民経済)的なものの衰退が益々顕著となる中で、人々は再び「砂漠に帰れ」=独立性と平等性の倫理を回復せよというモーセの教えがリアルに感じられる時代にいることを痛感し、予防原則と動的平衡の「揺り戻し」の大切さを身をもって知るであろうから。

これが私が取り組みたいと思っている事柄である。言い換えれば、氏族社会以後現在までの世界史を予防原則と動的平衡という視点から眺め、「抑圧されたものの回帰」を試みることである。

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