昨日、3.11以来、最大のショックを受けるニュースを知りました。
50年前のキューバ危機で沖縄米軍にソ連と中国に対する核攻撃命令が出されていたこと、しかし現地司令官の命令無視の判断により発射されず、全面的核戦争の発生つまり人類滅亡が免れた、と。
東京新聞
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2015031502000138.html
3.11まで、キューバ危機に全く関心がありませんでした。しかし、3.11以後、変わりました。原発事故は、私にとって自分があと百年、たとえ千年生き永らえたとしても二度と体験できないような未曾有の出来事だったからです。
余りにも強烈な出来事であるがゆえに、殆どこの世のものとは思えない、かえって、現実感が持てないものなのだということも思い知らされました。
その中で、チョムスキーがことあるたびに口にする「世界は、キューバ危機のとき人類滅亡の最も近くまで行ったのだ」という言葉が少しずつ実感できるようになりました。
東京新聞のこの記事のあと、キューバ危機の詳細を当事者の1人(ケネディの弟)が報告した文書に基づいた戯曲「人類危機の13日間」(岩波新書)から、なぜ、ケネディは、ソ連との全面戦争になることを想定しながらソ連に最後通牒をつきつけたか、その訳を初めて知りました。
ケネディは、キューバ危機の対策委員会のメンバーから次のように問い詰められたとき
「核兵器で戦争するということは、これまでの戦争とは全くちがう、新しい事態(新事態)ではないか、つまり、全人類を灰にしてしまい、地球を不毛にするようなものではないか。これはもう戦争と呼べるものではないのではないか。全人類の未来を抹殺してしまう、そんな権利が我々にあるのでしょうか?こうした結果に向き合おうとするのであれば、当然、これまでとは全くちがった新しい心構えが必要なのではないですか?」
こう答えました。
「そうかもしれませんね。しかし、私はまだその心境に至っていない、そうありたいとは願っていますが。つまり、我々が持っているのは(戦争に関する)まだ古い責任感と昔ながらの敵観念だけなんです。それで、ほかにどんなやり方があるます?どこに導きの手が求められれます?教会も大学も何も変わった様子はありません。なのに、私にだけ別の姿勢をとれといわれても、それは無理でしょう。‥‥今さらもう(新しい)理論など待っている暇はないからね」
そう言って、その翌日か翌々日かには軍事対決=全面的核戦争に突入する可能性を想定して、ソ連にキューバからミサイル基地撤去の最後通牒に出たのです。
人類滅亡に行くしかない核戦争という全く新しい事態(新事態)に対応した心構えを取れず、旧来の心構えしか取れなかったため、それが人類滅亡の危機をもたらしたのです。
このくだりを読んだとき、菅谷松本市長の「原発事故と甲状腺がん」のつぎの言葉を思い出しました。
「放射能災害というのは、自然災害と全くちがう。災害はそれが過ぎれば復興に向けて力を合わせれば時間がかかろうとも必ず元に戻る日がやってくる。しかし、放射能災害はそうはいかない。放射性物質はいったん放出したら消すことはできず、消滅まで途方もない時間がかかる。その間の汚染は深刻な事態なのにもかかわらず、放射能が目に見えず臭いも味もしないため、その存在や恐ろしさが次第に忘れられてしまう。」
つまり、自然災害はそれが過ぎ去れば復興に向けて頑張れるのに対し、放射能災害は途方もなく継続する人災です。なのに、目に見えない、臭いも味もしないからといって過ぎ去った災害であるかのようについ錯覚してしまう。その結果、ほかの自然災害とはちがった態度をとれと言われても、それは無理でしょう、と。
菅谷さんの警告は、
自然災害とは全く異なる放射能災害という新しい事態(新事態)に対応した心構えを取れず、自然災害と同様の旧来の心構えしか取れなかったら、それは大変な危機をもたらすということです。
これは決して夢物語ではありません。現に、いま、仙台で開催中の国連防災世界会議は放射能災害という新しい事態(新事態)には一言も触れず、自然災害(東日本大震災)の中に押し込めてひとくくりに処理すれば足りるとしているからです。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150314/k10010015241000.html
これは人類滅亡の淵まで世界を引き釣り込んだ50年前のケネディの認識と同型です。ケネディの認識がもたらした危機を私たちはまたしてもくり返そうとしています。
ケネディは最後通牒を出したあと、弟ロバートに次のことを語ったと記録されています。
「この問題で、私がもっとも苦しんでいるか、君にも分ってるだろうな?」
「なんです?」
「子どもたちのことだよ。ほかの点はともかく、戦争ということを考えた場合、もっともこわいのはこの問題なんだ。全世界の子どもたちが死ぬ--なんの関係もなければ、発言権もない。こんな対決のことなど、なんにも知らぬ幼い子どもたちの生命までが、みんなほかの大人たちと一緒に、吹き飛んじまうんだからね。‥‥」
しかしケネディは、幸い、核攻撃命令を受けた沖縄の現地司令官の謀反によって、またソ連のフルシチョフ首相のミサイル基地撤去の同意によって、全面的核戦争=人類滅亡は免れ、子どもたちの死滅は免れました。
しかし、この事実を知った私たちは、こんな首の皮一枚でつながるような薄氷を踏む思いを二度としないと思う。
子どもの命を憂いながら新しい心構えに踏み出せなかったケネディの優柔不断と悲劇をくり返さないと思う。
そのためには、放射能災害に対し、菅谷さんが提出した新しい心構えに立つしかないと改めて思う。
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