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2019年6月13日木曜日

【続報】2019年6月13日、福島県郡山市の今「東山霊園」のフレコンバック

 2019年6月13日、福島県郡山市の今。「東山霊園」のフレコンバック

 【謝辞】本日の道案内をしてくれた橋本あきさんに感謝申し上げます。
橋本さんは、チェルノブイリ法日本版制定を願う人たちの原点「正しく怒る」(以下のプレゼン資料50頁)、これを文字通り地で行く、「郡山のチコちゃん」です。


2018年12月に、福島県で初めてのチェルノブイリ法日本版の学習会を郡山市でやったとき、「郡山のチコちゃん」こと橋本あきさんの案内で、市内各所を案内してもらいました(その報告は->こちら)。ただし、時間切れで、市内の仮置き場のフレコンバックの移動先になっている東山霊園(郡山駅から南東約10キロにある市営墓園)を訪れることはかないませんでした。

      2018年11月橋本さん撮影の東山霊園の奥のフレコンバック(その1)
  同じく(その2)

半年後の6月13日、友人の火葬のため、 東山霊園を訪れた機会に、上の写真(赤丸部分のフレコンバック)の現場を撮影しました。実は郡山駅に戻る途中で、急に、えも言われぬ頭痛に襲われ、東京にもどっても頭痛が抜けませんでした。この日、線量計を持参しなかったことが悔やまれてなりません。

東山霊園の中のフレコンバック(その1)
 橋本さんの叔母さんが眠る墓地から眺めた風景が上の写真で、墓地の奥に、ステンレス板で覆われてフレコンバックが積まれています。今回、赤丸で囲んだ部分を撮影したのが以下です。

 上の写真の赤丸部分ではボンヤリ黒い点が見える程度のものが近づくと、



さらに近づいて、ステンレス板の隙間から撮影すると、

その隙間にiPadを差し込んで、左右を撮影すると、


東山霊園の中のフレコンバック(その)(管理事務所脇)
  東山霊園の東側に置かれた管理事務所(→全体図参照)の脇に、上記の写真(その2)の通り、フレコンバックの大規模な置き場が出現。

 近づくと、


 さらに近づくと、



近づくと、除染等により生じた「放射性廃棄物」と表示しておらず、「除去土壌」 とある。説明責任ゼロ、啓蒙精神皆無。ボ-としていると、何のことだか分からないようになっている。

2019年6月11日火曜日

【報告】静岡県静岡市、6月8日(土)市民立法「チェルノブイリ法日本版」学習会「戦争と平和--私たちは放射能を忘れたがっている。しかし、放射能は忘れさせてくれない。非日常の非人間的現象の3.11ショックから立ち直り、正気に帰るための問い直しが不可欠--」

2019年6月の市民立法「チェルノブイリ法日本版」学習会を、 6月8日(土)、静岡放射能汚染測定室主催、第8回総会記念講演会として、静岡県静岡市の「アイセル21」でやりました。

参加人数は20名前後?とい事前の予測に反して、73名(内スタッフ9名)+子ども6名 計79名の参加となり学習会、育てる会の賛助会員の申込も17名となりました。
静岡の水面下で、何か地殻変動が起きているのではないかと予感し、その意義を考えさせられた1日でした。 



以下、当日の動画とプレゼン資料&配布資料です。

動画
柳原敏夫の話(その1)(約32分)


柳原敏夫の話(その2)(約32分)


柳原敏夫の話(その3)(約33分)


柳原敏夫と参加者の質疑応答


育てる会のメンバー(岡田俊子、松本徳子)のスピーチ。


主催者代表馬場利子さんより閉会のあいさつ

 
プレゼン資料(全文のPDFは->こちら

http://1am.sakura.ne.jp/Chernobyl/190608Shizuoka-presen.pdf

配布資料(PDFは->こちら
 
市民立法「チェルノブイリ法日本版」実現のため、世界への接近の仕方                                  2019年6月8日
                                   柳原敏夫
1、雑念を払う。その時、真理が稲妻のように人々の心に届く 
 雑念を払ってみた時、311以後の日本政府の正体は民主主義国家とは「あべこべ」の独裁国家ではないのか。天安門事件の中国政府の正体と同じように、犯罪者ではないのか。
 雑念を払ってみた時、311以後の市民運動の姿は、かつての水爆禁止運動、公害運動、情報公開法の市民立法運動等にくらべ、未曾有の巨大過酷事故の現実に追いつかず、劣化が著しいのではないか。

2、「人間離れ」した世界を体感する試み。その時、未曾有の巨大過酷事故の現実に少しでも追いつく 
 なぜ原発事故から目をそむけてしまうのか。単に怖いからではなく、放射能それ自体が「人間離れ」していて、非日常的世界の現象であるから。原発事故の現実と向かい合うための第一歩は、人間が体感(経験)できる対象として放射能を再発見する必要がある。その時、原発事故の途方もない現実に近づける。

3、願いを持つ。それも未曾有の巨大過酷事故に匹敵する願いを持つ。その時アクションに踏み出せる 
 けれど、原発事故の途方もない現実は私たちが人類史の最終章の絶壁に立っているかのような気にさせる。その絶望の気持ちから、もう充分生きた自分だけだったらもういいと思っただろう。しかし、未来しかない幼い人たちは「それは身勝手だ。そして不条理だ」と思うだろう。その時、311以後露呈した不条理な「あべこべ」をただすためのありったっけの願いを総結集して、未曾有の巨大過酷事故に負けないだけの巨大な願いで取り組むしかない。それが絶望と巨大な願いを背負ったチェルノブイリ法日本版。

4、「新しい酒は新しい皮袋に盛れ」、それがチェルノブイリ法日本版 
 福島原発事故で私達は途方に暮れた。日本全土と近隣国を巻き込み、過去に経験したことのない未曾有の無差別過酷災害だから。ところが未曾有の事故にもかかわらず、従来の災害の発想(災害救助法等)で救助・支援が行われ、そして支援は打ち切られた。「新しい酒は新しい皮袋に盛れ」、これが私たちの立場。未曾有の無差別過酷事故には未曾有の無差別の救済が導入されるべし、それが健康被害が発生しようがしまいが事前の一律救済を定めた、原子力事故に関する世界最初の人権宣言=チェルノブイリ法。

5「子どもたちを被ばくのロシアンルーレットにさらさない」、それがチェルノブイリ法日本版
 福島原発事故で私達は途方に暮れた。放射能は体温を0.0024度しか上げないエネルギーで人を即死させるのに、目に見えず、臭わず、痛くもなく、味もせず、従来の災害に対して行ったように、五感で防御するすべがないから。人間的スケールでは測れない、ミクロの世界での放射能の人体への作用=電離作用という損傷行為がどんな疾病をもたらすか、現在の科学・医学の水準では分からないから。危険というイエローカードが出せない。にもかかわらず、危険が検出されない以上「安全が確認された」という発想で対応し(3日の福島県の甲状腺検査評価部会)、その結果、人々の命、健康は脅かされた。「危険が検出されないだけでは足りない。安全が積極的に証明されない限り、人々の命を守る」、これが私たちの立場。人々の命を被ばくというロシアンルーレットから守る。なぜならロシアンルーレットが当たったら、損傷した命、健康を元に戻すことは不可能だから。それが予防原則、これを明文化したのがチェルノブイリ法。

6「苦悩という避難場所から脱け出し、真の避難場所に向かう」、それがチェルノブイリ法日本版
 福島原発事故で私達は途方に暮れた。最初、人々は除染で放射能に勝てると教えられたが、それが無意味な試みと分かると口を閉ざしたから。避難できず、苦悩が人々の避難場所となった(2011.7「この哀しみ、この怒り、このいらだちをいつ、どこで、誰にどうぶっつけていいものやら」)。「苦悩という避難場所から脱け出し、真の避難場所に向かう」、これが私たちの立場。それが美しい謳い文句にとどまらず、現実に、安全な避難場所に避難する権利を保障したチェルノブイリ法。

7、「一人一人の市民の力で作る」、それが市民立法チェルノブイリ法日本版
 原発事故の本質は戦争です。国難です。他の全ての課題に最優先して、その全面的救済を実現する必要があります。同時に歴史の教えるところは、国難において、国家はウソをつく、犯罪を犯す。国難において現場にどんな悲劇があっても、一人一人の市民がその生死をかけて立ち上がらなければ何も生まれない(田尻宗昭)。1997年に市民が作った対人地雷禁止条約も、1991年、2人の市民のアクションから始まった。それ以外にも、私達には公式の日本史には載らない。以下の栄光の市民運動の歴史がある。
1872年 江藤新平らが、司法権の独立と民が官を裁く先進的な行政訴訟を作る。
 1954年、杉並の主婦から始まった水爆禁止署名運動
 1964年、三島・沼津の「石油コンビナート反対」の市民運動
      →政府を震撼させ、1967年、世界初の総合的な公害対策基本法を制定させた。
 1969年、翌年、歴史的な公害国会(公害対策基本法の「調和条項」を削除)を引き出した東京都公害防止条例制定の市民運動
 1995年、霞ヶ浦再生を、市民型公共事業として取り組んだアサザ・プロジェクト
1999年、市民主導で、1982年山形県金山町で条例制定の第1号、日本各地の条例制定の積み上げの中から制定を実現した情報公開法
これらの「希望の扉」の全てを叩き、開いて、市民主導で日本各地から条例制定を積み上げて法律を作るという、市民立法「チェルノブイリ法日本版」を実現し、3・11以後正義と不正義があべこべとなった事態をただし、平和を創る――それが3・11以後の私たちに残されていること。
以上が、2018年3月スタートした、市民が育てる「チェルノブイリ法日本版」の会(略称「育てる会」)の市民運動

8、さいごに (斉藤隆介作・滝平二郎絵)「八郎」より
むかし、秋田に、 
八郎という名の山男が住んでいた。八郎は、かしの木ほどもある大男。なのに、彼の口癖は、
あーあー、おら、もっと おっきくなりてえなあー、おっきくなりてえなあー
でも、なぜ自分が 大きくなりたいと思うのか わからなかった。
しかし、とうとうその時が訪れた。
或る時、小さな子どもと出会い、子どもとの経験を通じ、自分の心の秘密を知り、こう叫んだ。
わかったあ !  
おらが、  なしていままで、  
おっきくおっきく  なりたかったか !

・・・私たちも、八郎のように、確信を抱いて叫び続けたい。
あーあー、おら、もっと おっきくなりてえなあー、おっきくなりてえなあー                                      (2019.6.7)

 
 

2019年5月27日月曜日

311以後、市民は五感の通用しない人間的スケールを超えた、「日常感覚」と分断された不条理な世界と闘ってきたのみならず、同時に、私たち市民を愚弄し続けてきた明治維新以来の日本の歴史と闘ってきた(19.5.27)

 2018.11.10第11回新宿デモへの呼びかけ)(18.10.20)に加筆。

「悪い奴にとって一番ありがたいことは、いい人がだまっていてくれることだ」。イギリスの古い美学者が言っていた言葉ですが、そんなことで、黙っていてはいけませんよ。
                                                   大岡 昇平
大岡昇平「時代へ発言 第三回-39年目の夏に-」1984.8 NHK教養セミナーより

戦争について生涯考え続けた作家大岡昇平(彼の紹介->こちら)、もし彼が生きていたら、原発事故の本質について、こう言ったと思う。
--原発事故は従来の災害・人災の延長線上で考えることはできない。むしろ一種の核戦争というべきである。
なぜなら、一方で、物理現象として、放射能は目に見えず、臭いもせず、痛みも感じない、私たちの日常感覚ではぜったい理解できない、人間的スケールを超えた、非日常的な、不可解、不条理な現象で、原発事故は、原発から放出された大量の放射性物質によって、外部から、そして体内に取り込まれ内部から、桁違いな量でくり返し発射される放射線とのたえまのない戦い(年間1mSvだけでも「毎秒1万本の放射線が体を被ばくさせる事態が1年間継続すること」(矢ヶ崎克馬琉球大学名誉教授)を強いられているから。

他方で、社会現象として、戦争では「ひとりひとりの兵士(市民)から見ると、戦争がどんなものであるか、分からない。単に、お前はあっちに行け、あの山を取れとしか言われないから。だから、自分がどういうことになって、戦わされているのか分からない。分からないまま、危険な目に遭い、死んでしまう」、それが戦争だ。

これに対し、福島原発事故がそうだったように、「ひとりひとりの市民から見ると、原発事故がどのようなものであるか、どうしたらよいのか、真実は分からない。単に、『健康に直ちに影響はない』『国の定めた基準値以下だから心配ない』とかしか言われないのだから。だから、一体自分がどういう危険な状態にあるのか、どう対策を取ったらよいのか、本当のことは分からない。分からないまま、危険な目に遭い、身体を壊してしまう」、これが原発事故というものだ。この点でも戦争と変わらない。

また、大岡昇平は、戦争中の日本軍部の愚劣な作戦を省みて、「兵士=歩兵(市民)は(敵のアメリカ軍と闘っただけでなく)、明治維新以来の日本の歴史と闘ってきたようなものだ」と語る。

これに対し、福島原発事故以後、恥ずかしいほどあからさまとなった、原子力ムラの愚劣極まりない対応を見て、命を救済するという当たり前のことがなぜできないのかと問うた時、私たちもまた大岡昇平と同様、「私たちは市民は、単に原子力ムラと闘っているのではなく、明治維新以来の日本の歴史と闘っているようなものだ」ということに思い至る。

その時初めて、市民を愚弄し続けて来た、明治維新以来の日本の歴史と闘って来た「江藤新平」、「田中正造」、杉並の「原水爆禁止」署名運動、人間裁判の「朝日茂」、水俣病の「川本輝夫」「原田正純」「宇井純」、四日市死の海を刑事告発した「田尻宗昭」、三島・沼津「石油コンビナート反対」の市民運動、東京都公害防止条例制定に尽力した「戒能通孝」たち、彼らが挑んできた格闘をいま自分たちも(ひそかに)追体験していることに思い至る。

 江藤新平(詳細は->ここ

 杉並で始まった水爆禁止署名運動(詳細は->ここ

朝日 茂(詳細は->ここ

川本輝夫(詳細は->ここ

田尻宗昭(詳細は->ここ
 戒能通孝(詳細は->ここ

大岡昇平が生前、戦争について語ってきた以下のメッセージの「戦争」は「原発事故」に置き換てもそのまま通用する。「核兵器」は「原発」に、「兵士」は「市民」に置き換えられる。それくらい原発事故は、戦争と同じく、私たち市民の日常の感覚・考え方では捉えきれない異常事態です。

だから、私たちは、私たちのあとに続く世代が生き延びる意志を持つ限り、彼らが人間であることをやめない限り、私達も生き延びることをやめる訳にはいかない。日常の感覚・意識との「分断」に甘んじる訳にはいかない。どんなに大変であっても、「注意深い」感覚・意識を持ちながらこの未曾有の異常現象と向きあい続け、なおかつ私たち市民を愚弄し続けて来た明治維新以来の日本の歴史と向き合い続け、NO!と言うだけでなく、「江藤新平」たちが創ろうとしてきた平和=積極的なYES!に向かって、アクションをやめる訳にはいかない。

【甘い考えだった】
「われわれの死に方は惨めだった。われわれをこんな下らない戦場に駆り立てた軍人共は全く悪党だった。芸妓相手にうまい酒を飲みながら、比島決戦なんて大きなことをいい、国民に必勝の信念を持てと言い、自分たちはいい加減なところで手を打とうと考えていた。‥‥
戦後二五年、おれの俘虜の経験はほとんど死んだが、きみたちといっしょにした戦争の経験は生きている。それがおれを導いてここまで連れて来た。
もうだれも戦争なんてやる気はないだろう、同じことをやらないだろう、と思っていたが、これは甘い考えだった。戦後二五年、おれたちを戦争に駆り出した奴と、同じ一握りの悪党共は、まだおれたちの上にいて、うそやペテンで同じことをおれたちの子供にやらせようとしている。」 (ミンドロ島ふたたび)
大岡昇平「時代へ発言 第二回-死んだ兵士に-」1984.8 NHK教養セミナーより

【戦争とは】
「核兵器は使うために作るのではない。持ってるぞということを示して、相手が使うのを抑える、核抑止戦略というんですが、とにかくこういう面倒な理屈が行なわれる。そういうところまで戦争は来てしまってるわけです。
核を使えば、人類の滅亡だから、限定戦争といって、核兵器を使わない戦争を朝鮮や,ベトナムではやってるわけですけど、するとそこにさっき言った徴兵制、戦争の矛盾がでてくるわけですね。それが何のために戦争をしているのかわからない――「いやだ」と言い出す。そこに住んでる人民の支持を得られない戦争というのは非常にいやな苦しいものです。アジアは人口が非常に多いんですから、いくらアメリカ人が一人で十人穀したところでいくらでもいるわけで、それがアメリカがどうしてもベトナムて勝てない理由なんです。あれはだんだんに終るうとしておりますけれど、とにかくこれが現代の戦争の実情なんで、れれわれは戦争はもうごめんだ、と考えていますけれど、実際は戦後二十五年、世界のどこかで限定戦争が行われている。いまの若い方が「知っちゃいない」と言おうと言うまいとそれは行なわれている。関係ないと思ってるうちにいつの間にか、われわれも巻き込まれている。そして来てからではもう何をしても間に合わない。戦争はそういうものなのです。」 (「レイテ戦記」の意図)
大岡昇平「時代へ発言 第二回-死んだ兵士に-」1984.8 NHK教養セミナーより

【俺は言うねぇ、とにかく】
「私はそうやってみんなが現にこう楽に暮らせるんならば、忘れちゃっても別にとがめようとは思わないんです。
それは人間はね まあ そういうもんなんですよ。そうして暮らしていければまあいいだろうと思うだろうし、
死んだ人間は、また それで いいと思ってると思うんだけれども、ただ、このまままたヒドいことになるというところへ引っ張っていくのじゃあ、彼らは浮かばれないだろう。‥‥
そうすると、政府の方が勝手なことをするのに対して『ノー』と言い続けることが文学者の、つまり我々の役目であって、それは、どうしても、、、俺は言うねぇ、とにかく。‥‥
大岡昇平「時代へ発言 第三回-39年目の夏に-」1984.8 NHK教養セミナーより

『悪い奴にとって一番ありがたいことは、いい人がだまっていてくれることだ』。イギリスの古い美学者が言っていた言葉ですが、そんなことで、黙っていてはいけませんよ」 
大岡昇平「時代へ発言 第三回-39年目の夏に-」1984.8 NHK教養セミナーより

2019年5月24日金曜日

【報告】東京都文京区、5月19日(日)市民立法「チェルノブイリ法日本版」学習会「戦争と平和--私たちは放射能を忘れたがっている。しかし、放射能は忘れさせてくれない。非日常の非人間的現象にボーとしないで、3.11ショックから立ち直り、正気に帰る必要がある--」

 2019年5月の市民立法「チェルノブイリ法日本版」学習会を、 5月19日(日)、NPO「ふくしま支援・人と文化ネットワーク」主催、東京都文京区の本郷文化フォーラム(東京都文京区本郷3-29-10 飯島ビル1階)でやりました。


以下の写真2枚はNPO「ふくしま支援・人と文化ネットワーク」代表神田香織さんFacebook提供。


以下、当日の動画とプレゼン資料&配布資料です。

動画

プレゼン資料(全文のPDFは->こちら) 
http://1am.sakura.ne.jp/Chernobyl/190519presenTokyo.pdf
 
配布資料(PDFは->こちら
新しい酒を新しい皮袋に盛る市民立法「チェルノブイリ法日本版」
2019年5月19日
                                                       育てる会共同代表 柳原敏夫

福島原発事故で私達は途方に暮れました。日本全土と近隣国を巻き込み、過去に経験したことのない未曾有の無差別過酷災害だからです。ところが未曾有の事故にもかかわらず、従来の災害の発想で救助・支援が行われ、そして支援は打ち切られました。「新しい酒は新しい皮袋に盛れ」、これが私たちの立場です。未曾有の無差別過酷事故には未曾有の無差別の救済が導入されるべし、それが健康被害が発生しようがしまいが事前の一律救済を定めた、原子力事故に関する世界最初の人権宣言=チェルノブイリ法です。

福島原発事故で私達は途方に暮れました。放射能は体温を0.0024度しか上げないエネルギーで人を即死させるのに、目に見えず、臭わず、痛くもなく、味もせず、従来の災害に対して行ったように、五感で防御するすべがないから。人間的スケールでは測れない、ミクロの世界での放射能の人体への作用=電離作用という損傷行為がどんな疾病をもたらすか、現在の科学・医学の水準では分からないから。つまり危険というカードが出せない。にもかかわらず、危険が検出されない以上「安全が確認された」という従来の発想で対応し、その結果、人々の命、健康は脅かされました。「危険が検出されないだけでは足りない。安全が積極的に証明されない限り、人々の命を守る」、これが私たちの立場です。つまり人々の命を被ばくというロシアンルーレットから守る。それが予防原則で、これを明文化したのがチェルノブイリ法です。

福島原発事故で私達は途方に暮れました。最初、人々は除染で放射能に勝てると教えられました。しかしそれが無意味な試みと分かると口を閉ざしたからです。避難できず、苦悩が人々の避難場所となりました。「苦悩という避難場所から脱け出し、真の避難場所に向かう」、これが私たちの立場です。それが美しい謳い文句にとどまらず、現実に、安全な避難場所に避難する権利を保障したチェルノブイリ法です。

原発事故の本質は戦争です。国難です。他の全ての課題に最優先して、その全面的救済を実現する必要があります。同時に歴史が教えるところは、国難において、国家はウソをつく、犯罪を犯す。
他方、公式の日本史に載らない民衆史が教えるところは、現場にどんな悲劇があっても、一人一人の市民がその生死をかけて立ち上がらなければ何も生まれない(田尻宗昭)。1997年に市民が作った対人地雷禁止条約も、1991年、2人の市民のアクションから始まった。それ以外にも、私達には以下のような、栄光の市民運動の歴史があります。
1872年 江藤新平らが、司法権の独立と民が官を裁く先進的な行政訴訟を作る。
1954年、杉並の主婦から始まった水爆禁止署名運動
1964年、三島・沼津の「石油コンビナート反対」の市民運動
1969年、歴史的な公害国会を引き出した東京都公害防止条例制定の市民運動
1995年、霞ヶ浦再生を、市民型公共事業として取り組んだアサザ・プロジェクト
1999年、市民主導で、日本各地の条例制定の積み上げの中から制定を実現した情報公開法 
これらの「希望の扉」の全てを叩き、開いて、市民主導で日本各地から条例制定を積み上げて法律を作るという、市民立法「チェルノブイリ法日本版」を実現し、3・11以後正義と不正義があべこべとなった事態をただし、平和を創る――それが3・11以後の私たちに残されていることです。
以上が、2018年3月スタートした、市民が育てる「チェルノブイリ法日本版」の会(略称「育てる会」)の市民運動です。

参加者の感想
主催団体NPO「ふくしま支援・人と文化ネットワーク」の代表神田香織さん(Facebookより)
「19日、NPO法人「ふくしま支援・人と文化ネットワーク」の総会と学習会を本郷文化フォーラムにて開催しました。学習会は一年前に発足した「チェルノブイリ法日本版」について柳原敏夫さんが講演。まず最初に柳原さんの「戦争と平和」と題したメッセージ、インパクトありました。 「私たちは放射能を忘れたがっている。その弱みにつけこみ、日本政府は『原発事故は終わった。あとは経済復興、オリンピック』と煽り立てる。 私たちは放射能を忘れたがっている。しかし、放射能は忘れさせてくれない、原発事故を簡単に終わりにはさせてくれない。非日常の非人間的現象にボーっとしないで3.11ショックから立ち直り、正気に帰る必要がある。」  スライドはどれも示唆に富んでいて次々とパチリ。「司法権の独立を獲得した江藤新平」、美濃部都政時の「東京都公害防止条例」今後のヒントとして「希望の扉」の実例、「もう一つのあべこべ」など、闘いの歴史もふまえ、物静かな語り口ながら怒りと情熱が伝わってきました。 エドワード・サイードの引用からは柳原さんの反骨精神 が垣間見えました。「現代の知識人は専門家ではなく、アマチュアたるべきである。そして機知とユーモアでずけずけ物をいい、絶えず移動する遊牧民である」 そう、もう、いわゆる知識人や政治家におんぶできる時代ではないですね〜。下手すると政治家の手によって戦争が起こりかねないのだから。機知とユーモアでずけずけ言いたいが自信がないという方、よろしければ私の講談教室にどうぞ。機知とユーモアはともかく、大きな声はお任せください(笑) 写真は講演の間はほとんど下を向いていた柳原さん、実はこんなに目がぱっちり。打ち上げ会場の前で。紹介したスライドの数々、講談教室のご案内です。」

2019年3月31日日曜日

【報告】2019年3月30日 ―原発事故から8年、私たちはあきらめない― 「被ばくから免れ、健康に生きる権利を」自ら、今から創り出す(東京光塾)

3月30日、東京都渋谷区光塾で、「被ばくから免れ、健康に生きる権利」の確立を求めて、これに取り組んでいる人たちの報告集会を開きました。

以下、当日のプログラムと動画、資料です。

プログラム
 第1部 政府と福島県の棄民化実態共有と私たちの闘い
①.今野寿美雄さん(福島在住、元原発作業従事者、子ども脱被ばく裁判原告代表)
 「福島の被害実態と現状報告」
②.瀬戸大作さん(避難の協同センター・事務局長)
 「原発事故避難者を追い詰めた期限を決めた自立の強制」
③.光前幸一弁護士柳原敏夫弁護士(子ども脱被ばく裁判弁護団)
「前回期日で、内部被ばくの危険性に争点が定まった子ども脱被ばく裁判の現状報告」
 
第2部 我々自身がそれぞれの地域で、現場で「希望」の闘いをどう進めるか  
①.柳原敏夫弁護士(市民が育てる「チェルノブイリ法日本版」の会・共同代表) 
 「市民立法『チェルノブイリ法日本版』条例を全国各地に!」 
②.松本徳子さん(避難の協同センター 世話人代表)
 「原発事故被害者の協同に向けて」 


第3部 参加者との質疑応答

動画  
第1部① 今野寿美雄さん(福島在住、元原発作業従事者、子ども脱被ばく裁判原告代表)
 「福島の被害実態と現状報告」



第1部② 瀬戸大作さん(避難の協同センター・事務局長)
 「原発事故避難者を追い詰めた期限を決めた自立の強制」



第1部③ 光前幸一弁護士柳原敏夫弁護士(子ども脱被ばく裁判弁護団)
「前回期日で、内部被ばくの危険性に争点が定まった子ども脱被ばく裁判の現状報告」



① 柳原敏夫弁護士(市民が育てる「チェルノブイリ法日本版」の会・共同代表) 
 「市民立法『チェルノブイリ法日本版』条例を全国各地に!」 
  



※ 配布資料 ->こちら
※ プレゼン資料 PDFは->こちら



② 松本徳子さん(避難の協同センター 世話人代表)
 「原発事故被害者の協同に向けて」 



 参加者との質疑応答


2019年3月30日土曜日

くじ引きの勝利&もっとくじ引きの導入を:大阪第1検察審査会、森友事件、佐川前国税庁長官ら「不起訴不当」とする(2019.3.29)

本日の毎日新聞記事
森友事件、佐川前国税庁長官ら「不起訴不当」 

            (佐川宣寿・前国税庁長官=国会内で2018年3月27日、竹内紀臣撮影)

森友事件も原発事故と同様、権力を持つ人たちが「終わったもの」として必死になって幕引きを画策してきましたが、それに正面から立ちはだかるのが検察審査会です。
今回もそれを実行して見せました。

なぜ検察審査会がかくも勇猛果敢に権力者に抵抗できるのか。
それはここが市民の良識が発揮される場だからです。
では、なぜそんな良識が発揮できるのか。
それは権力者のコントロールが及ばない場だからです。
なぜそんなまれなことが可能なのか。
それは市民がくじ引きで選ばれた場だからで、権力者のコントロールが容易ではないからです。
だから、これは「くじ引きという技術の勝利」なのです。

それは、先日結審した東電幹部の刑事裁判を実現させた、東電幹部の起訴相当議決をした2014年7月31日の東京第5検察審査会の「事件」で記憶に新しいところです。

私は、311の1年前の2010年4月に、
「小沢一郎氏の起訴相当」検察審査会、全員一致で議決」
のニュースを読んだ時、初めて、くじ引きの威力、勝利を思い知らされました。

それは「民主主義は最悪の形態だ、だが、それよりましなものがない」とシニカルに語ったチャーチルの発言に対して、「もうひとつの民主主義は可能だ」を身をもって示した生きた実例だと思ったからです。

チャーチルの「民主主義」は議会制民主主義で、古代ギリシャの民主主義の技術である秘密選挙を含んでいますが、古代ギリシャのもう一つの技術である「くじ引き」は無視されていました。「最悪の形態」に堕する原因の1つは「くじ引き」を採用していなかったからで、「くじ引き」に挑戦すれば、今回の検察審査会のように「最善の結果」が引き出すことが可能なのです。

私は、検察審査会に限らず、最高裁の裁判官も「くじ引き」で選ぶべきだと思います。少なくとも全裁判官が秘密投票した上位(例えば)30名の中から「くじ引き」で選べば、たとえば志賀原発差止判決を書いた井戸謙一さんのような人が選ばれる可能性もあります。今よりずっとましな最高裁になるのは間違いない。
同様に、国会議員も投票で上位(例えば)千名の中から「くじ引き」で選べば、安倍首相だって落選する可能性もあるし、今よりはずっとましな議員が選ばれるのは間違いない。
厚労省の統計不正問題を調査する第三者委員会(特別監察委員会)のメンバーの人選も「くじ引き」を導入すれば、今よりずっとましなものになるのは間違いない。
いま、様々な審議会や第三者委員会のメンバーの人選も大胆に「くじ引き」を導入すれば、今よりずっとましなものになるはずです。

そのことを、20年前、「くじ引き」について考察して、「入れ札」という小説を書いた菊池寛を論じた柄谷行人の「入れ札と籤引き」を読み、「くじ引き」が人類の遺産としてとてつもなく重要なものであり、「くじ引き」の活用は未だ発展途上にあることを初めて知りました。

いまが、日本社会が持ちうる最悪の要素の全てを露呈した311以後の「全てがあべこべ」の暗黒時代だからこそ、すべての「希望の扉」を叩き、開き、注ぎ込むことに努力する必要があります。そのとき、この「くじ引き」という技術がいかに凄いものであるか、東電幹部は言うまでもなく、権力を持った人たちはその恐ろしさを実感していて、私たち市民が「ボーとして、その重要性に気がつかないこと」をひたすら願っているはずです。

だからこそなおのこと、「くじ引き」の偉大さに目覚めた者が世界を変える可能性を持つのだと思いました。

参考:くじ引きによる市民の政治参加の偉大な勝利、そしてその応用について--検察審査会の東電幹部起訴相当議決--(2014.8.8) 

2019年3月25日月曜日

【報告】2019年3月17日、市民が育てる「チェルノブイリ法日本版」の会結成1周年集会「原発事故ー汚染地の現実と命の救済」(総会、白石草さん講演ほか)

結成1周年集会が3月29日毎日新聞夕刊の特集で報道されました(そのネット上の会員限定記事ー>こちら

2018年3月18・19日の<市民が育てる「チェルノブイリ法日本版」の会>結成集会から1年が経過した今年3月17日、東京都港区で、結成1周年集会を開催しました。

当日参加した皆さんに、「育てる会結成1周年に寄せる会員のメッセージ」をつづった小冊子(中身は以下の画像をクリックすると表示されます)を配布しました。
http://1am.sakura.ne.jp/Chernobyl/190308Booklet-completion.pdf

日時:3月17日(日)
場所:リーブラ(港区男女平等参画センター)1F ホール->地図
     東京都港区芝浦1-16-1 みなとパーク芝浦
     JR田町駅 東口(芝浦口) 徒歩5分

第2回総会
 西は兵庫県加古川市、東は福島県郡山市と全国各地から育てる会の正会員賛助会員が参加して、第2回総会を開催しました。
審議事項
 第1号議案 規約変更(案)                 ->こちら              
 第2号議案 2018年度活動報告(案)
 ->こちら      
 第3号議案 2018年度決算報告(案)
 ->こちら        
 第4号議案 監査報告           
->こちら         
 第5号議案 次年度の活動計画(案)          
 第6号議案 次年度の予算(案)       
 ->こちら             
 第7号議案 その他の事項 
今春の統一地方選に公開質問状を出す件   
          
 討議の結果、継続討議となった第7号議案(公開質問状の件)を除き、すべて承認。
 以下は、発言する育てる会のメンバーです。
岩間綾子(栃木県塩谷町)
柳原敏夫(埼玉県川越市)
大庭有二(神奈川県小田原市)
                      上野正美(三重県伊勢市)
藤田のりえ(兵庫県加古川市)
吉田弥生(愛知県日進市)
黒田節子(福島県郡山市)
三ッ橋トキ子(千葉県野田市)

1周年記念集会
会場

第1部
記念講演とセッション
白石 草さん「原発事故から8年目の子どもたちの健康」   

動画


柳原 敏夫「3.11ショックに対抗する--NOでは足りない、YESを創り出そう」
配布資料   ->こちら
プレゼン資料(全文のPDFは->こちら) 
http://1am.sakura.ne.jp/Chernobyl/190317TokyoPresen.pdf

動画


講演者によるパネルディスカッション











 
動画


交流会

第2部
「3.11東北・関東 放射能汚染からの避難者と仲間たち」から報告と呼びかけ 
動画