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2014年8月8日金曜日

くじ引きによる市民の政治参加の偉大な勝利、そしてその応用について--検察審査会の東電幹部起訴相当議決--(2014.8.8)

7月31日、東京第5検察審査会は、福島原発事故発生について東電幹部の刑事責任を審査した結果、元会長ほか2名を「起訴相当」と、不起訴とした検察の判断を覆しました。

政府と原子力ムラの一枚岩のように見える原子力政策も、ひとたび、くじ引きで選ばれた市民が政治参加して市民の声を反映させたとき、たちまち様相が一変します。なぜなら、くじ引きによる審査員の選任には政府も原子力ムラも影響力を行使することができない。その結果、市民のモラル・良識が生々しく露出するからです。

ここには、ひとり、今回の「福島原発事故発生の刑事責任」にとどまらない、日本の政治過程に真に市民のモラル・良識を反映させるための仕組みの鍵が秘められている。ここで垣間見えてきた「くじ引きによる市民の政治参加」の可能性を全面展開すべきです。
検察審査会のあり方を可能な限り、あらゆる部署、場面に応用、拡大すべきなのです。

以下は、2010年4月に、そのことについて書いた感想です。
3.11以後、民主主義の危機の中で、再び、くじ引きによる市民の政治参加の偉大な勝利を再確認しました。

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Subject: 雑感 : くじ引きの勝利→ 21世紀の食の安全チェック機関のアイデアはくじ引きと行政から独立した検察審査会にある

皆さんへ

こんにちわ、柳原です。

今朝の新聞記事
「小沢氏は起訴相当」検察審査会、全員一致で議決

を読んだ瞬間、くじ引きの勝利だ!と思いました。

そして、これが21世紀の食の安全のチェック機関を構想する上でのモデルになると思いました。

くじ引きは権力の固定化に対し、偶然性を導入するものです。
その結果、くじ引きによる審査員の選任にさしもの小沢氏も影響力を行使することができない。
その結果、市民のモラル・良識が生々しく露出する。

しかし、それが真に保障されるためには、審査員の検討を事実上リードする検察審査会の事務局が行政(法務省・検察)から独立している必要がある。食品安全委員会の事務局のように、農水省の役人たちが事務局長等を牛耳るようでは、茶番にしかならない。

でも、検察審査会は行政から独立した裁判所の中にあるのですね。
だから、検察の意向を汲んだ形で、事務局が動くことができませんね。

改めて、21世紀に相応しい、食の安全をチェックする機関を構想するのであれば、この検察審査会が大変参考になるのではないかと思いました。

つまり、
1、委員は、くじ引きで選任する。現在の食品安全委員会の委員のような、権力の影響力の行使を排除する。

2、但し、全員を一般市民から選ぶのがいいか、一部は専門家の中から選ぶことにするかは検討する余地あり。
但し、「専門家」神話に過剰にこだわる必要はないと思う。今日の小沢起訴相当の判断でもそうですが、一般市民は、専門家が考える以上に、すぐれた良識とセンスを持っている。むしろ、一般市民が理解できるように、説明能力と意思を欠く専門家のほうが問題だ、と。

3、食の安全チェック機関は、検察審査会のように、行政から完全に独立させて運営する。例えば、第3の権力、裁判所の中に置く。
裁判所が無理だというのなら、それなら、裁判所に準じる司法機関である弁護士会がそれを引き受ける。
弁護士会の中から、事務局長等の事務局スタッフを選任し、担当する。例えば、神山美智子さんみたいなベテランが事務局長を担当するか、それとも市民団体のベテランスタッフに担当してもらう。
いずれにせよ、これにより、行政から独立した機関として運営されることになる。

市民がこれまでの民主主義のように、ただ拍手喝采するだけの観客ではなく、みずから舞台の登場人物になって演じるとき、どんな舞台が展開するのか(これが参加的民主主義ですが)、最近の検察審査会はその素晴らしい実例をまざまざと見せてくれています。

だったら、検察審査会でできたことが、食の安全でできない筈がない、たとえ少々困難があっても。

ともあれ、今回の検察審査会は、くじ引きや行政からの独立について、参加的民主主義のイメージをもっともっと膨らましていく必要があることを教えてくれた偉大な教師だと感じています。

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