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2014年5月4日日曜日

10.15郡山集会&デモへの呼びかけ(「ふくしま集団疎開裁判」について)(2011.10.9)

2011年10月9日
ふくしま集団疎開裁判弁護団 柳原敏夫

 
 3月11日から半年経ってみて感じることは、私たちは一種の核戦争の中にいるのではないかということです。日々、福島原発から放出された大量の放射性物質によって、外部から、そして体内に取り込まれ内部から、絶え間なくくり返される核分裂と同時に発射される放射線との果てしない戦いを強いられているからです。「核分裂による放射線の被ばく」という、目に見えず、ニオイもせず、痛みも感じない、要するに私たちの日常感覚ではぜったい理解できない相手との戦いの中にほおり込まれています。それは核物質(核種)との戦いという意味で核戦争です。
 戦争で起きる理不尽極まりない出来事が原発事故で起きてもおかしくないのです。

戦争について考え抜いた一人である、作家の大岡昇平は、太平洋戦争の天王山と言われたフィリピンのレイテ島の激戦「レイテ戦記」を書いたあと、NHKインタビューでこう語りました。

ひとりひとりの兵士から見ると、戦争がどんなものであるか、分からない。単に、お前はあっちに行け、あの山を取れとしか言われないから。だから、自分がどういうことになって、戦わされているのか、分からない。
それで、戦争とはこういうもので、あなたはここに出動を命じられ、それで死んだんだということを、なぜ彼等は死ななければならなかったのか、その訳を明らかにしようとしたのです。

しかし、福島原発事故も実はこれと同じではないか。
3.11のあと、ひとりひとりの市民から見ると、福島原発事故がどのようなものであるか、どうしたらよいのか、真実は分からない。「健康に直ちに影響はない」「国の定めた基準値以下だから心配ない」とかしか言われないのだから。だから、一体自分がどういう危険な状態にあるのか、どう対策を取ったらよいのか、本当のことは分からない。

それで、ひとりひとりの市民にとって必要なことは、「レイテ戦記」のように、福島原発事故とはこのようなもので、このような危険な事態が発生していて、それに対して必要な措置を取らずにいると、言われるままにいると、ひとりひとりの市民には、今後、大変な健康障害が発生することを明らかにすることです。「ふくしま集団疎開裁判」もまた、放射能に対する感受性の高い子どもに焦点を当てて、この真実を明らかにしようとしたものです。

但し、大岡昇平は、フィリピンのレイテ戦でひとりひとりの兵士がなぜ死ななければならなかったのかを明らかにするのに戦後20年以上も要しました。しかし、私たちは20年も待つ必要はあるのでしょうか。今すぐ行動を起こして、ひとりひとりの子どもたちがなぜ死ななければならないような危険な状態に放置されているのかを告発し、改めさせることが必要だし、しかも可能なのです。今だったら、まだ命を落とすことが避けられるのですから、間にあうのですから。

 大岡昇平はインタビューの最後にこう言いました。「『悪い奴にとって一番ありがたいことは、いい人がだまっていてくれることだ』。イギリスの古い美学者が言っていた言葉ですが、そんなことで、黙っていてはいけませんよ」

これまでずっと観客席で茶番劇を見物することには、もう飽き飽きした皆さん。
これ以上黙っていないで、NO!と言いたいと思っておられる皆さん。
「ふくしま集団疎開裁判」は子どもたちを放置する現状に対して、14名の子どもとその親が黙っていないでノーと言った裁判です。14名の子どもたちに続いて、私たちも黙っていないでノーと言いましょう。
0月15日の郡山集会&デモは、そうした皆さんが主役になる舞台です。
 ひとりひとりのつぶやきは小さくても、それが集まれば大きな声、そして力になります。
どうか、10月15日の郡山集会&デモに多くの皆さんに参加していただき、ひとりひとりの切なる願いを裁判所と郡山市に届けましょう。

※10.15郡山デモの報告-->こちら















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