Translate

2014年10月22日水曜日

つぶやき(6)400年前まで、日本は世界有数の訴訟超大国だった(2014.10.22)


先日、福島から電話をいただいた方に、子ども脱被ばく裁判の話をしたとき、
「裁判の原告になるって大変ですよ」
という話しになり、そのとき、
「原発告訴団は、相手を処罰せよだから、もし間違って訴えたら、冤罪で大変なことになる。だから、それができる位だったら、こどもを逃がして欲しいと訴えても、仮に間違ったとしても、誰も迷惑を及ぼさない。だから、本来なら、もっとぜんぜん気を楽にして原告になれる」
というのが私の感想でした。

で、その方は、そもそも裁判の原告になるというのは、普通ならあり得ないという風に思い込んでおられる様子がありあり(^_^)。

私が、欧米では、下宿人が家賃を払わないと家主はさっさと裁判を起こす、まるで買い物でもする感覚ですよ、と言っても、それは海外のことだからと信じてもらえない。

それで、日本でも、少し前までは、欧米と変わらなかったことを伝えようと思ったのですが、ちゃんと証拠を示さないと説明責任を果たしたことにならないと思い、そのあと、調べた結果を報告します。

網野善彦という日本の中世の研究者として代表的な人物がいますが、彼の「中世の裁判を読み解く」という本の中で、鎌倉時代に、民衆が時の政府の役人や政府が保護する寺を相手に裁判を起こして、勝訴した記録を読み解いています。

網野善彦は、まえがきで、13世紀に、世界史的にみても例のないほどの充実した裁判手続が作られ、それに基づいて裁判が行われたことに、ビックリして、これについてもっと考えなければならないと述べています。

網野善彦は、別の本「日本中世の民衆像」の中で、この裁判について、こう解説しています。

この史料は、静岡の、傀儡と命名された原告(全員、尼層の姿をした女性だった)が、鎌倉幕府の法廷で、源頼朝の寺(寿量院)の訴訟担当の役人(雑掌)と訴訟を行い、
「幕府の法廷で、幕府の保護する寺院の雑掌と堂々とわたりあって、訴訟に勝ったことを示す史料であります」

これを現代に翻訳すると、
全員女性が、国の法廷で、国の保護する団体(自治体)の代理人と堂々とわたりあって、訴訟に勝った」
ようなものです。

で、こうした裁判はまれなことか?というと、とんでないことで、網野善彦の「日本社会の歴史」の中に、次のように紹介されています。

(1221年の東国・西国戦争<承久の乱>のあと)
鎌倉幕府から任命され、各地の荘園の管理を任された地頭は、幕府の力を背景に、その支配方式を平民百姓に強要‥‥。
しかし、こうした地頭への従属を不当とする平民百姓たちの抵抗が各地で激烈におこり、その訴えを支える領家・預所と地頭との訴訟・相論が各地で頻発した(中巻128頁)

(1333年、鎌倉幕府が崩壊し、後醍醐天皇の専制のスタート)
後醍醐天皇は、関東の引付にならった民事法廷、雑訴決断所を設け、ここには腹心の貴族や武士だけでなく、関東の旧評定衆なども大幅に採用して、押し寄せてくる膨大な訴訟の解決に当たらせている。(下巻3頁)


網野善彦が編集委員をやっている「日本の社会史」5巻 裁判と規範の中の「中世の訴訟と裁判」の冒頭に、

笠松宏至は、鎌倉中期以降の公家政権の「雑訴興行」(裁判制度を充実し、裁判を活性化させること)が徳政の最重要課題であったことを指摘し、公家政権がそのように対応せざるを得なかった理由を、平安末以来の民間における寄沙汰や大寺社による強訴の盛行、‥‥に求めた。

とあります。

つまり、12世紀から16世紀にかけて、日本は世界有数の訴訟先進国・訴訟超大国だったということです。

その後、秀吉の天下統一、家康の徳川時代になって、これがばたっと途絶えました。そのため、のちの時代の私たちは、500年以上前の私たちがどんな姿だったのか、忘れてしまいました。

というより、この500年間、500年以上前の市民の姿を正しく伝えないように、時の支配者たちは心を砕いて来ました。マスコミももちろんそうです。

私は以前、NHKの大河ドラマの裁判の仕事をしていたので、調べたことがあるのですが、こうした事実は決して紹介しようとしないタブーです。

大河ドラマで、信長、秀吉、家康、武田信玄、上杉謙信は何度も何度も登場しても、彼らの最大のライバルだった一向一揆の百姓たちについては、まず取り上げません。
(もちろん中世の裁判のことも取り上げません)。

しかし、当時、京にのぼる(上洛)一番乗りとされた上杉謙信がなぜ、それが果たせなかったのか?それは一向一揆の百姓たちに京への進撃を阻まれ、それを克服するために消耗して、力を使い果たしてしまったからです。

越中一向一揆・北条との戦い・尻垂坂の戦い

似たような話はやまほどあります。

幕末、なぜ、会津藩は滅びたのか? 薩長軍のせいではありません。薩長軍はきっかけにすぎません。会津の民衆が起こした世直し一揆が滅ぼしたのです。

>会津藩でも9月22日に若松城が落ちると、領内(特に戦場にならなかった地域を
>中心)に会津世直し一揆が発生、領内のほぼ全域に拡大した。領民は会津藩主
>松平容保の京都守護職就任以来の重税に対する不満を一気に爆発させ、藩の支
>配組織を完全に解体に追い込んだのである。

私の生まれた越後長岡でも、河井継之助が敗れた最大の原因が薩長軍ではなく、長岡の民衆が起こした世直し一揆のせいであったことを最近、知りました。

>長岡藩では5月19日に長岡城が落城すると、米の払下や藩による人夫徴用に反対
>する一揆が発生した。5月20日から吉田・巻一帯で発生した一揆は領内全域に広
>がり一時は7,000人規模にまで達するものとなった。これに対して長岡藩では、
>新政府軍と戦っていた部隊の一部を引き抜いて鎮圧にあたった結果、6月26日に
>ようやく鎮圧した。これによって長岡藩の兵力が減少したのみならず、人夫動
>員も困難となり河井継之助の長岡城奪還計画は大幅に遅れて、結果的に新政府
>軍に有利に働くことになる。河井継之助の命運を尽かせたのは実は新政府軍の
>兵器ではなく、領民の一揆による抵抗による作戦好機の逸失であったと言える。

以上は、
戊辰戦争と慶応4年の一揆

500年前の日本人が、いま、生きていたら、きっと、みんな、訴訟を起こしていたでしょう。

500年前の日本人と現代の私たちがそうちがっている訳ではありません。一方は、不当なことが行われたんだったら訴訟起こすべ、と当たり前のように思い、他方は、
不当なことが行われたとしても、訴訟を起こすなんて、と当たり前のように思っています。

どっちになるか、たまたま生まれた時期がちがうだけで、考えがちがってくるなんて、おかしな話です。

太平・平安な時代なら、どっちでもいいですが、
ボヤボヤしていたら、取り返しのつかないことになるときに、どっちの考えが生き延びるために必要かは、500年前の人に聞かなくても明らかです。

※補足

網野善彦という中世研究者の「日本中世の民衆像」によれば、

もともと朝廷の儀式の意味として使われた公事(くじ)が、室町時代から、裁判、訴訟の意味でも用いられるようになったのはなぜか?と大変面白い問題だと自問自答しています(76頁~)。

思うに、裁判が個人の小さな問題ではなく、国の一大政治(まつりごと)として位置づけられるようになったからではないかと思います。それくらい、裁判は当時の日本人にとって、頻繁に目にする日常の出来事だったのです。

興味深いのは、ポルトガル語の「日葡辞書」が最近、日本語に翻訳され、それによると、
公事(くじ)をする、という意味が、天然痘にかかる、ことだと紹介されています。
これについて、網野善彦は、こう説明します。
「つまり、いやなことだけれど、だれもがしなくてはならない、世間一般の人が皆すること、という意味なのでしょうか。‥‥公事(くじ)の意味を考えるためにも、これはかなり大切なことだ考えます。(77~78頁)

ここから、次のように考えることができます。

この当時、裁判をするというのは、いやなことだけれど、だれもがしなくてはならない、世間一般の人が皆すること、それくらい、公共の出来事だった、と。

2014年8月8日金曜日

くじ引きによる市民の政治参加の偉大な勝利、そしてその応用について--検察審査会の東電幹部起訴相当議決--(2014.8.8)

7月31日、東京第5検察審査会は、福島原発事故発生について東電幹部の刑事責任を審査した結果、元会長ほか2名を「起訴相当」と、不起訴とした検察の判断を覆しました。

政府と原子力ムラの一枚岩のように見える原子力政策も、ひとたび、くじ引きで選ばれた市民が政治参加して市民の声を反映させたとき、たちまち様相が一変します。なぜなら、くじ引きによる審査員の選任には政府も原子力ムラも影響力を行使することができない。その結果、市民のモラル・良識が生々しく露出するからです。

ここには、ひとり、今回の「福島原発事故発生の刑事責任」にとどまらない、日本の政治過程に真に市民のモラル・良識を反映させるための仕組みの鍵が秘められている。ここで垣間見えてきた「くじ引きによる市民の政治参加」の可能性を全面展開すべきです。
検察審査会のあり方を可能な限り、あらゆる部署、場面に応用、拡大すべきなのです。

以下は、2010年4月に、そのことについて書いた感想です。
3.11以後、民主主義の危機の中で、再び、くじ引きによる市民の政治参加の偉大な勝利を再確認しました。

  ******************************

Subject: 雑感 : くじ引きの勝利→ 21世紀の食の安全チェック機関のアイデアはくじ引きと行政から独立した検察審査会にある

皆さんへ

こんにちわ、柳原です。

今朝の新聞記事
「小沢氏は起訴相当」検察審査会、全員一致で議決

を読んだ瞬間、くじ引きの勝利だ!と思いました。

そして、これが21世紀の食の安全のチェック機関を構想する上でのモデルになると思いました。

くじ引きは権力の固定化に対し、偶然性を導入するものです。
その結果、くじ引きによる審査員の選任にさしもの小沢氏も影響力を行使することができない。
その結果、市民のモラル・良識が生々しく露出する。

しかし、それが真に保障されるためには、審査員の検討を事実上リードする検察審査会の事務局が行政(法務省・検察)から独立している必要がある。食品安全委員会の事務局のように、農水省の役人たちが事務局長等を牛耳るようでは、茶番にしかならない。

でも、検察審査会は行政から独立した裁判所の中にあるのですね。
だから、検察の意向を汲んだ形で、事務局が動くことができませんね。

改めて、21世紀に相応しい、食の安全をチェックする機関を構想するのであれば、この検察審査会が大変参考になるのではないかと思いました。

つまり、
1、委員は、くじ引きで選任する。現在の食品安全委員会の委員のような、権力の影響力の行使を排除する。

2、但し、全員を一般市民から選ぶのがいいか、一部は専門家の中から選ぶことにするかは検討する余地あり。
但し、「専門家」神話に過剰にこだわる必要はないと思う。今日の小沢起訴相当の判断でもそうですが、一般市民は、専門家が考える以上に、すぐれた良識とセンスを持っている。むしろ、一般市民が理解できるように、説明能力と意思を欠く専門家のほうが問題だ、と。

3、食の安全チェック機関は、検察審査会のように、行政から完全に独立させて運営する。例えば、第3の権力、裁判所の中に置く。
裁判所が無理だというのなら、それなら、裁判所に準じる司法機関である弁護士会がそれを引き受ける。
弁護士会の中から、事務局長等の事務局スタッフを選任し、担当する。例えば、神山美智子さんみたいなベテランが事務局長を担当するか、それとも市民団体のベテランスタッフに担当してもらう。
いずれにせよ、これにより、行政から独立した機関として運営されることになる。

市民がこれまでの民主主義のように、ただ拍手喝采するだけの観客ではなく、みずから舞台の登場人物になって演じるとき、どんな舞台が展開するのか(これが参加的民主主義ですが)、最近の検察審査会はその素晴らしい実例をまざまざと見せてくれています。

だったら、検察審査会でできたことが、食の安全でできない筈がない、たとえ少々困難があっても。

ともあれ、今回の検察審査会は、くじ引きや行政からの独立について、参加的民主主義のイメージをもっともっと膨らましていく必要があることを教えてくれた偉大な教師だと感じています。

2014年6月1日日曜日

5.21「美味しんぼ」問題緊急記者会見の閉会の言葉(2014.6.1)

「福島の真実」を語ることを抑圧するような社会にしてはならないという思いから、21日、参議院議員会館で、福島の人たちが311以来、どのような健康の異変に襲われ、不安の中にいたか、ありのままに証言してもらう緊急記者会見を開きました(当日の動画。->OurPlanet ユープラン)。

 以下は記者会見の閉会の言葉です。

今回の「美味しんぼ」騒動は、私たちの抗議文にも表明したとおり、
風評被害という名の下に、「福島の真実」を語る表現の自由に対する重大な抑圧であると同時に、
「福島の真実」を渇望する市民の「知る権利」を奪う民主主義の根本を揺るがす由々しき問題であるばかりか、
この言論抑圧により、今日のお母さんたちの鼻血発言のように、苦しみの中で救済を求めている福島の多くの人々の体験した「真実、そして真実と信ずる見解を表明する自由」が奪われるということであり、
その結果、何よりも、社会の最も弱い立場にいる福島の子どもたちがもの言えぬまま「命と健康」という最も尊い人権が踏みにじられるという問題です。

表現の自由は、学者先生が神棚に飾るお守りではなく、福島の人々にとっては生きるか死ぬかの問題です。
言いたいことが言えなくなったら生きる希望を奪われるからでです。昨年4月、ふくしま集団疎開裁判の仙台高裁の判決
低線量被ばくにより子どもたちの生命・健康に由々しい事態の進行が懸念される
と認められましたが、そのことすら口にすることができなくなるからです。
希望を取り戻すために、私たちはまもなく再び、子どもたちを安全な場所で教育せよを求める「ふくしま集団疎開裁判」を起こします。
ひとりでも多くの人たちが、この裁判につながって下さい。
そして、私たち市民の力で、言うべきことが自由に言える社会に、子どもたちを救い出す社会に作り変えていきましょう。
今日はありがとうございました。                          (弁護団 柳原敏夫)





2014年5月27日火曜日

北海道での「ふくしま集団疎開裁判」講演レジメ(2014.5.26)


レジメ

0、はじめに(自己紹介)

3.11まで原発や放射能に無知だった。3.11以後、なぜ疎開裁判に関わるようになったのか。
バイテク・センチュリー」との出会い
禁断の科学裁判先端科学技術である遺伝子組換え技術の裁判に関わる中での「遺伝子組換えムラ」の住民たちとの異常な体験

1、福島原発事故
(1)、福島原発事故は2度発生する。
 1度目は「
人間と自然との関係」の中で、2度目は「人間と人間との関係」の中で。


2度目の「人間と人間との関係」の中で発生する事故とは、1度目の「人間と自然との関係」の中で発生した事故がその後意図して操作(マインドコント ロール)されたものである。従って、その操作が発覚したとき、市民の科学技術とそれを運用・管理する人たちに対する疑心暗鬼・不信感は極大に達する。

但し、たとえ運良くその操作が発覚せず、市民の目を欺くことができたとしても、自然を欺くことはできない。どんなマインドコントロールも「人間と自然との関係」の前で無力である。自然は情け容赦なく人間を裁く。

その上、「人間と自然との関係」で、今日の専門化し、細分化し、分断化された科学技術では自然の全体像を正しく把握することができない。そのため、自 然を人工的に利用するにあたって生じる危険性についても正しく把握することができない。この意味でも、今日の科学技術は「人間と自然との関係」の前で無力である(『安全と危険のメカニズム』補足より)。
参考->危険は人によって作られる! 共著「安全と危険のメカニズム」第3章「市民の科学への不信はいかにして形成されるか」第4章「座談会」184~187頁より)

(2)、
「見えない、臭わない、味もしない、理想的な毒」を認識する視点:視差(ズレ)の中で考える。
さきに、私は一般的人間悟性を単に私の悟性の立場から考察した。今私は自分を自分のではない外的な理性の位置において、自分の判断をその最もひそかな動機もろとも、他人の視点から考察する。
 両者の考察の比較は確かに強い視差を生じはするが、それは光学的欺瞞を避けて、諸概念を、それらが人間性の認識能力に関して立っている真の位置におくための、唯一の手段である。(カント「視霊者の夢」)
A.時間的な視差:3.11以前と以後との対比
B.場所的な視差:チェルノブイリと福島との対比
C.人的な視差:「政府要人・自治体要人・原子力ムラ住民とその家族」と一般市民との対比 例 郡山市長 

 ※本日の検討
 ①.世界からみた福島原発事故(日本内部との対比)
 ②.世界史から福島原発事故(百年前との対比)

2、世界からみた福島原発事故

①.菅谷昭松本市長14.4.24) 
  なぜ、今頃、こんなメッセージを表明したのか?

②.外国から 5人の代表的な声(2013年4~5月)
  ファッション・デザイナー
 キャサリン・ハムネット

    スイス・ジュネーブ市長 レミー・パガーニ

    人権活動家 ノーム・チョムスキー
    フランス前環境大臣 コリンヌ・ルパージュ

    小出裕章(非日本的日本人)

  外国から無名の人々の声  イタリアからのメッセージ
なぜ、彼らはこのような声を発したのか?

③.ふくしま集団疎開裁判を報道するニュース

国内。テレビは2011年6月24日の申立時にTBSNEWS23一社のみ。以後、一切なし。

国外。韓国、ドイツ、フランスの公共放送が取材・放送。  
④.福島の現実(201210月のジュネーブ国連でのスピーチから)

  日本政府の三大政策「情報を隠すこと」「事故を小さく見せること」「様々な基準値を上げること」
          チェルノブイリ事故から徹底して学んでいること。
          例 キエフの学童疎開→
2011.4.19 20倍引き上げ


  健康被害の実態:小児甲状腺がんの検査結果
           ベラルーシの35倍14.2.7)
           →最新の5月19日の発表で40倍
           スクリーン効果論の「崩壊」確実(14.5.19)
           郡山保健所から配布の副読本「がんのおはなし
  最近の福島 福島市の中学校正門付近の線量
        車窓の線量(磐越東線 引船~郡山)

  映画『シンドラーのリスト』を作ったあとのスピルバーグの発言
 「ホロコーストで起きていたことは、当時、チャーチルもルーズベルトも知っていた」(
歴史の反復

⑤.2013年4月24日の仙台高裁の決定(判決) 
  →画期的な事実認定(理由)と理不尽な結論(主文)との矛盾

⑥.松本子ども留学プロジェクトのスタート
一刻の猶予もならない子どもたちの救済を、市民の手で市民型公共事業としてスタート

 
3、戦争との対比
 大岡昇平の「レイテ戦記」

 

4、世界史から見た福島原発事故
 第一次世界大戦との類似性


5、「美味しんぼ」の言論抑圧問題

私の抗議文->自らは説明責任を果さず、少数意見の表現者には「断固容認でき」ないと抗議声明を出す福島県の言論抑圧に抗議する

3つの主体の人権侵害、その結果、最大の被害者は、福島の「子どもたちの命と健康」

    作者の表現の自由 (1)、経験した事実(鼻血・除染) (2)、不確実な科学的事実(被爆と健康被害の関係)

    市民の知る権利(表現の自由は民主主義の基盤である「自由な言論と討論の広場」にとって不可欠

    被害者である福島の人々の経験した事実や真実と信ずる見解を表明する自由

 「鼻血は事実」~福島の母親「美味しんぼ」言論抑圧に抗議
 
    最大の被害者である福島の子どもたちの命と健康という人権

ジュネーブ国連でのスピーチ「福島から訴える」草稿(2012.10.27)



1、私が申し上げたいことは、「日本政府は、今すぐ、ふくしまの子どもたちを安全な場所に集団避難させよ!」ということです。さもないと、沢山のふくしまの子どもたちの命と健康が奪われるからです。フクシマに21世紀のホロコーストを再現させてはなりません。

2、日本政府はチェルノブイリ事故から実に沢山のことを学んできて、昨年311日の福島第一原発事故のあと、その成果をすばやく、忠実に実行しました。それが日本政府の3大政策です――第に「情報を隠すこと」第2に「事故を小さく見せること」第3に「様々な基準値を上げること」でした。
(1)、情報を隠すこと
ソ連政府は避難地域を拡大したくなかったので、避難地域の外にあるベラルーシ・ゴメリの高濃度汚染の情報を隠しました。日本政府も、避難地域を拡大させないために、放射能汚染を予測するシステムによって得られた汚染情報を隠しました。その結果、この情報を知っていれば避けられた被ばくを、多くの市民が余儀なくされました。
被ばくによる甲状腺がんを予防するためには、事故後直ちに安定ヨウ素剤を服用することは周知の事実でしたが、ソ連政府は市民に安定ヨウ素剤を配布しませんでした。そのため、多くの子ども達が甲状腺がんになりました。日本政府も安定ヨウ素剤を配布しませんでした。独自の判断で配布した町に対し、回収するように命じさえしました。その結果、いま、沢山のふくしまの子どもたちの甲状腺に異常が見つかっています。

(2)、事故を小さく見せること
ソ連政府は、事故後最初の演説で「放射線のレベルは人体に影響はない程度だ」と言いました。日本政府も、事故直後「健康に直ちに影響はない」を連発しました。

(3)、様々な基準値を上げること
ソ連政府は、キエフ市が学童疎開を開始する前日に、年間被ばく許容基準を100倍に引き上げました。その結果、キエフ市以外では学童疎開ができなくなりました。日本政府も、自治体が学童疎開を開始する前に、すばやく学校の安全基準を20倍に引き上げました。その結果、ふくしまの学校はどこも学童疎開できなくなりました。しかし、いったい、どうやって子どもたちに「君たち福島の子供たちは、被ばくしたので、本日から放射能の感受性が20倍にアップしました」と説明したらよいのでしょうか。日本政府は「緊急時」のやむを得ない措置だと言いましたが、昨年12月、野田総理が原発事故は「収束した」と宣言したその後も、依然、20倍の「緊急時」の措置が続いています。この矛盾を、どうやって子どもたちに説明したらよいのでしょうか。

以上の結果、日本政府の3大政策の最大の被害者は子どもたちです。
原則として原発20キロ圏外の福島の子どもたちは、事故後現在まで、放射の汚染地域に住み、学校に通っています。以下は福島原発から60キロ離れた郡山市の地図です。昨年8月発表された空間線量のデータに基づき、チェルノブイリの住民避難基準を当てはめると、郡山市の市街地の殆どが、チェルノブイリの住民避難基準で住民が避難する義務を負う移住義務地域に該当します。このような危険な地域に多くの子ども達は住み、教育を受けているのです。

 
しかも、日本政府が提供した線量計は、地域住民が実際に受けている放射線量の値の半分しかないことが専門家の調査により明らかにされました(2012年10月5日「内部被曝研の報告」。


福島県の小中学校や公園の約500ヶ所で、2台の線量計が並ぶ光景が見られます(写真上)。右は政府から契約を解除された業者が納入したもので、左と比べ値が最大40%高い。理由は右が世界標準の仕様であるのに対し、左は日本標準の仕様だからです。原発事故後も引き続き、日本政府により「事故を小さく見せる」「安全・安心」神話作りが懸命に進められています。

その結果、事故後1年を経ないうちに、福島の子どもたちに次のような健康被害が明らかになりました。

3、子どもたちの健康被害
今年9月11日に福島県が発表した検査結果では、4万2千人の子どもの43%に甲状腺の異常(のう胞または結節)が見つかりました。とくに女子の被害は深刻で、6~10歳の54%、11~15歳の55%に異常が判明しました。通常なら百万人に1名と言われる小児甲状腺ガンが、38名の検査の中から初めて1名見つかりました。しかし、日本政府はガンと事故の因果関係を否定し、全く対策を取りません。


前回の4月26日の検査結果で3万8千人の子どもの36%に甲状腺の異常が見つかったとき、海外の専門家は次のように警鐘を鳴らしました(Business Insider 2012.7.19)。
「こういった甲状腺異常が一年も経たないうちに現れるというのは早過ぎます。普通は5~10年かかるものです。これは、子どもたちが大変高線量の被ばくをしたことを意味します。‥‥子どもたちに甲状腺結節やのう胞があるのは、異常極まりありません!」(オーストラリアのヘレン・カルディコット博士)
「福島原発事故後にこれほどすぐに、多くの子どもたちに甲状腺の嚢腫や結節が見られることに驚いています、なおかつこの事実が世間に広く知られていないことに驚いています。」(アメリカ甲状腺学会次期会長)

甲状腺でこれだけ早い時期にこれだけ多数の異常が見つかったということは、ふくしまの子どもたちが、今後、甲状腺の病気だけでなく心臓病など様々な病気を発症する可能性がとても高いことを意味します。それはチェルノブイリ事故による健康被害について、ウクライナ政府の最新の報告書[1]からも明らかです。
 
4、日本政府の対策
(1)、この深刻な被ばくに対する日本政府の対策の中心は除染です。しかし、チェルノブイリ事故から学び尽くしている日本政府はチェルノブイリの経験と同様、フクシマでも除染が失敗するのは最初から織り込み済みです。無意味な除染作業の間に、子ども達は被ばくし続けています。それは犯罪以外のなにものでもない、ではないでしょうか。


(2)、しかも、日本政府は、子ども達に対し「危険だと思うのなら、自主的に避難すればよい」という立場です。しかし、福島の子ども達は自主的な避難を選択しなければならないほど、何か悪いことでもしたのでしょうか。子ども達が遊んで原発を壊したのでしょうか。子ども達は自分たちが原発を誘致したのでしょうか。彼らには100%責任はありません。彼らは純粋の被害者です。他方、日本の国会も認めるとおり、福島原発事故は自然災害ではなく、人災です。日本政府は原発事故の加害者です。自動車事故では、誰も加害者に被害者を救護する義務があることを疑いません。誰も、轢かれた被害者が自分で自主的に病院まで行け、とは思いません。同じ人災である原発事故でも同様です。加害者である日本政府が純粋な被害者である子供たちに、自主避難しろと言うのは道徳的に決して許されることではありません。

5、チェルノブイリからの訓え
(1)、チェルノブイリ事故について、350の英語論文を元にしたIAEAの従来の公表記録に対し、ベラルーシ語、ウクライナ語、ロシア語を中心とした5千の論文に基づいた2009年のヤブロコフ・ネステレンコ報告[2]によれば、チョルノブイリ事故により世界で98万人以上の人々が命を失いました。福島は人口密度がチョルノブイリの5倍以上あるといわれています。
このままでは、福島で今後どれほど膨大な数の被害者が発生するのか、想像を絶するものがあります。
では。どうすればよいのでしょうか。簡単です。今すぐ、子ども達を避難させ被ばくから逃がすのです。なぜ今すぐか。チェルノブイリで世界標準とされる住民避難基準が採用されたにもかかわらず、98万人もの犠牲者を出したのは、その住民避難基準が不十分だっからではなくて、その基準の採用が事故後5年も経過してからです。人々はその間ずっと被ばくし続けていたためで、避難するのが遅すぎたのです。だから、今すぐ避難する必要があるのです。
(2)、これこそ、日本政府がチェルノブイリから学ぶべき最大の教訓です。福島の高校生がこう言いました「命のスペアはありません」。子どもの命が滅びたなら、福島が復興したところで何の意味があるのでしょうか。
集団避難はお金さえあれば実現できる最もシンプルな解決方法です。1959年、日本政府は原発導入にあたって、原発事故による被害額を国家予算の2.2倍(現在の国家予算なら200兆円)と試算済みです[3]。元々それだけの損害額を覚悟して原発の導入を推進したのです。金銭的に、福島県の子どもたちの集団避難は不可能だという言い訳は通用しません。今年4月、日本の財務大臣がIMFに、電話で、ヨーロッパの信用不安の防止のため500億ドル提供すると伝えたと報じられました。経済の復興のためにそれだけのお金が用意できるのあれば、命の復興のためにお金を準備できない筈がありません。


6、世界の良心の声を福島に
 

映画『シンドラーのリスト』を作った監督スピルバーグはこう言いました「ホロコーストで起きていたことは、当時、チャーチルもルーズベルトも知っていた」と。しかし、彼らは見て見ぬ振りをした。もし、当時、彼らが声を上げていれば、ホロコーストの悲劇も最小限に食い止められたのです。今の福島も同じです。原発を推進したいと思っている人たちは、福島の惨状を見て見ぬ振りをしています。しかし、もし世界中の人たちが声を上げれば、いま、福島に襲いかかっている悲劇を最小限に食い止めることができます。福島の子どもたちの命を救うことができます。それはひとえに世界の皆さんの良心にかかっているのです。
私たちは、何の責任のない福島の子どもたちを21世紀の「人道に対する罪」の犠牲者にする訳にはいきません。これはイデオロギーの問題でも政策の問題でもありません。子どもの命という人権の根本問題です。どうか、福島と関わる私たちと世界の皆さんとが「つながる」ことによって、福島の子どもたちを救い出して下さい。