2016年12月25日日曜日

「チェルノブイリ法日本版」の住民による条例制定が日本を変える(2016.5.26)

柄谷行人さんの
デモが日本を変える
を読み、ここで語られている「デモ」を「条例制定」と置き換えることができると思いました。「条例制定」とは、住民の、住民のための、住民による主権を行使するアクションだからです。

そこで改めて、次のことを、皆さんに訴えたいと思います。


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        「チェルノブイリ法日本版」の住民による条例制定が日本を変える

私は住民による条例制定のアクションをするようになってから、このアクションに関していろいろ質問を受けるようになりました。それらはほとんど否定的な疑問です。たとえば、「条例制定のアクションをして社会を変えられるのか」というような質問です。それに対して、私はこのように答えます。条例制定のアクションをすることによって社会を変えることは、確実にできる。なぜなら、条例制定のアクションをすることによって、日本の社会は、人が誰でも、普通に、条例制定のアクションをする社会に変わるからです。

では、日本には条例制定のアクショが少ないのか。なぜ、それが変なことだと思われているのか。それは、国民主権を、自分の力で、闘争によって獲得したのではないからで す。日本人は戦後、国民主権を得ました。しかし、それは敗戦によるものであり、事実上、占領軍によるものです。自分で得たのではなく、他人に与えられたも のです。では、これを自分自身のものにするためにどうすればよいのか。条例制定のアクションをすること、です。

私が受けるもう一つの質問は、条例制定のアクション以外にも手段があるのではないか、というものです。確かに、これ以外にも手段があります。そもそも選挙がある。その他、 さまざまな手段がある。しかし、条例制定のアクションが根本的です。条例制定のアクションがあるかぎり、その他の方法も有効である。条例制定のアクションがなければ、直接民主主義のアクションがなければ、それらは機能しません。今までと同じことになる。

今後に、チェルノブイリ法日本版の条例制定のアクションが下火になっていくことは避けられない。――と、いうふうに見えます。
しかし、違います。福島原発事故は、片づいていない。今後もすぐには片づかない。むしろ、今後に、被曝者の病状がはっきりと出てきます。また、福島の住民は永遠に郷里を離れることになるでしょう。つまり、われわれが忘れようとしても、また実際に忘れても、原発のほうが執拗に残る。それがいつまでも続きます。原発が恐ろしいのはそのことです。それでも、人々はおとなしく政府や企業のいうことを聞いているでしょうか。もしそうであれば、日本人は物理的に終り、です。

だから、私はこう信じています。第一に、チェルノブイリ法日本版の条例制定のアクションは長く続くということ、です。第二に、それは原発にとどまらず、日本の社会を根本的に変える力となるだろう、ということです。

皆さん、ねばり強く戦いを続けましょう。


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