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2016年12月25日日曜日

1年2年先ではなく、5年、10年、50年先を見据えて、行動(チェルノブイリ法日本版の制定)を続ける(2016.5.25)

先日、たまたま、数年前に或る人からいただいたDVDを観て、感銘を受けました。

除染された故郷へ~ ビキニ核実験・半世紀後の現実」 (2012年9月放送)

といっても、これは福島のことではありません。今から60年以上前、水爆実験が行なわれた南島のビキニ環礁のロンゲラップ島のお話です。

水爆実験によって被ばくした島民の人たちの「避難」→3年後の安全宣言→「帰還」→9年目から健康被害の多発→31年後の「集団離島」→「帰還の勧め」(=援助の打ち切り)の中で苦悩する島民の姿を描いたものですが、
低線量被ばくによる健康被害の問題という点で、福島原発事故と変わりません。むしろ、ロンゲラップ島の60年は福島の未来、放射能汚染地の未来を示していると確信しました。

1年、2年で一喜一憂することではないと思いました。
チェルノブイリ法日本版制定も5年、10年、50年先を見据えて取り組む永遠のテーマだと思いました。

以下、その映像と文字起し文です。

除染された故郷へ ~ ビキニ核実験・半世紀後の現実(2012年9月放送)
http://dai.ly/xu5f4w (49分)

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マーシャル諸島のロンゲラップ島。
避難民のことをロンゲラップピープルと呼ぶ。

ロンゲラップ島は、1954年3月1日の水爆実験により被ばく。
被ばく線量限度の2000倍。
灰が降り注ぎ、それに触れた人たちは焼けただれたようになった。

水爆実験の2日後米軍によって別の島に移された。
200km離れた基地で血液や尿を調べた。
医師を派遣したのは核兵器を開発管理するアメリカ原子力委員会。
放射線の人体に与える影響を知ることが最優先課題。
住民一人一人に識別番号を付ける。
生涯にわたり追跡調査をするため。
被ばくした人たちへの支持は、一日3回海で身体を洗うことだけ。
「そこにいた人たちは不幸なことにみんな病気になりました」
3か月後、また別の島へ移される。

3年後の1957年にアメリカ原子力委員会は安全宣言を出した。
島民250人が島に戻る。
その後、これまで無かった病気が多発。
直接被ばくしていない人までが病気に。
「母は甲状腺の病気になりました。そして、頭蓋骨のない子供を産みました。」
島に残る放射能の影響ではないかと島民は心配するが、アメリカから派遣された医師は否定。
島民にはニューヨークで浴びる自然放射線よりロンゲラップの方が低いと説明。

しかし、島民帰還の前の年に行われた会議では
「避難している住民が島に帰れば研究に役立つ」
と繰り返し発言。
「放射線の影響を調べる上で理想的な状況だ。」
「長期間に渡る低線量被曝の影響を調べられる。」
「それによって放射線に関する知識が増やせる。」

アメリカは島民にカードを持たせる。
直接被ばくしていない人はピンクのカード。
死の灰を直接浴びた人たちは緑のカード。
異なる条件の人々を同じ状況で比較調査できるのは、
アメリカにとって理想的な研究環境だった。

アメリカは派遣する医師に対しては、島の水や食料を取らないように厳しく指導。
島民にはほとんど規制せず。

定期健診で島民の体内のストロンチウムは20倍、セシウムは60倍にも跳ね上がる。
この事実は住民には伝えられなかった。

核実験から9年後、3人の島民に甲状腺の異常がみつかる。
年を追うごとにがんや白血病も続出するようになる。
核実験から18年後の1979年、19才の若者が白血病で亡くなり、島民は大きな衝撃を受ける。
アメリカ原子力委員会の言うことを信じる人はいなくなり、住民の代表がアメリカ人医師に送った手紙にはこう書かれてた。
「あなたは私達を、爆弾を研究するためのモルモットとお考えなのでしょう。」

核実験から28年後の1982年、アメリカが公表した文書には、ロンゲラップ島が爆心地のビキニ環礁と同じくらい汚染されていたと書かれていた。

核実験から31年後の1985年、住民は全員そろってロンゲラップ島を離れる決断をする。
325人の住民は、環境団体グリーンピースの協力で島を脱出。
住民はマーシャル諸島各地を散り散りばらばらになって暮らす。
この時から、ロンゲラップピープルと呼ばれるようになる。


島を離れて28年。(核実験から58年)
今また、帰島計画が巻き起こり、人々は戸惑っている。

帰島計画を進めるロンゲラップ地方政府、ジェームズマタヨシ首長は、除染作業を2年行う。
地面を25センチ除去し、サンゴを敷き詰める。
そして専門家は安全だと判断したという。
だが、除染したのは居住地域のみ。(0.1平方km)

アメリカのローレンスリバモア研究所による最新の調査結果、ハミルトン。
この研究所はアメリカのエネルギー省が所有する国立の研究所。
核兵器の研究開発を目的に1952年に設立された。
今もアメリカの頭脳ともいうべき研究所。

ハミルトン博士の発言。
「ロンゲラップ島は既に安全で除染をする必要もなかった。」
「住民が島を離れた1985年に比べ、放射線量は10分の1に下がった。」
「重要なのは、自然に下がったということ。除染をしなくても大幅によくなっている。」
「ただし、住民が食べ物を全て島のものを食べた場合は摂取する放射線量は3~4倍。」
「年間0.15ミリシーベルトの基準は超える。」
「マーシャル政府の基準は超えるが、島のものだけを食べる想定では無い。」

島民には慎重な意見や反発も多い。
「過去の経験から失敗は許されない。」
「子供たちへの影響が心配だ。」
「他の専門家は帰るべきでないと言った。」
「政府が議会に圧力をかけている。」
「アメリカは帰島しなければ援助をやめると言ったらしい。」
「何でおれたちが帰島を強制されなきゃいけないんだ。」

若い世代の間で、水爆実験やロンゲラップの話題が出ることはほとんどない。
一方、高齢者は島に帰って最期を迎えたいという願いが強い。

夢にまで見た故郷への帰島。
アメリカへの不信と永すぎた避難生活が壁となって立ちふさがる。

マタヨシ首長は、島に帰ったら養殖業を行って雇用を創出しようと夢を語る。
安全性は???

島民。
「汚染されているのは分かっています。でもあの島は慣れ親しんだ場所なんです。」
「私だって帰りたい。島が懐かしいんだ。」
「でも、子供たちが安全に暮らせるのか、、、。」
「本当に島がきれいなら帰らないはずはありません。汚染された故郷かそれとも他人の土地か。どちらかを選ぶしかないんです。」

水爆実験から58年。
島民たちは決断を迫られている。

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