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2017年12月11日月曜日

努力しない限り絶望できない:人権侵害裁判を起こし、最終局面で「人権侵害は終わってる、彼らは自ら無意識に人権を放棄しているからだ」と悟った男(2017.12.10)

 2日前に、ひとつの裁判の最終の書面を完成、提出しました-->東京大学の不正な教授人事による学問の自由侵害事件の最新報告(2017.12.8)

この裁判の原告は前回期日で、彼の本人尋問が実施され、「東京大学の不正な教授人事」の真実について思いの丈を吐いた、もうこれ以上言うことはないという感じでした。

しかし、それから2ヵ月後、彼は突然
「これが言いたかった。これで、なんで自分がこの裁判を起こしたのか、その訳が初めて分かった」と言い出し、変身を遂げました。
それまで、彼はブスブスと大いなる不満を抱きながら、その正体が掴めず、霧の中で夢を見ているようだったのが、目からウロコで、明確な認識と確信を持つコペルニクス的転回を遂げたのです。

何が彼を変身させたのか、以下、その変身の顛末です。

前回までの裁判で、あと1つ論点が残っていました。それが「東京大学の不正な教授人事」の結果、原告の学問の自由がどのようにして侵害されたのかを解明することでした。とはいえ、既に数回、これについて主張済みなので、正直、今さら屋上屋を重ねるだけと乗り気がしない気分でした。

とはいえ、唯一、抽象的な疑問が未解決のままだったので、その小さな穴をふさぐために文献を漁っているうちに、思いがけない展開となり、今まで何も議論していなかったではないかと思えるくらい、根本的にやり直しの議論を展開する羽目となりました。

その穴とは次のことを問うたのです--憲法には学問の自由を保障すると書いてあるが、ではいったい、現実にどのような社会的条件のもとで、この学問の自由を問題にしているのか。そして、その社会的条件のもとで、いかなる社会的形態を取ることによって、学問の自由が実現されるのか、これを具体的に明らかにすることでした。

ところが、この素朴な問いに正面から答えている憲法の文献は意外にないのです。しかし、幸いなことに、学問の自由についてはそれが見つかりました。高柳信一「学問の自由」。

少し長くなるのを承知で、さわりの部分だけ紹介すると、

1、現代憲法(日本国憲法等)において「学問の自由」が登場した理由 

明治憲法には 表現の自由を保障したが、「学問の自由」は保障しなかった。日本国憲法で初めて「学問の自由」の保障が登場した。なぜ、新憲法で初めて登場したのか。
 また、これはこう言い換えることができる--日本国憲法は思想および良心の自由や表現の自由など一般的な市民的自由を保障しており、本来なら、研究の自由はこれらの保障で足りる筈である。それなのになぜ、その上に「学問の自由」を保障したのか。
それは以下の通り、学問研究をめぐる研究者の環境が変化したからである。

2、学問研究をめぐる研究者の環境の変化 

研究者といえどもまず生きていかなければならない。論理的には人間としてまず生きる条件が満たされて、次に研究することができる。そこで、サラリーマンとして商店主としてまたは農民として生きる糧を得て、その余暇に、余力をもって学問研究を行う場合がある。このような研究に対して、思想および良心の自由や表現の自由などの一般的な市民的自由(以下、この意味で「市民的自由」と呼ぶ)が保障されるのは当然である。しかし、近代社会の進展の中で、研究対象がますます複雑化し、研究方法がいよいよ精緻化するにつれ、こうした余技としての研究は例外的となり、それに代わり、学問研究の主要な地位を占めたのが、余技としてではなく、生活の糧も学問研究の場も同時に得る雇用された研究者たちの職業としての研究である。彼らは、大学に代表される教育研究機関に雇用され、生活の糧を与えられながら、同時に、教育研究機関において学問研究に専念したのである(以下、この職業的研究者を「教員研究者」と呼ぶ)。

 この雇用関係の結果、本来であれば、教員研究者が教育研究機関において学問研究に従事するにあたっては、彼らに対し、教育研究機関が雇主として有する諸権能(業務命令権、懲戒権、解雇権[1]等)を行使することが認められる。しかし、学問研究とは本来、これに従事する研究者が自らの高められた専門的能力と知的誠実性をもって、ただ事実に基づき理性に導かれて、この意味において自主的にこれを行うほかないものである。そこで、もしこのような本質を有する学問研究に対し上記諸権能の行使がそのまま認められたのでは、教員研究者の教育研究機関における学問研究の自主性が損なわれるのは必至である。なぜなら、雇主は使用人である教員研究者の研究態度や研究内容が気に入らなければ、雇主の権限を用いて使用人を簡単に解雇することが出来、或いは使用人の研究内容や方法についてあれこれ指示を出すことも出来、雇主の指揮命令下にある使用人である教員研究者はこれらの措置に従わざるを得ないからである。雇主のこれらの措置の結果、結局において、教員研究者の教育研究機関における学問研究の自由は存在の余地がなくなる。

3、学問研究をめぐる研究者の新しい環境に対応した新しい人権の登場 

以上より、仕事の余技として学問研究を行うのではなく、教育研究機関に雇われて当該機関で使用人としての立場で学問研究を行うという「新しい環境」(その環境は偶然のものではなく、近代資本制社会において構造的に必然のものとして出現している)の下では、教員研究者に、単に個人として一般的な市民的自由を保障しただけでは、彼らの主要な学問研究の拠点である教育研究機関内部において学問研究の自由を保障したことにはならない。教育研究機関の内部においては、教員研究者は雇用における指揮命令の関係によって、一般的な市民的自由は既に失われているからである。

 そこで、教育研究機関の内部においても、教員研究者に既に失われた市民的自由を回復し、もって教員研究者の学問研究の自由を保障するために、新しい皮袋=新しい人権を用意する必要がある。それが「学問の自由」が登場した所以である[2]。すなわち19世紀後半以降、新しい人権として「学問の自由」が意識され、その保障が要求されるようになり、遂にその保障が実現されるに至ったのである。この意味で、教育研究機関の内部で一般的な市民的自由の回復をはかる「学問の自由」は市民的自由と同質的なもので、従ってそれは学者(教授)という身分に伴う特権ではなく、教育研究機関における真理探究という終わりのない過程ないし機能そのものを保障する「機能的自由」であり、それは学問的な対話・コミュニケーションであるからそのプロセスに参加するすべての者に保障されるものである(高柳「学問の自由」36~41頁。61~65頁)。

                                       (以上、原告準備書面(8)

 私たちが置かれている学問研究をめぐる社会的条件とは一言で言って「研究手段から切り離されていた研究者が、雇用契約を締結して、研究手段を保有する研究教育機関の内部で学問研究を行う」ことです。この社会的条件のもとでは、教育研究機関が雇主として有する諸権能(業務命令権、懲戒権、解雇権等)を行使することにより、学問の自由は有名無実化する。つまり、思想および良心の自由や表現の自由などの一般的な市民的自由ではこの社会的条件のもとでは学問の自由は死滅する。だから、新しい皮袋を用意して、「学問の自由」を保障する必要があったのです。

高柳のこの指摘を読み、とりわけ以下の記述に対し、原告の彼は感動を抑え切れなかったそうです。

教員研究者は、思想を表明することを専門職能上の業務としており、職責上思想を表明しない自由をもたない。しかも、彼らは、みずから職能遂行上の手段をもち、依頼者と直接個人的に接する他の専門職能とことなり、研究手段からきりはなされており、大学設置者に雇われることにより始めて研究手段に接近し、また役務の受け手(それは集団化されているという特色をもつ)に接することができる。教員研究者が真理と信じることを表明することによって、研究手段を奪われることを、市民的自由行使に対するしっぺ返しとして容認することは、かれらの専門職能遂行を不可能ならしめることである。》

原告の彼は、2009年の東京大学の不正な教授人事に対し、当時からずっと、直感的にこれが学問の自由の侵害だと確信して疑わなかったけれど、なぜ、これが学問の自由の侵害なのか、その根拠を明確には理解していなかった。しかし、先日、高柳理論を読み、自分の学問の自由がいかにして侵害されたのか、さながら高柳から次の呟きが発せられるかのように、その根拠を全幅の確信をもって理解したのです。
「きみたちはいま、実にひどい環境で真理探究をしていますよ!」

と同時に、自分の周りの研究者が、自分と同様、このひどい研究環境の中に置かれていて、事実上、己の信ずる真理探究の自由が阻害され、妨害されているにも関わらず、これを「学問の自由の侵害だ」と声を上げることもしない現状を、
「彼らは人権侵害の前に、自ら学問の自由を無意識のうちに放棄しているか、返上している。だから、いくら侵害されても侵害と思わなくなっている。彼らはいまや絶望すらしなくなった」
と、苦々しい調子で吐きました。

これに対し、彼は絶望した、というより絶望できた。
それが可能だったのは、2009年の不正な教授人事以来、2回、裁判を起こして、真実と正義とは何かを求め続けてきたからです。その思考の努力をしなかったら、彼もまた思考停止したほかの研究者と同様、絶望もできなかったはずです。

そして、彼が思考の努力の末、絶望の中で掴み取った「学問の自由の社会的条件とそれが保障されるために必要な社会的形態」という認識は、彼の人生にとって転機となるような重要なものでした。事実、彼はこの絶望のあと、ものすごく元気になったからです。

昨夏、カナダ・モントリオールで開かれた世界社会フォーラムに参加した福島の自主避難者のお母さんは、このフォーラムで人生の転機となるような体験をしたと帰国後、ことあるたびに語ってくれました。それは、世界中から集まった参加者からこう言われたというのです--まず、あなたが声をあげるのよ。そしたら、私たちも出来る限り応援するから、と。

福島原発事故のあと、被害者の人たちは人間としてまっとうな救済を受けていない。これは紛れもない人権侵害ではないか--この過酷な状況を正面から認識し、これを声にあげること。それがたとえどんなに絶望を伴うほどの苦しみの声であろうとも、それを聴いた人は、初めて、それが人権侵害であると認識でき、そこから「そんなことはおかしいんじゃないの」と「人々の偉大な感情力」を引き出す行動が起きるのです。

しかし、 人権侵害をされた被害者本人が、侵害した事実を自ら沈黙し、葬り去ったとき、外の人たちは、何もなかったとしか思わず、そこから「そんなことはおかしいんじゃないの」も、何の行動も起きません。その最悪のケースが、原告の彼の回りの研究者を覆っている次の事態です。

「人権侵害の前に、自ら学問の自由を無意識のうちに放棄しているか、返上している。だから、いくら侵害されても侵害と思わなくなっている。おとなしくなった彼らはいまや絶望すらしなくなった」
このような思考停止はモラルの崩壊に至る。

この最悪の工程を阻止するためにも、「私たちは避難の権利を侵害されている」と堂々と言えるチェルノブイリ法日本版の制定が必要です。

だから、この人権法チェルノブイリ法日本版の制定に力を注ぐ人たちというのは、自ら人権侵害を体験し、絶望の中でその事実と向き合い、「人権侵害はおかしい」と声をあげる勇気を持った人たち、昨夏、カナダ・モントリオールの世界社会フォーラムに参加したお母さん、米沢の「追い出し」訴訟の被告の自主避難者のような人たちだと思います。

絶望をくぐり抜けようとする彼らこそ私たちの希望です。

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