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2019年5月27日月曜日

311以後、市民は五感の通用しない人間的スケールを超えた、「日常感覚」と分断された不条理な世界と闘ってきたのみならず、同時に、私たち市民を愚弄し続けてきた明治維新以来の日本の歴史と闘ってきた(19.5.27)

 2018.11.10第11回新宿デモへの呼びかけ)(18.10.20)に加筆。

「悪い奴にとって一番ありがたいことは、いい人がだまっていてくれることだ」。イギリスの古い美学者が言っていた言葉ですが、そんなことで、黙っていてはいけませんよ。
                                                   大岡 昇平
大岡昇平「時代へ発言 第三回-39年目の夏に-」1984.8 NHK教養セミナーより

戦争について生涯考え続けた作家大岡昇平(彼の紹介->こちら)、もし彼が生きていたら、原発事故の本質について、こう言ったと思う。
--原発事故は従来の災害・人災の延長線上で考えることはできない。むしろ一種の核戦争というべきである。
なぜなら、一方で、物理現象として、放射能は目に見えず、臭いもせず、痛みも感じない、私たちの日常感覚ではぜったい理解できない、人間的スケールを超えた、非日常的な、不可解、不条理な現象で、原発事故は、原発から放出された大量の放射性物質によって、外部から、そして体内に取り込まれ内部から、桁違いな量でくり返し発射される放射線とのたえまのない戦い(年間1mSvだけでも「毎秒1万本の放射線が体を被ばくさせる事態が1年間継続すること」(矢ヶ崎克馬琉球大学名誉教授)を強いられているから。

他方で、社会現象として、戦争では「ひとりひとりの兵士(市民)から見ると、戦争がどんなものであるか、分からない。単に、お前はあっちに行け、あの山を取れとしか言われないから。だから、自分がどういうことになって、戦わされているのか分からない。分からないまま、危険な目に遭い、死んでしまう」、それが戦争だ。

これに対し、福島原発事故がそうだったように、「ひとりひとりの市民から見ると、原発事故がどのようなものであるか、どうしたらよいのか、真実は分からない。単に、『健康に直ちに影響はない』『国の定めた基準値以下だから心配ない』とかしか言われないのだから。だから、一体自分がどういう危険な状態にあるのか、どう対策を取ったらよいのか、本当のことは分からない。分からないまま、危険な目に遭い、身体を壊してしまう」、これが原発事故というものだ。この点でも戦争と変わらない。

また、大岡昇平は、戦争中の日本軍部の愚劣な作戦を省みて、「兵士=歩兵(市民)は(敵のアメリカ軍と闘っただけでなく)、明治維新以来の日本の歴史と闘ってきたようなものだ」と語る。

これに対し、福島原発事故以後、恥ずかしいほどあからさまとなった、原子力ムラの愚劣極まりない対応を見て、命を救済するという当たり前のことがなぜできないのかと問うた時、私たちもまた大岡昇平と同様、「私たちは市民は、単に原子力ムラと闘っているのではなく、明治維新以来の日本の歴史と闘っているようなものだ」ということに思い至る。

その時初めて、市民を愚弄し続けて来た、明治維新以来の日本の歴史と闘って来た「江藤新平」、「田中正造」、杉並の「原水爆禁止」署名運動、人間裁判の「朝日茂」、水俣病の「川本輝夫」「原田正純」「宇井純」、四日市死の海を刑事告発した「田尻宗昭」、三島・沼津「石油コンビナート反対」の市民運動、東京都公害防止条例制定に尽力した「戒能通孝」たち、彼らが挑んできた格闘をいま自分たちも(ひそかに)追体験していることに思い至る。

 江藤新平(詳細は->ここ

 杉並で始まった水爆禁止署名運動(詳細は->ここ

朝日 茂(詳細は->ここ

川本輝夫(詳細は->ここ

田尻宗昭(詳細は->ここ
 戒能通孝(詳細は->ここ

大岡昇平が生前、戦争について語ってきた以下のメッセージの「戦争」は「原発事故」に置き換てもそのまま通用する。「核兵器」は「原発」に、「兵士」は「市民」に置き換えられる。それくらい原発事故は、戦争と同じく、私たち市民の日常の感覚・考え方では捉えきれない異常事態です。

だから、私たちは、私たちのあとに続く世代が生き延びる意志を持つ限り、彼らが人間であることをやめない限り、私達も生き延びることをやめる訳にはいかない。日常の感覚・意識との「分断」に甘んじる訳にはいかない。どんなに大変であっても、「注意深い」感覚・意識を持ちながらこの未曾有の異常現象と向きあい続け、なおかつ私たち市民を愚弄し続けて来た明治維新以来の日本の歴史と向き合い続け、NO!と言うだけでなく、「江藤新平」たちが創ろうとしてきた平和=積極的なYES!に向かって、アクションをやめる訳にはいかない。

【甘い考えだった】
「われわれの死に方は惨めだった。われわれをこんな下らない戦場に駆り立てた軍人共は全く悪党だった。芸妓相手にうまい酒を飲みながら、比島決戦なんて大きなことをいい、国民に必勝の信念を持てと言い、自分たちはいい加減なところで手を打とうと考えていた。‥‥
戦後二五年、おれの俘虜の経験はほとんど死んだが、きみたちといっしょにした戦争の経験は生きている。それがおれを導いてここまで連れて来た。
もうだれも戦争なんてやる気はないだろう、同じことをやらないだろう、と思っていたが、これは甘い考えだった。戦後二五年、おれたちを戦争に駆り出した奴と、同じ一握りの悪党共は、まだおれたちの上にいて、うそやペテンで同じことをおれたちの子供にやらせようとしている。」 (ミンドロ島ふたたび)
大岡昇平「時代へ発言 第二回-死んだ兵士に-」1984.8 NHK教養セミナーより

【戦争とは】
「核兵器は使うために作るのではない。持ってるぞということを示して、相手が使うのを抑える、核抑止戦略というんですが、とにかくこういう面倒な理屈が行なわれる。そういうところまで戦争は来てしまってるわけです。
核を使えば、人類の滅亡だから、限定戦争といって、核兵器を使わない戦争を朝鮮や,ベトナムではやってるわけですけど、するとそこにさっき言った徴兵制、戦争の矛盾がでてくるわけですね。それが何のために戦争をしているのかわからない――「いやだ」と言い出す。そこに住んでる人民の支持を得られない戦争というのは非常にいやな苦しいものです。アジアは人口が非常に多いんですから、いくらアメリカ人が一人で十人穀したところでいくらでもいるわけで、それがアメリカがどうしてもベトナムて勝てない理由なんです。あれはだんだんに終るうとしておりますけれど、とにかくこれが現代の戦争の実情なんで、れれわれは戦争はもうごめんだ、と考えていますけれど、実際は戦後二十五年、世界のどこかで限定戦争が行われている。いまの若い方が「知っちゃいない」と言おうと言うまいとそれは行なわれている。関係ないと思ってるうちにいつの間にか、われわれも巻き込まれている。そして来てからではもう何をしても間に合わない。戦争はそういうものなのです。」 (「レイテ戦記」の意図)
大岡昇平「時代へ発言 第二回-死んだ兵士に-」1984.8 NHK教養セミナーより

【俺は言うねぇ、とにかく】
「私はそうやってみんなが現にこう楽に暮らせるんならば、忘れちゃっても別にとがめようとは思わないんです。
それは人間はね まあ そういうもんなんですよ。そうして暮らしていければまあいいだろうと思うだろうし、
死んだ人間は、また それで いいと思ってると思うんだけれども、ただ、このまままたヒドいことになるというところへ引っ張っていくのじゃあ、彼らは浮かばれないだろう。‥‥
そうすると、政府の方が勝手なことをするのに対して『ノー』と言い続けることが文学者の、つまり我々の役目であって、それは、どうしても、、、俺は言うねぇ、とにかく。‥‥
大岡昇平「時代へ発言 第三回-39年目の夏に-」1984.8 NHK教養セミナーより

『悪い奴にとって一番ありがたいことは、いい人がだまっていてくれることだ』。イギリスの古い美学者が言っていた言葉ですが、そんなことで、黙っていてはいけませんよ」 
大岡昇平「時代へ発言 第三回-39年目の夏に-」1984.8 NHK教養セミナーより

2019年5月24日金曜日

【報告】東京都文京区、5月19日(日)市民立法「チェルノブイリ法日本版」学習会「戦争と平和--私たちは放射能を忘れたがっている。しかし、放射能は忘れさせてくれない。非日常の非人間的現象にボーとしないで、3.11ショックから立ち直り、正気に帰る必要がある--」

 2019年5月の市民立法「チェルノブイリ法日本版」学習会を、 5月19日(日)、NPO「ふくしま支援・人と文化ネットワーク」主催、東京都文京区の本郷文化フォーラム(東京都文京区本郷3-29-10 飯島ビル1階)でやりました。


以下の写真2枚はNPO「ふくしま支援・人と文化ネットワーク」代表神田香織さんFacebook提供。


以下、当日の動画とプレゼン資料&配布資料です。

動画

プレゼン資料(全文のPDFは->こちら) 
http://1am.sakura.ne.jp/Chernobyl/190519presenTokyo.pdf
 
配布資料(PDFは->こちら
新しい酒を新しい皮袋に盛る市民立法「チェルノブイリ法日本版」
2019年5月19日
                                                       育てる会共同代表 柳原敏夫

福島原発事故で私達は途方に暮れました。日本全土と近隣国を巻き込み、過去に経験したことのない未曾有の無差別過酷災害だからです。ところが未曾有の事故にもかかわらず、従来の災害の発想で救助・支援が行われ、そして支援は打ち切られました。「新しい酒は新しい皮袋に盛れ」、これが私たちの立場です。未曾有の無差別過酷事故には未曾有の無差別の救済が導入されるべし、それが健康被害が発生しようがしまいが事前の一律救済を定めた、原子力事故に関する世界最初の人権宣言=チェルノブイリ法です。

福島原発事故で私達は途方に暮れました。放射能は体温を0.0024度しか上げないエネルギーで人を即死させるのに、目に見えず、臭わず、痛くもなく、味もせず、従来の災害に対して行ったように、五感で防御するすべがないから。人間的スケールでは測れない、ミクロの世界での放射能の人体への作用=電離作用という損傷行為がどんな疾病をもたらすか、現在の科学・医学の水準では分からないから。つまり危険というカードが出せない。にもかかわらず、危険が検出されない以上「安全が確認された」という従来の発想で対応し、その結果、人々の命、健康は脅かされました。「危険が検出されないだけでは足りない。安全が積極的に証明されない限り、人々の命を守る」、これが私たちの立場です。つまり人々の命を被ばくというロシアンルーレットから守る。それが予防原則で、これを明文化したのがチェルノブイリ法です。

福島原発事故で私達は途方に暮れました。最初、人々は除染で放射能に勝てると教えられました。しかしそれが無意味な試みと分かると口を閉ざしたからです。避難できず、苦悩が人々の避難場所となりました。「苦悩という避難場所から脱け出し、真の避難場所に向かう」、これが私たちの立場です。それが美しい謳い文句にとどまらず、現実に、安全な避難場所に避難する権利を保障したチェルノブイリ法です。

原発事故の本質は戦争です。国難です。他の全ての課題に最優先して、その全面的救済を実現する必要があります。同時に歴史が教えるところは、国難において、国家はウソをつく、犯罪を犯す。
他方、公式の日本史に載らない民衆史が教えるところは、現場にどんな悲劇があっても、一人一人の市民がその生死をかけて立ち上がらなければ何も生まれない(田尻宗昭)。1997年に市民が作った対人地雷禁止条約も、1991年、2人の市民のアクションから始まった。それ以外にも、私達には以下のような、栄光の市民運動の歴史があります。
1872年 江藤新平らが、司法権の独立と民が官を裁く先進的な行政訴訟を作る。
1954年、杉並の主婦から始まった水爆禁止署名運動
1964年、三島・沼津の「石油コンビナート反対」の市民運動
1969年、歴史的な公害国会を引き出した東京都公害防止条例制定の市民運動
1995年、霞ヶ浦再生を、市民型公共事業として取り組んだアサザ・プロジェクト
1999年、市民主導で、日本各地の条例制定の積み上げの中から制定を実現した情報公開法 
これらの「希望の扉」の全てを叩き、開いて、市民主導で日本各地から条例制定を積み上げて法律を作るという、市民立法「チェルノブイリ法日本版」を実現し、3・11以後正義と不正義があべこべとなった事態をただし、平和を創る――それが3・11以後の私たちに残されていることです。
以上が、2018年3月スタートした、市民が育てる「チェルノブイリ法日本版」の会(略称「育てる会」)の市民運動です。

参加者の感想
主催団体NPO「ふくしま支援・人と文化ネットワーク」の代表神田香織さん(Facebookより)
「19日、NPO法人「ふくしま支援・人と文化ネットワーク」の総会と学習会を本郷文化フォーラムにて開催しました。学習会は一年前に発足した「チェルノブイリ法日本版」について柳原敏夫さんが講演。まず最初に柳原さんの「戦争と平和」と題したメッセージ、インパクトありました。 「私たちは放射能を忘れたがっている。その弱みにつけこみ、日本政府は『原発事故は終わった。あとは経済復興、オリンピック』と煽り立てる。 私たちは放射能を忘れたがっている。しかし、放射能は忘れさせてくれない、原発事故を簡単に終わりにはさせてくれない。非日常の非人間的現象にボーっとしないで3.11ショックから立ち直り、正気に帰る必要がある。」  スライドはどれも示唆に富んでいて次々とパチリ。「司法権の独立を獲得した江藤新平」、美濃部都政時の「東京都公害防止条例」今後のヒントとして「希望の扉」の実例、「もう一つのあべこべ」など、闘いの歴史もふまえ、物静かな語り口ながら怒りと情熱が伝わってきました。 エドワード・サイードの引用からは柳原さんの反骨精神 が垣間見えました。「現代の知識人は専門家ではなく、アマチュアたるべきである。そして機知とユーモアでずけずけ物をいい、絶えず移動する遊牧民である」 そう、もう、いわゆる知識人や政治家におんぶできる時代ではないですね〜。下手すると政治家の手によって戦争が起こりかねないのだから。機知とユーモアでずけずけ言いたいが自信がないという方、よろしければ私の講談教室にどうぞ。機知とユーモアはともかく、大きな声はお任せください(笑) 写真は講演の間はほとんど下を向いていた柳原さん、実はこんなに目がぱっちり。打ち上げ会場の前で。紹介したスライドの数々、講談教室のご案内です。」