2012年12月9日日曜日

ふくしま集団疎開裁判と山本太郎さん

1、まえがき
山本太郎さんくらい、ふくしま集団疎開裁判を熱心に支持・応援してくれる人はいない。
「脱原発」「グリーン」を支持する著名人の人たちに協力をお願いしても、世間の圧力に耳を澄ますせいか、疎開裁判に冷淡な人たちが多い。そんな中、山本太郎さんはダントツに異色だ。彼は、自分から疎開裁判を応援したくて、応援しているから。こんな人は見たことがない。

その理由は、思うに、彼は3.11で生まれ変わったからだ。3.11で彼もまた「無知の涙」を流したにちがいない。それが彼をして、疎開裁判の支援に駆り立てるのだと思う。

そんな人は稀だと思う。しかし、3.11以後、私たちにとって本当の意味で共に生きる価値がある人間、共に生きる甲斐がある人間とはそういう人ではないかと思う。
その意味で、彼は希望の人だ。
それ以外は、粗大ゴミ、生きる屍‥‥とまでは言わないが、存在しないにひとしい存在だ。

3千年以上前、モーセは抑圧に苦しむ同胞をエジプトから集団避難させた(出エジプト)。 それを神話と読むかどうかは別にして、人権も国連もなかった時代にもしそれが可能だったなら、なぜ、現代においてそれができないのか、できない筈がない。山本太郎さんのメッセージを聞くたびに、そう思う。
彼は「ぼくに炎の戦車」を与えてくれる人だ。

2、山本太郎さんのスピーチ
 以下は、これまで、山本太郎さんが疎開裁判のアクション(集会・デモ‥‥)に参加してスピーチした動画の一覧です。

①、2011年10月15日 郡山集会&デモ
これが、疎開裁判の会と山本太郎さんとの最初の出会い。
疎開裁判の会からの参加のリクエストに、彼の快諾で実現したもの。
このとき、彼は実費(交通費)も受け取らなかった。
彼の参加で、この日のアクションはこれまでになく盛り上がった。

(1)、集会のスピーチ


(2)、デモの終りの挨拶


(3)、デモ終了後のコメント



②、2011年11月23日 裁判所にビデオメッセージ提出

裁判所にビデオメッセージの提出というアイデアは山本太郎さんの発案。
彼は、奔走し、8名の著名人のビデオメッセージを集めてくれた。
彼自身のメッセージは、あたかも裁判官の面前で、裁判官の良心に真正面から迫るものだった。



③、2011年12月16日 福島地裁郡山支部の却下の決定と記者会見

野田総理の欺瞞的、というより犯罪的な「収束宣言」が下された昨年12月16日と同日,同時刻頃、疎開裁判の一審の判断も下された、疎開裁判のニュースを人々に知らせないために。
「決定が出る日を事前に教えて欲しい」という弁護団の要請を拒絶した裁判所から、同日午後3時、「決定が出ました」と電話があり、この不意打ちに、急いで東京から郡山に向かった。
裁判所は周辺を機動隊の装甲車で厳重な警備を敷いた(目撃した裁判所の近隣住民の証言)が、この日、裁判所と記者会見場に駆けつけることができたのは、わずかな支援者だった。
この殺風景な記者会見場に、東京から駆けつけた唯一の支援者が山本太郎さんだった。
別に疎開裁判の会がリクエストした訳ではない。彼は自分から勝手に来たのだ。
そして、10分くらいで、駆け足で東京に戻っていった。
なんという無謀な人、マイウェイの人かと思った。

 郡山の「疎開裁判の会」記者会見でのスピーチ


④、2012年7月27日 官邸前抗議行動
 
疎開裁判を決して人々に知らせない御用マスコミの妨害をはねのけるため、街頭に出てアピールすることに決めた最初の重要な日、前もって連絡できなかったにもかかわらず、山本太郎さんは応援に駆けつけてくれた。 そして、スピーチが終わると、足早に駆け足で去っていった。この日もマイウェイだった。
疎開裁判にとって何が重要な瞬間か、その意味を彼ほど的確に理解し、そして行動する人はいない。

官邸前スピーチ


⑤、2012年10月1日 仙台アクション(集会・デモ・裁判)
 
 10月1日は、疎開裁判を審理する仙台高裁が第1回目の裁判(審尋)を開くとても重要な日だった。その重要性を理解する山本太郎さんは、肉離れのアクシデントを起こしたにもかかわらず、車椅子で仙台まで駆けつけてくれた。

集会のスピーチ
 
 
⑥、2012年10月5日 文科省前~官邸前~財務省上抗議行動

10月1日の仙台高裁の裁判の報告をするこの日の金曜アクションも重要な日だった。山本太郎さんは勝手に金曜アクションにやってきて、車椅子で、文科省前から財務省上まで移動して参加してくれた。

 財務省上でのスピーチ



⑦.2012年12月7日 文科省前~財務省上抗議行動
 
「 出たい人より出したい人」=有権者に推し出されるのが「理想選挙」だとすれば、山本太郎さんは「理想選挙」のモデルではないかと思う。なぜなら、彼くらい、子どもたちの集団避難の必要性、切実さ、重要性を分かっていて、それをストレートに声に出す人はいないから。
「子どもを守れ」と美しい言葉を吐く人はたくさんいても、今それを具体化するために何をすべきかを考え、行動に移す人は稀だ。彼はその稀な人の一人だ。彼こそ、私たちの代弁者たるにふさわしい。

電話中継によるスピーチ

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